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2.桜が散った日

 半年以上かけて折った千羽鶴を、今あなたのお墓に起きました。

 風が強くて吹き飛ばされるかと思いましたが、カサカサと小さな音を立てて風の中で耐えているかのように思いました。あなたの前だからでしょうか。

 私は空を見上げながら、お墓の近くの桜の列を見ました。まるで私を包み込むかのように、桜が綺麗に咲いていました。

 毎年、桜を見ると思い出すことがあります。

 少し、昔話を聞いてくださいますか。


 七年前、私は桜が並んでいる病院に盲腸で入院した。涙が出るほどの激痛だった。急性盲腸炎だったらしく、翌日手術ということになったが、痛み止めを打ってもらっても痛みはなかなか治まらなかった。

 部屋は二人部屋で小さい女の子がいた。女の子は、目が大きくて口が小さくまるでお人形のようだった。肩までの髪はとてもキレイに三つ編みされていた。本当にかわいい子だった。

 手術の日(といっても翌日)まで私は、右を向いたり左を向いたりとにかくお腹をさすっていた。

 翌日の手術日にはスーパーでパートをしている母も来てくれた。

 手術中にクラシック音楽が流れ、私は下半身麻酔が効いて、妙な気分になりつつ横になった。

 けれど麻酔が切れた後は、またもやお腹に激痛が走り、私は涙を必死にこらえていた。

 何とか痛みが治まると、沙也ちゃんという同室の女の子が色々と話しかけてきた。

 淋しいからなのか、元々そういう性格なのかは分からない。

 しかし沙也ちゃんのその態度は、彼女の性格をさらにかわいくした。

 ある日、こんな会話をした。

「ねぇ雪乃お姉ちゃん、この病院にいっぱい桜の木が並んでるでしょう?」

 瞳をキラキラと輝かせながら言う。

「うん、並んでるね」

 私は大きく頷きながら言った。そして付け加える。

「もうそろそろ咲くわね」

 窓越しに外を見ながらつぼみがついている桜の木を見て言う。

「咲くと、すっごい綺麗なんだぁ」

 沙也ちゃんが言った言葉は、少なからず私をびっくりさせた。

「……見たことあるの?」

「うん。三回ぐらい」

 三回。三年も入院しているのかしら?

 私の考えを読み取るように、沙也ちゃんが笑いながら言った。

「あ。でもね、入院する時に桜が咲いてて、それで一回。あとはここの部屋で二回」

 へぇそうなんだ、と、頷く私をよそに沙也ちゃんは大きな声で言った。

「でも今度は見れないの」

「どうして?」

「小学校に入学する時、小学校の前の桜を見るから!」

 そう言って彼女はとても嬉しそうに笑い、そしてベッドの上に立ち上がった。

 私はちょっと不思議に思って、

「退院できるの?」

 と聞いた。

 沙也ちゃんはベッドにどすんと座って答える。

「うん。手術、うまくいくって言ってたから」

「手術はいつなの?」

「明日の明日」

 私は、はしゃぐ彼女を見ながら微笑んでみたけれど、今日が二日。そして手術の後も当然入院するから、入学式なんて無理だわ、と、思っていた。

 だけど言うのはよそう。この病院の桜を見ればいいのだから。

 その時、ドアのノックの音がして二人で『どうぞ』と言うと、とてもやさしそうな表情をした女の人が入って来て、私に向かって丁寧に御辞儀をした。

「沙也の母親でございます。いつも色々とお世話になっております」

 私はちょっとびっくりしながらも、ベッドの上から

「私は何もしていません。こちらこそお世話になっています」

 と言った。

 沙也ちゃんのお母さんは袋の中からリンゴを取り出し、リンゴの皮を剥きながらにっこりと微笑んだ。

「うちは共働きなものですから、あまり見舞いにも来れず……」

 と言ったところで、ふと手を止め、私の顔を不思議そうに見た。

「そういえばあなたのご両親にもお会いしないけれど、やっぱり働いているのかしら?」

 訊かれるかな、と、思っていたので、私はきわめて明るく言った。

「うちは離婚していて、母はパートなものですから……」

「まあ……」

 変なことを訊いて、と、小さく呟く声が唇からもれ、私は両手を振って全然平気ですから、と、言った。

 それでもやっぱり悪いことを訊いてしまった、という感じだったので、私は戴いたリンゴを食べながら必死に話題を変えようとした。

「沙也ちゃんの手術、うまくいくといいですね」

 そう言うと、彼女は、沙也ちゃんと桜を交互に見いっているかのように見えたが、何秒か後に私の方を向いて静かに言った。

「ええ……。退院はお決まり?」

 沙也ちゃんにもリンゴを渡しながらも、私に話しかける。

「ええ。ちょうど沙也ちゃんの手術の日なんです」

 私が答えると、まだ若い母親はそっとため息をついた。

 そういう仕草を見ていると、本当に沙也ちゃんの母親だなぁと思えてくる。顔の輪郭も似ているし、少しパーマのかかった髪の毛の色も。

 沙也ちゃんはやっぱり母親と嬉しそうに話している。

 けれど、母親は笑いながらも切なそうに。

 やはり、小さい我が子を入院させているというのは、悲しいことなんだろう。


 それから、沙也ちゃんの手術日と私の退院日になった。

「頑張ってね」

 退院する前に言っておこうと思っていた。そしたら彼女は指を差し「桜、咲いたよ!」と私に言ってから、ごそごそと何かを私にくれた。

「お母さんに教えてもらった鶴。一羽でごめんね、むずかしかったの。雪乃お姉ちゃん、退院おめでとう」

 くれた一羽の鶴はいびつだったけれど、一生懸命に折ってくれたことが伝わってきて、嬉しかった。

「ありがとう、頑張ってね」

 繰り返し言ったけれど、私には本当は逆の立場であることを思って恥ずかしかった。

 退院するにあたり挨拶をして外に出たら、本当に、桜が満開に咲いていた。

 私はゆっくりと歩きながら、しばらく桜を見つめていたけれど、やがてその花びらが風もないのに散っていった。

 そして二日後には、完全に散っていた。

 驚くほど早かったけれど。沙也ちゃんのお見舞いに行った時、私の名札はもちろん沙也ちゃんの名札もなくて、もしかしたらあの日散り始めた時に沙也ちゃんの命も散っていったのかもしれない。


 七年前のことなのに、よく覚えていたものです。

 私は桜を見つめつつも、散るのは見たくないと思いました。誰かの命かもしれないと思うと。

 彼女は私の半分の歳で逝ってしまったのです。

 風が冷たくなってきました。そろそろ帰るとしましょうか。

 歩き始めた足を止めて、あなたのお墓を見たら黄昏時の太陽が眩しく、反射して千羽鶴を七色に染めていました。




   終


《初出》

1995年1月30日発行「桜が散った日」

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