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1.ふたり・・・

 風が気持ちよく体に溶け込む頃には、もう紅葉の季節になりつつあった。

 『学園祭』というものが存在する限り、学生たちは忙しい毎日を送ることになる。

 そしてここにも、約二名の生徒が学園祭に向けて準備に取り掛かっていた。

 一人のショートカットの少女の名は佐々木菜々。この広い世の中、どこにでもいそうな平凡な女子高生である。勉強もスポーツも半々という、目のくりっとした明るい少女。

 もう一人は、軽いソバージュをかけて勉強もスポーツ出来る、菜々に言わせると「羨ましい」色白の、笑顔が何とも言えない少女、臼井あかりである。

 一見、正反対のような二人だが共通しているところがあった。二人とも演劇部に所属しているところだ。

 そして今、二人は学園祭の出し物「ベルサイユのばら」の役作りに必死である。といっても菜々は「脇役でも出れれば幸せ」という考え方なので、必死にセリフを覚えているのは菜々以外の演劇部員かもしれない。もちろん、あかりも含めて。

 菜々はあかりに付き合う形で演劇部に入ったのだが、あかりの方は将来役者になるのが夢なのだから無理もない。

 そして、あかりが演じたいという役は「ベルばら」の主役ともいうべき「オスカル」である。高校最後ということもあってどうしても「これだけは私が演りたい」と言って譲らない。しかし、あかりと同じことを考えている人間は演劇部にはたくさんいるのだ。

 そんな中でも菜々は「あかりなら大丈夫」という安心感がある。菜々から見れば、あかりはなんでも出来るスーパー少女なのかも知れない。


 帰り道、夕陽が沈む時間に二人は帰る。いかにも「今日もやっと終わった」という安堵感が顔に出てしまうのは仕方がないだろう。

「あかり、オスカルのセリフ暗記した?」

 明るい声で菜々が問う。

「うーん。第一幕のトコはね……」

「ひょえー……。さっすがー。第一幕って、フェルゼンとアントワネットのことがバレるトコだっけ?」

 よく覚えていられるねぇ、と菜々が口笛を吹いて冷やかす。

「でもいくら暗記したって、役もらえなきゃ意味ないでしょ……」

 あかりが実に現実味のある発言をし、ため息をついた。

「だけど、役発表まであと二週間近くもあるじゃないよ。あかりなら平気だって。オスカルでもなんでも」

 菜々の言葉にあかりは思う。そんなに上手く物事は運ばない、自分より上手い人はたくさんいる、と。


 翌日の放課後、舞台稽古で菜々はうきうきしていた。彼女は演るよりも、観る方が性に合っていると、自分で思っている。

『お通ししろ……。私が身元を保証する……』

 あかりの高い声が響いている中、菜々はあかりになりたいと思った。何でも出来て、セリフの暗記もすぐ出来て、全てが完璧に見えるあかりになりたいと思った。

 もちろん、なれる訳などないが。

 菜々は結局セリフ読みもせず(というより出来なかった)、演劇部長の締めくくりの言葉を聞いて、あかりと一緒に体育館を後にした。


「『あと一週間をきりました。役は毎年通り多数決で決めますので、皆さん頑張ってください』だって。菜々はどうするの?」

 ため息交じりにあかりが訊く。

 風がいやに生暖かい。あかりは意味もなく不快感をおぼえる。

 菜々はわざとらしく考える振りをした。

「別に……。女中でもいいしね、私は」

 言葉通りに、菜々は全く役のことについて気に留めてないようである。

「第二幕……、覚えられるかなあ」

 あかりにしては珍しく弱気の発言をする。

「私も頑張ろうかなっ」

 菜々が明るく言って笑った。そして付け加える。

「そんなこと言ってると、私がオスカル演っちゃうよ」

 あかりは一瞬唖然とし、その後二人で声を立てて笑った。


 けれど、菜々は翌日から女中のセリフを暗記してきて、あかりをやる気にさせ、元気づけた。

 菜々はそんなつもりはあまりなく、ただ「脇役でもいいから出たい」という気持ちが強かっただけなのだが。

 けれどこれは演劇部全体にも影響があり、部員全員がしっかりとセリフの暗記と演技に力が入り、自然と「ベルばら」そのものが、皆の息がまとまり、良くなってきているのが第三者にも分かるようになってきた。

 菜々ははっきり言って、やろうと思えば結構こなせる方であるが、なぜかそれをしない。

 一方あかりの方はただただ頑張るだけという努力家である。しかしあかりは人の何倍努力しているのか知られていないので、(もちろん菜々も知らない)「頭がいい子」と見られているのだ。

 舞台稽古ではあかりは「オスカル」役のために、菜々は民衆一人の役のためにセリフを覚えて一生懸命だった。もちろん、セリフと同時に演技もするのだから容易ではない。

 演劇部員が皆、必死に練習していた。自分の役のために。


 あっという間に一週間が過ぎて、役発表の日になった。

 菜々も緊張していたが、他の部員と比べるとかわいいものである。

 一人ずつ一通りの役をして多数決で決める。本来なら反対のやり方かも知れないが、部員は一応役全員のセリフを覚えているので、誰がどの役に一番適役か、多数決により決まり、自分のやりたい役じゃなく他の役にさせられることも多々ある。

 あかりは光っていた。他のどのオスカル役の人よりも。華がある、というべきだろうか。

 決まりだね、菜々は口元に小さな微笑を浮かべてそう呟いた。

 あかり自身は、どう思っていただろうか。

 結果は意外なものだった。

 あかりのオスカル役にはほとんど票がなく、彼女の役はアントワネットに決まったのである。

 あかりには理解出来なかった。自分は上手く演ったつもりでいた、そう思っていた。オスカル役に決まった部長に詰め寄る。部長は複雑な表情で言った。

「私が決めたんじゃないことは、あかりにもわかっているわよね。あなたは上手だったわ。ええ、本当に」

「それならどうして!」

 あかりは声を押し殺して叫んだ。

「……あえて言うならば、そうね、あかりには人を注目させる何かがあると思うの。確かにオスカルは大変な役よ。でも、もう決まったアントワネットの役も同じように大変なことはあかりも知っているでしょ? オスカルがあなたに合わないって言うんじゃないの。ただアントワネットの一つ一つの難しい表情とかの演技が出来るのは、あかり、あなたしかいないと思うのよ」

 多数決で決まったようにね、と彼女が言う最後の言葉をあかりは聞かずに踵を返した。

 部長は一つため息をつき、菜々に言った。

「役取れて良かったわね。私は無理だと思っていたわ」

 苦笑いして、部長が真剣な表情で菜々に囁きかける。

「あかりのことなんだけど……」


 菜々が必死にあかりを探している時、あかりは屋上にいた。

 役者を目指しているのに、演りたい役すら出来ないことが何よりも悔しく情けなかった。

 瞳から涙がこぼれ落ち、あかりはそのまま泣いた。声を立てて泣いた。


 あかりを探しながら、菜々は走りつつ部長の言葉を思い出す。

『彼女、朝早くいつも練習していたの。私がいつも早く来るたびに彼女がいたわ。ねぇ菜々、あかりはあなたが思っているほど強くないんじゃないかしら……』

 菜々は動揺していた。自分と彼女は違う人間だと信じきっていた。あかりは何でも出来る強い人間だと……。

 けれどそれは、知らず知らずのうちに菜々があかりにそうあってほしいとプレッシャーをかけ、彼女はそれに答えられると過大評価していたのだ。

 しかし、そう思っていたのは菜々で、あかりは決して自分でそんなことは言わなかったのだ。


 体育館から校庭、教室、トイレ等、廊下を走りながら菜々は自分の愚かさを呪う。目頭が熱くなる。あとは屋上くらいかもしれない、と屋上への階段を駆け上る。

 一言でいい。自分が彼女にかけていた重荷について謝りたい、菜々の頭の中はそのことでいっぱいだった。

 屋上のドアを激しく開けて、目で一生懸命あかりの姿を探す。

 泣き声がする。反対側かもしれない。菜々は走ってドアの反対へ行ったが、急に立ち止まる。

 座り込んで泣きじゃくるあかりの姿がそこにあった。

 部長の言葉がまた菜々の頭の中で響く。

 別人、だった。そこにいるあかりは、菜々が今まで見たこともないあかりだった。

 しばらく菜々は茫然とそこに立ちつくしていた。かける言葉を失って。

 同じだ、あかりも同じ人間なんだ、人と同じように練習して役が取れなければ落ち込む。菜々はそう感じていた。

 あかりが不意に顔をあげた。泣き疲れたのか、人の気配を感じたのかどちらかは分からない。

「私はそんなに強くないよ……」

 開口一番発した言葉がそれだった。今までずっと我慢し続けてたのかもしれない。

 かすれ声で言ったあかりの言葉は菜々の胸を締め付けた。

「ごめん……」

 菜々はそれしか言葉がなかった。

 返る言葉はなかったが、菜々はあかりの悔しさを感じた。


 屋上にいる二人を他の誰かが見たら奇妙に思うかもしれない。女の子同士が無言で向き合って。

 けれど二人は、喋らなくてもお互いの気持ちを感じていた。

 夕陽が落ちていく様を二人は無言で見ていた。

 冷たい、でも菜々とあかりの二人にはとても心地よい風が、制服と二人の髪をなびかせる。

 お互いの、今まで気づかなかった部分が風に吹き払われたように、清々しかった。

 二人はこれからが始まりかもしれない。



   【終】



《収録一覧》

初 版:1994年 9月20日発行「ふたり・・・」

第二版:2010年 5月 4日発行「ほのぼの」

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