介護日誌 一
※作者のコロナ禍の体験が元になっていますが、あくまでフィクションです。ご了承下さい。
今、世界中で厄介な感染症が流行中。
咳やくしゃみ、喉の痛み、熱などの症状が主だ。これだけなら普通の風邪と変わらないけど、問題は、新たに発見されたウィルスだということ。
だから、治療方はまだ確立されていない。
また病院、介護施設では、集団感染クラスターが、発生して大変な状況だ。
そんな中、私、平中舞が勤めている、「中島市デイサービスセンター」では、日々感染対策に励んでいる。
ご家族の協力もあってか、利用者に、感染症に罹った方はいない。
いないが、利用者さんの大半は、認知症だ。認知症の方に感染症の恐ろしさを説明しても、理解してもらうのは、なかなか難しい。
なぜなら、認知症の症状は、ただ単に所謂「ものわすれ」だけじゃない。
判断力の低下や今何時か?今どこにいるかなど分からなくなったり、被害妄想、暴言、暴力など症状多岐にわたる。
難しい説明になってしまったけど、私が卒業した専門学校の恩師の言葉を借りるなら、認知症の方は、私たちが、外国へ通訳もなしに、外国へ放るこまれるようなものらしい。
難しい説明は、ここまでにして私たちの日常で起きた事を報告させてほしい。
まずは、マスクについて話すね。
最近は、感染症のせいで、マスク必須なんだけど、まあマスクが手に入らない。
スーパーやドラッグストア、100円ショップやコンビニでは、まず見ない。たまに売ってたとしても、マスク不足に悩む人々が大挙してやって来るから手に入らない事もしばしば。
大手ネットショッピングストアやフリマアプリで買うと思うもんなら、信じられないほど高額で売っていたりしている。
そんなだからか、利用者のご家族は、必ずっていいほど送迎の時こう言うか、もしくは、デイサービスの連絡ノートにこう書いてある。
「マスクを失くないようにお願いします」
うん、気持ちはわかる。うちのデイからマスク着用お願いされた以上着けさせないわけにいかない
けど、マスク不足で、手に入らないから予備を持たせるほど余裕ない。だから失くさないで言う家族の気持ちはわかる。分かるんだけど、着けた瞬間に、バッと外してしまう利用者さんもいるの。
マスクすると息苦しいし、なんで付けるのか理解できない人からすれば、ただの迷惑な物でしかない。
ただ、ご家族の中には、笑顔(目は笑っていない)で、「家の中以外の空気吸ったら死ぬよ。空気中、毒だらけだからねだからマスク付けて」と言うご家族もいるんだけど、
家族の前では、怒られたくないから付けているだけで、送迎車の中で外して、ポケットにしまっちゃうんだよね。
それだけならいいんだ。またポケットから出してまた付け直せばいいんだもん。
だけど、時には、どうしようも出来ない事があるんだ。
例えばある日の昼食後の事。
昼食の下膳やテーブルの消毒やら、トイレ介助も一段落ついた頃、先輩介護職員の野々原さんに言われた一言で、私の血の気は引いたんだ。
「ねぇー。平中さん、幸ゆきさんさ~、マスクしてた??」
「えー、口腔ケアの後は、してましたよ」
口腔ケア。つまり歯磨きやうがいなんかの口の中のケアの事なんだけど、幸さんは、認知症の方だけど、声かけと見守りがあれば、自分で歯磨きできるから、私が洗面台まで誘導して、歯磨きしてもらった。
ちなみにマスクは、食事中は、服のポケットに入れていたから、歯磨きが済んだら、すぐに着けてもらったから間違いない。
「今見たら無いのよー!」
私の頭に、今朝の送迎時の事が鮮やかに思い出された。
ーーー無理を承知の上でのお願いです。どうか、マスクを失くさないで下さい。もうマスクがないんです。不潔ですけど、アルコールスプレーで除菌してもう一度明日、そのマスク使うんです。明後日にならないと、アニャゾンで頼んだマスクが来ないんですぅぅ!!
幸さんの娘さんの魂の叫び声。さっきも説明した通り、マスク不足のせいで、使い捨てである不織布マスクを消毒したり、ガーゼやティッシュをマスクの下に挟む事で汚れないようにしたりして、繰り返し使う人が多い。
布マスクやウレタンマスクを使えば?と思うかもしれない。
だけど、うちのデイサービスを運営母体である社会福祉法人は、職員、利用者にも不織布マスクしか使用しないで下さいとお達しを出している。
布マスクやウレタンマスクは、不織布マスクに比べると感染を防ぐ性能が弱いんだそうだ。
だからこそ、不織布マスクの使用を推奨というというか強制的に使用してね。とうちの社会福祉法人は言っている。
そんな事情があるから、利用者のマスクが失くなったという現実は、職員を地獄へ叩き落とすんだよね。
「えー!朝失くさないでって娘さんに言われたのにー!」
「わー。探さなきゃー!!」
もう現金や宝石のような貴重品を失くしたかのような騒ぎになり、手が空いている職員は、マスクの捜索に当たるんだ。
私は、幸さんの介助をしていたという事で幸さんにマスクの確認と幸の身の回りを探すことになった。
他の利用者とのお喋りに夢中のところ、申し訳ないが、声かけさせてもらう。
「ちょっとお話中すみません。幸さん」
「なあにー?」
「してたマスク、どこにしまったか覚えてますか?」
と訊くと、幸さんは、首をちょこんと傾げて、
「んー?マスク?してたかしら?」
「朝、してましたよ」
「そういえばしてたわ。ちょっと待ってね」
と幸さんは、ポケットを、ごそごそと探してくれるんだけど………
「んー、無いわねー。あっあった。あらティッシュ。んー、これは飴の袋」
出てくるのは、大量のティッシュ&ペーパータオルとその他のゴミ。収集癖のある認知症の方あるあるなんだけど、なぜか大量のティッシュやペーパータオルなんかの紙やゴミ類がポケットから出てくるんだよね。
そんな大量の紙&その他のゴミ軍団を探して見つかればいいけどない。
幸さんがいつも提げているポシェットや持参されているバックの中やごみ箱まで探すけどない!
「マスクありませーん」
野々原さんにそう報告すると、野々原さんから別の指示が飛んできた。
「ないのー!じゃ、トイレ行ってボディチェックしてきて!」
「はい、わかりました!」
ご本人をつれて、トイレへ直行。ポシェットもバックの中も見たけど、無いなら、あとは服の下を見るしかない。
「幸さん。ごめんなさいね~。マスクさー、失くさないでって娘さんから言われてるからさ、探させて下さいねー」
「いいよ~」
数分後。下着の中まで探して出てきたのは、紙の山だけで、マスクは、みつからない。
「なんで、紙が沢山あるのに、マスクないのー!幸さんさ~、ホントどこやったか、覚えてません?」
「んー、わかんない。捨てたかも」
---捨てたかも。 うん……そうだね。わかっていたさ。99.999%失くすって。私らもさ、四六時中見張ってるわけじゃないし。昨日もその前も失くしてんだもん。
仮に見つかっても、パンツやリハビリパンツ(はくタイプの紙オムツ)から出てきた時は、さすがにそのマスクは着けてもらわず、心の中で家族に謝りながら、そっとゴミ箱へ捨てている。
幸さんに席に戻ってもらいながら、わたしは、ある事を思いついた。
「あっそうだ。今度のの工作レクこれいいんじゃないかな?」
マスクを失くさない方法をそれぞれ来週までに考えてと、先週の職員ミーティングで主任に言われていたけど、えー無理だよねー。と先輩がた(主にお局様とその取り巻きの御姉様方)は、早々に考えるのを放棄した挙げ句、主任に「無理なもんは、無理!下らない事を議題にするんじゃないわよ!!私達は、考えないからね!!考えたきゃあんたと相談員でどうにかしなさいよ!」と吐き捨てていたなー。
確かに無理かもしんないけど、やっぱりマスク失くしましたって、ご家族に報告する度に、申し訳ない気持ちになるし、人によっては「なんで失くしたのよ!あんたんとこが、布マスクダメだって言うから仕方なく、買ってやってんのに。また失くしたら別のデイに変えるからね!」と言われてしまう。
むちゃくちゃな要望と言えばそうなんだけど、マスク失くしてほしくない気持ちも分かる。
まあ、利用者にマスクする習慣が付いていないから、失くしてしまうのは、仕方ない。
だったらせめて、失くしてしまう確率を減らせるような工夫をしてもいいんじゃないか?
そう思った私は、今日少しだけ残業する事にした。
翌日。朝一に主任にとある提案を纏めた書類を見せていた。
「マスクケース作り?」
「はい。今度の工作レクでやってみたいと思って」
「ふーん。マスクがどなたのか分からなくなったり、紛失を減らす。利用者にもマスクを失くさないようの意識付けのきっかけにする。良いわね。これをこのまま明日の会議に出しましょ」
「ありがとうございます!」
私が勢いよく頭を下げると、主任は、苦笑いをした。
「お礼を言うのは、私の方よ。マスク失くさない方法を考えてねって、無理難題言ったのに、アイディアを出してきたのあなたと野々原さんだけなの。野々原さん、口頭で私に口頭で伝えてきただけたから、明日提案書出してくるんじゃないかしら?」
「そうなんですね」
私は、そう返事しながら、内心呆れていた。
ーーーお局様と取り巻きの皆様は、本当に何も考えなかったんだー。このマスク紛失事件の時も何んっもしてねえんだから、こんくらいちゃんとしろや!
「平中さん?怖い顔してどしたの?」
主任が怪訝そうな顔で、私を見ていた。
お局様達への怒りが顔に出ていたらしい。
「いえ、何でもありません。明日の会議よろしくお願いいたします」
私は、そう言って、今日の送迎確認をするため、事務室をあとにした。
色々あったけど、私の案は、無事に通った。
というか、お局様と取り巻きの御姉様方は、やはりと言うかなんと言うか、マスクを失くさない方法なんて考えちゃいなかった。
ちなみに野々原さんのアイディアも私と同じようにマスクケースを作る事だったんだけど、職員が作るって事だった。
余分な業務を増やすくらいなら、レクにしてしまえば、利用者と一緒に出来るしという事で、私の案が通ったという訳。
「にしても、あの大量の紙の存在よく知っていたわね?」
と利用者さんと紙を折りながら、主任が訊いてきた。
「んー。前回の工作レクの準備を壺田さんと槇田さんに押し付けられたんですよ。その時にあの大量の紙の存在知ったんです」
「へー、そうなんだー」
主任の顔が若干引きつっているのは、気の所為だな。うん。ちなみに壺田さんは、お局様で、槇田さんは、お局様の取り巻きさんその一だ。
さっき主任に言った通り、前回の工作レクの準備中に、今回のマスクケース作りに使っている紙は、その時発見した。
なんかきれいな和紙みたいな紙だから、お正月の飾り作るのに良さそうって思って、覚えていたんだ。
「平中さん、押し付けられた件黙っていたのは、良くないわ。だけど、押し付けた人は、もーっと悪いわよね」
「ハハハ」
とりあえず笑って私は、誤魔化したけど、主任の背後に般若が見えたのは、気の所為じゃない。
しばらくして、マスクケースにマスクをしまうという習慣が身についてきたせいか、マスクが失くなる回数は、ぐっと減った。
あー余談だけど、壺田さん、槇田さんの両名は、主任からしこたま怒られたそうな。
では、次回。




