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第4話「口コミの威力」②

「心よりお待ちしております」



 その午後、見慣れない少年が現れた。


 十歳ほどで、手に瓦版を抱えている。商売人らしい愛嬌のある笑顔だったが、その目には大人顔負けの鋭さがあった。


「珈琲茶屋の店主さんですか」


 声も元気で、商売上手な雰囲気が漂っている。


「はい」


「新助と申します。瓦版を売っております」


 少年の目が生き生きと輝く。商売への情熱が感じられた。


「実は、こちらの珈琲のことを記事にしたいのですが」


「記事に?」


 お春は驚いた。


「はい。頭が冴える不思議な薬湯として、とても評判になっているんです。医者の先生方が『これは素晴らしい』とあちこちで話しているのを聞くようになりました」


 新助の情報収集力に感心する。この年でこれほど敏感なのか。


「薬師寺屋の玄庵先生も、『革新的な薬湯だ』と他の薬種問屋に話しているそうです」


 お春の胸が高鳴った。口コミが予想以上に広がっているようだ。


「記事にしていただけるなら、ありがたいことです」


「それでは、少し詳しく教えてください」


 新助は筆と紙を取り出した。まだ子供なのに、その動作は大人顔負けに手慣れている。お春は珈琲の効能や店の様子について説明する。


「面白い話ですね。きっと皆さん、興味を持たれると思います」


 新助が記事を書く様子を見ていると、文字も意外にうまい。


「よろしくお願いします」


「明日の瓦版に載せますので、楽しみにしていてください」


 新助は元気よく手を振って去っていった。


 翌朝、新助が瓦版を持って現れた。


「載りました、載りました」


 興奮した様子で瓦版を広げる。


「『日本橋に珈琲茶屋現る 頭冴える不思議薬湯 蘭学者らも絶賛』という見出しです」


 お春は記事を読んで感動した。短い文章だが、珈琲の魅力がよく表現されている。


「『眠気を覚まし頭脳明晰、疲労回復にも効果あり。医者たちが勉強会にも利用』と書いてあります」


「ありがとうございます」


「これで、もっとお客さんが増えますよ」


 新助の言葉通り、その日から客足が明らかに変わった。


 瓦版を見て興味を持った人々が次々と店を訪れる。学者、商人、職人。様々な身分の人が珈琲を求めてやってきた。


 朝一番には、算学を教える寺子屋の師匠が来た。


「計算に集中したいので」


 昼には、大店の番頭が現れた。


「帳簿の整理で頭を使うもので」


 午後には、絵師の弟子が珍しそうに覗いていく。


「師匠の絵を模写する時、集中力が続かなくて」


 苦味に驚く人、値段の高さに驚く人もいる。それでも、確実に珈琲を理解してくれる人は増えていた。


 中には一度飲んで、すぐに「明日も来る」と約束してくれる客もいた。


 夕方、お春は一日を振り返っていた。


 朝から十五人もの客が来店し、そのうち十人以上が満足して帰っていった。珈琲の評判は確実に広がっている。


 懐の中で銭がちゃりちゃりと音を立てる。今日だけで二百文を超えた。この音が、どれほど嬉しいことか。


 春之助が嬉しそうに現れた。


「お春、今日は賑やかだったようだな」


「はい。おかげさまで」


 お春の声も弾んでいる。


「借金返済の目処も立ちそうだ」


 父の顔に久しぶりに安堵の色が浮かんでいる。額の皺も心なしか薄くなったように見える。


「皆様のおかげです」


 お春は茶碗に珈琲を注ぎ、一口飲む。香ばしい匂いと深い味わいが、一日の疲れを癒してくれた。


 身体の奥から、じんわりと温かさが広がっていく。


 月が昇り、夜が更けていく。しかし、お春の心は希望で満ちていた。


 珈琲茶屋「春庵」は、確実に江戸の人々に受け入れられ始めている。口コミの威力を実感し、明日への期待が膨らんだ。


 遠くから夜警の拍子木が響いてくる。「火の用心、火の用心」という声が、平和な夜を物語っていた。


 珈琲の香りに包まれて、お春は明日への準備を始めていた。きっと、もっと多くの人に珈琲の素晴らしさを伝えられるだろう。


 一歩一歩、着実に前進している実感があった。田中美咲の夢が、お春の手によって江戸時代に実現しつつある。


 台所で茶碗を洗いながら、今日出会った人々を思い返す。医者たちの真剣な議論、お絹の涙と笑顔、新助の商売上手な笑顔。皆、珈琲を通じて繋がった大切な人たちだった。


 静寂の中で、珈琲の香りが希望の未来を告げていた。


 夜風が障子を揺らし、どこかから三味線の音色が聞こえてくる。江戸の夜は深く、しかし温かい。


 お春は微笑みながら、明日もまた多くの人との出会いを心待ちにしていた。

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