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第12話「年末の奇跡」②

 その時、夕霧が現れた。清吉を伴っている。


「あたしも入れて」


「夕霧さん」


「講の話、聞いたわよ。あたしも一両出す」


 清吉も頷いた。


「俺も参加させてもらう。職人仲間にも声をかけてみる」


 夕方になると、見世の前に人だかりができた。豆腐屋のおかみ、八百屋の主人、魚屋、米屋のおかみ、そして太助とお雪まで。


「お春お姉ちゃん」


 太助が小さな包みを差し出した。


「これ、僕たちのお金」


「太助さん、お雪さん、でも君たちのお金は」


「いいんです」


 太助は真剣な表情で言った。


「お姉ちゃんに読み書きを教えてもらって、僕たちは変われました。今度は僕たちがお姉ちゃんを助ける番です」


 包みの中身はわずかな銭だったが、お春の心は熱くなった。


「皆さん、ありがとうございます。でも講というものは」


「心配いらねぇよ」


 豆腐屋のおかみが威勢よく笑った。


「もう二十八人集まっただよ。一人一両ずつ出せば、二十八両。あと二両は何とかなるだろう」


 お春は驚いた。これほど多くの人が参加してくれるとは。


「でも、講には順番があります。私が最初に受け取るわけには」


「当たり前だろう」


 八百屋の主人が威勢よく言った。


「お前が困ってるから作る講なんだから」


 その時、町役人の山村が現れた。


「お春さん、少々お時間をいただけますか」


 山村は珈琲を一口飲むと、静かに話し始めた。


「近江屋の件、耳に入っております」


「あの」


「いえいえ、お咎めではありません。むしろ逆です」


 山村は微笑んだ。


「講を作るのは結構なことです。町人の互助は奉行所でも奨励されております」


「そうなのですか」


「ただし、公正に運営される必要があります。私が証人となりましょう」


 山村は帳面を取り出した。


「親はお春さん、参加者の名前と出資額を正式に記録いたします。これで近江屋も文句は言えないでしょう」


 翌日の夕方、講の初回が春庵で開かれた。狭い見世内に二十八人が集まり、一人一両ずつ出し合った。最後に集まった金額は、ちょうど三十両だった。


「これは奇跡じゃ」


 甚兵衛が感慨深く呟いた。


「足りぬ分は、皆で少しずつ多めに出してくれたんだな」


 お春は深々と頭を下げた。


「皆様、本当にありがとうございます。この恩は一生忘れません」


「何を言ってるだい」


 豆腐屋のおかみが笑った。


「困った時はお互い様。それが江戸っ子の心意気だよ」


 その時、近江屋の藤吉がやってきた。


「さて、お金のご用意はいかがですか」


「こちらです」


 お春は講で集まった三十両を差し出した。藤吉は金額を確認すると、意外そうな顔をした。


「これはこれは、きちんとご用意されましたな」


「はい」


「しかし」


 藤吉の顔に嫌らしい笑みが浮かんだ。


「月割の利足も含めると、もう少し必要でして」


「月割利足、ですか」


「当然でしょう。年内というお約束でしたが、師走も後半になりました。遅延分の利足は商道の常識です」


 お春は困惑した。約束は年内返済のはず。まだ師走は十日ほど残っている。


「しかし、まだ年内です」


「いやいや、早めの返済が商人の礼儀というもの」


 藤吉の屁理屈に、お春は返す言葉を失った。


 その時、山村が静かに立ち上がった。


「藤吉さん、町役人として申し上げます」


「は、はい」


「お約束は双方が守って初めて成り立ちます。お春さんは年内という約束を守られました。追加の月割利足を求める根拠が不明です」


 山村の威厳ある声に、見世内の空気が張り詰めた。


「それに、このような大勢の前で正式な返済が行われております。異議がおありでしたら、町奉行所で正式に申し立てください」


 藤吉は慌てた様子で周りを見回した。これほど多くの人がお春の味方についているとは思わなかったのだろう。


「わ、分かりました。それでは三十両で」


 藤吉は慌てて金を受け取ると、そそくさと立ち去った。


 見世内に静寂が戻ると、皆が一斉にお春を見つめた。


「お春お姉ちゃん、よかった」


 お雪が駆け寄って抱きついた。太助も安堵の表情を浮かべている。


「皆様、本当にありがとうございました」


 お春は深々と頭を下げた。


「一人では到底できませんでした」


「何を言ってるだい」


 豆腐屋のおかみが笑った。


「困った時は助け合う。それが当たり前だよ」


「それに」


 夕霧が微笑んだ。


「あたしたちこそ、お春さんに助けられてきたんだから」


「そうですね」


 玄白も頷いた。


「この半年間、お春さんがしてくださったことを思えば、これくらいは当然です」


 その夜、お春は一人で見世を片付けながら、今日の出来事を振り返っていた。講という江戸時代の知恵で三十両を集めてくれたこと、そして最後に皆が団結して近江屋を退けてくれたこと。


 心の中で思った。転生前の田中美咲として生きていた時代にも、似たような仕組みがあったが、これほど温かい人情に支えられることはなかった。江戸の町人たちの絆の深さを改めて実感する。


「お春」


 春之助が声をかけた。


「本当に、立派な娘に育った」


「お父上」


「お前の母さんも、きっと喜んでいるだろう」


 春之助の目には涙が光っていた。


「人の心を支える商売、お前は母さんの夢を実現してくれた」


 お春も涙ぐんだ。この半年間、必死に走り続けてきたが、振り返ってみれば確かに多くの人との繋がりができていた。


「来年はもっと良い年にしよう」


「はい」


 外では師走の雪がちらちらと舞い始めていた。もうすぐ新しい年がやってくる。


 お春は七輪の火を見つめながら、静かに決意を新たにした。珈琲茶屋「春庵」は、皆の支えによって守られた。今度はもっと多くの人の心を支えられるような場所にしたい。


 そして、いつか信之さんと再び会えた時には、胸を張って自分の歩んできた道を話せるように。


 講の仲間たちとの絆。それは江戸時代の知恵と、現代から来た自分の心が結び付いた、新しい形の繋がりだった。


 師走の雪は降り続け、江戸の町を静かに包んでいく。春庵の小さな灯りは、新しい年への希望の光のように、温かく輝いていた。


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