第11話「子供たちの居場所」①
格子戸の向こうに、小さな影がちらちらと見え隠れしている。
珈琲茶屋「春庵」の朝の準備を始めたお春は、その影に気づいて手を止めた。一瞬だけ覗いて、またすぐに隠れてしまう。昨日も一昨日も、同じような影を見かけていた。
「今日もあの子たちが……」
お春は七輪で珈琲豆を炒りながら、格子戸の向こうを気にかけていた。
香ばしい匂いが店内に漂い、秋の朝霧と混じり合う。父との関係がより深く結ばれ、店の雰囲気にも新しい落ち着きが生まれていた。
「おはようございます」
夕霧が朝一番の客として現れた。以前よりも背筋が伸びて、足音にも自信が宿っている。
「いらっしゃいませ。今日はどちらの文字を学びましょうか」
お春は手慣れた動作で珈琲を注ぎながら尋ねた。
「昨日覚えた『商』という字を使って、清吉さんに手紙を書いてみたいのです」
夕霧の頬がわずかに染まった。その表情に、恋する女性の輝きが宿っている。
「素晴らしいですね。では筆を用意いたしましょう」
お春が硯に墨をすっていると、再び格子戸の向こうに影が揺れた。
今度ははっきりと、二つの小さな人影が見える。
「あら、やはり」
「子供のようでしたが……お腹を空かせているのでしょうか」
夕霧も心配そうに振り返る。
お春は立ち上がって格子戸を開けた。
路地の角に、痩せ細った少年が立っている。着物は継ぎはぎだらけで、足は裸足のままだった。その後ろに、さらに小さな少女が隠れている。
「おはよう」
お春が優しく声をかけると、少年はびくりと身体を震わせた。しかし逃げようとはしない。むしろ、じっと店の中を見つめている。
その瞳には、確かに飢えの影が宿っていた。
「お腹が空いているのかい?」
少年は口を固く結んで答えない。責任感の重さが、十二歳の肩に重くのしかかっているようだった。
「太助、だめよ。迷惑をかけちゃ」
路地の奥から、小さな少女の声がした。
八歳ぐらいだろうか。少年と同じように痩せているが、人懐っこそうな丸い目をしている。
「迷惑なんてとんでもない」
お春は膝を折って、二人の目線に合わせた。
「もしよろしければ、中で暖まっていきませんか。お腹も空いているでしょう?」
「でも、お金がありません」
太助と呼ばれた少年が、ようやく口を開いた。
その声は枯れて、大人びた諦めが混じっている。妹分を守ろうとする必死さが、声の震えに現れていた。
「お金のことは心配しなくて良いの。それより、お名前を教えてくれる?」
「太助です。こっちはお雪」
「太助さん、お雪さん。素敵なお名前ですね」
お春は二人を店の中に招き入れた。夕霧も文字の練習を中断して、子供たちを温かく見守る。
「お父さんとお母さんは?」
お春が尋ねると、太助の表情が曇った。拳をきつく握りしめている。
「火事で……」
「そう……」
お春の胸に、鋭い痛みが走った。
「それからどうしているの?」
「寺の軒下で雨をしのいで、物もらいをして……でも、みんな自分のことで精一杯で」
太助の拳が小さく握られた。
一方、お雪は不安そうにお春の袖を見つめていた。
「お姉ちゃん、お腹痛い……」
お雪が太助の袖を引く。その顔は青白く、明らかに栄養失調の症状が見えた。
太助とは対照的に、素直に甘えることができる性格のようだった。
「すぐに何か温かいものを」
お春は慌てて台所に向かった。
しかし、普通の食事では胃に負担をかけてしまうかもしれない。そこで思い浮かんだのが、前世で覚えた栄養補給の方法だった。
「珈琲を薄めて、少しの砂糖を加えれば……」
珈琲には滋養強壮の効果があるが、薄く淹れて甘味を加えれば、子供でも飲める栄養のある飲み物になる。
現代でも、体調の悪い時にはこうした方法を使っていた。
お春は慎重に珈琲を淹れ始めた。
普段の三分の一ほどの濃さにして、貴重な砂糖を加える。それにお餅を小さく切って入れ、消化の良い栄養食にした。
「これを飲んでみて」
お春が差し出した椀を、太助は恐る恐る受け取った。一口含んで、目を見開く。
「甘い……こんな美味しいもの、初めて」
「本当?本当に甘いの?」
お雪は瞳を輝かせながら、太助の顔を覗き込んだ。太助が頷くと、嬉しそうに手を叩く。
「お雪も飲んでみて」
お雪は小さな手で椀を抱えて飲み始めた。頬にわずかに赤みが戻ってくる。
「あまーい!お星様みたいにキラキラしてる」
お雪の無邪気な表現に、店内に微笑みが広がった。
「この飲み物は珈琲と言うの。遠い異国から来た薬草で作るのよ」
お春は子供たちにも分かるよう、簡単な言葉で説明した。
「太助さん、お雪さん」
お春は二人の前に座った。
「もしよろしければ、毎朝ここに来てみませんか?」
「え?」
太助が驚いて顔を上げる。警戒と期待が混じった表情だった。
「ただでお世話になるわけには……」
「お仕事をお手伝いしてくれれば良いのよ」
お春は微笑んだ。
「お店の掃除や、お客様へのお茶くみ。それに代えて、薄めた珈琲とお食事を差し上げます」
「本当ですか?」
太助の瞳に、久しぶりに希望の光が宿った。
「僕、頑張って働きます!お雪の分も!」
責任感の強い太助らしい答えだった。
「それに……」
お春は少し考えてから続けた。




