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第10話「結婚の申し出」②

「これが噂の珈琲ですか」


 近江屋は香りを嗅いで露骨に眉をひそめた。鼻を近づけたものの、まるで汚物でも嗅いだかのようにすぐに顔をしかめる。その表情には、明確な嫌悪感と軽蔑が刻まれていた。


「苦い匂いですな。本当にこんな得体の知れないものが売れるのですか」


「はい。おかげさまで、多くのお客様に喜んでいただいております」


 お春の答えに、近江屋は鼻で笑った。それは人を見下す時の、明らかに馬鹿にしたような冷酷な笑い方だった。まるでお春の人格そのものを否定するような、侮辱的な響きがあった。


「所詮は物珍しさだけでしょう。商売とは、もっと堅実にやるものです。茶なら茶、酒なら酒。変わったものに手を出すのは、素人のやることだ」


 一口飲んで、まるで毒でも飲んだかのようにすぐに茶碗を置いた。顔をひどくしかめ、明らかに気に入らない、というよりも最初から全面否定するつもりだった様子が露骨に表れていた。


「さて、春之助さん。例の件ですが」


 近江屋の声が急に氷のように事務的になった。商談に入る時の、計算高い商人の冷酷な顔つきに変わる。背筋を剣のように伸ばし、まるで獲物を前にした鷹のような鋭い目つきになった。その変化は見ている者を恐怖させるほどだった。


「はい……」


 春之助の額に滝のような汗が滲んでいた。手巾で拭おうとするが、手が激しく震えて、まるで重病人のような様子だった。


「うちの息子の庄吉は二十三になります。跡取りとして、そろそろ嫁を迎える時期です」


 お春の心臓が、激しい雷に打たれたように跳ね上がった。まさか。まさか、そんな恐ろしい話じゃ。血の気が一気に引き、頭の中が真っ白になる。


「お春さんを、嫁にもらいたいのです」


 その瞬間、お春の頭の中が核爆発のように真っ白になった。


 嫁に?自分が?近江屋の息子に?


 知らない男性のところに嫁ぐ?珈琲茶屋を捨てて?夢も希望もすべて捨てて?


「ご、ご丁寧にありがとうございます」


 お春は震え声で答えた。声がかすれて、まるで喉に砂利が詰まったようにうまく言葉が出ない。しかし、心の中では激しい拒絶感が竜巻のように渦巻いている。前世では恋愛結婚が当たり前で、親に決められた結婚など悪夢でしかなかった。その感覚が、この瞬間に鮮明に蘇ってくる。


「もちろん、持参金などは一切不要です。それどころか」


 近江屋の目が黄金を見るように鋭く光った。商人の計算高さが、その表情に悪魔のように露骨に現れている。まるで人の不幸を食い物にする高利貸しのような、冷酷な笑みを浮かべていた。


「春之助さんの借金、三十両すべてを肩代わりいたします。さらに、呉服商再開の資金として二十両をお渡しします」


 お春は父を見た。春之助の顔は死人のように蒼白になっていたが、同時に溺れる者が藁をつかむような、悲痛な希望の光も宿っている。その表情には、父親としての愛情と、商人としての現実的計算が複雑に入り混じっていた。


 三十両の借金。それが具体的な数字として残酷に明かされた瞬間、お春は家の状況の絶望的な深刻さを改めて実感した。庶民の年収の三年分に相当する天文学的な金額。それほどの借金を抱えていたのか。父はこの重荷をずっと一人で背負っていたのか。


「条件は一つ。この珈琲茶屋は廃業していただきます」


「え?」


 お春の声が裏返った。まるで心臓を鷲掴みにされたような衝撃が全身を貫く。


「商人の妻が茶屋を営むなど、近江屋の格に関わります。結婚と同時に、この商売は終わりにしていただく」


 お春の胸に、溶岩のような怒りが爆発的に湧き上がった。自分の人生を勝手に決められるだけでなく、珈琲茶屋も諦めろというのか。今まで血と汗で積み上げてきたもの、魂を込めて夢見てきたものを、すべて一瞬で捨てろと言うのか。


 手が拳になり、全身が怒りで震えてくる。


「少し考えさせてください」


 お春の声は低く、怒りを必死に抑制していた。しかし、その奥には火山のようなエネルギーが蓄えられている。


「もちろんです。ただし、返事は三日以内にお願いします」


 近江屋は立ち上がった。まるで商談を成功させた商人のような、満足げな表情を浮かべている。しかし、その満足感には人間的な温かみがまったくなかった。


「良い返事をお待ちしております。ただし」


 近江屋は振り返って、氷のように冷たい笑みを浮かべた。その笑みは、見る者の背筋を凍らせるほど恐ろしかった。


「この界隈では、近江屋に恩を仇で返した商人がどうなったか、皆よく知っております。賢明なご判断を期待しております」


 その言葉の裏に込められた脅しを、お春は見逃さなかった。断れば報復があるという、明確で残酷な警告だった。商売を続けられなくなるか、もっと恐ろしい目に遭うかもしれない。


 男性が去った後、店内に鉛のように重い沈黙が落ちた。


 春之助は俯いたまま、拳を握りしめている。その手が枯れ葉のように小刻みに震えているのを、お春は見逃さなかった。父の肩も震えている。泣いているのだろうか。それとも、絶望に打ちひしがれているのだろうか。


「お父上」


「お春……」


 春之助の声は涙声だった。顔を上げることができずに、罪人のように膝の上の手を見つめている。その姿からは、男としての威厳が完全に失われていた。


「すまん。情けない父で、本当にすまん」


「なぜこのような話を勝手に進められたのですか」


 お春の声には、抑えきれない怒りと失望が込められていた。父を責めたくはないが、あまりにも理不尽だった。自分の人生がまるで商品のように扱われることに、激しい憤りを感じていた。

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