第6話「甘味開発」②
「それでは早速、試してみましょうか」
お春は台所の準備を整えた。甚兵衛とお菊が持参した材料を並べると、つやつやと光る上質な小豆あん、雪のように白い白玉粉、透明感のある葛粉、そして貴重な砂糖が揃った。どれも最高級の品ばかりで、さすが老舗の材料だと感心する。
「まず、珈琲を餡に混ぜてみてはいかがでしょう」
お春の提案に、お菊の目がぱっと星のように輝いた。
「珍しいお考えですね。やってみましょう」
お菊の手つきは見事だった。小豆あんを火にかけ、木べらで愛おしむように丁寧にかき混ぜながら、お春が淹れた濃いめの珈琲を雫のように少しずつ加えていく。その所作一つ一つに、長年の修練と菓子への愛情が感じられた。
「あ」
お菊が小さく驚いた声を上げた。
「香りが変わりました」
確かに、餡の甘い匂いに珈琲の香ばしさが混じって、今まで嗅いだことのない複雑で豊かな香りが立ち上がっていた。まるで夜明けの森のような、神秘的で奥深い香りだった。
甚兵衛も身を乗り出す。
「ほう、これは面白い香りじゃ」
白玉粉を水でよく練って、珈琲餡を丁寧に包んでみる。蒸し上がった最初の試作品を、三人で息を詰めて味わった。
しかし。
「うーん」
甚兵衛が深いため息と共に唸った。お菊も困ったように首をかしげている。お春の心に、冷たい不安が忍び込んできた。
最初は甘さが勝っているが、噛むほどに珈琲の苦味がじんわりと、まるで後から追いかけてくるように広がってくる。決して悪くはないが、何かが決定的に足りない。二つの味が互いを理解し合えずに喧嘩をしているような、そんな残念な印象だった。
「惜しいな」
甚兵衛が深く眉をひそめた。
「珈琲の味が後から来すぎる。もっと一体になるような」
お春の胸に、重い挫折感がずしりとのしかかった。前世でも、新しいメニュー開発で何度も壁に突き当たった。その時の苦い記憶が、傷のように蘇ってくる。やはり、そう簡単にはいかないのだ。
しかし、ここで諦めるわけにはいかない。
お春は必死に考えた。前世の記憶を隅々まで辿りながら、別のアプローチを模索する。珈琲豆を粉末にして生地に練り込む方法、抽出の濃度を変える方法、焙煎の度合いを調整する方法—。
「今度は、珈琲を粉にしてみてはいかがでしょう」
焙煎した豆をすり鉢で念入りに砕く。細かな粉末になるまで、三人で交代しながら擦り続けた。手首が痛くなるほどの地道な作業だったが、誰も文句を言わなかった。お菊は黙々と作業に集中し、甚兵衛は職人らしい執念を目に宿している。
その珈琲粉を、今度は餡ではなく白玉粉と一緒に混ぜてみる。
「これは」
お菊が驚いた声を上げた。
生地自体が美しい薄い茶色に染まり、珈琲の香りが全体に馴染んでいる。まるで豊穣な大地のような、温かみのある色合いだった。今度こそ、うまくいくかもしれない。
この生地で甘い餡を包み、蒸篭で丁寧に蒸し上げる。蒸気が立ち上る間、三人とも息を詰めて祈るように待った。お春の心臓は、期待と不安で嵐のように激しく鼓動を打っている。
やがて出来上がったのは、外側が薄茶色で、ほんのりと珈琲の香りを纏った美しい饅頭だった。
「いただきます」
三人同時に口に入れる。
瞬間、甚兵衛の目が見開かれた。
「これじゃ」
その声には、深い感動と驚嘆が込められていた。お春も、お菊も、同時に息を呑んだ。
外側の皮からほのかな珈琲の香りと苦味が広がり、内側の甘い餡と奇跡のように溶け合っている。苦味が甘味を引き立て、甘味が苦味を優しく包み込む。口の中で天上の音楽のように踊るような、今まで体験したことのない完璧な調和だった。
「素晴らしゅうございます」
お菊も頬を紅潮させている。目を閉じて、まるで宝石でも味わうようにじっくりと堪能している。
「珈琲の苦味が甘味を引き立てて、甘味が苦味を優しく包んで。まるで、男女が寄り添うような」
「まさに、求めていた味じゃ」
甚兵衛が勢いよく立ち上がった。普段の硬い表情が、まるで朝日のように輝いている。職人としての深い満足感と、新しい発見への純粋な喜びが、その顔に溢れていた。
「お春殿、これは必ず評判になる。我が店でも作らせてもらいたい」
「ありがとうございます」
お春の胸に、温かな喜びが大きな波のように広がった。田中美咲として前世で抱き続けていた夢—珈琲と甘い物の完璧な組み合わせ。それが、江戸時代の職人の卓越した技術と出会って、ついに現実となったのだ。
甚兵衛とお菊は、残りの試作品を宝石のように大切に包んで持ち帰った。明日からでも、亀屋で本格的に作り始めるつもりのようだった。
「これで亀屋の夏の名物ができそうじゃ」
甚兵衛の満足げな笑顔が、お春の心に深く刻まれた。
その午後、店で作った珈琲饅頭を常連客に試していただくことにした。
まず訪れたのは柳田玄白だった。
「これは珍しい色の饅頭ですね」
「珈琲を使って作りました。亀屋の甚兵衛さんと共同で」
玄白が一口食べて、驚いたように目を丸くした。




