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2日目

初作品となります。お見苦しい点が多々あるとは思いますが、温かい目で、お目通し頂ければ幸いです。

「この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などには一切関係ありません」

*作品中の夕凪島は小豆島をモデルとしています。

 実際の名称や場所、位置等を作品の都合上変更しています。

 例)小豆島町池田(実際)→瀬田町(作品)、高校の場所:小豆島町蒲生(実際)→瀬田町(作品)

*使用している元の写真は作者が撮影した物です。

 人物や食べ物等はAIで生成しています(商用利用可能な物)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

7月15日土曜日 2日目

朝の潮風公園には町内の一団がラジオ体操をしている。楢の木が陽射しと風を受けて煌めいていて、香はその中を自転車を押しながら歩いている。防波堤の傍に自転車を止めて、そこに上がると傍にいた二匹の雀がチュンチュンと囀り飛び去った。

「あ、ごめん」

その空を見上げて呟く。雲がゆっくりと流れている。防波堤に腰かけると、風が髪と長いスカートの裾を揺らして通り過ぎていった。

土曜日だというのに6時に目が覚めた。

…あの夢は何だったのだろう……黒い人影が「助けて」と男性か女性か分からない声で言っていた…

母が夢の話をしようとしていたのも気になるし……お婆ちゃんの夢も久ぶりに見た。

海はいつものように穏やかで、ザザー、ザザーと心地良いリズムで打ち寄せている。沖合にはこちらへ向かうフェリーがゆっくりと近づいて来ている。

「まあるいおひさま、おつきさま、さんかくおやま、なみなみおうみ…」

独り言のように祖母に教わった童歌を口ずさんでいると、

「香ちゃん早いね、おはよう」

後からの声に振り向くと毛利さんだった。母の友人でパートとして店も手伝ってくれている。

「おはようございます」

香は挨拶を返した。

「これ、ハナちゃん」

毛利さんの飼い犬のハナが香の所へ行こうと防波堤の斜面を足でカリカリしながら登ろうとしている。それを見た香は向き直り地面に降りた。

ハナは尻尾を目まぐるしい速さで振って香に纏わりついた。そんなハナの頭をしゃがんで撫でると、ハナは地面に寝そべりお腹を見せた。

「あらあら」

毛利さんはその姿を見て笑っている。

「そうだ、香ちゃんごめんね、お母さんには言ってあるけど、今日のお昼行けんのよ」

「いいえ大丈夫ですよ、私も手伝うし、美樹も来てくれるみたいなんで」

お腹を撫でてあげると、ハナは気持ちよさそうに舌を出している。

毛利さんは母よりも幾つか年上で高校の近くに住んでいる、すらっとした長身で見た目より若く見える。

「そしたらね、ハナちゃん行くよ」

毛利さんがリードを引くと、くるっと起き上がり、名残惜しそうに香の方を一瞥し歩いて行った。

「バイバイ」

手を振る香に「ワン」とハナは吠えて答えているようだった。

香が立ち上がり防波堤にあがろうとすると、

「香ちゃんおはよう」

今度は男の声がした、声の主は真一郎の兄の京一郎だった。

「おはようございます」

軽くお辞儀をした視線の先に、近寄ってきた京一郎の足元の革靴は相変わらず汚れていた。

「あっ、その髪留め、かわいいね」

京一郎は香の頭を指さした。

「友達がプレゼントしてくれたんです」

香が髪留めに軽く触れながら答えると、

「ふーん、美樹ちゃんか」

探偵が謎解きを解明した時みたいに人差し指を顔の脇に立てニコッと笑っている。なんとなく見透かされているようで気分は良くなかった。

「どこで買ったんだろ?」

京一郎は腕組みをしながら聞いてきた。

「先週のお祭りの出店だと思います」

「あー、お祭りか…なるほどね」

手のひらに拳を当てて納得しているようだった。

「そしたら」

片手を上げて港のほうに歩いて行った。

「ふー」

香は深呼吸して防波堤に上がった。そうこうしているとフェリーはもう瀬田港に入ろうとしている。風に乗って何処からともなく飛んできた真っ白なモンシロチョウが膝に止まって羽を休めているようだ。

「ごはん食べたん」

蝶を見つめていると不意に気配がして、それは羽を広げて優雅に宙に舞った。

「香、おはよう」

気配の主は香の隣に腰かけた。

「あ、ビックリした渚先生、おはようございます」

大内渚は香が通う高校の体育教師で、学生時代はテニスで国体にも出たらしい。美人でスタイルも良く、男女ともに羨望の眼差しを送る憧れの存在である。

「ごめんごめん」

胡座をかいて座り、髪をかき上げながら笑っていった。シャンプーの良い匂いが風に乗った。

「ジョギングですか?」

ランニングウェアに身を包んでいるので聞いてみると。

「そう、でも珍しいね一人って、大概、美樹と一緒に居るでしょ?」

「まあ、確かに」

「ん?悩み事?香も美樹も運動すればいいのに」

何でわかるのか不思議で自然と頬に手を当てていた。

「先生みたいに、運動神経良くないから」

「そんなの関係ないよ、体動かしてたら、余計な事考えなくなるよ」

「そうなんですか?」

「香は正直者だし、真面目だし先生は好きだよそういう所、でもねもう少し力抜いてもいいんだよ、考えたり悩んだりするのは決して悪いことじゃないけど、そうしてもどうにもならないこともある。だったらその時間を他の事に使った方がいいでしょ?だから運動はお勧めよ」

香は穏やかな笑みを湛えながら発する渚の言葉と表情に見惚れていた。

「まあ、無理にとは言わないけどね」

渚はそう言ってウインクをすると立ち上がり、

「じゃあね、相談があるならいつでもおいで」

渚は腰を左右に捻ると、軽々しく防波堤から飛び降りて走り去った。

「運動かぁ」

見上げた青い空には、いつものように鳶が旋回していた。


部屋には美樹が描いたイラストが飾ってある。キャラクターから風景から抽象的なものまで。ただ小さい頃から絵を描くのが好きだった。両親が高校の入学祝にパソコンを買ってくれた。パソコンで描くのもいいがスケッチブックに描く方が好きかもしれない。美樹はベッドからもぞもぞと這い出ると、部屋の真ん中のテーブルに置いてある、昨日描いていたイラストの下書きを見る。

「何か違うんよなぁ」

卒業記念の作品の構想が定まらない、漠然としたイメージはあるのだけれどしっくりくる物がなかった。あくびをしながら立ち上がり部屋を出ると、一階へ降りて洗面所へ立ち寄り顔を洗った。鏡に映る自分に「おはよう」と声を掛けて、キッチンへ行くと母が一人で朝食を摂っていた。

「おはよう、美樹もご飯食べるやろ」

母はこちらを向くと立ち上がり、朝食の準備に取り掛かった。

「おはよう、母さんありがとう」

「簡単なもんしかないけどな」

美樹は頭を掻きながら冷蔵庫の中の麦茶が入った容器を取り出しテーブルに置いた。

「あれ、父さんは?」

「いつものよ」

母は手にしていた菜箸の先をクッと上げて呆れている。

「あー、お魚さんね」

父は月に一回は朝釣りに出かける。小さい頃、眠い目をこすりながら付いて行き、大きな魚と父の誇らしげな笑顔が記憶にある。

コップに麦茶を注いで椅子に腰かけた。スマホには香と撮った写真が写し出されている。それを見て一人にやけていると、

「なに?どうしたん?」

母が朝食をテーブルに置きながら不思議そうにこっちを見ていた。

朝食を済ませ、部屋に戻り着替えをする。黒のプリントTシャツにベージュのキュロットスカートを履いて、髪を後ろでまとめ上げた。

スマホを手にテーブルの前に女の子座りをして、ゲームにログインする。

香は入ってないんか…うー、デイリークエスト面倒やな……あ、フレンドのアヤカさんがおるやん、

アヤカさんにマルチ申請して手伝ってもらおう。アヤカはすぐに承諾をしてくれて、チャットで話し掛けてきた。

「アヤカ  おやようございます、デイリー手伝いますよ」

そうチャットが送られてきた。アハハ、バレてるやん…そう思いながら、返事をした。

「ミイ   ありがとう、デイリーだけやけど助かります」

「アヤカ  全然いいですよ~」

アヤカさんは優しい、香と一緒に「原神げんしん」というオープンワールドゲームを初めて2年がたつ、キャラクターデザインが可愛くて一目惚れをして始めた。

いつもは基本二人で遊んでいるのだけど、1年位前、香とマルチをしていた時にアヤカさんからの参加申請が来て誤って許可してしまった。けれどアヤカさんは、ゲーム自体にめちゃくちゃ詳しく、いっぱい助けてくれたり、何よりも優しかったのもあって、香と一緒にアヤカさんにフレンドになって貰った。

20分位でデイリーが終わりチャットでお礼をする。

「ミイ   アヤカさんありがとう」

「アヤカ  どういたしまして、また遊びましょう」

美樹はショルダーバックにスマホを入れて部屋を出た。

「香のとこ、行ってくる」

キッチンにいる母に、顔だけ出して声を掛けると、

「気いつけて、幸ちゃんにもよろしく言ってな」

「うん、もちろん」

美樹は返事をしながら玄関に向かった。親同士も仲が良く、たまに三人でご飯を食べに行ったりしている。

白のスニーカーを履いて家を出ると、蝉の鳴き声と共に熱気に包まれた。

「はーん、暑いな…」

自然と独り言がこぼれる、

「おはようさん、今日もきれいやね」

玄関先の鉢植えに咲いている白い花に声をかけて歩き出す。それは母が世話をしていて名前を聞いたが忘れてしまった。絵本に出てきそうな花びらが大きくて、かわいい花で美樹も気に入っている。家の前の道路に出るとジリジリとお日様が肌を照らして汗ばんでくる。

美樹の家と素麺工場は麻霧山の裾野にある、香の家までは、歩いて10分かからない程度の道のりだ、緩やかな坂道を下っていると『チリン』と鈴の音がした。坂道が終わる十字路の角を曲がって女性のお遍路さんが歩いて来た。

「おはようございます」

美樹は思わず挨拶をした。お遍路さんは立ち止まり被っている菅笠の先をつまんで顔を見せた。色白の鼻筋の通った美しい女性で、微笑みを浮かべると、

「おはようございます、ありがとう、きれいなお嬢さん」

その言葉に美樹は顔が赤くなるのが分かった。女性は菅笠を戻し小さく頭を下げて歩いていった。美樹も釣られる様に頭を下げたが、その場に立ちすくしていた、綺麗な人やったな…そんな人に綺麗やなんて言われると恥ずかしい…背中がむずむずして肩を揺らした。

「ふう」

小さく息を吐いて歩き出した。そやけど…ちょっぴり嬉しいな、肩をすくめ顔が綻ぶのがわかって、

「いややわ…もう美樹しっかりせんと…」

美樹は両手で頬を抑え、軽く叩いた。

振り向いて見たがお遍路さんの姿はなかった。ありがとう綺麗なお遍路さん…気を付けてね…心の中で呟いた。そして聞いたことないイントネーションを頭の中で真似してみた。意外と難しく「きれいな」のきにアクセントを入れるのが、上手に出来なかった。

「ま、えっか」

十字路の角を曲がり鼻歌交じりに歩いていると、風に乗り「ブーン」とテントウムシが飛んできた。

「てんとうさんや…」

美樹は立ち止まり人差し指を突き出して、じっとしているとテントウムシは美樹の指に止まった。チョロチョロと指の上を歩いている。

「おはようさん、あんたはごはん食べたん?」

顔を近づけると、テントウムシは羽を広げて飛び去った。


啓助はホテルのロビーで郷土史家の須佐光夫、畑正信の二人を待っていた。ロビーから見える瀬戸内海は穏やかで雲一つない青空が広がっている。約束の時間の10時まで15分ほどある、少し早かったかなと思ったが、入り口の自動ドアが開き男性の二人組が入ってきた。恰幅の良い達磨みたいな男は扇子を忙しなく動かしている。一方は黒縁の眼鏡をかけた痩身で七三分けの折り目正しそうな男で、いかにも学者を思わせる。凸凹コンビだった。達磨がフロントに訪ねている。眼鏡は辺りをキョロキョロ見回している。フロントスタッフが自分がいる方を手で案内し二人がシンクロしてこちらを見ると、啓助はその瞬間立ち上がり軽く会釈をした。

達磨が須佐と名乗り、眼鏡が畑を名乗った。電話で話した時のイメージとは真逆で達磨の方が声が高く、眼鏡は声優のような低音のイケボであった。

挨拶を済ませラウンジに席を移すと啓助は二人に飲み物を勧めた、達磨はコーヒー、眼鏡はビール、啓助はアイスコーヒーを注文した。

一夜漬けの知識で島に纏わる歴史について質問をした。四国の八十八ヶ所の様に夕凪島にもある八十八ヶ所の霊場のことや、応身天皇に関わる史跡、古墳や高地性集落の遺跡、南北朝時代の武将飽浦信胤とお才の局の悲恋の物語。豊臣秀吉の時代に大阪城建築に島の石が使われた事とか。内容が濃く広い。

さすがに郷土史家を名乗るだけあって二人は簡潔に回答してくれた。啓助はメモを取りながら、この二人にも舞の事を聞いても差し障りがないか人物像を見極めようとしていた。

そして国産み神話ではオホノデヒメという名で出てくる。夕凪島の祖神に付いて二人に尋ねた。

「オホノデヒメというのはどのような神様なんでしょう?」

啓助の質問に二人は顔を見合わせて眼鏡が聞いてきた。

「どんなというと?」

「例えば、八幡様は戦いの神様とか、大国主命は縁結びの神様とか…」

その声に眼鏡は小刻みに頷きながら人差し指でメガネのブリッジを押すと、

「愛の神様やね」

ニヤリと笑った。

「愛の?」

「そやの」

達磨はコーヒーを飲み干して呟いた。

「例えばその、愛に纏わるエピソードみたいな話は残っているのですか?」

「ありまへん」

自信満々に答えた達磨を見て、眼鏡は苦笑いしている。

「愛の神様ちゅうのは、我々が導いた考察、推察に過ぎんのです」

「願望かもしれまへん、何せ史料なんて殆どないんですわ、ハハハ」

豪快に達磨は笑った。

「しいて言えば、島の祖神として人々に愛されているから、と言えるかもしれません」

眼鏡が笑顔のまま述べると、達磨が続けて話し出した。

「それが最大の理由ですな、愛されている言う事は、その逆もしかり、愛されていた言うことになりますやろ」

「なるほど、立派な理由だと思います」

確かにインターネットでオホノデヒメと検索しても目を見張るような発見はなかった。舞はだからこそ地元に行き調べるんだと話ていた、眠っている資料や発信されていない考察なんかが転がっていたりするのだと。啓助は今の達磨の返答を聞いて、発想の転換というか、自分が思いつかない視点かもな、そう思った。

「しかし、島に興味を持ってくれるの嬉しい限りですわ」

達磨が啓助の思考を遮った。隣で頷く眼鏡も嬉しそうにしている。そして何か思い出したように宙を見つめると、

「そやな先日も学生さんが来たし、取材もあったなぁ」

「そうなんですか?」

「財宝伝説について東京の雑誌社の方が見えました、確か…何でもお大師様が島に秘宝を隠したとか、隠れキリシタンの財宝があるとか」

啓助はもちろん、学生のことが気になったが、逸る気持ちを抑えるようにアイスコーヒーのグラスを手に取った。

「そんな伝説もあるのですね~」

「まあ都市伝説みたいなもんですわ、ハハハ」

豪快に達磨は笑った。そして手を上げコーヒーのお代わりをオーダーした。

そんな達磨を横目に眼鏡は神妙な面持ちで、顔を前に突き出すと、

「財宝云々は確かに私共も耳にしたことはありますが、それはいざ知らず……早川さんはレイラインはご存じですか?」

「レイ…ライン?」

啓助は、おうむ返しに答える。それを見た眼鏡はニヤリと微笑むとメガネのブリッジを押さえて語り出した。

「有名な所では淡路島に国産み神話のイザナギのミコトをお祀りしている伊弉諾神宮があるのですが、真東の方向に伊勢神宮があって西には対馬の海神神社があり…夏至の日の出の方向に長野の諏訪大社、日の入りの方向に島根の出雲大社。そして冬至の日の出の方向に和歌山の熊野那智大社、日の入りの方向に宮崎の高千穂神社と、まあ、名だたる神社が線で繋がるんですわ」

「へえー」

啓助は単純に興味をそそられた。眼鏡はビールで喉を潤すと話を続けた。

「例えば、この島には重岩かさねいわ言う所がありまして、山の上の峰の所に大きな岩があるんです、誰が運んだか分からんのんですけど、恐らく磐座の類だと思うんです、そこは愛媛の石鎚山と縁があるんですがね、その二つを結ぶ線上に何があると思います?」

啓助は思案するも何も思い浮かばなかった。そもそも重岩が夕凪島の何処にあるかもわからない…石鎚山も名前は聞いたことがあるが詳しい場所までは知らない。

「そやなぁ、お大師様や、ヒント」

達磨が助け船を出す。そしてコーヒーのお代わりをオーダーしていた。

「お大師様ですか…善通寺とかですか?」

半ば当てずっぽうの答えだったが、達磨と眼鏡は満足そうに笑みを浮かべていた。

「そうなんです、面白いでしょ、他にもいくつかあるんですが…だから、何だと言われると」

眼鏡は頭を掻いた。

「いえいえ、島にも八十八ヶ所の霊場があるように弘法大師とは深い縁があるのかもしれません」

啓助は言いながら何か引っ掛かるものがあったが、すぐに消え去った。

「そう言えば…ちなみにその学生さんとはどのような話をされたのでしょうか?」

眼鏡はメガネのブリッジを押さえて宙を見つめる。

「そうですな…東京の学生さんで私達より熱意がありましたな」

隣の達磨を見て苦笑している。

「うんうん、面白い子やった…図書館で借りてきた本を手にキラキラした目で質問しよった」

遠い目をして達磨は言った。その時の事を思い出しているのだろうか。

「どんな質問だったんでしょう?」

「ん?うーんお才の局の話は実はオホノデヒメの話を曲解したものじゃないか?元々の八十八ヵ所の霊場には八幡神社等も含んでいたのか?そもそも何で弘法大師は夕凪島に霊場を作ったのか?」

顎を撫でながら達磨は答えると、

「そうやなぁ、何でこの島やったんやろ」

もう一度反芻して考え込んでしまった。それを見た眼鏡が口を開いた、

「ご存知かもしれませんが、夕凪島の八十八ヶ所ある霊場は江戸時代に整備されたと一般的には言われてます。ただ、かなり古くから瀬戸内海交通の要衝いうこともあって人の営み往来はありました。もっとも古い西龍寺はかなり古くから信仰されていたようで、山岳信仰に近いものだったと考えています。後に山岳霊場と呼ばれる寺院のいくつかには行場言う場所があり、山伏…修験道の僧侶が修行したといわれたおります」

眼鏡は舌なめずりをし話を続けた。

「質問にあった、八幡神社はその昔たしかに八十八ヵ所に含まれていたようです。ではなぜそうではなくなったのか、簡単に言いますと仏教が伝来して以降、日本古来の神道の神様と仏教の仏様を擦り合わせた訳です「神仏習合」言うやつです。それを明治時代初期に「神仏分離」ちゅうのが時の政府から発布されまして、お分かりの通り神道と仏教の分離をした言うことであります。その際に八幡神社が外れ、八十八ヶ所を整備し直したいうことです」

啓助は、頷きながら眼鏡の言葉を待った。

「全国にお大師様の伝説はあるのもご存知でしょう。ため池を作った、温泉を見出した、星が降ってきた等々。この島にも、お大師様の伝説があります。ただ、所以を聞かれると…生まれの地である善通寺と京の都を往復する際に立ちより、修行、祈念の場を整備したはと言われてはいますが…何で夕凪島なのか?と聞かれた時にはきちんと解答出来ませんでした…」

思案していた達磨がゆっくり首を振りながら、

「そやな、あったであろうことから考えたりしていた我々にとっては晴天の霹靂の質問だったわ」

そして4杯目のコーヒーをすすった。

「そう、帰り際に…この島は楽園…天国に一番近い島なんですね、確かそんな風な事を言ってはりましたわ」

眼鏡は懐かしそうに外を見つめていた。

「面白いええ子やったわ、取材の約束がなければもっと話していたかったんだがなぁ」

達磨も思い出に浸っているようだった。二人の反応から察するに舞に対する印象は少なからず、良い印象で心に残っているようだ。啓助は腹を決めた。

「ほかに何か気になるようなことは聞いていませんか?」

「ん?やけにこだわりますな」

達磨は訝しげな顔をした。啓助はポケットからスマホを取り出して、画面に舞を映しだした。

「その学生、この子ではないですか?」

スマホを二人の前に差し出し尋ねた。

達磨がスマホを手に取り眼鏡と共に覗き込む

「えぇ、この子です」

達磨は視線をこちらに向けてキョトンとしている。

「知り合いだった…言うことですか」

眼鏡は怪訝そうな面持ちで眉間に皺を寄せていた。

「妹です…行方を捜しています」

啓助の言葉に、二人は顔を見合わせると同時にこっちを見た。

「どういう?ことです?」

眼鏡は首を傾げる。啓助は事の経緯を説明した。

啓助が説明し終えると、達磨は口をポカーンと開けている。

「そうでしたか、なんと言っていいか…」

眼鏡は神妙な面持ちでメガネのブリッジを押さえていた。啓助は二人を交互に見ながら話し出した。

「お二人は信頼に値する、お話しさせて頂いてそう感じました…それで、さっきの質問なんですが何か気になることはなかったでしょうか?例えば歴史以外の事でも構いません」

二人はしばらく考え込んだ、その間に啓助はコーヒーとビールを注文した。

「妹さんは、会話を録音されてましたな」

達磨が言った。

「録音?」

「もちろん我々の同意を得てですよ、後で聞き返して、その時に気が付かなかった事があったり、メモの代わりだと話されていました…それとお大師様の財宝伝説やレイラインも興味を持たれたようでした…」

「ほぉ」

「意外な視点から思いもよらぬ着想が浮かんでくるとかなんとか…そんなような事を言うてた思います」

達磨が思い出したと言わんばかりに片膝を叩いて、

「あぁ、何で島の祖神であるオホノデヒメをお祀りするのが山の上なんですか?とも聞かれました」

「確かに…言うてたわ」

眼鏡が相槌を打つ。

「すみません…何で山の上というのは?どういう意図があるのでしょうか?」

「一応、ユナキ神社は星ヶ城山、オホノデヒメ神社は銚子渓の山頂近くにあります、分かり易く噛み砕きますと地域の人々がお参りしずらい場所にあるのは何故か?言うことです」

「なるほど、確かに」

「一応、ユナキ神社の方は拝殿が寒霞渓展望広場の傍に、あるにはあるんですがね」

「島の高い山から人々を見守っている言うことですな」

達磨は5杯目のコーヒーを飲み干した。

「もともとは西龍寺のある麻霧山の麓にあったと言われています、応神天皇が島に行幸された時、そこに島玉神を祀ったと伝承があります。確か今も小さな祠があるはずです」

「西龍寺…」

啓助の頭の中に住職の穏やかな笑顔が浮かんだ。

「瀬田神社の事も気になっておられましたな……こんな話が妹さんの行方が分からないのと、何か関係があるのでしょうか?」

「…分かりません……」

しばしの沈黙が流れた。

「お気持ちお察しします、我々はこの辺で失礼します」

眼鏡がそう言うと、二人は立ち上がった。

「わざわざありがとうございました」

啓助は頭を下げた。そして二人を玄関まで送り、ラウンジのテーブルに戻った。

想像以上に情報量が多すぎた。伝説の島…か。とりあえずもう一人の郷土史家に会おう。スマホの画面に写る妹の顔を見て微笑みを返した。ロビーは暖かな陽射しに包まれていた。


瀬田町にある素麺屋『松寿庵しょうじゅあん』は土曜日ということもあり開店直後からお客さんの回りがいい、父と祖母が亡くなって以来、母は実家の素麺屋を一人で切り盛りしている。客席は10席程の小さな店で、国道から一本入った通りに面している。それにも関わらず、土日は観光客でそれなりに賑わう。夕凪島の素麺はオリーブオイルでコーティングしていて味はもちろん食感や喉ごしが良いと県外の人にも人気だと言う。生まれてこの方、島の素麺しか食べてない香にとっては普通に美味しい素麺なのだけれど…

「美樹ちゃんありがとね、来てくれて大助かりや」

香の母親の幸は調理しながら、向かい側で作業をする美樹に声をかけた。

「ええねんよ、おばちゃん」

美樹は素麺を茹で、素麺を茹で、麺が太いか細いかの違いだけ。手馴れた動作でガラスの器に盛り付けた。錦糸卵とネギをまぶせ、トレーに乗せてカウンターの向こうにいる香を呼んだ、

「素麺大盛り二人前お願い」

「はーい」

厨房からの声に、オーダーを伺いながら香は応えた。カウンターのトレーを一つずつテーブルに運んだ。

「お待たせしました」

「ありがとう」

か細い声で答えるテーブルの客の一人は真一郎だ。

「相変わらず旨そうだ」

もう一人は、真一郎の兄の京一郎で素麺を目の前に手揉みして箸を手に取った。

「ごゆっくり」

香が去ろうとした時、

「香ちゃん」

京一郎が呼び止めた。香が振り返ると素麺を頬張りながら小さく手招きをしている。小首を傾げる香に、

「今日時間、空いてるかな?」

京一郎は素麺をすすっている。香は何だろう?返答に躊躇していると、

「旨いなぁ、どう?」

香は京一郎に真っ直ぐに見つめられ、言葉が出せずにいると、

「兄さん無理言わないで、忙しいんだから駄目に決まってる」

真一郎が口を挟んだ。香は真一郎の初めて見る一面に驚きつつも、

「ごめんなさい、無理です」

頭を下げると、

「天ぷら定食二人前お願い」

香は厨房からの美樹の声に吸い寄せられるようにカウンターに戻った。

「どしたん?」

美樹は真一郎兄弟の方に視線を送りながら尋ねた。

「後でね」

香はカウンターの素麺が乗ったトレーをテーブルに配膳した。

お昼の客足が一段落して、香がレジで会計のお客さんを相手にしている時、一人の男が入店したきた。一見したら観光客、ポロシャツにジーンズといったラフな格好で、肩からカメラを下げ、手にはバッグを持っている。香は明らかに都会の人の雰囲気を感じ取った。男はこちらに一別してレジの向かいのテーブルに席についた。

「いらっしゃいませ」

香はメニュー表を手渡し、男がそれを拡げるのを待ってから声をかけた、

「ご注文がお決まりでしたら伺います」

すると男は、メニューに目を通さずに、

「山菜定食の…素麺大盛りで」

予め決めていたかのように注文した。そしてメニューを差し出しながらこちらを見上げて微笑んだ。

「かしこまりました、少々お待ちください」

香は一礼して、メニュー表を片付けると、

「山菜定食大盛ね」

カウンター越しに厨房の二人に伝えた、

「お姉さんお会計お願いします」

「はい」

香は小走りにレジへと駆け寄った。

「ありがとうございました」

「美味しかった、ありがとう」

遍路装束に身を包んだ女性客はお礼の言葉を残して店を出て行った。遍路客は珍しくないけれど、若い女性が一人でお遍路をしているのは初めて見た。

香は何故か気になって店先まで出て女性を見送ると、それに気が付いた女性はこちらに振り向き一礼して歩いて行った。綺麗な人…香はそう思った。

香が店内に戻りテーブルの後片付けをしていると、

「山菜大盛お願い」

厨房から美樹の声がした。山菜定食をトレーに乗せて男が待つテーブルに向かう。

「お待たせいたしました」

一言添えてテーブルの上に載せた。

「ありがとう、美味しそうだ」

「ごゆっくり」

男は箸を手に取ると、おもむろに口を開いた。

「あの、少しお聞きしたいんですが……」

「何でしょう?」

香は振り向きながら軽く会釈をした。男はゆっくりと視線を香に泳がせ、

「川勝さんというお宅がこの辺りにあると聞いたのですが……」

「川勝さんですか?」

真一郎の家だ。お兄さんの友人かな?返答に窮している香の心境を察したのか、

「島の歴史を取材してまして、川勝さん、郷土史家の川勝龍一郎さんにお会いしてお話を伺おいたいと思いまして…」

なるほど、というか真一郎の父が郷土史家というのがびっくりだった。

「ここの斜向かいのおうちが川勝さんの家です」

香は家の方向を手で差し示した。

「そうでしたか、ありがとうございます」

男は軽く会釈をすると、素麺に集中し始めた。

「ごゆっくり」

その様子を見て、香は一礼し厨房へ向かった。

「旨い、旨いなぁ」

背中越しにその声を聞き、香は肩をすくめた。

香が厨房に入ると、

「今日はお客さんが沢山入りそうやねぇ」

母が仕込みをしながら微笑んだ。

「そうやね」

時計は13時00分を回ろうとしているが、六つあるテーブル席が三つ埋まっている。四人用のテーブル二つと二人用が一つ。

香はカウンターの上の片づけを始めると、手が空いたのか美樹が話しかけてきた。

「あのお客さん何かあったん?」

美樹が不思議そうに首を傾げて見つめる先には、カメラマン風情の男の背中があった。

「え?変わった感じのお客さん、真一郎のお父さんに取材やて」

「真一郎のお父さん?」

「何でも真一郎のお父さん、郷土史家?ていうのみたい」

「へえ~、ていうか、真一郎といえば、さっき何かあったん?」

声のトーンを抑えて尋ねる美樹に、香は小声で囁いた。

「お兄さんに今日空いてる時間あるかって誘われて…」

「は?」

「真一郎が忙しいから無理だって助けてくれたけど…今までこんなことなかったから」

「え、それってどうゆう…」

美樹が口を開こうとした時お客さんが入ってきた。

「いらっしゃいませ…そしたら後で」

香は美樹に早口に伝えると慌てて接客に戻った。

14時を過ぎると流石に客は誰もいなくなり休憩となって、母は賄を作り始めた、香は暖簾を下げて美樹と後片付けを済ませると客席のテーブルで話し始めた。

美樹は椅子に腰掛けるなり早速切り出した。

「続きやけど、また誘われたらどうするん?」

「興味はないし…」

「そやね~、うちとおった方が楽しいやろ」

「そやね」

「そやろ」

美樹は吹き出して笑っている。香は本心で言ったつもりだった。ふとさっきのカメラマンを思い出した。人懐っこい感じで物腰柔らかそうな人だったなと思い出し笑いをした。

「何?何なん?思い出し笑いキモいなぁ~」

「別に」

香が、はぐらかし答えると、美樹はほっぺたを膨らませている。

「ところで美樹さ、話って何なん?」

「そうや!」

美樹は慌てて席を立つと、厨房の奥にある更衣室へ駆けていった。

しばらくして、美樹は両手を胸の前で握りながら小走り戻って来ると、

「これ……」

手の中から何かをくるんだハンカチをテーブルに置いて椅子に腰かけた。そしてゆっくりとハンカチを広げた。

「これって、美樹が私にプレゼントしてくれたやつでしょ?」

そこには桜の花を象った髪留めがあった。

「ん?これがどうかしたん?あぁ、今日も持ってるよ、着けるの忘れてたけど」

香は舌をペロッと出して、髪留めをポケットから取り出して前髪につけた。そして、美樹は肩をすぼめながら話し出した。

「これな、昨日、バイト先に来たお客さんが忘れていってんな、夜遅かったし…今日お巡りさんとこ、もって行こう思っててんけどな……」

歯切れが悪くモジモジしている様子の美樹に、

「駄目やで」

香は冗談交じりに言うと、

「ちゃうちゃう、そんなん人様の物を取ったりせんよ……そんなんじゃなくて……不思議というか、何というか、考え過ぎやと思うんやけど……」

美樹は胸の前で両手をせわしく振って、頭を左右に傾けながら言い淀んでいる、

「分かってるよ、ちゃんと聞く」

香は真っ直ぐ美樹を見て背筋を伸ばした。美樹は小さくため息をついて話し出した。

「うん、ありがとう、祭の日に香が欲しがってたけど買うの諦めたやんか。確かに5000円はうちらには高いし…トイレ行くふりして、出店に戻ってお姉さんに聞いてん、どーしても買いたいから3000円で買わしてもろて、後で残りを払いに行きますって…そしたら香川の人間じゃないから後では難しい言われてん、何処やったかな…」

美樹は人差し指を顎に当て考え始めた。

「それで?」

香は話の続きを促した。

「ああそうや、それでな、うちの熱意に負けたんか、飾ってあるやつは売れんけど、お姉さんが身に付けていた同じ髪止めを、これで良かったら3000円で売ってあげるって、何でもお姉さんは二つずつ作品を作って、片方は自分で持ってるんやて……でな不思議なんはな、うちが買うた次の日にお姉さんは帰る言うててん、でもな、忘れていったお客さんな、今日……やから、昨日島に来た言うてて、どこで買ったんやろとか、あのお客さんもっと前から島におったんやろか…とか…」

美樹は申し訳なさそうに伏し目がちに、香を見つめた。

「ふーん、でも考えすぎちゃうん?どっか他の場所で買ったかもしれんし、」

香は自分もそうだけど美樹も考え過ぎてしまう癖がある。この件も美樹の癖が出たのだと思った。

「せやな…」

美樹は自分を納得させるように、何回か頷いて顔を上げた。

「帰りに交番に持ってく」

「私も一緒に行く」

美樹が髪留めをハンカチに包んでいると、

「二人とも出来たよ~」

厨房から母の声がした。

「はーい」

二人の返事がシンクロすると、

「相変わらず気が合うね~二人とも」

母がカウンター越しにこっちを覗き込んで微笑んでいた。


啓助は昼食を済ませると川勝家を訪問した。素麺屋の女性が言うように店の斜向かいに、それは確かにあり大きめのガレージがある二階建ての一軒家だった。ガレージのシャッターは開いていて赤い軽自動車が止まっていた。

玄関横のインターホンを押すと、しばらくして玄関の扉が開き、顔を見せたのは背が高い華奢な高校生くらいの男の子だった、訪問の目的を伝えると予想どうり川勝龍一郎は不在であった。

啓助は、伏し目がちに喋る彼の声と昨日の電話口の男性の声が明らかに違っていたので聞いてみた、

「お兄さんかなぁ、昨日電話に出てくださったのは」

「…たぶん、そうだと思います」

彼はチラッとこちらを見て、ぼそぼそと喋る。

「お兄様は?」

「出掛けてます…」

彼は少し視線をずらしながら下を向いた。

「そうですか…」

啓助はがっかりしたが、ふと頭に沸いた疑問をぶつけて見た。

「失礼ですが、島のご出身ですか?」

「は?」

明らかに気分を害したようで彼は顔を上げた。

「いや、その方言というか、訛りをあなたからも、お兄様からも感じなかったもので、すみません」

啓助が軽く頭を下げると、

「ああ、それでしたら去年、神奈川から引っ越して来たんで…」

彼はまた視線を落としながら話した。

「どうりで…ところであなたは歴史は好きですか?あぁ、日本のというか…この島の」

「え?、いや、まぁ…」

彼は一層顔を伏せている。啓助には動揺しているように見えた。何か気になってので、少し大きな声で話し出した。

「島の秘密を探るという記事を書こうと思ってまして…お父様にお話を伺えればと思ったのですが…本日は失礼致します、お邪魔しました」

啓助は会釈をして振り返りゆっくり歩みを進めていると、鍵をかける音と共に、

「兄さん帰ったよ」

微かな声を啓助の耳はキャッチした。妹に関係があるのか分からないが、素朴な疑問が浮かんだ。昨年引っ越してきた川勝家が何故、郷土史家として島の人々に認知されているのか?…それと、この感じじゃ舞も川勝龍一郎には会えなかったのでは?そう思えた。

「さて…」

啓助は松寿庵の駐車場に止めてある車に乗り込みエンジンをかけた。

当てもなく車を走らせていると瀬田港近くのT字路の信号に捕まった。左に行けばホテル、右に行けば高校や峠を越えて隣町だ。結局、斜向かいにある潮風公園の駐車場で車を止めた。車から降りるとじんわりと暑さが身を包んだ。風があるからまだましだが陽射しは鋭い。公園の中心にある大きな楢の木の木陰にあるベンチに座ると幾らか涼しかった。スマホを取り出してケースに挟んである、書き出した舞の行程表を見返してみる。ブーンと音がしてテントウムシが一匹スマホの画面に止まり、チョコチョコと動いて飛び去った。

金曜日、東京出発。昼過ぎに夕凪島に到着 図書館

土曜日、レンタカーで寒霞渓のユナキ神社、西龍寺、宝樹院、瀬田神社、

日曜日、郷土史家を尋ねる、祭

月曜日、昼のフェリーで帰路

あと行っていないのは、宝樹院と瀬田神社か…明日にでも行ってみるか。舞がなぜ、これらの寺社をピックアップしたのか今なら分かるような気がする、何かしら神話と繋がりがあるのだろう。

「図書館か…」

あの調子じゃ何回行っても無理だよな…せめて借りた本が分かればいいんだが……ん?そっか眼鏡と達磨なら分かるかもしれない。

「よし……」

啓助が車に戻ろうと立ち上がった時、隣のベンチに座っている少女に目を奪われた。セーラー服に麦わら帽子……長い髪を後ろで束ねている。目を閉じて、ぐったりとしているように見える……あれ、この子は?…

「あの~大丈夫?」

啓助が近づいて少女の肩に手をかけ揺さぶった途端、目を覚ました。

「私ここで寝てたみたいやね」

少女が顔を上げると顔が帽子に隠れてしまい、両手で帽子を直してこちらを見上げた。

「どうしたの?具合でも悪いの?」

「……んでもない」

少女は帽子を手で押さえたまま、ベンチから立ち上がるとスカートをパタパタと叩いた。

「ところで、あんた誰なん?」

「旅人……かな」

「何で疑問形なんよ」

少女は笑いながら啓助の顔を見上げと、また帽子を直している。啓助は少女の目線に合せるためにしゃがんだ。

「で、私に何か?」

「あ、いや、また会ったね」

啓助が、ふと少女の足元を見ると素足にローファーだ。

「あぁこれね、ドジって家出る時靴が見つからんかったんよ」

少女は恥ずかしそうに片足を上げた。

「これで、5時間くらい歩いてるんよ」

「え?5時間?」

しかし5時間とは信じがたい体力だ。啓助は改めて少女を見たが、顔立ちは整っているものの、やつれていて肌も少し荒れているようにも見えた。

そして、昨日会った少女にそっくりだが雰囲気や髪型、何よりしゃべり方が違った。

少女は何か言いたげに口をモゴモゴさせて、

「いや……その~」

少し躊躇った後、意を決したように口を開いた。

「ちょっとあんたに頼みがあるんやけど……」

「何?」

啓助の目の前にいる少女は、昨日の少女とホクロの位置も違う、この子は口の下にある。双子かな?そんな印象を抱いた。

「探してほしい物があるんや…」

「なんだい?」

少女はじーっと啓助を見つめながら、

「あれ?……何やたっけ…」

人差し指を顎に当て考えているようだ。

「思い出せる?」

「何やったかな…」

少女は肩を落としベンチに腰かけた。啓助は隣にそっと座る。

少女は顔を上げたり、俯いたり思案しているようだ。その度に大き目の麦わら帽子が前後に動いては直していた。

啓助は話題を変えて少女と話をすることにした。少女は身振り手振りを交え話し始めた。やはり、少女の話は面白かった……本当に不思議な子だ……まるで、この山々を昔から知っているような口ぶりだった。

目の前に野良猫が横切り、少女の方を向き「にゃ~」と鳴いた。

「神の浜に行ってみ」

少女が呟くと、猫は「にゃおーん」と海の方へ歩いて行った。

「どうだろう、頼み事思い出した?」

「あぁ、思い出せん…」

俯く少女に啓助は優しく聞いた。

「例えば、大切な物とか人とか、かな?」

その問いかけに少女は、ハッと目を見開いて、

「友達や……」

前を見つめたまま微笑んでいる。

「友達?名前はわかる?」

「名前……わからん…でも、ずっと一緒にいたんやけどな…」

「その友達は男の子?女の子?」

「友達や」

少女はこちらを向いてニッコリ笑った。

「分かった、探してみるよ」

啓助が微笑みを返すと、

「ほんまか?ええんか?」

少女は顔を突き出して早口で言った。その勢いでズレた麦わら帽子を両手で直している。

「もちろん」

「あー、言うてみて良かったわ…」

満面の笑みを浮かべている。少女は足をバタバタさせて喜びを表現しているようだ。そしてピョコンと立ち上がると、

「ありがとう……お願いや」

少女は早口でそう言うと啓助に背を向け歩き出す。

「待って」

啓助が少女の腕を掴もうとしたが空を切る。追いかけようと足を踏み出した時、足に何かが当たった。それは親指ほどの物体で、よく見ると朱い色の勾玉だった。

「それは、大切なものだから、その勾玉返して…」

少女は振り向くと手を伸ばした。

「ちょっと待って」

啓助が足元の勾玉を拾い上げたその瞬間、頭の中に舞の声が響いた。

「……おに………おにい………けて………しま…………」

「え?舞?舞、どこに…」

辺りを見回す、舞の姿は見当たらない。ただ舞の声が聞こえる。

「お…………じ………けっ……を…」

すると少女が駆け寄ってきて、手に持っていた勾玉を両手で取り上げた。時を同じくして舞の声は聞こえなくなった。

「舞?……」

何だ今のは…両手で頭を押さえて立ち尽くしている啓助を、少女は不思議そうに見ていたが、

「ありがとう……またね」

そう言い残し走り去り、公園を出て路地に入っていった。

啓助は、それを目で追いながらも、頭の中に響いた舞の声を噛みしめていた。舞は生きている、安堵感と不安感が入り混じる…何処にいる…今のは何だったんだ…勾玉を手に取って…まさか?…少女が走り去った方を見た。

「気になるでしょ」

駆け足で少女の後を追った。その路地は一本道で、50メートル位続き十字路に出た。四方を見渡しても少女の姿はなかった。

「あの子は、この道を進んで行ったはず……」

そう言えば名前を聞かなかったな……今更ながら思った。そこから、さらに真っ直ぐ進むと道は突き当たり、丁字路になっている。正面の塀の向こうは学校のようだった。右か左か……どっちだ?啓助は迷った末、右へと進んだ。程なくして国道に出た。車の往来はあるが少女の姿はない。

「ここまで来て引き返すわけには……」

丁字路に戻って反対の道を進むが、その先は防波堤に出た。左右を見ても人影はない、

「おかしいな……」

この辺りの路地は見渡しの良い真っ直ぐな道で、追いかけるのが遅れたとはいえ、見失うという事は近くに家があるのだろうか?

啓助は来た道を戻った。手前の十字路の左右の道も歩いたが、ここもそれぞれ国道と防波堤に繋がっていた。

啓助は仕方なく公園へと戻ることにした。歩きながら「またね」少女の言葉を思い出した。

「また……会えるかもしれない」

先程まで二人で座っていた楢の木のベンチを横目に車に戻ると煙草に火を着けた、そして舞の声を思い出しノートパソコンのメモ帳に書き留めた『おに、おにい、けて、しま』『お、じ、けっ、を』最初の方はきっと「お兄ちゃん助けて」だろう、という事はこっちの声も聞こえていたということだろうか?最初の『おに』は「お兄ちゃんと言ったのが聞き取れなかったような気がする。という事は…お兄ちゃん、お兄ちゃん二回呼んだ?どういう時なら二回呼ぶ?ああ、自分も舞の事を二回呼んだ…確かめるために…そうすると、やはりこちらの声が舞にも聞こえていたに違いない。『お兄ちゃん?お兄ちゃん助けて』こんな文言で間違いないだろう…その時の舞の声の様子から切迫感はなく、むしろ驚いているような感じがした。最後の『しま』は何を意味するのか。

「島にいる、夕凪島、島じゃない、どこかの島、○○しません、○○します……んー」

『お兄ちゃん?お兄ちゃん助けて』こういう時って何を伝える?…場所か…場所だよな。夕凪島にいる。

「お兄ちゃん?お兄ちゃん助けて、夕凪島にいる」

これだな…『お、じ、けっ、を』次はさっぱりわからない……それぞれの言葉の間にノイズみたいなのがあったし、言葉と言葉の感覚も違った。最初の解釈が合っているとすれば、次に伝えたいのは詳細な場所もしくは今の状況、しばらく思案したが皆目見当がつかなかった。

啓助は事の経緯を健太郎と舞の友達である彩也と絵美にメッセージを送り、五本目の煙草を口にくわえた。

健太郎はすぐに電話を掛けてきた、

「どういうことだ?超能力…とかか?」

開口一番、普段より大きな声で興奮しているようだ。警察は捜査してくれるだろうかと尋ねると、

「何か証拠がないとな……何か事件か事故に……すまん」

「全然いいさ」

「お前の推測どうり舞ちゃんが夕凪島にいるとしたら……何故会えない?言いにくいが監禁とかされているとかの可能性はないか」

啓助はそれを考えていない訳ではなかった。

「ああ、考えたくはないけど頭を過ってはいた…でもな健太郎さっきの途切れ途切れの舞の声からは、そんな緊張感はなかったんだよな」

「なるほどな…お前がそう言うんなら大丈夫だろう…」

「健太郎…上手く言えないけどさ、この島さ不思議なんだよ…舞が調べていた歴史とこの島の歴史が関係ある様に思えてきたんだ…」

「そうか…とりあえず無理するな…」

「あぁ、ありがとう」

電話を切ると絵美からメッセージが入っていた。

『今、彩也と一緒にいます。どう言って良いか分からないけど良かった。舞が無事に帰ってこれるように二人で神社にお参りに行ってたんです。私達は舞は夕凪島にいるような気がします。舞が旅行中にこんなメッセージを送ってきてました「夕凪島は楽園、天国に一番近い島」って。連絡ありがとうございました』

「楽園?…か…」

見つめる先のフロントガラス越しの空は黄色味を帯びてきていた。そうだ、達磨か眼鏡に連絡しようとしていたんだった…

啓助は吸い掛けた煙草を箱に戻すと、とりあえず眼鏡に電話をかけることにした。奥さんであろう女性が通話口に出た、眼鏡の在宅を確認すると、

「少々お待ちください」

保留音の『エリーゼのために』が耳に流れる。勘は冴えているようだ。

「はい、畑です」

耳障りのいいイケボだ。啓助は本日のお礼を伝えて本題に入る。

「妹が、そちらに持っていた図書館の本が何だったのか、自分も借りてみようと思いまして、どのような本だったか覚えていらっしゃいますか?」

「あぁ…」

しばしの沈黙の後、眼鏡は口を開いた。

「そしたら、ショートメールで送りますわ、電話番号はこれであってますよね?」

「ありがとうございます。お手数おかけします」

「そしたら失礼します」

電話を切って数分後、眼鏡からショートメールがきた。

『畑です、本のタイトルは以下のとおりです。

『夕凪島風土記』

『弘法大師と夕凪島』

『結界の島』

『考察オホノデヒメ』ただ、下の二冊は同人誌だった筈です』

早速、検索してみると『夕凪島風土記』『弘法大師と夕凪島』の二冊は販売されている書籍だったが、眼鏡が言う同人誌の二冊はヒットしなかった。

すぐさま図書館の開館時間を調べると、すでに閉館している時間だった。明日、行って借りてみよう。啓助はハンドルを握り車を走らせた。


川勝真一郎は二階の自室でいつものようにパソコンで『原神げんしん』というオープンワールドゲームをプレイしている。キャラクターデザインや世界観が好きで始めたゲームだったが、香と美樹がプレイしていることを知りフレンドになった。美樹とは朝方デーリークエストを手伝ってあげたが、香は今日はまだログインしていないようだ。まあ二人には自分だということは知らせてはいないのだが……

一年程前、突然父が会社を辞めて一家で夕凪島に引っ越してきても自身の生活は変わらない、趣味のゲームができる環境さえあれば特段不満はないからだ。ちなみにこのゲームの解説動画をYouTubeにアップしている。登録者は3000人程で、ゲームや動画を通して友人も増えた。その代わりと言っては可笑しいけれど、現実世界では、友人は皆無だが……

転校してきた頃は珍しいのかよく同級生やクラスメートが声を掛けてきたけれど、しばらくしてそれもなくなり平穏な日々に戻った。

香の第一印象は漆黒の大きな瞳だった。その瞳に見つめられると心の奥を見られているような感じがして、最初の頃は動悸がした。

美樹の印象は感性が豊かな美人という印象だった。外見と中身が揃ってないちぐはぐさを感じた。

二人に共通して感じたことは、真一郎の嗅覚であるオタクセンサーが反応し同類だと感じた事だ。美樹とは去年クラス委員をした関係で連絡先は交換している。そのお陰で二人が原神をやっていることを知ることが出来た。

父はこっちへ来てからというもの郷土史家を名乗りフィールドワークと称して外に出たっきりになることが多く、家にいることが珍しい。どれほどの地位を持っているのか知らないけれど、時折、父を訪ねて人が来る。けれど兄が先程の訪問者を避けた理由は分からない。

訪問者が帰った後に、兄に理由を尋ねても、

「いや、歴史の事を聞かれても親父じゃないからね」

はぐらかされてしまう。

そんな兄はしばらく自室にこもった後、

「ちょっと出てくる」

と声を掛けて、車で出かけて行った。

父も父だが、兄も兄で家を空けたらいつ帰ってくるか分からない。6歳年上の兄は大学を出てからニートをしつつ、取り憑かれたように書物を読み漁り何かを調べている。父と共同作業なのか知らないが、時々こそこそ二人で話し合ったりしている。自分も歴史について興味がない訳ではない、実際こっちへ来てからお寺や神社に行ってみたりもした。その少しの興味の扉を開けたきっかけは一年前…父が会社を辞めたその日に行った母の墓参りの時だった。

「これを読んでみろ」

父は母の墓前で一冊のタイトルのない冊子を差し出した。

「俺らのご先祖様が書いたものだ。感じるものがあったら、嬉しいしこれから先、心に留め置いてほしい」

「分かった」

冊子はA5サイズの物で、100ページを超えていた。

「ただ、夕凪島に行ったら不便をかける、生活に困るようなことはないが…」

「僕は別にかまわないよ…」

「すまんな真一郎。これは父さんの使命なんだ」

母の墓前で神妙に父は語りだした。そして最後に、

「それと、お前にだけは言っておくが…島に同い年の松薙香という女の子がいる。たぶん家も近くになる。仲良くなれとは言わないが、心にかけていてくれると嬉しいし、守ってあげて欲しい」

「え?」

内容はそれこそ理解に苦しんだが、オタクの淡い正義感に何か着火するものがあった。

「詳しくは今は話せないが、お願いしたい」

真剣な眼差しの父に真一郎は黙って頷いた。そんな自分を父は片手でぐっと抱き寄せた。

実際こっちへ来てから生活に困ってはいない。学校にも馴染めたし自分の使命があるというだけで充実してる感さえある。

父から貰った冊子は一度読んだきりで机の引き出しにしまってある。結界だの財宝だのアニメや漫画の世界の出来事のようなことがまことしやかに書いてあった。

「久しぶりに読んでみようか」

名前のない冊子を引き出しから取り出した。ふと見る窓の外には香の家である素麺屋がある。明日から自分も使命を果たすべく新しい試みが始まる。


香が美樹と落し物の髪留めを交番まで届けて店に戻ると、毛利さんが厨房で母と調理をしていた。お客さんは近所の老夫婦と家族連れの二組。

「ただいま」

香がカウンター越しに声を掛けると、母は顔だけこちらに向けて話した、

「ああ、お帰り、それと美樹ちゃん今日はもうええよ」

「そんな連れないなぁ…素麺食べれる思ったのに…」

母の言葉に美樹は口を尖らせている。

「だったら晩御飯食べていき」

「やったぁ」

美樹は無邪気にガッツポーズをすると、

「そうや、ごはん食べたら、おばちゃんにうちらの舞、見てもらおよ」

得意気に両手を腰に当てていた。

「あら、是非見せて欲しいなぁ」

「息ピッタリやからね」

香も美樹と同じポーズをして見せた。

その後、香は隅の二人掛けのテーブル席に美樹と腰を掛けて、お喋りに花を咲かせ、配膳やレジを手伝ったり、お客さんの子供と遊んだりして過ごしていると、一人の男性客が入って来た、香は一目でそれが昼間の彼だと分かった。

「いらっしゃいませ」

香の声を書き消すように前後から、

「あっ!」

という声が聞こえて香はキョロキョロして前後の美樹と彼を見比べた。

二人は数秒固まっていたが、美樹はチョコチョコと香の背後に来て、背中を指でつつきながら、

「落とし物の人や」

小声でそう告げた。目の前の彼は頭を掻きながら歩み寄り、

「こんばん…」

挨拶を言い掛けて、笑顔から真剣な表情に変わり、その視線は香の頭の方を凝視している。

「これは…」

彼は興奮を抑えるかのように息を呑むと、右手で香の頭を指差した。香がその指を見上げて髪留めを触っていると、

「お兄さんこれとおんなじもん落としたやろ?」

美樹が隣に躍り出て答えると、

「落とした?」

彼は視線を美樹に方に移して、不思議そうな顔をしている。

「昨日、会った時にお兄さんが座っていた防波堤に落ちてたん、やからさっき交番に届けたんよ」

彼は数秒固まっていたが、鞄をテーブルに置くと中を改め始め、一通り探し終えると深い溜め息をついた。

「そうでしたか、ありがとう」

彼は深々と頭を下げた。

「近くの交番だから案内しましょうか?」

香が問いかけると、

「大丈夫です、いや、やっぱりお願いしようかな、あなたが証人になってくれるし…いいですか?」

彼は美樹のほうに手を差し出すと、美樹は黙って数回頷いた。

「ちょっと美樹と出てくるね」

「気いつけてな」

厨房から母が声を掛ける、

「行きましょうか」

「お願いします」

彼は急いで荷物を鞄に仕舞いながら会釈をしていた。

店を出ると香を挟んで、三人が並んで歩いた。会話もなく暫く沈黙が続いていると彼が口を開いた。

「その、髪留めはどちらで買われたのですか?」

香は美樹と顔を見合せる。

「先週のお祭りの時ですけど…」

美樹が答え、香に目配せしつつ続けて聞いた、

「お兄さんは何処で買ったんですか?」

彼は返答に窮しているのか、少しの間を置いて、

「…買ったのは妹なんです…」

「あぁ、そうなんですね…そのぉ妹さんは一緒じゃないんですか?」

「…えっと、入れ替わりで東京に帰りました。ホテルに忘れ物をしたから…丁度、自分がこっちに来ることになってたんで…でも無くしたら妹に怒られる所でした」

彼は苦笑しながらこちらを見た。

その彼の顔を見た途端、香の頭の中が真っ暗になり「妹を探して…」と言う彼の声と、見たことのない女性の顔が浮かび「…助けて…」と言い暗闇に覆われた……

遠くで誰かが呼んでいる。

「香?香?」

美樹の声が聞こえ視界が戻ると、二人が目の前で心配そうに、こっちを見つめたいた。

「大丈夫?」

美樹は自分の両腕を掴んでいて、今にも泣き出しそうだ。

「車を持って来ますから、ここで休んでいてください」

彼もこっちを見てそう言うと、走り出そうとしていた。

「ん?大丈夫です…美樹ありがとう、平気だよ…行こ、もうすぐですから…」

「ほんまに?」

美樹は涙目で腕を掴む力も強くなった。

「…うん、ほんまに、ありがとう美樹」

香は、そのまま美樹に近寄り額を合わせて、

「大丈夫、ありがと」

そう囁くと、美樹は抱き着いてきた。

「もう、ビックリしたんやで」

香も優しく抱きしめる。

「ほら、交番行くよ」

「そやな…」

美樹は香に並んで歩き出した。

「すみません」

香は彼に会釈すると、

「いえいえ…」

彼は手を振り、後ろを着いてきた。隣を歩く美樹はチラチラこっちを気にしながら歩いている。

交番に着くと、美樹が警察官に事情を説明している。香は交番の外でやり取りを見ていた。

さっきのあれは何だったんだろう…「探して…」「助けて…」彼の妹さんに何かあったんかな?……香が思案している間に、二人は交番から出てきた。

彼はしみじみと髪留めを見つめると大切そうにバッグにしまっている。

「本当にありがとう」

彼は頭を下げた。

「ええねんな、香」

「気にしないで下さい」

香は胸の前で小さく手を振った。

「あ…自己紹介もしてませんでした…早川啓助です、あ、妹は舞といいます」

苦笑いをしながら彼は名乗った。

「うちは跡部美樹で、こっちは親友の松薙香」

「なんてお礼を言ったらいいか…」

店までの帰り道、彼はしきりにお礼を言い、車に乗り込む際には深々と頭を下げていた。

香は思い切って彼に尋ねた。

「あの…妹さんの写真ってありますか?」

運転席に座りかけていた彼はフロントガラス越しに、不思議そうにこっちを見つめている。

「どうしました?」

そう言い、車から降りて香に問い返した。

「…え?……あ…」

香が言い淀んでいると、美樹がすかさず機転を利かす、

「お祭りのときにあった人かなぁ…って」

「あぁ……なるほど」

彼は納得したようで、香に近寄りながらスマホを出した。

「これが、妹です」

写真を見た香はギョッとして少し身を引いていた、さっきの人……そこに映っている笑顔の女性は、間違いなくさっき頭の中に浮かんだその人だった。

美樹は香りにくっついてスマホを覗き込んで、

「かわいい人やなぁ…どうやったかなぁ、いたような気もするし…」

話しながら香の背中をつついた。

「あ…確かに見かけました…見かけただけですけど…」

我に返った香は少し早口で答えた。

「そうでしたか……何か気になるようなことはありませんでしたか?」

香が差し出したスマホを受け取りながら彼は聞いてきた。香が小首を傾げると、

「あっ、いや別に……気にしないでください」

手を軽く前に出し、苦笑いする彼に、

「妹さんは、お元気ですか?」

香にとっては最大級の勇気を振り絞って聞いてみた。

「…え?…あぁ、元気にしてますよ」

にっこりほほ笑んでいるが、香にはその目が泣いているように見える。

「…そうですか」

「では、失礼します…今日は本当にありがとうございました」

彼は、頭を深々と下げ車に乗り込んだ。

「今度は兄妹でそうめん食べに来てな」

美樹は手を振りながら声をかけている。彼はこっちに一礼をして車で走り去った。

「ふー」

大きく伸びをしながら溜め息をついた美樹は、

「香大丈夫?…いきなりどしたん?」

「うん………」

「あの人の妹さん知ってたん?…」

「え…うん…」

美樹に話したいけど話せないもどかしさに、香が押し黙っていると、

「香、何かあるんなら話してな、今じゃなくてもええから…」

美樹は香の両肩に手をかけてニッコリ笑う。

「ごめん…」

「何で謝るん?うちと香りの仲やろ?」

美樹は香のおでこを指で小突いた。

「ありがと」

香は話したいけど、話せない、もどかしさが心の中で渦を巻いている。

「香は笑ったほうがかわいいねん」

今度は、香の両頬を摘まんで白い歯を見せた。そんな美樹を見て微笑みを返すと、美樹は何か思い出したのか、不思議そうな顔をする。

「そういえばあの人、ご飯食べに来たんとちゃうかった?」

「確かに…」

香は美樹と顔を見合せてクスクスと笑った。

「お腹空いたわ、素麺食べよ」

そして美樹は、まるで自分の家のように店に入って行く、

「ただいま~」

香はそんな美樹が傍にいてくれて良かったと心からそう思った。やっぱり美樹には自分の秘密を話してみよう………車が走り去った方角を一瞥して、

「ただいま」

香は精一杯の声を張り上げた。


啓助は松寿庵からホテルへ向けて車を走らせている。

さっきのあの子…高校生位だろうか?…妹の事を気にしていたな…何でだろう……しかし不思議な子だった…突然立ち尽くすと、薄目は開いているが白目を剥き、小刻みに震えていて、友人が体を揺すっても、どうだろう20秒位だろうか、その状態が続きパッと目が開いた……その瞳は漆黒で吸い込まれそうな感じがした、何かを見透かせれているような気がして少し怖かった。白目を剥いたせいか左目の下のホクロが際立って印象に残った……

「……まさかね…」

呟いた途端、腹が鳴った。

「…そういえば…飯食いに行ったんじゃないか…」

自分ながら呆れた。しかし今日は、いや今日も不思議なことが相次いだ……公園で会ったあの少女は何だったのか……今思うと、何というか今の子というより、話を聞いていて昔の感じというか何というか…そんな違和感がした…まさか幽霊か…背筋に寒気が走る。でも恐怖は全く感じなかった。

「とりあえず、夕食どうしよか…」

前方にフェリーターミナルへの案内板が目に入った。迷わずハンドルを切りターミナルの駐車場に車を止めた。

ターミナル内にある、うどん屋に入り食券を買う。

「らっしゃい」

店長であろう男の威勢のいい声が響いた。客席はほぼ埋まっている、一番奥の端の席に進み食券を渡した。

今日は年配の二人の女性が厨房で調理をしている。あの子は…美樹さんだったか、ここと素麺屋と掛け持ちでバイトしているのか……そんな事を思いながら椅子に座る際、隣の男性客が見ていたスマホの画面に映し出されている美しい風景が目に入った。

西龍寺か……水を飲みながら隣の客を窺うと川勝龍一郎の息子だった。

啓助はコップを置いて声を掛けた、

「こんばんは」

彼は少し身を引きながらこちらを見て驚いたようだった。

「こんばんは」

少し頭を下げながら返事をすると、すぐに正面に向き直りスマホを見ている。

「君は西龍寺にはよく行くの?」

質問に不思議そうにこちらを見ている。

「いや、スマホに西龍寺からの眺めの写真が映ってるのが、チラッと見えたんで…ごめんね」

「…いえ…そういう訳では…」

彼はそう言いながらスマホをポケットに仕舞っている。

「あそこの寺はパワースポットらしいね」

「……」

「君も歴史好きなんでしょ?」

「いや、好きという訳じゃ…」

「そうなんだ、お父様が郷土史家だし、君もてっきり好きなのかと…」

彼は話しかけられるのが迷惑そうだったが啓助は続けて聞いた。

「お父様はあれからお帰りになられましたか?」

「いえ、帰ってないですけど…」

「そうですか…」

「お待ちどう、シンちゃん」

厨房の女性がトレーに乗った天ぷらうどんを彼に差し出した。彼はそれを受け取ると助かったと言わんばかりに食べるのに集中し始めた。

啓助は会話を諦めて、水を飲んでスマホを取り出し、何気に舞のインスタグラムの西龍寺の写真をタップした。筆舌に尽くしがたいとは…まさにこの景色のことを言うのだろう。二枚目にある舞の自撮りの笑顔を見て画面に釘付けになっていると、やがて自分の天ぷらうどんが運ばれた。スマホをカウンターに置いて箸を取る。

「いただきます」

うどんを一口すすり出汁を飲むと、空腹の胃袋が喜んでいるような気がした。

「え?……」

唐突に隣で声がした、彼は自分のスマホの画面を見つめて驚いているようだった。

啓助は箸を止めスマホを取り、

「いい景色だよねほんとに、どうかしたの?」

「あっ、いえ、別に……」

彼は小刻みに左右に首を振り明らかに動揺している素振りだった。何だろう?スマホの画面には舞が取った自撮り写真が映し出されている。舞と西龍寺からの眺望だ。瞬間浮かんだ疑問を投げかけようとし時、

「ごちそうさまでした」

彼は立ち上がりとそそくさと店を出て行った。

自分のうどんは半分以上残っている…

「すぐ戻ります…」

そう店員に言い残し、店を出たが彼の姿はなかった。

「まさかね…」

もう一度、訪ねてみるか……

すっかり日が暮くれた瀬田港にフェリーが近づいている。それに乗船する車が列をなして並んでいた。

啓助は店に戻り残りのうどんをすすった。


空にはもうすぐ満ちようとしている月が街灯の少ない住宅街を照らしている。

人通りはなく、月明かりが自分を照らすスポットライトのような感じで、美樹は香の家からの帰り道、童歌を口ずさみながら家路を歩いていた。

「まあるいおひさま、おつきさま、さんかくおやま、なみなみおうみ、ひがしのそらに、むつほしのぼる、しろいひめさん、あかいひめさん、あまのかみさん、ごきげんいかかが、みたまことたま、めでよめでよ、さちあり…」

香のお婆ちゃんが二人に教えてくれたこの童歌は物心ついた頃には覚えていた。面白いのは振りが付いている事で、よく香と二人で歌い踊っていた。香は右手にスプーンを持って、美樹は左手に鉛筆を持って、今思えば巫女さんが舞を舞う時に使う鈴の代わりみたいな事やったんだと思う。踊るたびに香の祖母が褒めてくれるのが嬉しくて、体学問の如く染み付いている。香の祖母は『心を込めて、お日様やお月さん、お山や海の事を思って、大好きやって歌って踊るんよ、香は海の役で、美樹ちゃんはお山の役やな…』そんな風に言っていた。いつのまにか手振りをしながら歌い歩いていると、坂道へと差し掛かる十字路で男の人に声を掛けられた。

「美樹ちゃんこんばんは」

ハッとして手を胸の前で組んだ。立っていたのは京一郎であった。

「こんばんは」

美樹はそのままの姿勢でお辞儀をすると、

「ごきげんだね、美樹ちゃん」

京一郎はニコニコしながらこちらを見つめている。歌を聞かれていたのが恥ずかしく顔が赤くなるのが分かったが、街灯の明かりの切れ端にいるから相手からはこちらの方が暗い筈で分からないかもしれない。

「そうだ丁度いいや、良かったら、教えて欲しいんだけどいいかな?」

京一郎は指をパチンと鳴らして聞いてきた。美樹がコクリと頷くと、

「美樹ちゃんが香ちゃんに買ってあげた髪留めってお祭りの時に買ったの?」

「そうですけど…」

美樹は上目遣いで答えると。何やそんなことか…少しほっとして、あれ?何でその事知ってるの?という疑問が湧いた。

「どうやって買ったの?」

ん?美樹は質問の意図が分からなかった、恥ずかしさとこの場からすぐにでも立ち去りたい気持ちが逸って、髪留めを購入した経緯を説明した。

「ふんふん、なるほどね、いや実は僕もね欲しかったんだけど、二つあるんだね、そういうことだったんだ」

京一郎は宙を見つめ何度も頷いている。

「ほんなら」

美樹はお辞儀をすると坂道を駆け上がった。

「あ、気を付けて」

京一郎の声を背中越しに聞きながら一目散に走り、家までもう少しの所で立ち止まった、振り返ると月が雲に隠れていて暗くなった夜道を街灯の心細い光が照らしていた。

「なんやったんや…」

肩の力が抜けてため息が出た、

「ま、ええか」

美樹は気を取り直し坂道を上る。虫の音が気持ちを落ち着かせてくれているようだった。

家の前で父親がスマホを片手に突っ立ていた。

「お父さんただいまさん」

「お、おう、お帰り」

「何しとるん?」

「あ、夕涼みや」

「ふーん」

美樹は左右に首を傾げながら玄関の扉を開けた。

手を洗ってリビングに行くと、父はソファでテレビを見ていた。

「おやつ食べるか?」

「うん、ありがとう」

「冷蔵庫にプリンあるで」

美樹は冷蔵庫からプリンを取り出しダイニングテーブルに座ると食べ始めた。父は美樹の向かいに座ると新聞を読み始めた。

「お父さんも食べる?」

「いやええわ、それよりちょっと話あるけどええかな?」

父は新聞を畳みながら聞いてきた。

「何?」

美樹はプリンを口に運び父を見る。その神妙な面持ちに不安を感じた。

「最近、変な噂あるやろ?」

美樹はスプーンを咥えたまま、首を傾げて、

「渚先生の恋人の事?」

そう聞き返しすと、父は新聞を開きながら頷いた。

「ちゃうねん、そっちやない」

美樹は少し不安な表情で続きを待つ。

「最近、変な事とかないか?何かこう……変な感じの……」

「別にないよ」

父の言葉に美樹は即答した。

「そうか……それならええんやけどな……」

父は少し安心したように呟いた。

「変な感じって何?」

美樹は父に聞き返した。

「まあ、何ていうか……何か分からんけど誰かに後をつけられているとか……」

父は少し考えながら答えた。

「えー気持ち悪いやん」

美樹は背筋が寒くなった。

「それってストーカーってやつやないの?」

「そうかもしれんな」

父は新聞を畳みながら答えた。

「えーでも、何で?」

美樹は気になって尋ねた。

「それは分からん」

父の言葉に美樹はむっとした顔でプリンを口に運んだ。

「ええか?もし何かあったら、すぐに相談するんやで」

「分かってるって」

父の心配そうな表情に美樹は少し憂鬱になったがそれを悟られまいと明るい声で答えた。


香の母親の幸はキッチンのテーブルで香が風呂から上がるのを待っていた。

昨夜の香の反応を察するにあの子は”夢”を見てるんやそう確信した。真実を伝えて受け止めて貰わなければならない。

このことは昨夜、龍応住職に呼び出された折に伝えていた。本来であれば他人には秘密にしておかなければならないのだが、幸は亡くなった主人とその友人であった龍応には秘密を打ち明けていた。主人が5年前に他界して以来、龍応には何かと相談している、その逆もあり龍応から相談を受けることもある。昨夜の一件がその一例だった。

龍応は母屋の居間に幸を迎えるとおもむろに話し始めた。そして一枚の紙を渡された、そこには写真をプリントアウトした物が写し出されていて一人の女性が微笑んでいる。その女性の行方を捜して欲しいとの事だった。名前も記されていた。

「どういうことでしょうか?」

外の木々が一陣の風にザザーザザーと音を立ててガタガタと雨戸を叩いた。

「もしかしたら、結界に迷い込んだかもしれません…」

「結界…ですか?そういうこともあるのですか?」

「私が知る限り現在はありません…ただ伝承で神隠しがあったのは耳にしたことはあります」

幸は黙って龍応の言葉を待った。

「この島には幾つかの結界が張られています…」

先程より一段と強い風が吹き抜けた。

洗面所でドライヤーの音が止み香がキッチンへ入ってきた。幸は冷蔵庫から麦茶を取り出すと、テーブルのコップに注いで香に促した。

「ありがとう」

香は椅子に座るとそれを一口飲んだ。それを見て幸は穏やかな口調で話し出した。

「香と美樹ちゃんの舞、息ピッタリやね、母さん感動したわぁ、本番がすごい楽しみになった」

「昼休み毎日練習してたらね」

香は照れ臭そうに小首をかしげる。

「まさかね親子二代で舞を奉納するなんてなぁ」

「ちょっと緊張する」

香は両手を胸の前で擦り合わせている。

「いよいよ明日やもんなぁ…」

「うん」

普段ならもっと花が咲く会話も途切れ途切れになる。香は明らかに昨日の話を待っているようだった。幸は背筋を伸ばして真っすぐ香を見つめた。

「…昨日の話の続きしよっか」

香も飲みかけていたコップを置き佇まいを直している。

「何か特別な夢、見ることあるでしょ?」

幸が優しく問いかると、香はコクリと頷く。

「辛い事も、あったやろなぁ…母さんも、見るんよ夢」

俯いていた香は顔を上げ真っ直ぐ幸を見ている。

「うちらはなぁ、ちょっとだけ他の人と違うんよ…まぁ、そやな~巫女さん。言うたら分かりやすいかな」

「巫女…さん?」

「巫女さんはな、神様に仕えるんよ、巫女さんは特別な力を持っててなぁ神様と交信ができるん、そやから神社の中は聖域になっとるんよ」

香は眉間に皺をよせ首を傾げた。それを見た幸は更に続けた。

「もちろんアルバイトの巫女さんとは違うんよ。本当に必要な時だけ神様と交信するんや」

「母さんはしたことあるん?」

幸はゆっくり首を振り、

「それはな、なかったんよ…お婆さんはこう言うてたわ、神様と交信するんはお婆さんもなかったみたい。ただ、ご先祖様から代々口伝えで、語り継いで来たみたいやって……もちろん母さんも特別な力を持ってるんよ、それはね……」

そこまで言うと幸はテーブルに置いてある小さな桐の木箱を香の前に差し出した。

「これはこの家に古くから伝わる物や」

幸は蓋を開けて、真綿の上に置かれている、白い勾玉を見せた。

「この勾玉ね、母さんの力を少し抑える力があるん…これは特別な力を持った人しか身に付けられないんよ」

「でも力を抑えるって、どうして?」

「そやなぁ、それはな自分を守るためなんな……母さんは意図的に夢というか人を見る事でその人の未来が分かってしまうん」

「うそ…」

香は信じられないと言わんばかりに口をポカーンと開けている。

「ただ、凄いエネルギーを使うの。だから力を弱めて体と心を守ってあげなきゃいけないんよ、香、あなたがこれを持っていて」

「でも、そしたら、お母さんは疲れないの?」

「もう母さん自体の能力は弱くなってるの…生理と関係があるみたいやね、やからね香に付けてもらいたいんよ」

香は勾玉を見つめている。

「きっとあなたは意図せず夢を見れるんじゃない?お婆さんがそうだったから」

香は勾玉を木箱ごと両手で包みこんだ。そんな香の姿を見て幸は一番気になっていたことを聞いてみることにした。自分も夫の浩二が亡くなることは知っていたのだから…

幸は優しく問いかける。

「香、きっとお父さんの夢も見たんじゃない?辛かったやろ、ごめんな、今まで話せなくて…」

真っ直ぐこっちを見つめる香の瞳から大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。

「どんな風に夢を見るん?」

幸がゆっくりと尋ねると、香は涙を拭い、深呼吸をして話し始めた。

香の話しを聞きながら、幸が思う以上に香の感度が高いと感じた。香が話し終えると幸は香の隣に腰をかけて、そっと抱きしめた。

「香、あんたはええ子や、ただな夢で見た未来は変えることは出来んのや…もしかしたら…」

幸は言い掛けた言葉を飲み込んだ。この子なら、未来を変える事が出来るかもしれない…

「きっとあなたは”見る”と意識した瞬間、その人の色んな事が見えると思う、まだ慣れてないかもしれないけどな、少なくとも母さんより能力は強いかもしれないからね、勾玉はな神様からの授かりものなん、やから肌身離さず身に付けとくんよ…」

頷く香りに、幸は続けて喋った。

「香がこれから出会う人の中にはあなたの力を必要としている人かもしれない…いい?香、もしもその人のことを本当に助けたいと思った時は母さんに話すんよ、あと夢を見た時もね、それとな…このことは決して他の人に言うたらいかんよ」

「どうして?」

「自分の身を守るために…ね、悪い人に利用されないためにな」

「美樹にも…ダメなん?」

幸は自分も人に言えず始めは辛い思いはしたから気持ちは理解できる。実際、夫の浩二や龍応住職には打ち明けている。

「そうね、香が心から信じている人には伝えるのも、ええかもな……母さんも、父さんには話していたし、父さんの幼馴染のご住職にも縁があって話しているから…ただね香、話すときは覚悟をもって話さないかんよ…そして、それ以外の人には決して話したらあかんよ」

「母さん……分かった…ありがとう……」

香は目に涙をためて呟いた。その声は震えていて……そして木箱から勾玉を取り出し抱きしめている……

「母さんが夢の事、知ってるとは思わんかったやろうね」

幸が香の頭を撫でると、コクリと頷いた。

「そしたら夜食でも食べよっか、何食べたい?」

「素麺…」

香はボソッと言い微笑んでいた。


啓助はホテルの部屋のベッドで横になり天井を眺めている。

「フッ~」

何か色々ありすぎた……脳裏に舞のかすかな声がこだまする……あの少女は?…香という女の子は何故妹のことを聞いた?そして川勝龍一郎の息子…シンちゃんと呼ばれていた彼は何に驚いていたのか?そして…舞は生きている…どこに?

無限のループのようにグルグル思考は回っていた。体を起こしてスマホをテーブルに置き、その側にあった髪留めを拾い上げた。あの子達の話だとお祭りで買った物だという。

もしかしたら…これも何か関係あるのではないか?考えすぎか…

髪留めを机に置いて、椅子に腰掛けると無造作にその引き出しを開けて中の冊子を取り出す。ホテルのパンフレットや夕凪島の観光案内やらが入っていた。その中に夕凪島の地図があった。幾度となく見た形だ、ぼんやり眺めていて眼鏡の話を思い出した。

ノートパソコンをバッグから取りだしてマップを開く。眼鏡の言った通り重岩、善通寺、愛媛の石鎚山は一つの線で結ばれた。

「凄いなぁ」

確か他にもあると眼鏡は話していた。レイラインかぁ…パソコンの画面を見つめながらそう呟いた。レイラインはレイ、ラインとも言うが、このライン上の山や岩は古来から特別な力を授かっているとされ、その地を護る要として信仰の対象になってきた。またレイは光線という意味を持ちこの光線が交わるところがパワースポットともされているようだ……

眼鏡が話していた伊弉諾神宮を中心とするレイラインは有名なようだった。真東に伊勢神宮、真西に対馬の海神神社、真南に諭鶴羽ゆづるは神社(淡路島)、真北に兵庫の出石いずし神社、夏至の日出に方向に諏訪大社、日没の方向に出雲大社・日御碕神社、冬至の日出に方向に熊野那智大社(那智の瀧)、日没の方向に高千穂神社があるという。他にも、富士山や高野山、剣山や阿蘇山等の山々に因むもの、神社仏閣を絡めたもの、他にはレイラインを結んだりして出来た形が五芒星や六芒星になるような場所もあり、日本は結界が張られているという記事もあった。

「ふーん、なるほど」

感心しながら検索を続けた。夕凪島の観光サイトにも意味ありげなことが書いてある……夕凪島にある霊場の一つ洞雲山には夏至観音と呼ばれる夏至の日を挟んだ約一月の間、一日の数分間、岩肌に光が創り出した観音様の姿が浮かび上がるという。しかも伊弉諾神宮とほぼ同じ緯度にあるという。また夕凪島には島固有の植物もあるそうだ、モクセイ科の植物でユウナギジマレンギョウという。寒霞渓の四望頂より三笠山に至る尾根付近に見られ、高さは1~2m程の落葉の小低木と呼ばれる樹木で、4月から5月上旬にかけて緑色を帯びた黄色い花を咲かせる。花言葉は「希望」だそうだ。確かに良く出来た観光サイトだなと思った。さらに島には古くから修験道や密教が盛んで現在でもその名残があるらしい……この島の不思議な風習等も載っていた。

その風習はこうだ。神舞かまいと呼ばれるお祭りがあり、瀬田神社にて7月の満月の夜に行われる。お堂に一対の舞い手が入り人々に捧げる舞いを奉納する、その際、舞を捧げた巫女は神から授かったとされる玉の付いた扇を持ち舞うのだそうだ……その後、境内で宴が催される。島外からも多くの人が招かれるという。

神に捧げるのではなく、人々に捧げるのだと言う。よって舞手は神と言うことだそうだ。古くは10才くらいの女子に限られていたが、現在は高校三年生の女子二名がそれをつとめる。年々自主応募は減っているようで、神社側から声をかけることもあるそうだ。

「瀬田神社か…」

啓助はマップを開き、試しに瀬田神社と西龍寺を結ぶ線を引いてみる。

「だよね…」

線の何処にもポイントになるような山や神社仏閣等はなかった。よしと意気込んで八十八ヶ所の霊場を線で繋いでみる。

「だよね~」

こんなことはとっくに誰かがやっている筈だし…

煙草を銜えながら天井を見上げた。するとスマホが振動した、手に取ると眼鏡からだった。

「もしもし」

「夜分にすまないね、さっきの同人の本だけど、家にあったわ」

イケボが早口にまくし立てる。

「え?」

「持ってた筈や思うて家の書斎やら書庫を探してたらありました」

「ありがとうございます」

啓助は眼鏡の厚意に感謝した。

「今からホテルに持ってきます、えーと10分、15分後位で行けますから」

「でも」

「じゃあ後程」

眼鏡は興奮気味に電話を切った。スマホの画面の時計は21時21分と表示されていた。

啓助は身支度を整えロビーへ向かった。

ロビーには数組の宿泊客がいてラウンジで軽食や酒を嗜んでいる。

ホテルのカウンターに目をやると壁のポスターが目に入った【瀬田神社奉納祭 神舞7月16日】

「明日?」

今まで気付かなかったのが不思議だった、この手のポスターなら至るところにあった筈なのに…

アイスコーヒーを飲み干したころ、眼鏡がロビーに入って来て辺りを見回している。啓助が立ち上がると、こちらに気が付き片手を上げ小走りに近づいてきた。

「こんばんは、遅くにすまないね」

「こんばんは、いいえこちらこそ」

啓助はアイスコーヒーを二つ注文した。

「さっそくですが・・・これを見てください」

『結界の島』という同人の本を差し出した。

「付箋の貼ってあるページです」

眼鏡はウェイターが持ってきたアイスコーヒーを一気に飲み干し、お代わりを注文している。

啓助はそのページに目を落とした。

空海は修験道の行場を整備するため島の山々、端々を調べた。

その結果、この島のいくつかの秘密に気が付いた。それらを未来永劫守護するため、霊場を島の各地に配置し人々の祈りを糧とした結界を敷いた。

重岩や行場のある山岳霊場もそこにあるのは理由がある。日本に古くから存在した自然崇拝を起源とする磐座信仰や山岳信仰と、滝や川や水は龍や蛇と同義で畏敬の対象であった。空海は山々と豊富な湧水の恵みを自然からの感謝として行場や霊場として祀った。恵門の滝、清滝山、石門洞、碁石山、洞雲山、笠ヶ滝、西龍寺、宝樹院、湯舟山等があり、現在霊場から外れている場所もある。磐座の痕跡として残っている物は少ないが重岩や葦田八幡神社の磐座がある。もしかしたら自然の形で残る奇岩もその一つであった可能性は否定できない。そのような曰く有り気な場所が数多く存在するのが夕凪島だ。

例えば空海が開いた八十八ヵ所の霊場と現在の八十八ヵ所の霊場は同じではない。重要なのは明治時代に神仏分離の影響で例えば五つの神社が霊場から外れたことである。そのお陰で空海が施した八十八ヵ所を探すのは困難を極める、もしかしたら、そのお陰で逆に人々の目を欺くのに都合が良くなった側面もあるかもしれない。ただ、それを解き明かすことが出来たのであれば、結界の意味や秘密に近づけるかもしれない。これは勝手気ままな推論だが秘密は複数あるのではないかということだ。筆者は空想に耽る。夕凪島の秘密に。

一つはありきたりだが財宝、神宝の類だ。失われた三種の神器や飛躍しすぎかもしれないが古代イスラエルの秘宝なんかが隠されているかもしれない。

一つは何らかの古のパワー、叡智かもしれない。古代文明の遺産や技術。

人は嘲笑うだろうが、一度、夕凪島を訪れるといい。捉え方は違えど、必ず何かを感じる筈だ。

ページはそこで終わっていた。

パラパラとページを捲り作者を見る、作 和倉総一郎とあった。

結界ね…そう言うのはあるとは思うが…啓助にはいまいちピンとこなかった。

「どうです?」

「これが?」

反応の乏しい啓助に、

「もう一か所の付箋の所を読んでみて」

眼鏡はメガネのブリッジを押さえると身を乗り出して促した。

追記

西龍寺、宝樹院、瀬田神社は特に気になるメッセージがある筈だ。何がどうと言葉では簡単に説明できないが違和感がある。

宝樹院のシンパクは応神天皇、お手植えなのに何故神社ではない。

西龍寺の境内の崖の下にある、古い遍路道の石灯篭はなぜ神社の形式の物なのか。傍の洞窟は何の目的で作られたのか。

瀬田神社だけ拝殿がなく、社殿のみなのは何故か。境内の六角形のお堂は昔あった物を参考に現代に再建されたというが、その形に違和感がある。

他にも滅亡した一族の末裔を匿ったり。財宝なんかが眠っているかもしれない。

このページだけページ数が記されていない、後から付け加えられたようだった。

「どうです?気が付きました?」

「何がです?」

「あなたの妹さんがその三つの場所を訪れているんです」

「ほう…」

「書いてある内容は、神仏習合や分離といった経緯があるとは思いますけど…明らかにこれを読んでその場所を選んだ可能性が高いのではないでしょうか?」

「なるほど」

それは納得がいった。

「ん?」

次のページに一枚の紙が挟まっていた。

「これは…」

啓助は紙を取り出しながら眼鏡に尋ねた。

鉛筆で書かれた地図のようで、紙片の右上には数字で3と書いてある。

眼鏡は身を乗り出して覗き込んだ。

「地図のようですな…」

夕凪島の麻霧山近辺を記した地図で周辺にいくつかの場所に赤で×印がつけてあった。

南にオホノデヒメ神社

西は富丘八幡神社、ご神木。

東は瀬田神社。

「ちょっとコピーしてもらってきます」

眼鏡はそう言うと紙片を持ってフロントに行った。

コピーを手に戻ってくると、原本の方を啓助に差し出した。

「私も考えてみます」

眼鏡はソファに座らずに時計を見て、

「そしたら、帰りますわ…なんちゅうか、久々に郷土史家の血が騒ぎだしました」

苦笑いをして頭を掻いている。

「遅くまでありがとうございます」

「いやいや、かまわんのです…本はお貸ししますから是非、目を通してみてください」

「お借りします、感謝します」

眼鏡はメガネを直しながら、舌なめずりをして、

「こんなこと言うたら失礼かもしれんけど…あなたや妹さんに感謝してます。不謹慎を承知で申し上げると、島を見つめ直すきっかけになりました…そして思ったんですが、妹さんを探す手がかりはこの島の何かかもしれません…そしたら」

眼鏡は片手をあげて去っていった。

啓助は眼鏡の背中に一礼をしてソファに腰かけると、もう一冊の『考察オホノデヒメ』の付箋部分のページをめくった。

夕凪島は古代から吉備国児島郡に属し、吉備国が分割された後も備前国に属すなど、中世までは本州側の行政区画に組み込まれていた。平安時代初期からは皇室の御料地となるが、1347年(貞和3年)南北朝時代、南朝に呼応して島を支配していた飽浦信胤が細川師氏に攻められて倒されて以後、島は細川氏領となり皇室領は解体された。またこの細川氏は讃岐国守護であり、この時から政治的な支配者という側面では本州側の手を離れ、四国側に移ったという。

このように、夕凪島は元々は本州、吉備の国や皇室との繋がりが濃い。これは重要な要素で吉備の国には巫女の系譜がある。古代の出雲にも祭祀を司る姫が居たという。それは古来縄文の血を引いた、もしくは流れをくんだ者たちであろう。国津神と呼ばれる神々は日本に縄文の時代から居住し日本に残った神々で、天津神とは縄文の御代に日本を旅立ち、弥生の御代に故郷へ帰郷した人々を指すと考える。緩やかに交わった部分もあったであろうが、神武東征に見られるような争いも少なからずあったのであろう。経緯はどうあれ融合は果たされた訳で。天皇の后に巫女の系譜(国津神)が多いのも古来の血や能力を受け継ぐといった部分もあったのであろうと考えることも出来る。

オホノデヒメは実は双子の女神である。突拍子もない推察、暴論かもしれない。

オホノデヒメを祀る神社は、銚子渓にあるオホノデヒメ神社と星ヶ城山にあるユナキ神社(西峰と東峰があり、オホノデヒメが祀られているのは西峰)の二つ、なぜもともと瀬田町の島玉神を祀った社があるにもかかわらず二つに分けたのか?何故、名前を分けているのか?

ちなみに星ヶ城山にある二つのユナキ神社には大層な神々が祀られている。東峰には、天之御中主神あめのみなかぬしのかみ高皇産霊尊たかみむすびのみこと瓊瓊杵尊ににぎのみこと天児屋根命あめのこやねのみこと天太玉命あめのふとだまのみこと豊受大御神とようけのおおみかみ、と言った面々だ。

一方のオホノデヒメが祀られている西峰の社は『古事記』では弥都波能売神みづはのめのかみ、『日本書紀』では罔象女神みつはのめのかみと表記する神と一緒に祀られている。この神は日本における代表的な水の神(水神)である。何故水の神様が一緒に祀られているのか?人の生活において飲料水の確保は至上命題である。夕凪島は山々が蓄えた湧水があり尚かつ、ため池を等を作り水を確保してきたと考えられる。そして時には雨乞いの儀式を通じて雨を祈願する事もあったのであろう。もし、水の神の名を借りてもう一人のオホノデヒメを祀ったとしたら。一説にはオホノデヒメは、海の神とされていて彼女は美しい女性の姿をしており、海の波や潮の神秘的な力を司っていたとされる。彼女の名前は『大海の女神』とも解釈されるという。

話は変わるが、水は時に蛇や龍に姿を変え人々の畏敬を持って歴史に登場する。その水を自在に操り、人々に恩恵をもたらした偉人がいる。そう弘法大師。かの偉人がこの島で修行をし霊場を開いたのも浅からぬ理由があったのであろう。西龍寺には暴れる龍を弘法大師が鎮めたという伝説も残っている。

因みに龍は女性を意味する事もあるという。はてさてそうなってくると色々伝わる龍伝説もにわかに騒がしくなりそうだが…、

話をオホノデヒメに戻して、漢字で記載すると『大野手比売』おおぬでひめと解釈するのが定説のようで、ぬで「鐸」(ぬで、ぬて、ぬりて)とは銅鐸のことを指すという。昭和4年に安田地区にある三五郎池の西側で採石中に銅鐸が出土した。さらに3年後には銅剣が、昭和45年には土器や銅剣の破片が発見され極ヶ谷牛飼場遺跡と言われている。銅鐸は祭事の時に使用されたという説がある、用途は楽器として鳴らしたのだと。2世紀頃が製造が盛んで弥生時代に当たる。卑弥呼が自然と頭に浮かぶがそれと似たようなもので、オホノデヒメも祭祀を遂行する巫女=シャーマン的要素があったのではないかと推察する。もっというと、縄文の頃は女性がコミュニティの長であったという。女性が優位の社会は1万年以上続いたと言われていて、恐らくそういう血筋は日本各地に残っている。即ち、この夕凪島にも残っていたのではなかろうか?

巫女は神楽を舞ったり、祈祷をしたり、占いをしたり、神託を得て他の者に伝えたり、魂や霊的な物を自身の体に一時的に宿し口寄せなどをする役割を持ち、それらの中で神を自らの身体に宿す「神降し」(かみくだし)や「神懸り」(かみがかり)の儀式を「巫」(かんなぎ)といった。これを掌る女性が巫女の発生と考えられる。そのような能力があったからこそ、時の権力者に見初められ縁を結んだのではと考える。ちなみに夕凪島の景勝地『寒霞渓』元々は鍵掛(鉤掛)、神懸、神駆などの字が当てられてカンカケの名で呼ばれていたそうだ。

『先代旧事本紀』にのみ登場する女性、日向賀牟度美良姫ひむかのかむとみらひめを、オホノデヒメと同一人物とする説を採用すれば、渟中底姫命ぬなそこなかつひめの母親となり、その姫は安寧天皇(第3代の天皇)の皇后である。また渟中底姫命の兄は健飯勝命(たけいいかつ の みこと/たけいいかち の みこと)で三輪氏・賀茂氏の祖ということになる。つまりは天皇家に嫁いだという事になる。

『日本書紀』によると応神天皇は吉備行幸の旅に出た折に、淡路島を経て夕凪島に上陸した。上陸地は諸説あるようだが夕凪島には次のような伝説がある。

応神天皇が最初に上陸したのは吉備ケ崎で、その付近で休息した(伊喜末八幡神社)あと同地より再び乗船し沿岸の沿って双子浦の潮土山(富丘山)の麓に停泊して上陸した(富丘八幡神社)。宿泊した場所に柏の木を植えた(宝樹院のシンパク)。明くる日、陸路にて瀬田の里に向かい、途中の八幡山にて島玉神オホノデヒメを祀った。生田の森から乗船した(瀬田神社)。三都半島を迂回し内海水木の御荷ケ崎(鬼ケ崎)に到着。そこから北へ向かい神懸山(寒霞渓)に登山し狩猟(鷹取展望台)した。下山して馬目木台(宮山、亀甲山)に至り宿泊した(内海八幡神社)。翌朝、旭峠を超えて橘港より船に乗り吉備に向かおうとするが、突然の嵐のため福田港に寄港した。田中に丸木と刈穂による行宮を建てた(葦田八幡神社)と伝わる。

行程が西から東なので吉備に行くなら逆ルート、吉備からの帰りなら上記のルートがスムーズのような気もするが、もう一つの疑問は島玉神オホノデヒメを祀った場所だ。八幡山とあるが何故その場所にお祀りしたのか。ルートに沿って進むと瀬田町に至る峠に当たる場所に今も小さな祠がある。その場所、もしくは近くにオホノデヒメに関する何かがあったのではないか?だから応神天皇はそこにオホノデヒメをお祀りしたと考えるのが自然であろう。背後に聳える麻霧山か三井津岬の先にある不自然な大岩か。いずれにせよ、意味があるに違いない。

応神天皇ゆかりの八幡神社のある場所には古墳や磐座があり『夕凪島八幡宮五社由来記』には富丘八幡神社は応神天皇巡幸の跡地と伝えられている。同じく巡幸の跡地四ヶ所(伊喜末、瀬田、内海、葦田)へ勧請し、これら五社の八幡神社を『夕凪島五社』と称している。

応神天皇吉備行幸の際に先祖の御霊に礼を尽くしに来たと考えれば、夕凪島巡幸の謂れにも納得がいくのではないか。夕凪島に寄る理由があったからだ、吉備に行くだけなら夕凪島の北側を回ればいい、もしくは本州沿いを航行すれば良い。応神天皇は寄るべくして寄ったのだ。

その応神天皇を祭神として祀る八幡神社にもいわくありげな話がある、八幡宮の総本社である宇佐神宮の主祭神は比売大神、応神天皇、神功皇后であるが、宇佐神宮の本殿で主神の位置である中央に配置されているのは比売大神であり、応神天皇と神功皇后は後の世に祀られるようなったという。比売大神は宇佐神宮では宗像三女神『田心姫神タゴリヒメ湍津姫神タギツヒメ市杵島姫神イチキシマヒメ』としてお祀りされているが、天美津玉照比売命あめのみつたまてるひめのみこと大日孁貴尊アマテラス豊玉姫トヨタマヒメに比定しお祀りしている神社もある。元々お祀りされていたのは比売大神で、いずれにせよ言えることは比売=姫=女性と言う事である。その八幡神社が五つもあるのは興味深い事ではなかろうか。もしかしたらその五つというのも意味があるのかもしれない。

では、島の象徴たるヒメが都へ嫁いだとして、その後も変わらずに島に脈々と受け継がれている信仰や文化の根本となるものは何か。

それは、オホノデヒメは双子だったという考察だ。もう一人は島に残り人々に影響を与え信仰は続き、そして血統は連綿と続きおそらく現代にまで続いている。

夕凪島に続く風習『神舞かまい』は、二人の巫女が神の化身として島の人々の安寧のために神楽を奉納する。瀬田神社にだけに伝わるこの風習は江戸時代に現在の形が整備されたというが、古より続いてきたのに想像は難くない。私達が抱いている舞のイメージとは一線を画すこの舞は、巫女装束からしてそれは異彩を放つ、一人は上下白の装束に薄紫の千早、一人は黒い衣に赤袴、黒の千早という、ここだけでみられる物だ。神舞は終了間際に曲調が、がらりと変わり激しく舞い踊る、楽器が織りなす音色もそれまでのゆったりと穏やかな調べから、不協和音が混じった速い曲調に転じるが、しだいにその不協和音が心地よくなってくる。それを見て確信したのだ、この音や踊りで変性意識状態、所謂トランス状態に入った巫女は神と交信するのだと、双子ともなれば一糸乱れぬ動きともなろう。さらに興味深いのはこの瀬田神社のご神体は「二つの勾玉」で、一つは白、一つは朱色の勾玉が対となっている。神舞が終わった後に舞を踊った巫女さんから勾玉を象った飴を貰った。香ばしさと甘みがある鼈甲飴の味だった、神威のお裾分けということだそうだ、さらに幸運なことに私は『神舞』に使用される扇を拝観させて頂く機会に恵まれた。扇に描かれたそれは、山と海をイメージさせる線画であった。神舞に関する全てのものが一対のモノになっている。この風習こそが著者の薄っぺらい根拠の証左である。

蟹江空見子 著

本の冒頭部分、見開きのページには、

親愛なる友へ、この本を書くに至ったきっかけをくれたあなたに感謝し、あなたの探求の一助になれば幸いです。

そう記されていた。

舞がこれらの本を読んだとしてどう行動する?まずは実地調査だろうな……行って見るしかないよな…啓助は本を閉じると席を立った。


若い男の見つめる先のノートパソコンに映し出されている赤く光る点は八十八ヶ所中すでに八十七ヶ所まで増えていた。

「よくもまあ、至る所に洞窟があるものだ」

男は半ば呆れていった。背後ではまだ滝の音が聞こえている。

「どこまで続くんだ」

男は目の前に広がる闇を見つめる。

後ろに続く若い男は

「先の結界とは関係はないかもしれないですが、ここも怪しいポイントの一つではありますから…」

「しかし狭いな…」

男は頭が付きそうな天井を手で触りながら進んだ。

「二股の分かれ道か」

男はライトを照らして先を確認した。

「左の方に行ってみよう……足元を照らすから気を付けて」

二人は左の道に歩を進めた。10分ほどで広い空間に突き当たった。その中央には祠が建っている。

「着いたのか?」

男は祠に近付き、中を覗き込んだ。中には色は辛うじて分かるが白と赤の石像が安置されていた。白の石像は右手を赤の石像は左手を前に出しているように見える。石像の足元の回りには小さな石像が五体、囲うように置いてある。

「何なんだこれは……」

男は顎に手を当てて思案した。

「何か意味があるのかも……見てくださいこの石像、仏像のようじゃないですか?」

若い男は腕を組んだまま石仏をライトで照らした。祠の中の石像は背面の壁に直に掘った浮き彫りみたいだった。

「確かにな……しかし、この洞窟に掘り込まれたような石仏は一体……」

二人は祠の周りを一周して調べたが何も見つからなかった。

「どうやら、無駄足だったようだな……」

「そうでもないですよ」

若い男は祠の前にしゃがみ込み手を合わせた。

「この祠……いつ頃たてられたのですかね」

男は祠の前に行き、石仏をライトで照らした。

「どうだろう……最近作られたものにも見えなくはないか……」

「この洞窟にこんなものがあるのはおかしいです」

二人は来た道を戻り、分かれ道まで戻った。そして右の道へ歩を進んだ。明らかに人為的掘られたような穴はまた二手に分かれている。

「また分かれ道か」

男はライトで照らしながら進む。

「どちらに行きましょう?」

「右にしてみよう」

男は先に進んだ

「あれ?行き止まりですよ」

若い男は壁を見て言った。

「おかしいな……」

男はライトで壁を照らすが、石や土で出来た壁だった。

「ん?」

男は壁の一点にライトを当てた時、何かに気付いたように声を出した。

「どうしたんですか?」

「これは……」

壁の下のほうに穴が開いていた。しゃがんで穴を覗くと奥へと続いているようだ。地面には擦ったような跡があった。

「行けそうですが…」

「どうした?」

「いや、行ってみましょう」

若い男はう四つん這いになり穴を進んだ

「大丈夫か?」

男が声をかけると、若い男は

「はい」

と答えた。男は穴をライトで照らしていた。若い男はそのライトの明かりを頼りに奥へと進んだ。

「これは……」

目の前に現れたものは石でできた横穴だった。高さは2メートル程、幅も1メートルほどで人が通れるほどの幅しかない。

若い男は立ち上がり

「まだ先があるようです、来てください」

男に声をかけた。

「ここからは歩けるか」

男は顔を上げ、立ち上がった。

「この先に何かあるかもしれない」

二人は横穴を進んだ。しばらく進むと広い空間に出た。その空間には無数の穴が開いており、鍾乳石が天井に伸びていて神秘的な光景であった。

「なんだここは……」

男は驚愕した。

「鍾乳洞ですよ……無数の穴はここから地下水が湧き出ているんです」

「そうなのか……」

辺りをライトで照らすと一角にこの空間とは明らかに異質な扉があった。

「あそこを見てください」

「扉?」

二人は近寄った地面は濡れて滑りやすい

「滑るぞ気をつけよう」

男は足元をライトで照らした。

「鉄製か?」

扉は変色しているのか辺りの岩と同様の色で、触るとひんやりと冷たい。

「いや、分かりません」

「ドアノブがないな…」

「どうするんです?」

「まあ、見てな……」

男は扉の下部を足で蹴った。しかし扉はビクともしない。

「これは無理か」

男はライトで扉を照らすが、扉には取っ手はなく鍵穴も見当たらない。ただ、扉の中央に窪みがあった。

「ここに何かをはめるのか?」

男は窪みにライトを当てて覗き込む。

窪みの周りには紋様が施されている。

「お手上げか…」

男は呟いた。

若い男の方は扉を離れ周囲を調べ始めた。

「階段があります」

若い男の声に、

「今度は階段か」

男は近寄ってきた。

階段は下へと伸びている。

「行ってみよう」

男は降りて行った。若い男は後に続きながら

「先客がいるかもしれません」

小声で言った。前を行く男は振り返り

「どういう事だ」

「この階段に足跡があります、行き返り両方ですが…それと先ほどの穴に擦ったような跡がありました」

男は足元を照らして

「俺たち以外にも、いるってことか?」

「ええ」

「とりあえず先に行こう」

階段を下りた先には石室のような空間になっていた、壁やニ本ある柱には見たこともない模様が施されている、ライトを四方に当てて見ると床や天井にも模様があった。そして奥の壁には扉と思しきものが壁と一体になって固く閉ざされていた。

「ここに何かが隠されているのか?」

男は恐る恐る扉に触れる……その扉はまるで冷気を帯びたようにひんやりとしている。押してみるが、びくともしない……扉には奇妙な文様が刻まれていた。

「とりあえず、この部屋を調べてみましょう……」

若い男はライトを照らしながら壁や天井、床を見て回る。柱の模様がそれ違うのと奥の扉の模様も周囲とは違うというのは分かった。

「何もないな」

男は言った。

「そうみたいですね……」

若い男は答えると扉を調べた。鍾乳洞の空間にあったものと似ているが紋様が刻まれているだけで窪みすらない。

「開かないか……」

若い男は呟く。

「どうする?」

男は聞いた。若い男は少し考えた後、口を開く。

「もう一度さっきの洞窟に戻りましょう」

男は頷いた。二人は鍾乳洞の空間に戻った……ここの扉も固く閉ざされたままだった。

「やはり開かないか」

「どうします?」

若い男は男に聞く。男は少し考えてから答えた。

「他の道も調べてみよう……何か分かるかもしれない」

二人は来た道を戻り、分かれ道で調べていない道を進んだが、その先は行き止まりだった……仕方なく二人は入口へと戻った。

洞窟を出て滝の近くの岩場を慎重に歩き一息できる空間に出ると、二人は岩場に腰を下ろし水分を摂った。月明かりのお陰で互いの顔は見える。その顔には疲労感が滲み出ていた。

汗をタオルで拭うと男は問いかけた。

「ここは、後回しにしてもいいんじゃないか」

「ええ、現段階では……ただ、私たち以外にも秘密を探っている輩がいるのは気になります」

「確かに……」

「昨日の神社の紋様…、先にあの謎を解きましょう」

「そうだな」

二人の男は立ち上がり森の中に消えていった。


夜半から風が強くなってきた。それが雨戸に当たるたびにガタガタと音を立てる。

龍応は居間で電話をかけていた。

「そうですか…引き続きよろしく願います」

電話を切って一息つくと、また電話をかけた、

「こんばんは龍応です」

相手は香の母親の幸だ。幸は香に代々の血統について話をすると言っていた。その確認のためだ。

「香ちゃんに話は…」

「なるほど…」

「まぁ、用心に越したことはないから」

「では、おやすみなさい」

大きく深呼吸して台所に向かいお茶を飲んだ。ふと頭にあの男の顔が浮かんだ。彼はどうしているだろう?島を探し回っているのだろうか?

もしかしたらと思い、昨日、幸に頼んで彼の妹を見てもらったが、

「気配がない」

との解答だった。幸曰く、生きてるとも死んでるとも言い難い。ただ死んでいたら無、生きていれば有、はっきり分かるのだそうだ。このようなことは初めてだが、自分の力自体が弱くなっているのも理由かもしれないと付け加えていた。

ガタガタガタッ、吹き付ける風が雨戸を叩く

今日も風が強いな…龍応は居間へ戻りパソコンの前に座った。

一つの記事が写真と共に映し出されていた。

挿絵(By みてみん)

「楽園か…」

島をそう呼ぶ人は多い。

気候が温暖なことや豊かな自然、温厚な島の人々。まさか、彼女は核心に近い事に気付いた…そうしたら尚更、結界に迷い込んだ可能性は高いかもしれない……仮に気付いたとしても、どうやって?確かに伝承では神隠しに近いことが昔はあったようだが…そう言えば彼女がここを訪れた時も兄と同じようなことを言っていた。「エネルギーがありますね」

元々はここに訪れる予定は入れていなかったとも話していた。フェリーから見えた山の上にお堂があるのが気になって来てみたらしい、そして帰り際、

「来て正解でした、ご住職や景色や仏様にお会いできたんで」

そう笑顔で話しお辞儀をして去って行った。龍応は無事を、ただ無事を祈った。記事を閉じようとして写真をクリックしてしまった。

「あぁ」

写真が表示されている。護摩堂から自撮りして撮ったものだ。少し上から見下ろすような角度で彼女自身も少しだけ上を向いている。下の方の境内も納められていた…

「ん?」

山門の方へ続く階段をこちらを振り返っている人物が小さく写っていた。

拡大すると画像が荒くなったが格好から男であることは分かった。顔の部分が白く光っているようにも見えた。眼鏡…か…

龍応は思う所があって、机の引き出しから日記帳を取り出しページをめくる。

7月8日土曜日 本日も晴天なり。

・川島さんと山本さん、早朝より境内の掃除に来られ、野菜や花を下さる。感謝。

・9時、兼ねてより約束の観光取材あり、東京より雑誌社の方来られる。

・国産み神話の研究をされている学生さん来られる。島の歴史にも興味を持たれた様子。郷土史家を紹介して欲しいと言われ三名教える。

 護摩堂からの景色に大変喜ばれる。熱心な学生さんに加護あらん。

・午後、三枝さん再訪される。以前寺に来られた後に夢を見て、それを絵に描き持参され寄進される。見事な龍の絵。有り難い。

・地元中学生の歩き遍路グループ10人。龍水の洞窟や寺の造りに興奮している。子供たちが関心を持ってくれるのは嬉しい限り。

もう一度、パソコンの画面の写真を見る。

「もしかして…」

龍応はデスクの名刺の収納ケースを手に取りそれを探した。

「この人か…」

フリーライター

福田 信介

080-☓☓☓☓-☓☓☓☓

記載されている電話番号に掛けてみる。

「お客様のお掛けになた電話番号は…」

木々の揺れる音がして、また雨戸に風が打ち付けていた。


*紀行*洞雲山・碁石山

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

写真は小豆島の山岳霊場の、洞雲山の夏至観音と、碁石山の波切不動明王です。

作中でも話に出て来た洞雲山の夏至観音は夏至を挟んだ約50日間、午後3時頃のわずか数分。晴天の日のみだけ見ることが出来るそうです。

実際目にした時はじわじわとお姿が浮かび上がり、全貌が見れた時には「おー」と歓声が沸き上がりました。

碁石山の波切不動明王は断崖の縁にお祀りされていて、その背後はまさに奈落の底。ただお分り頂けると思いますが、ここからの眺望も一見の価値あるものです。


お読みくださりありがとうございます。初作品ですのでゆるーくお付き合い下さったら幸いです。

何気に訪れた小豆島で作者自身が感じた事をベースに、こんなことがあったら面白いなとの発想の元、作品を執筆いたしました。

これを機にすでに小豆島を知っている方でも、知らない方でも訪れるきっかけになれば幸いの極みです。

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