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第八話 ただの風景 または猫たちの戯れ・3

 アジトに麗子さんがいなかったのでぼくは絶望したが、世界を諦めてしまうのはまだ早すぎる。なんと言っても解決に至っていないのは単に人がいないからなのだから。

 しかし、このままアジトにいればいずれ麗子さんが来るかもしれないとは思ったが、やがてぼくは外に出て行こうと決意した。これは、あまり考えたくないことではあるものの、もし鬼哭アルカロイドに遭遇したら解決の糸口が見つかるかもしれないと思ったのだ。虎穴に入らずんば虎子を得ずという格言に従いぼくは気を引き締めて外へと出ていく。もちろん不安はあった。今ぼくは霊力を操作することができないし、葉っぱを持っていないので武法具を装備することもできない。だから襲われたら一巻の終わりかもしれないという不安はあった。しかし、だからこそそれならそれで救いの手がやってくるはずだと思ったのだ。鬼哭アルカロイド関連で異常事態が発生したなら陰陽連の面々が必ずやってくる——例えばそこにはイリスの銃弾や殊袮のヨーヨーがやってくるはずだ。あるいはそうすることでしか事態は解決できないのかもしれない。そう思い、ぼくはとりあえず街へと出ていく。出現するときにどこかに出現する気まぐれな鬼哭アルカロイドだが、できるだけ通い慣れた道の広範囲を歩いた方がいいと思ったのだ。

 外を出て道を歩いていく。すれ違う人々は誰もぼくに気づかない。わかっていることではあるが少し寂しい——とまで考えたところで、ふとぼくは気づく。

 そもそもすれ違う人々は普段誰もぼくに反応しないのが日常だ。

 だから寂しいと思うのか不自然だ。

 人生を豊かに生きていくコツは世の中の人々は誰も自分のことなど気にしていないと意識することだという話を聞いたことがあるがそれはまさにその通りだと思う。今この現象が発生していようがいまいが、通行人たちはぼくのことをそれこそ認識すらしていないのではないかというぐらいにただただすれ違っていくだけだ。もちろん中にはぼくをどこか物珍しそうに観察したりする人もいるが、それはそういう人もいるというだけで大多数の人々は友達でもなんでもないぼくのことなどいちいち意識していない。それは今であろうがなかろうが。

 街に出て、ふとぼくはコンビニの壁に寄りかかった。これもいつものことだがすり抜ける割には今は触れられている。考えてみればそもそも地面を歩くということ自体ができているのも謎といえば謎だ。まあ「次元を超越しているから」なのだが。

 コンビニに出入りする人々。道行く人々。

 世の中には色々な人がいる。

 いつも思うことだが、改めてその視点で見ると、本当に色々な人がいるなぁと思う。老若男女に、スーツを着ているサラリーマン、作業着を着ている人、私服の人ももちろんいる。みんなこんな時間に何をしているのだろう。そろそろブランチの時間だ。そういえばぼくは何も食べていないがお腹が空いていないな。これは対鬼哭アルカロイドとは異なる現象だ。これもレッドさんに聞いてみなければ。とにかくまだ朝なのにみんな外を出歩いている。みんな、何か目的のもと道を歩いているのだろう。どこかへ向かっている最中なのかもしれない。あるいはただただ歩いているだけなのかもしれない。あるいは何の目的もなくただ歩くということをしているだけなのかもしれない。それでもみんな何かをしている。何かをしているから道を歩いている。そういうことだ。

 ぼんやりと道行く人々を見ている。その中に鬼哭アルカロイドが出現することはない。いつも面倒だと思う一方でストレス解消の対象ではあるものの、しかしいなきゃいないでそれに越したことはないと思う鬼哭アルカロイドだが、今はその出現を待ち侘びていた。そうしたらきっとイリスの銃弾が飛んできてくれるはずなのに——と、そこでぼくはふと思った。

 鬼哭アルカロイドと対峙しているとき、世の中の人々は、我々に気づかない。

 今、道行く人々は、ぼくに気づかない。

 そもそもいつも、気づかない。

 ——ということは、鬼哭アルカロイドは、ぼくらに気づいているのだろうか。

 何だか考えるのが面白くなったのでぼくはそのまま考えてみる。鬼哭アルカロイドに武法具を振り下ろすと彼らは光を放って消えていく。だからぼくは自分たちが鬼哭アルカロイドの存在に関わっていると思っていた。だが、もしかしたら彼らからすれば()()()()()()()なのかもしれない。たまにどこかに出てきてなんとなく散歩しているとどこからか変な奴らがやってきて我々に接触してこようとしているなぁ、いつもこうだなぁ、だから接触が厄介になったらどっか行っちゃおう……とか、そんな風に考えている可能性はゼロではない。もちろん可能性の話はキリのない話なのだが、だが対鬼哭アルカロイド戦は結局のところ我々に何をもたらしているのだろう。

 光里さんは相生と言っていて、イリスは滅却と言っていて、殊袮は分析の対象として扱っていて、忠義さんはそれこそ救世主扱いだ。鬼哭アルカロイドが何なのかは人それぞれ受け止め方が違う。元々の性格もあれどそれぞれ物心ついた頃からの関わり方が違うという事だが、だが当の鬼哭アルカロイドたちからすればそんなことなどどうでもよく淡々と日常を過ごしているだけなのかもしれない。例えば今、視界に猫がいるが、この猫に対してだって存在の目的を考えればキリがない。猫を害だと思う人もいれば猫を癒しの対象だと思っている人もいる。だが猫は猫だ。自分に餌をくれる人に近寄り、自分を攻撃してくる相手からは逃亡する。それはぼくたち人間だって同じことだ。それなら鬼哭アルカロイドもそうなのかもしれない。そしてそれが敵認識のイリスであっても味方認識の忠義さんであっても、彼らからすればみんな同じようなことをしていると考えている可能性はゼロではない。あるいは陰陽連の活動は彼らにとって“嫌なこと”ではないのかもしれない。それこそ猫が餌を求めるようなもので、彼らにとってはぼくらは“餌”なのかもしれない……。

 ぼくにとって鬼哭アルカロイドは、“何だかよくわからないもの”でしかないのだが、実際のところは、鬼哭アルカロイドにしかわからないのであろう。

 そんなこんなでぼんやりと鬼哭アルカロイドのことを考えてみたが、しかし奴らが出現することはなかった。全く、出現してほしいときに限って出現しないんだから、などと思うと、ぼくは何だかおかしかった。それってテレビでしつこいぐらいに流れているCMがなかなか観られないいつもの風景と同じだな、なんて風に思って。

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