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ホントは~ これがプロローグなんですよね

 私が6歳の頃の話である。


 季節は初夏を迎えたばかり。


 雲一つ無い濃い水色の空と、地面に真っ黒な影を落とす強い日差しが印象的だった、ある日のこと。

 父と母と私の3人は、東京都青梅市にある武蔵御嶽山に登った。


 当時、たいへん仲の良かった私たち家族は、父の趣味に多少強引に付き合わされる形ではあったが、土日を利用してのアウトドアアクティビティへ、かなり頻繁に出掛けていた記憶がある。

 私が生まれる前には夫婦2人で多少険しい山登りもしていたらしいが、幼い一人娘を参加させるようになってから、父は家族で出かける際には険しい山歩きなど無理と割り切って、トレッキングではなくハイキングという程度の、家族で楽しめる山散歩コースを選ぶようになっていた。


 だから、この日の御嶽山も父が私を楽しませるために選んだ軽めのレジャーである。


 いつもと異なるのは現地までの移動は自家用車が殆どだった我が家の旅行では、滅多に無い公共交通機関利用だったことぐらいである。

 但し、大抵の子どもは乗り物が大好きなもので、私も(女の子にしては珍しいと言われたこともあるが)例外では無かった。

 電車やバス、そしてケーブルカーに乗れるのが嬉し過ぎて、この日は朝からワクワクしっぱなし、特別なお出掛けと大喜びしていた。

 青梅線の赤い電車で都下の長閑な風景を過ぎ、都心では見慣れないオレンジ色のバスに揺られ、到着した先で急な山腹を斜めになって進む御嶽登山鉄道のケーブルカーを観た時はテンションも最高潮、その珍しさに燥ぎまくっていたことを憶えている。

 そして、進行方向最前列の席に陣取って、窓ガラスに張り付き、興奮のあまり小さな歓声を漏らしながら乗ったケーブルカーが着いた先では、キラキラと輝く木漏れ日を浴びながら、父と母に手をとられ息を切らしながら長い石段を登った。

 山頂にある神社にお参りをした後で、広々と開けた草の原に移動し、レジャーシートを広げてお弁当を食べた。

 母が作ってくれた明太子入りの卵焼きと赤いタコさんウィンナー、醤油に浸した焼き海苔で握った特性のおにぎりがとても美味しかった。


 そんな感じで、この日は私たち家族にとって最高の想い出作りになるはずの日だった。


 さて、食後の一休みを終えた後、皆で後片付けをしてから、父と母のどちらかが提案し、私の賛成を得て、近くにある滝を見に行こうということになったのだが、どういうわけか、そこから先の記憶が曖昧になっており、途切れ途切れになってしまっている。


 とりあえず、憶えていることを順に記す。


 私は、いつの間にか真っ白な霧に包まれた山の中で一人きりになっていた。

 そして、突然、霧の中から現れたとても怖い姿をした動物に襲われたらしい。

 “らしい” というのは、襲われた際の記憶が失われているからであり、次に繋がる記憶の中で、私はザアザアと音を立てて流れる渓流の岸に引っ掛かってずぶ濡れになり、瀕死の状態で仰向けに倒れていたのである。

 信じ難いことだが、親子3人してほんの少しの散歩程度に足を延ばしただけのはずなのに、私が霧に閉じ込められていた場所は子どもの足では到底踏み込めないほどの深い山の奥だった。

 はぐれて直ぐに気付いて大声で助けを求めたのだが、その声は父や母には届かず、他に応えてくれる人は誰もいなかった。

 ところで、私を襲った動物についてだが、身動きできずに横たわる瀕死の私に止めをさそうとして近付いてきた時に、霧のフィルター越しでボンヤリとはしていたが、その大まかな姿は捉えている。

 鹿に似た角を生やし、背丈が大人ほどもある首の長い四つ足の動物だったが、鰐のように大きく裂けた口には上下にはみ出すほどに大きく鋭い犬歯が生えていて、そいつが決して鹿のように穏やかな動物ではないということが子ども心にも分かるほどに凶暴そうな姿をしていた。


 そいつは正しく怪物、モンスターとでもいうべき奇怪な動物だった。


 どうやら、私はそいつに崖から突き落とされ渓流に流されたらしい。

 全身を岩に叩きつけられていただろうし、水も沢山飲んだだろう。

 即死しなかったのが不思議なほどである。

 

 (ああ、私、殺される・・・ )


 朦朧とした意識の中で、怪物が私に向ける強い殺意を感じていた。

 言うまでも無いことだが、僅か6歳の子どもに死を覚悟などできるわけがない。

 思わず助けを呼ぼうと口を開いた。

 だが、声の代わりに胸の奥から生臭くて金臭い味の液体が込み上げてきて、息ができずにゴボゴボと咳き込んでしまった。

 おそらく、胸が潰れていて血を吐いてしまったのだろう。

 だから、どんなに頑張っても開いた口からは出てくるのはヒュヒュッと気の抜ける音だけで、声は全く出せそうになかった。

 だが、声にはならなくても、


 (死にたくないよ! 死ぬのは嫌! )


 そう心の中で叫び、悲鳴をあげ続けていた。

 氷のように冷たい水の中に浸っていたせいか身体は麻痺してしまっていたようで、瀕死の重傷を負っていたはずなのに痛みの記憶は無い。

 だが、手も足も動かせず、意識が徐々に遠退いていくのは分かった。

 そして、意識が完全に途絶えた時、自分に死が訪れるであろうことも分かっていた。

 だから、意識を繋ぎ留めなければならないと心の中で叫び続け、必死に抵抗し続けたのである。


 (死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! 死にたくない! )


 それが無駄な足掻きであると分かってはいても止められなかった。

 止められるはずがなかった。


 『なんじゃこれは? 洒落にならんことしやがって! 』


 唐突に人? の声がした。

 怪物のボンヤリとした姿が目前に迫り、遂に私が力尽きて気を失ってしまう、目の前が真っ暗になろうとする、その直前のことである。

 目には見えなかったが、確かに人らしきモノの声を聴いた。

 それは若い男の人の声だったと思う。


 そして、記憶はここで再び途切れた。


 その次に憶えているのは、私が死なずに済んだということ。

 どうやら気を失う直前に聴いた声の主が、私を助けてくれたらしい。


 『これを持っとけ。そうすれば、こんな怪我なんか直ぐに治るわ。』


 一時的に意識を取り戻した僅かの間の記憶だが、声の主が小さな石のようなモノを私の上着の胸ポケットに入れたことを憶えている。

 私は命を救ってくれた恩人の顔を見ようとしたのだが、この時には目が霞んでしまっており視界には白い靄以外に何も捉えられなかった。

 もちろん口も利けなかったので、私を襲った怪物がどうなったのか、声の主に問うこともできなかった。

 もしかしたら、その後で見たり問うたりしたのかも知れないが、記憶が途切れてしまっているので分からない。


 この後に続く記憶だが、かなり大きく飛んでしまう。


 その間に何があったか全く覚えていない。

 気付いた時には、私はビジターセンターのような建物の中にいて、周囲を大勢の大人に取り囲まれ、


 「何処にいってたのっ! この子はもう! すごく心配したんだからっ! 」


 「良かった! ホントに良かった! 良かったぁ・・・ 」


 泣きながら私を抱きしめる母と、弱々しい言葉を吐きながら床に手を突いてへたり込んだ父の姿が目の前にあった。

 これは後になって聞いた話だが、私は山散歩の途中で父や母とはぐれてしまい、およそ昼過ぎから夕方までの半日間、行方不明になっていたらしい。

 発見されたのは山頂にある神社の境内裏手。

 発見時の私は激しく疲労していたようで、着ている物の所々が破れ、泥や埃で汚れたボロボロの姿で気を失っていたとのこと。

 迷子になって半日、一人で山の中を歩き回っていたのだろうから当然のことと大人たちは見ていたが、それは確かにそのとおりである。

 但し、奇妙なことに私の身体には外傷などは一切無かったという。

 掠り傷一つついていなかったと聞いた。

 怪物に襲われて瀕死の重傷を負っていたはずなのに、そんな形跡は身体の何処にも残っていなかった。

 しかも、当日の御嶽山に霧は発生していなかったとも聞いている。


 (あれは夢だったのかな? )


 そう考えたこともあった。

 6歳の子どもが、山の中を一人で歩き回っているうちに、恐怖と不安による幻覚を見たのかもしれない。

 そういうこともあるだろうと、無理矢理なら納得することもできた。


 (でも、そうじゃないんだわ。)


 死にかけた私を助けてくれた声の主に渡されたモノ。

 陽に翳せば光を反射して白くキラキラと輝く、勾玉に似た形をした小さな綺麗な石。

 それは今も私の手元にある。


 (たぶん、私はこの石の力で命を取り留めたんだよね。)


 そんな不思議な話が、なんとなく信じられていた。

 だから、お守りとして大事に持ち歩いている。

 常に身に付けるようにしているが、そうすべきだと、そうしなければならないと、私の心の内にある本能? みたいなモノが、そう教えてくれていた。

 だが、その理由はさっぱり分からない。


 あれは、10年以上も昔の記憶。


 忘れようの無い出来事だったが、記憶の殆どは既に鮮明ではなくなってしまっている。

 今も私の心の中で鮮明に残っているのは、再会した時の父と母の姿。

 私が行方不明になっていた半日の間、険しく足場の悪い山の中を駆けまわり、必死に探してくれていたに違いない。

 父も母も薄汚れていて疲労困憊状態であり、立っているのもやっとの様子だったが、それでも私を抱きしめる腕の力は強く温かだった。

 私を包む2人の心の底から溢れ出す愛情が身に染みてきて、思わず一緒に泣きじゃくってしまっていた。

 10年前のあの時、私の傍には父がいて、母がいて、3人で心を通わせた家族の想い出があった。


 その翌年のこと、私が小学1年生だった年の暮れ。


 会社の同僚と2人で雪山登山に出掛けた父は二度と帰ってこなかった。

 正月には家族3人で富士山の御来光を見に行こうと約束していたのに、その約束は果たされなかった。

 生還した同僚の話によると、視界不良の悪天候の中、登頂を諦めて下山する途中で道を誤り、父はクレバスに転落してしまったとのことだった。

 発見された父の遺体とは対面していない。

 母は動揺し泣き崩れながらも、私には絶対に見せたくないと言っていたので、父の遺体は余程ひどい有様だったのだろう。

 私には母の思いを押し退けての無理強いなどできるはずも無かったし、変わり果てた父の姿を見る勇気も無かった。

 そして、父が亡くなってから私たちは、山はもちろん自然が豊かな場所に出掛けることは一切無くなってしまった。

 そして、母は女手一つで私を育てるため、人が変わってしまった。

 結婚する前まで勤めていたソフトウェア会社に再就職し、レジャーとは無縁な仕事一辺倒の生活を送るようになった。

 少しでも高い収入を得ようとして残業を繰り返したため、寝不足と不規則な食生活が積み重なり、常に顔色は最悪で、笑顔は失われ、元は明るかった性格も苛々しがちで怒りっぽいものに変わった。

 その間、私が思春期の真っ最中だったということもあって、そんな母とは感情的にぶつかることも多く、いつしか互いに距離を取るようになって会話も少なくなっていた。


 そんな母が先日亡くなった。


 高校2年生の夏休みが始まって間もない7月の末。

 母の勤め先の会社から連絡を受けて直ぐ、夏期講習を途中で切り上げて病院に駆けつけたが間に合わず、その死を看取ってあげれなかった。

 死因は心不全とのことだったが、働き過ぎによる過労死であることは明らかだった。

 葬儀は母の勤めていた会社の同僚たちが取り仕切ってくれたので、お通夜から葬儀まで私は殆ど何もせずに終わった。

 あまりにも突然のことだったので、私は何をして良いのかも分からず、葬儀の最中には茫然としたまま置物のように座り、参列者から掛けられる同情の言葉の殆どを聞き流していた。

 そう言えば、高校のクラス担任や同級生、葬儀の参列者たちが口を揃えて心配していたのは私の今後の生活と就学の継続についてだった。

 だが、これについて私は全く心配していない。

 母が私宛に相当額の貯蓄を残してくれていることを知っていたからだった。

 加えて死亡保険、会社からの退職金や見舞金も出るとのことなので、アルバイトと奨学金を合わせたら高校に通うのも、卒業後に大学進学するとしても、経済的に不自由な思いはせずに済むだろう。

 この点については、母に心の底から感謝しなければならない。

 母が仕事一辺倒の人間になり、身体を壊し、心を荒ませながらも働き続けたのは、全てが私に経済的な不自由をさせたくない一心からだったということは生前より知っていた。

 そういう愛情の形もあるのだということを十分に理解していた。


 同じ屋根の下に住みながら疎遠になり、口を開けば反発する歪な母子関係ではあったが、私たちは間違いなく母と子であったのだ。

 父と母と私と三人で暮らしていた頃からずっと、変わらない太く強い親子の絆があったのである。


 さて、ここまでが私の生い立ちに絡んだ話である。

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