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やっぱり! 最悪じゃん!

 走り出した車内で私は無言。


 以前に相良先生の車で高校の送り迎えをしてもらっていた時は、そこそこ会話も弾んでいたのに、今は何も話すことができなかった。


 1カ月半以上も風呂に入っていないと言うだけあって、車内に充満した相良先生の体臭はかなり酷く、さりげなく鼻を押さえて口は閉じていたせいでもある。


 (男の人の体臭って、放っておいたらこんなに獣臭くなるもんなの? )


 だが、一番は会話のネタが見つからないのである。

 聞きたいことは沢山あるのに・・・

 まずは、ここ1カ月半の相良先生が、どうしていたのかが知りたかった。

 だが、それを私から聞くのはいけないことのような気がしていた。


 (聞いたら、何かが壊れそう。)


 本人が話すならば聞くが、私から切り出せない。

 切り出すのは止めた方が良いと、何故かそんな気がしていた。


 (なんだろう? これは警告? )


 嫌なことを思い出させたら申し訳ないという気遣いが半分、残りの半分は私の本能が何ごとかを察知し、心と口にブレーキを掛けていた。

 

 (でも、このまま行き先も知らないままじゃ拙くない? )


 せめて、そのぐらいはと思い、一つ深呼吸をした後で口を開きかけたら、


 「ホント、今日はゴメンな。まさか、あんなとこで神月に出会うとか思わなかったんで、反射的に声を掛けちゃったんだわ。」


 相良先生が前を向いたまま済まなそうに苦笑いした。

 ボサボサ頭と髭が邪魔だが、その横顔は見知った優しいクラス担任のモノである。


 「いえ、私なんかで力になれるなら。」


 そう応えてから、私は再び口を閉じた。

 行き先を聞くつもりだったが、勢いがリセットされてしまった。


 (参ったなぁ。)


 相良先生を相手にして、これほど余所余所しく緊張しながら話すことなんて初めてだった。


 (しょうがないよね。警戒心は、そう簡単に消えないし。)


 もう一度、深呼吸からやり直そうと思いながら、インターバルを取るために一旦窓の外の風景に目を反らした。

 窓の外には夜の京葉道路沿いの風景が流れている。

 辺りは繁華街ではないので、助手席側の窓から見えるのはコンビニやビルの窓の灯り、それと行き過ぎる街路灯ぐらいで、その他は殆ど真っ暗だった。

 よって、外を眺めるというよりは必然的に窓ガラスに映った自分の顔を眺める時間の方が多くなってしまう。

 今も、目の前には私の顔があった。

 半分閉じかけた眠そうな目をして、左手の人差し指で鼻の下を押さえ、ポニーテールからはみ出した乱れ毛が好き勝手な方向に跳ねていて、全体的に疲れた顔をしているが、


 (そんなん、どうでも良いからっ! )


 窓に映った私の顔は血塗れだった。

 既に乾いてカサカサになりつつあるが、頬や額にかけて “あじさい” のオジサン、オバサンの首に頬ずりした時に付いたであろう血が赤黒く残っていた。

 良く見てみると顔だけじゃない。

 マフラーやコートの襟、袖にもべっとりと血が付いている。


 (これって、尋常な格好じゃないよ! )


 たった今、何処かで人殺ししてきたばかりの犯人にしか見えない。


 (私の格好、殺人鬼、100歩譲って不審者でしょ! )


 どうして相良先生は、これについて言及しない?

 私に事情を聞こうとしない?

 自分の事情だけ話して私を車に乗せた?

 この有様に気付かなかったわけがないのに?


 例え見掛けがボロボロな車でも、内装に血が付くのは生理的に嫌なはず。

 しかも、それが殺人事件の被害者の血だったなら、巻き込まれて面倒なことになるかもしれないというのに?


 (そう言えば、この車、外見がボロボロなのに、内装はキレイだよね。)


 助手席のダッシュボードも、運転席周りも全然汚れていない。

 それに、かなりのスピードが出ているし、モーター音も静かである。

 バケモノに襲われて車ごと捕まってしまったというなら、外観がボロボロになっているのは当然のことだと思うが、その際にモーターやインテリアは傷一つ無く無事で済んでいたということなのか?

 凸凹にされ、泥を被ったみたいに汚れる程の目に会ってるのに、そんなことってあり得るのか?

 それに、電気自動車(EV)を捕まってた間の1カ月半も放置しておいたなら、バッテリーが持たなそうな気もするが、それはどうなのだろう?

 以前、私を誘拐した小鬼は車を運転していたけど、この車、小鬼が定期的にモーターを回し充電していたってことなのだろうか?

 どう見たって、逃げ出した後に一旦自宅へ戻って車を取ってきましたなんてわけじゃなさそう。

 監禁場所から脱出する際に運よく自分の車を見つけて、それに乗って逃げたって感じに違いないのだが、


 (それにしては・・・ )


 目に見える物理的な状況が、ちぐはぐな気がする。

 そんなことを考えてるうちに、さらに新たな矛盾を見つけてしまった。


 (この車、あの事件の当日も乗ってたよ! )


 高校までの送り迎えをしてもらっていた、何度も座っている助手席。

 外がボロボロでも中はキレイなので、同じ車だというのが見た目でハッキリと分かった。

 例えば、助手席のシートベルトにはバックルに引っかき傷がある。

 例えば、ダッシュボードの取っ手の左側にはシールを剥がした跡がある。

 例えば、例えば、例えば・・・!

 相良先生と車が一緒に拉致されてたなら、あの日私が乗った車は別の車、同じ車じゃないはず!

 全く同じ車種でナンバーをカムフラージュしたって、毎日乗ってたらシートの固さやベルトの手触りで同じ車かどうかぐらいは分かる。


 だから、ハッキリと言える。


 (これ、同じ車だよ! 1カ月半前に拉致されてたなんて嘘だ! )


 私が矛盾を拾いながら辿り着いたのは一つの可能性である。

 あくまで推測であり、決して結論に辿り着いたわけではなかったのだが、


 「あれれ、何か気付いちゃったかな? 」


 助手席に座る私の態度が変化したのを敏感に感じ取ったらしい相良先生は、前を向いたままで眉間に皴を寄せながら口を尖らした。


 「目的地に着くまでは何も気づかずに大人しくしてて欲しかったんだけどねぇ。待ち構えている僕の愛弟子が、キミが絶望する顔を見たいって言うから、ついでにサービスしてあげようと思ったんだけどさ。ちょっと、無理があったねぇ。はっはっはーっ! 」


 その口調、いつもの相良先生ではなかった。

 粘着質で嫌らしさを剥き出しにした、話す相手に嫌悪感を抱かせるような、


 (あの時の洲崎と一緒! )


 つまり、私はまんまと罠に嵌ったわけだ。


 やはり、思っていたとおりに相良先生は敵だった。

 誰に指摘されたわけでもないが、ずっと相良先生が荒川河川敷での事件の犯人なんだと思っていて、その考えが正しいと確信していたはずなのに、どうして私は騙されてしまったのか?

 それも、馬鹿々々しくなるぐらい簡単に。


 「キミを動揺させたら、罠に嵌めるのは簡単だろうと思ったんだけど、正解だったねぇ。」


 私を動揺させる? 罠に嵌めるために動揺させた?

 それって、“あじさい” の惨劇を見た後の私のこと?

 確かに、私は相良先生の車に乗るまでは、悲しみと怒りと後悔や憎しみで心が乱れまくり、正気を保っていられず、物事の状況を冷静に判断する力を失ってしまっていた。

 もしかして、相良先生、いや相良は私がそうなることを狙ったというのか?


 「私を動揺させるため? そんなことのために? オジサン、オバサン、仁太くんを殺したの? 」


 「ピンポン! そういうこと! 大成功だったみたいだねぇ! 最近、人間をいたぶるのは部下に任せっきりだったし、自分で手を下すのは久々だったから上手くできるか心配だったけど、けっこうイイ感じに心揺さぶるビジュアルになってたでしょう。キミに喜んでもらおうと張り切ったんだよ~! もちろん、私も楽しかったよぉ~ 目を潰して、耳を削いで、舌を抜いて、じっくり時間を掛けて少しづつ切り刻んであげたら、彼らは泣いて喜んでたねぇ~! あっはっはーっ! 」


 ハンドルを叩きながら楽しそうに笑う相良の声を聴いて眩暈を覚えた。

 立ち眩みした時のように視界が薄暗くなりチカチカと白い星が飛んだ。


 「あっ、あ、あ・・・」


 相良の、あまりにも理不尽な暴虐に対して、私の口から言葉は出てこなかった。

 両手で顔を覆い、喉が裂けんばかりに慟哭するしかなかった。


 「いいねぇ! そそるねぇ! 沢山、泣きたまえ。そんなキミはホントに良い女だよ。洲崎なんかにゃ勿体ない。実はねぇ、キミを犯してやりたいって思うことが度々あったんだよ。個人面談なんかしてる時には制服を剝ぎ取ってむしゃぶりつきたい衝動を抑えるの、けっこうたいへんだったんだ。でも、教師が生徒に手を出しちゃだめでしょ~ 我慢したんだよ~ 分って欲しいなぁ~ 」


 苦しむ私を見て、相良は心底嬉しそうだった。

 私を動揺させるためだけに一家を皆殺しにしたこと、楽しそうに自慢げに語っている。


 「・・・許せない! 」


 「ほぅ? 」


 思わず口にした呟きが、相良に聴こえたらしい。


 「許せないって、どうするつもりなんだい? 」


 相良は前を向いたまま、不思議そうな顔をして首を傾げた。

 完全に私を舐めてきっている。

 洲崎から聞いていれば、私が常人と同じではないことを知っているだろうが、所詮はたかが小娘とでも思っているのだろうか?

 怒りに駆られた私が、どれほどの力を発揮するのか、この男に教えてやりたい。


 (運転中だろうが何だろうが知ったことか! )


 とんでもなく暴力的な衝動に駆られた私が、運転席の相良に襲い掛かろうとする一瞬手前!


 (え? )


 私の目の前に鋭い爪があった。

 浅黒い指の先で猛禽類のように鋭く弧を描いた分厚い爪が5本並んで、私の鼻先スレスレに停止していた。


 「キミの綺麗な顔を傷つけるのは嫌なんだよ。できれば、そんなことはさせないでくれよ~ 」


 全身に冷や汗が噴き出すのが分かった。

 爪先から発せられる圧倒的な力のオーラが、私を圧倒し、全身を硬直させしまったのだ。


 (こいつ! 尋常なバケモノじゃないっ! )


 私が怒りに任せてリミッターを解除して戦ったとしても、こいつには絶対に勝てないと本能が教えてくれた。

 戦うための実力差は歴然、ライオンと飼いネコを比較するようなモノだと思った。


 「でも、まあキミは人なんか殺せないだろう? 生き物を殺すなんてできないだろう? 洲崎とのやり取りを見てて、僕は確信したね。神月は優しくて良い娘だってね。僕はそんな神月が凌辱されて絶望する姿が見たくてたまらないよ。」


 相良は私が発しかけた戦闘意欲を一瞬で奪ってから、鋭い爪を剥き出しにしたままの左手をハンドルに戻さず、バックミラーを指差した。


 「できるだけ早く目的地に着きたいんだけど、なんか今日は邪魔が入るなぁ。昼間の犬ッコロは上手くまいてやったんだが、今度は警察かよ? 」

 

 相良がバックミラーをチラ見してから舌打ちした。


 (え? 警察がこの車を追ってきてるの? )


 ハッとしてリアウィンドウを振り向いた私の目に映ったのは、


 「汐見さん! 」


 10メートルも無い近接した車間で、追い掛けてくる車のヘッドライトが見える。

 そして、常人のモノではない私の視力は、ヘッドライトの向こう側でハンドルに齧りつくようにして身構え、必死の形相を浮かべている汐見さんの顔をハッキリと捉えていた。

 その姿を見た瞬間、思わず声が出てしまったが、これは期待や嬉しさによるモノではない。


 「お願い! 来ないで! こいつには警察じゃ、人間じゃ、勝てないから! 」


 このままじゃ、汐見さんが殺されてしまう!

 また、私の親しい大事な人が死んでしまう!


 (もうそんなのは嫌だ! )


 だが、どれだけ声を出して叫んだところで、走行中の車同士で声なんか聴こえるはずもない。

 馬鹿なことをすると言って相良が笑った。


 「汐見ってさぁ、公安の “$#‘(&” だろ? って、ああスマン、こっちの言葉ではRat、ネズミだな。大したヤツじゃないけど、煩いから殺っといたほうが良いかな。」


 相良は、横目で私の反応を確かめながら、ニヤニヤと笑っていた。

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