結局、焼肉食べながらカミングアウトしちゃいました
JR総武線錦糸町駅北口にある焼肉屋で、タン塩と下駄カルビとスーパーホルモンを焼きながら、汐見さんが持って来たタブレットで動画を見せられた。
それが、かなり厄介な動画だったのである。
なんでも、動画共有サイトにアップロードされていた先日の事件を撮影した数多くの動画の中の一本ということだったが、所有者にマスターデータを提供させ、サイトにアップされた動画については完全削除済みだという。
つまり、国家権力を以ってして、そこまで念の入った手間を掛ける必要が認められるほどの動画というわけだが、そんな重要そうなモノを、汐見さんは焼肉屋の油が飛びまくるテーブルの上に無造作に置かれたタブレットで観てみろと進める。
「嫌なことを思い出させちゃうかもしれないんで悪いんだけど、これは画面の隅々まで真剣に食い入るように見なきゃダメなんだぞ。」
そう断わっておきながら、それでも観て欲しいというからには、何か面倒臭い意図がありそうなので、油断しておかしな反応を見せたり、言っちゃいけないことを口走ったりしないよう身構えておくことにした。
そんな私の様子に気付いた汐見さんは、たぶん事件を思い出すことに抵抗を感じているのだろうと勘違いしたらしい。
「こんなモノ、飯食いながら観るもんじゃないって言われるかもしれないが、会議室みたいなとこで緊張しながら観せられるより、美味い飯でも食いながら片手間な感じで観る方がストレス少なくて良いと思うんだわ。」
そんな風にフォローしながら、どんどん食えとロースターの上に肉を乗せてた。
バックグラウンドに肉の焼ける音を聞いてたら動画に集中できないような気もするが、これは汐見さんなりの理屈というか気遣いなので、有難くいただくことにした。
ところで、事件後に私は何度かカウンセリングを受けていたが、今のところPTSDなど精神的な後遺症は見られないと診断されていた。
遅れて発症することもあるので要経過観察とされていたが、その心配が全く無いことは自覚できていた。
ギフトを得た私は、平常時でも常人を遥かに上回る身体能力を発揮できるよう強化されているわけだが、強化されていたのは肉体だけでは無かった。
思考能力や精神的なストレスへの耐性も強化されていたのである。
例えば、私が授かった能力の一端として、常人の数倍にあたる速度で思考できるというのがある。
能力としてはそれだけのことなのだが、その能力のおかげで状況分析力や判断力が大幅にアップし、ある程度の理解困難な状況や精神的に負荷の掛かる状況に直面したとしても、それを理論的に解析しようとする意思が働き、明晰化することができるようになっていた。
物事の原因が常に明晰化されるならば、ストレスが精神障害として残ることはなく、起こった事実は記憶されるが、それによる負荷は一過性のモノとなる。
つまり、私は精神的に揺さぶられ難く、ウソ発見器に掛けられても平然としていられるだろうし、大抵のハラスメント行為には冷静に対処できるメンタル強度の高い女になっていたのである。
果たして、これが人間らしい精神構造と言えるのか、私にとって喜ばしい変化と言えるのかどうかについては疑問符が付く。
困ったことに、退院後の暇潰しに昔は泣けたアニメを何本か観たが、心に響く感動の度合いが確実に薄くなっていた。
以前なら鑑賞後に1週間は引き摺ったホラー映画が全然怖くなくなっていたし、サスペンス映画にハラハラドキドキもしなくなって、しかも、プロットの撫順がやたらと目につくようになって無意識に粗探しをするようになっていた。
こういうのは、かなり寂しい。
そんな私が事件の動画を観たぐらいで、精神的なダメージを受けたりはしないということは観る前から分かっている。
もちろん、ナツキやクラスメイトを始めとする大勢が苦しんでいる姿を見たら辛くなるに決まっている。
洲崎に対する怒りが込み上げてくるだろうし、その陰にいるかもしれない相良先生のことを考えると胸が苦しくなる。
だが、それが切っ掛けになって、我を忘れたり、パニックを引き起こしたりはしないのが今の私なのである。
どんな動画が流れるのか、実のところ興味深々だった。
(でも、そういうのは内緒にしとかなきゃね。)
汐見さんには申し訳ないが、動画の中で都合の悪い情報が見つかったり、答え辛い質問を投げ掛けられた時には、一般女子のメンタリティを装って逃げに走らせていただくことにする。
(ということで、観てみますか。)
心の準備をする振りをしてみせながら、汐見さんに動画の再生を促した。
「んじゃ、気分が悪くなったら言ってくれよ。」
そう言いながら、汐見さんは再生ボタンを押した。
スタートした動画は、いきなり大勢の生徒が巨大イカの触手に追われて逃げ惑っているシーンから始まった。
(なるほど、この映像、対岸からの撮影なのね。)
私たちが閉じ込められていた荒川河川敷のグラウンドを、対岸にある荒川と中川に挟まれた中洲の堤防の上にカメラを構えて望遠レンズで捉えた映像のようである。
私が入院中に動画共有サイトで拾って観た動画の多くは、同じ岸側の左右から捉えていて、大半は大橋の上からスマホで撮影された動画だったので、距離が遠いし、撮影者と現場の間には立木やバックネット、護岸整備業者のトラックなどの障害物があったりして、観辛いモノが多かった。
(対岸からってのは、ベストアングルかも。)
撮影者と現場の間に障害物が無いだけでも映像はクリアになる。
それに加えて、この撮影者は随分と高価な機材をお持ちのようだった。
「この動画の撮影者はベテランのバードウォッチャーなんでな。」
なるほど、高価な機材や望遠レンズも、バードウォッチャーなら必需品である。
川の中州でカメラを抱えていたのも納得である。
野生の鳥を追っかけているだけあって撮影者はカメラ慣れしているらしく、撮り方も玄人っぽくて見やすく仕上がっている。
望遠レンズでの撮影なので多少のブレは生じているが、それを補って余りあるほどに画質は鮮明であり、対岸で動き回る生徒たちの様子や巨大イカの触手までがハッキリと映っている。
しかも、高解像度撮影されているので、タブレット上での拡大にも耐えられそうだった。
確かに、これほどの精度の動画ならば、資料としては一級品である。
国家権力が注目してお召し上げになったのも納得である。
(これって、かなり細部まで見えそう。)
汐見さんが、私に何を見せたいのか薄っすらと分かってきた。
嫌な予感がする。
「注目すべきは、画面の左端だな。」
思ったとおりである。
汐見さんが指差したのは、私たちのクラスが集まっていた辺り。
「ちょっと拡大するわ。」
と、汐見さんが人差し指で画面をダブルタップした。
約3300万画素の8K映像は、寸法4倍に拡大されても実にクリアだった。
そして、拡大され、タブレット画面一杯に広がった動画の中では、
(クラスメイトの顔まで見えてるし、こりゃヤバい・・・ )
クラスメイトの顔どころの話じゃない。
暴れまわる触腕に薙ぎ倒されるクラスメイトたちの中にあって、人間技とは思えない高速で移動しながら1本の触腕に飛び掛かり、力づくで押さえ付けた女子高生がいる。
(うわっ、私じゃん! 顔分かる? うーん微妙だけど、知り合いならバレるわ~ しかも、スカート捲れてパンツ丸見えだし・・・高画質って最悪。)
たぶん、汐見さんなら、この巨大イカの触腕と戦う女子高生(AVのタイトルみたい)が、私だってことは直ぐに見抜いたに違いない。
さて、この件について何と言ってごまかそうか、私は高速思考を開始した。
だが、思考速度が速まったとはいえ、地頭が賢くなったわけではない。
どれだけ考えたところで、ダメなものはダメなのである。
「おいおい、肉焦げてんぞ。食いながら観ろよ。」
私が焦っているのを知っているくせに、汐見さんは知らんぷりしながらトングを動かし、私の取り皿に下駄カルビ、自分の皿にはスーパーホルモンを放り込んでいる。
(困った! このタイミングでメンブレしてみせたってワザとらしくなるだろうし、この場を有耶無耶にしても一時凌ぎにしかならないわ~ )
巨大イカと素手で戦えるようなマッチョな女子高生が、動画を観せられたぐらいでメンブレするわけがない。
考えが甘かった。
一般女子のメンタリティを装って逃げる作戦は消えた。
この動画に映ってる女子が、一般女子のメンタリティであるはずがない。
(困ったねぇ~ )
焦って、困って、途中から動画なんか全然見えていなかった。
心の焦点が動画から外れてしまっていた。
それに、洲崎と私が対峙しているシーンとか、ナツキが苦しんでいるシーンなんか見たくもないし。
(もう、こうなったら汐見さんの出方を待つしかないじゃん。)
一応、顔だけはタブレットに向けて、動画を観ている振りをしながら黙々と下駄カルビとご飯を口に運び続けていた。
(とりあえず、肉が美味しいってことは、私は冷静だってことだわ。)
そんな私の対面で、汐見さんはなかなか話を切り出そうとせず、ホルモンを齧りながらノンアルビールを飲んでいた。
(こういうのって、取り調べとかのテクニックなのかな? )
時間が経てば経つほど焦りは増すので、ボロを出しやすくなるというヤツかもしれない。
(そこんところは大丈夫。焦っててもパニクってないし。)
と、言いながらも食事のピッチが速まっていた。
流石に100パーセントの平常心というわけにはいかなかったらしい。
いつの間にか動画は進んでいて、シデンの遠隔雷撃の後ぐらいでプッツリと終わった。
「さてと・・・ 」
汐見さんがノンアルビールのグラスを置いてから口を開こうとしたので、それまでずっと警戒し続けていた私も、ついつい反射的に口をひらいてしまう、
「すみません! 中ライスお代わりとユッケジャンスープ下さーい! 」
無駄な抵抗である。
汐見さんの口を塞ぐのは無理でも、出鼻ぐらいは挫いておこうと思ったのだ。
でも、結局何も言うべきことが見つからなかったので、口を突いて出てきたのは追加注文ぐらい。
「紗耶香ちゃん、相変わらず良い食いっぷりだねぇ。」
汐見さんが口にし掛けた言葉を一旦飲み込んで、呆れ笑いしていた。
「ええ、まあ若いですから。」
そう応えながら、私はトングを手に取って、残っていた下駄カルビを全部ロースターの上に乗せた。
肉焼く振りしてるだけじゃ、一時凌ぎにもならないだろう。
(このまま、話題を反らすなんて無理だろうなぁ。)
そんな私の焦りを知ってか知らずか、汐見さんは開いた皿を見るなり、
「お姉さーん、上カルビと上ロース2人前づつとカクテキ、あとサンチュもお願い! 」
と、追加注文した。
そして、間髪入れずに本題を切り出す。
「やっぱ、あれか? あんな風に身体を動かすには、いっぱい食わなきゃなんないか? 」
流石、本職の刑事である。
意表を突くストレートパンチが思い切りヒットした。
一瞬、私の頭の中で色んな回答パターンがクルクル回った。
この場をやり過ごす良い方法が無いものかと、通常の3倍以上の速度で脳細胞が働いた。
でも、汐見さんの攻撃がいきなり過ぎて、体勢を立て直せない。
結局、あれこれ考えたり、焦ったりしていた私の口から結論として飛び出した言葉は、自分でも呆れるほどの開き直り。
「そうなんですよねぇ。あれって、めちゃ燃費悪いんですよ~ 」




