これは私の知らない話なんですけどね~
これより第2章が始まります。
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その建物は、正面がガラス張りの鉄骨鉄筋コンクリート5階建て構造の近代建築でありながら、モノトーンを基調とした外観は伝統的な和風建築の趣きを称えている。
エントランスホールに入ると、その内観は観る者に一層強く和を印象づけられる仕掛けが施されており、御影石が敷き詰められた床、桜材がふんだんに用いられた天井と壁が他国の建築では味わえない風情を醸し出している。
さらには、正面のガラス越しに見える中庭の竹林などは一服の日本絵画のようであり、ここを訪れる多くの人々の目を楽しませているのだろう。
ところで、一見、華奢に見えるこの建物だが、その実は震度7の地震にも耐えられる設計がされており、屋上にはヘリポート、地下には最新の設備を備えた危機管理センターが設けられている。
そして、最上階である5階には、この建物の主とも言うべき、おそらく日本国に於いて最重要とされる人物が執務する専用の部屋がある。
当然のことだが、この部屋は関係者以外の立ち入りは厳禁とされている。
幅広の執務机の向こうで黒い革張りの椅子に腰かけている主の許可が無い者は何者であっても出入りすることは許されない。
よって今、執務机を挟んで左右に立つ2人の人物は、その許可を得ている者なわけだが、どうにも部屋の雰囲気に合わない異質な来客が訪れているようである。
“来客” といってはみたものの、それは人間ではない。
その客は、執務机の前に開いた広いスペースのど真ん中で、高級そうなカーペットの上に平然と寝そべって、時々後ろ足で耳の後ろを掻いている。
そうなのである。
来客とは1匹の犬なのである。
全身真っ白な長い毛に覆われている姿はゴールデンレトリバーに似ているが、尖った顔の輪郭はシベリアンハスキーに近い。
だが、この感想をうっかり口にしようものなら、
『オレは犬じゃないぞ! 』
と、腹を立てられてしまう。
なんと、この犬は人語を解するし、テレパシー的な能力で自分の思考を相手に伝えることもできるのである。
もちろん、相手の思考を読むことも可能であり、人間なんかよりも遥かに気を使う厄介な客だったりもする。
それ故なのか、この客に接する部屋の主と、その左右に控える者たちの態度が恭しい。
「床にお座りにならずとも、ソファをお使い下さればよろしいのに。」
「秘書に命じて、何か飲み物などお持ちしましょうか? 」
などと、犬を相手にする人間の態度では無かった。
しかし、この客、
『オレはこれで構わんぞ。ここのソファは妙に柔かいし凸凹が身体に合わなくて落ち着かん。カーペットの上の方か居心地が良いんだ。』
などと言いながら背中をカーペットに擦り付ける姿を見る限り、本人(本犬? )がどんなに否定しようとも、犬にしか見えないわけで、
「それに飲み物な、以前、お前の秘書が平皿に牛乳を入れて持って来たことがあったよな。あん時は、マジ切れしそうになったんだけど。』
そんなこと言われても、主には秘書の気持ちが良く分かる。
グラスやカップに飲み物を入れて持ってきても、この客には飲めそうにないと思って気を利かせて平皿にしたのだろうが、それを咎められたらいったい何で出すのが正解なのかわからない。
昔のイソップ話でも、ツルだかコウノトリだかが用意した細長い器の中に入ったご馳走を犬が食べられなかったとか言う話があっただろう。
いや、あれは犬じゃなくてキツネだったっけ?
どちらでも良いが、秘書はその物語を思い出したんじゃないだろうか?
まあ、犬にミルクという発想が短絡的で、もう少し考えるべきだったかもしれないが、そんなんでマジ切れしたら秘書が可哀そうである。
「あの時は、うちの秘書が本当に失礼なことをしてしまいました。今後、あのようなことが無いようにとキツク叱っておきましたので、何卒お許しください。」
主に続いて、左右の2人も一緒に頭を下げたので、客もそれ以上文句は言わなかった。
『まあ、今日は長居するつもりはないから、お構いなく。それよりも話をしに来たんだが、サッちゃんは時間ある? 』
サッちゃんのフルネームは置いておくが、この部屋の主のことである。
但し、この建物の中で働く大勢の職員の中で、この日本政治の頂点に立つ女性を “サッちゃん” などと気安く呼ぶ者など一人もいないだろう。
それを、いとも簡単に言ってのけてしまう、この犬じゃなくて客とは、
「それは、マカミ様が時間を作れとおっしゃるなら、仰せの通りにさせていただきます。」
マカミ様は、真神様と書くらしい。
犬の姿をしていても、実は神さまであるらしく、誰もが緊張して訪れるであろう場で平然と踏ん反り返っていられるのも、そういうことらしい。
それにしても、神さまと日本のトップとの会談など、知らぬ者ならば冗談としてしか受け取らないだろう。
日本昔話かファンタジーの世界でならば有りがちなことだと思うが、現実ではその場に同席した者でなければ絶対に信じられないシチュエーションである。
「秘書に、この後のスケジュールを後ろ倒しにするように指示しましたので、お時間取れました。お話伺わせていただきます。」
秘書にバタバタと指示を出し終わったサッちゃんが、改めて姿勢を正してマカミ様と向き合った。
『まあ、そんなに畏まらなくて良いんだけどさ。』
対するマカミ様は、思い切りリラックスである。
「お話の前に、少しよろしいでしょうか? 」
そう言ったのは執務机の左に立った男性である。
歳は還暦を過ぎた辺り、背が高く肩幅の広い、かつてのスポーツマンタイプという雰囲気の男性である。
この男性の言に、サッちゃんがすかさず口添えをした。
「マカミ様、先日の江戸川区の荒川河川敷で起きた騒動の件、国家公安委員長からお詫びとお礼を申し上げたいとのことですので、お聞きいただけますでしょうか? 」
男性は国家公安委員長だったらしい。
『ああ、アレね。どうぞ。』
と、マカミ様は国家公安委員長の肩書に驚きもせず、その申し出を平然と受けた。
「異世界の侵略者の暗躍には私共も注意していたのですが、この件については未だ公にしていないもので人手も足りず、あのような事態を引き起こすことになりまして、マカミ様のお手を煩わせることになり、たいへん申し訳なく思っております。そして、マカミ様のお力で、一旦の解決が図れたこと、大変感謝しております。この後は警察庁や防衛相とも相談し、人員の増強を図り、侵略者の好き勝手を許さない強固な体制作りを早急に行う所存ですので、何卒お許しいただければと思います。」
『許すも何も、オレは怒っちゃいないよ。それに、ヤツらと戦うのは大昔にあの若造とした約束でもあるから良いんだ。大勢の犠牲者が出てしまったのは残念なことだけど、ヤツらの侵略に関しては、いつまでも隠して於けることでもないし、いずれは公にしなければならないことだから、それが早まったと考えるべきだろう。さっさと国民に現状を伝える準備を始めるべきだな。』
マカミ様に頭を下げた国家公安委員長の反対側で、頷きながら話を聞いていたもう一人の男性が恐縮しながら口を挟んだ。
「まったくその通りです。本件に関しては米国やEU諸国でも既に秘密にしておく段階は過ぎたと見ているようで、近日中に首脳会談を行った後に各国の報道機関を集めての発表という段取りになりそうです。それをマカミ様にもご承知おき頂ければ幸いです。」
男性の話を聞きながら、マカミ様がウンウンと頷いた。
「官房長官の申し上げましたとおりです。今月中にでも各国首脳によるオンライン会議が組まれる予定でして、状況が状況ですので、中国やロシアなどの出席も要請している段階にあります。」
と、付け加えたのはサッちゃんである。
それにしてもマカミ様は、サッちゃん、国家公安委員長、内閣官房長官にまで敬語を使わせておきながら、自分は一切の気遣いも無く偉そうにしているあたり、まあ神さまなんだろうなぁといった感じである。
『それが良いねぇ。もはやそうするしかないだろうからさ。実は今日、サッちゃんの所に来たのも、その件についてなんだよね。』
そう言ってから、マカミ様がヤレヤレと溜息を吐いた。
「どのようなお話でしょうか?」
サッちゃんが真剣な顔で執務机の上に身を乗り出した。
『魔力結石の件なんだけど。』
「魔力結石というとBlessed Gemのことですか? 」
公的には、魔力結石はそういう呼び名になっているらしい。
魔力結石じゃゲームのアイテムみたいで嫌だったのかも知れない。
でも、Blessed Gemと英語に直してみたところで、欧米人にしてみればファンタジーっぽい名称だと思うのだが、どんなもんなんだろう?
『Blessed Gem、魔力結石、どっちでも良いんだけど、先日、アフリカの方に住んでる鳥頭の神さまが魔力を蓄えていたのを小鬼に奪われたらしいんだ。』
マカミ様がサラッと言った “アフリカの方に住んでる鳥頭の神さま” って誰?
この場にいる3人が共に首を傾げたかっただろうが、大事なのはそこでは無いと揃って我慢した。
「それは・・・まずいですね。」
「これは大急ぎで対策を練らなければ間に合いませんよ。」
「まずは、閣議の招集を掛けませんと。」
言葉を発しながら、3人の顔色がみるみるうちに青褪めていく。
『そうなんだよなぁ。ヤバいのさ。オレは自分の魔力結石を守れば、なんとかなると思っていたんだが、まさか他にもあったなんて想定外だったんだよな。オレ意外に魔力を持て余している神さまなんて、そうはいないんだから、そもそも作る必要なんてないのさ。それなのにあの鳥頭、オレの10分の1以下の魔力しか持ってないくせに見栄なんか張りやがって、いったい何を考えてたのか5000年分の魔力を蓄えて一個の結石にしたらしいんだよな。で、それを小鬼どもに盗まれたんだとさ。最悪だわ。』
マカミ様のダラダラした口調で言われると事の重みが全然伝わってこないような気がするが、この場で話を聞いている3人には十分に伝わっていた。
「マカミ様、猶予はどれほどあると思われますか? 」
サッちゃんが聞いた。
『小鬼どもにも幾つかの派閥があってな、色々と綱引きや駆け引きがあるみたいなのよ。ヤツらに共通した究極の目的は異世界の門を開放して親玉であるところの、うーんと名前は忘れたがキングだかエンペラーだかを、こっちの世界に呼び込んで君臨させようってことなわけだが、それをどの派閥が成功させたかによって後の論功行賞に影響が出るだろう。だから、今のところは仲間内で足の引っ張り合いを始めてるらしいんだわ。手に入れた魔力結石の奪い合いもしてるんじゃないかな。だから、異世界の門が開くのは今日明日ってわけじゃない。どうせ、門の鍵穴は日本にしかないんだし、オレらは魔力結石を手に入れた小鬼の派閥がやってくるのを待ち構えて、その行動を阻止する準備しとけば良い。それに、日本国内で暗躍しているヤツらは、未だにオレの魔力結石を諦めてるわけじゃないからな、そいつらはアフリカ産の魔力結石を日本に持ち込むのは阻止するか奪い取ろうとするだろうから、ヤツらが争ってるうちは猶予あると思うぞ。』
「なるほど。」
と、サッちゃんが再び頷いた。
但し、彼女はマカミ様の言うことに納得し頷きながらも気になることがあるらしい。
「一つ、お伺いして良いでしょうか? 」
『なんだ? 』
「万が一、異世界の扉が開いて戦争という事態になったら、マカミ様は私たち、つまり日本国にお味方していただけるのでしょうか? 」
サッちゃんとマカミ様の付き合いは長い。
彼女が議員になったばかりの30年前、当時所属していた派閥の長である恩師に、日本国に長く住まう神さまであると紹介された。
もちろん、最初は何の冗談かと思っていたが、それが日本国の長い歴史に於いて歴代の為政者となった者たちによって引き継がれてきた重大な国家機密であることを直ぐに知ることとなった。
そして、日本国政治の長になった今に至るまでにマカミ様とは度々接する機会があり、その力の偉大さ強大さを知ることもできていた。
だから、いざという時にマカミ様が味方であって欲しいと心の底から願っている。
異世界の侵略から日本国を守るには、マカミ様の力が絶対に必要だと思っている。
但し、マカミ様が気まぐれで放浪癖があることも知っている。
世界中を転々とし、スコル、ハティ、アセナ、ガルム、フェンリルなどと、色んな名前で呼ばれていることも知っている。
だから、この緊急事態に於いて日本国を最優先に味方してくれるかどうか、そこは聞いてみなければ分からないと思った。
『それは、そうだな。日本の味方で良いぞ。』
マカミ様は、考える間もなくアッサリと答えてくれた。
「本当ですか? 」
サッちゃんは、神さまの言葉に対して失礼かもしれないと思ったが、どうしても一言だけ念を押しておきたかった。
そうでなければ、大事の前だというのに今晩から安眠ができなくなってしまう。
だが、サッちゃんの心配は無用だったらしい。
『日本を守るってのは大昔にした若造との約束だったが、最近はもう一つ理由ができちまったしな。』
「大昔の若造とは、日本武尊さまとのお約束ですよね? それ以外に、最近、新しい理由ができたのですか? 」
ここで、マカミ様が深く溜息を吐き、自嘲するような笑いを漏らした。
『クソ生意気で危なっかしい娘ができちまったのよ。日本と一緒にアレを守んなきゃなんないのよ。』
神さまに子どもができるの? と、サッちゃんは一瞬だけ驚いたが、考えてみれば日本の神話では有りがちな話だなと思い直して、
「マカミさまに娘さんができたのですか? あの、お母様はどちらの方で? 」
ちょっとした疑問を口にした。
大昔、マカミ様は中東の方でエンリルとか名乗ってた時、結婚して家庭持って子どもがいたという話を聞いたことがある。
非公式だが、他にも彼方此方で土地の女神さまや精霊を押し倒して子作りしてたはず。
新しいメスじゃなくて、奥様か恋人と出会われたのだろうか?
サッちゃんの問いに、マカミ様はちょっと照れたような仕草を見せながら、
『そういううんじゃないから。実の娘じゃねーんだわ。ひょんなことから人間の娘を一人眷属にしちまってな、まだ未成年のガキなもんで行き掛り上面倒を見なきゃならんだろうなってことになったのよ。』
そのセリフ、さも面倒臭そうに話していたが、
(なるほど~ そういうことですか? へぇ~ マカミ様、何百年ぶりかで家族ができたんですねぇ。溜息なんか吐いてますけど、何となく嬉しそうなんじゃない? )
と、サッちゃんは少しだけ可笑しかった。




