洲崎! まさか? そういうこと?
もう少し河川敷のグラウンドで待機するように、寒いだろうけど我慢するようにとの生徒への指示があり、先生方が何人か状況確認のため学校へ戻ることになったようだ。
火災発生の緊急放送が入ってから既に20分近くも経っているのに、消防車のサイレンが全く聞こえないし、この避難場所に消防関係者が訪れる気配もない。
「ねぇ、相良いないよね? 」
「そう言えば、そうだよね? 」
緊急放送は相良先生の声だった。
私たちは、相良先生の指示で避難を開始したのである。
それなのに、この場には姿が無い。
災害時の先生方の行動方針や配置の取り決めなんて知らないが、クラス担任は原則として生徒の指導や管理に付くモノではないだろうか?
(なんか変! 何かが起こりそう、いや、もう起こってるのかも・・・ )
だが、何かが起きていたとしても、私にはどうしようも無い。
今、この場に異世界の小鬼たちが仕掛けてきたのなら手の出しようもある。
但し、真昼間で、800人も生徒が集まっているところに、強硬手段を仕掛けてくる意味なんて無い。
おそらく人間たちに気付かれないよう密かに暗躍するのが、今のところの連中の方針らしいので、わざわざ自らの存在を大勢の人目に晒すような真似はしないだろう。
そもそも、この全校避難が仕組まれた罠だとしたら、その意図は何なのだろう?
生徒全員を学校から追い出す意味は?
『おい! 』
頭の中で声が響いた。
もちろんシデンの声である。
何処から話し掛けてきてるのかは分からないが、こうして話し掛けてこれるからには近くにいる。
『返事はしなくて良い。オレの言うことを良く聞いて、指示に従え。分ったら両耳を引っ張りながら舌を出せ。』
人が真面目に考えているってのに、なんなんだろう、こいつ!
仔犬の時から生意気だけど、成犬の姿になってから最近は一段と上から目線で私に偉そうな口を利くようになった。
しかも、返事の代わりに両耳引っぱって舌出せとか、嫌がらせかい!
友だちとかの前でそんなことしたら、頭のおかしな子だと思われるじゃないか。
『早くやれよ。』
また、ふざけた声が聴こえた。
イラっとしながら、心の中で、
「ふざけんな! この馬鹿ワンコ! こっちは真面目に考え事してたんだよっ! 」
と、怒鳴ってやった。
私の頭の中に念を送ってくるぐらいだから、こっちの頭の中も読めてるんじゃないかと思ってのことだが、
『犬じゃねぇって、なんびゃっぺん言ったら分かんだ、この小娘! 』
やっぱ通じてたか。
所詮はワンコだから簡単に引っ掛かる。
「そんなことよりも、さっさと知ってること吐きなさいよ。こっちはさっきから、どうして良いか分かんなくって困ってんだから! 」
なんか、シデンの歯軋りとイライラ混じりの舌打ちが聴こえたような気がする。
テレパシー的な能力って、そんなモノまで送れるんだね。
『そんじゃ言うからよく聞け! まさか小鬼どもが、そこまでするとは想定外たっだんだが、其処に集まってるお前の学校の生徒と教師合わせて756人な。その全員が人質にされたんだよ! 』
「え? 人質って、誰に? ってか人数細かっ! 」
シデンの言うことが飲み込めない。
こんな開けた河川敷に雑然と集まっている生徒と先生たちが、いったい誰にどのようにして人質にされたというのか?
『試しにお前さ、その川に沿って歩いてみな。』
「歩く? どっちへ? 上流? 下流? 」
『どっちでも良いから、真っ直ぐ歩いてみろ。』
良く分からないが、とりあえず友だちの輪から離れ、下流方向に向かって歩いてみることにした。
「どこまで歩くの? 」
『良いから、そのまま進め。』
シデンの指示に従って河川敷を20メートルも歩いただろうか。
いったい、この行動に何の意味があるのかと、シデンに問おうとした時、
「サヤチ、どうした? 」
「なにボケっとしてんの? 」
「寒さでやられた? 」
「おーい、起きてるかぁ~ 」
「寝るな! 寝たら死ぬぞ! 」
私の目の前には親友たちがいる。
何となく頭がボーっとする。
まるで居眠りから起こされた直後のような感じ。
「・・・んで、あれ? 」
気付けば私は歩き出す前の、元の場所に戻っていた。
戻っていたというより、そもそも歩き出していなかったようである。
「ねぇ、私ずっとここにいた? 」
その問い掛けに、皆が揃って不思議そうな顔をした。
一部心配そうな顔も混じっている。
「サヤチ、本格的にヤバくない? 」
「熱無い? 大丈夫? 」
額に手を当てられてしまった。
皆の顔を見回してみれば分かる。
どうやら、私はこの場から一歩も動いていないらしい。
シデンの指示に従って、歩いていたつもりだったのに、いったいどういうことなのか?
『閉じ込められたのさ。ホラ、見てみろよ。さっき学校に戻ろうとした教師たち、お前と一緒で元の位置に戻されて首傾げてるぞ。』
先ほど高校に戻ろうとしていた二人の先生が、荒川堤防に設けられた階段を上り切ったところで右往左往しているのが見えた。
「これって何が起きてんの? シデン分かる? 」
『ああ、分かってる。空間を歪曲させつつ催眠効果なんかも合わせた “幻術” みたいなモンだ。お前らは、予め用意されていたその影響範囲にスッポリと入っちまったのさ。』
幻術? そんな難しいことは分からない。
つまり、この状況は756人全員が一定範囲に閉じ込められてしまい、ここから外へ出ようとしても、さっきの私のように一定距離を歩いたつもりになって、実は歩いていませんでしたってことになる。
(そういうこと? )
『状況としては、そういうこと。外に出ようとする者の意識を失わせて幻覚を見せるのさ。外から中に入ろうとしても同じことになる。お前らは、そういう厄介なトコにいるんだよ。』
それは理解した。
いや、原理とか構造とか、そういうモノは理解できていない。
大掛かりな罠に嵌ってしまったということだけ理解したが、それだけで十分。
「いったい誰が、何のために、こんな全校生徒と先生たちを閉じ込めたのよ? 」
シデンが口を開きかけたが、私の問いに対する答えを口にするのを躊躇っていた。
テレパシーとは便利なモノで、そんな心の動きまで伝わってくる。
『それは・・・だいたい推測はできるが、たぶん直ぐに分かる・・・ 』
シデンの口調は重く、答えを濁した。
その様子から、私は何事かを察した。
閉じ込められ、虜にされた私たち756人。
人質という状況におかれた者たちに待ち受ける運命、それは過去に起きた多くの犯罪やテロリズムに於いて共通である。
多数の人質を擁する場合、犯人は目的達成のために、これを消耗品として扱うだろう。
(犯人の目的は、私が持っている魔力結石。)
つまり、人質の命を引き換えにして要求を突き付けてくる相手は私?
そのことに思い至った途端、身体中の血が一気に引き下がっていく感じがした。
「ここから脱出する方法は無いの? シデンは何処にいるの? 」
『術者を殺るしかない! オレは今、お前の学校にいる。術者はココにいる。だから、暫く耐えろ! 魔力結石を身に付けている限り、お前は小鬼たちより強い! こんな大掛かりな罠を仕掛けてきたのは、ヤツらをそうせざるを得ないほどに焦らせる何らかの状況が発生しているという推測が成り立つんだが、小鬼どもが実力行使するにはお前の力が強くなり過ぎたからってのもあると思う。今のお前が相手じゃヤツらが力づくで奪い取ったり、脅迫したりできないと踏んだんだ。だから、人質を取るなんて作戦に出やがったんだよ。』
“小鬼どもに追い詰められた時、命と引き換えにするモノが必要”とシデンは言って、私に魔力結石を預けたが、そんな単純な状況じゃなくなった。
魔力結石と引き換えになるのは私の命じゃなくて、756人の命?
それを決断するのが・・・私?
『ここまで大それた行動に出やがったヤツらにマトモな取引なんて望めないからな! 魔力結石を渡そうが渡すまいが、どうせ人質は無事じゃいられんだろ。だから、お前は自分の力の源でもある魔力結石を絶対に手放すんじゃない! 手放したら間違いなく人質諸共に皆殺しにされる! 何があっても、魔力結石を守ることを専一にしろ! どんなことがあっても魔力結石を渡すな! 戦うか、もしくは耐えろ! それしかない! 』
それだけ言うと、シデンの言葉は聞こえなくなった。
おそらく、自分がやるべきことに戻ったのだろう。
これからシデンは術者を見付けて殺すという。
どれだけの時間が掛かるのか分からないが待つしかない。
その間、私が何に耐えなければならないと言っているのか、それは明らかである。
シデンが言うような自身の強さに対する自覚は無いが、異世界の小鬼たちが私に手出しができないのならば、その矛先が向けられるのは河川敷に集まる756人!
そのことに思い至った私は思わず悲鳴を上げそうになったが、血が滲むほどに唇を嚙みしめて、これを必死に飲み込んだ。
これまでの人生では一度も味わったことの無い、凄まじい恐怖感に襲われた。
武蔵御嶽山で死にかけた6歳の時の恐怖でさえ、これほどのものではない。
自分ではない、他人の命を背負わされることの恐ろしさ。
他人の生き死にについて、その決断を強いられるかもしれないことの悍ましさ。
シデンは、それに耐えろと言っているのだ。
大勢の命が私の巻き添えで奪われることに耐えろと言っているのだ。
果たして、それを成し終えた後、私の自我は正気をたもっていられるのだろうか?
(お願い! シデン、早くして! そんなに耐えられないかもしれないよ! )
気がつけば両掌が汗でビショビショになり、膝が小刻みに震えていた。
「サヤチ、顔色悪いよ。」
「早く帰してもらえるように先生方に頼んでこようか? 」
そんな風に友だちが心配したくなるほど、顔色も酷いらしい。
「大丈夫だよ、大丈夫だから。」
そう応えて笑い返したつもりだったが、声が震えていたし、笑顔が強張ってしまっているのが自分でも分かる。
「もう、サヤチ無理しちゃダメだって。」
「少ししゃがんでなよ。ウチら風除けになってあげるからさ。」
私の体調を気遣ってくれる親友たちの優しさ。
いつもならば素直に感謝するであろう心の籠った言葉が、今は怖かった。
私に対する人質として最も有効なのは、この5人である。
親友たちの命と引き換えに魔力結石を要求されたら、私には渡さずにいられる自信がない。
世界の運命と親友たちの命、その二つの重みを冷静に測って選択するなんてこと、私にできるわけがない。
(そうだ! 直ぐにここを離れなきゃ! )
誰が私と親しくて、誰が私に対して最も効果的な人質になるのか、異世界の小鬼に知られないよう少しでも遠く離れなけれていなければと思った。
「みんな、心配かけてごめん! ちょっと先生たちんトコ行って、具合悪いから帰って良いかって聞いてくるよ。そのくらい一人で大丈夫だから。」
一緒に行くと言い張る親友たちを笑顔で振り切って、せめて最悪の事態だけは避けなければとの一心で、一刻も早くこの場を離れようと歩き出した私だったが、
「あれ? 神月さん、何処に行くの? 勝手にクラスの列から離れちゃダメだよ~ 」
呼び止める声がした。
誰もが顔を顰めて不平を口にしたくなるこの状況下で、その声の調子は違和感丸出し。
妙に明るく、楽しそうで、馴れ馴れしく、そして聞き覚えのある声だった。
驚いて振り返った私の視線の先にいたのは、
「あ、え? 洲崎君? 」
点呼の時には姿が見えないと、クラス委員長が探していたはずの洲崎君が、いつの間にか私たちの傍に立っていた。
そして彼の顔には、いつも私に余計な世話を焼こうとする際に見せるのと同じ、いや、それ以上に薄気味の悪い満面の笑みが浮かんでいた。




