なんかキミって変なワンコじゃない?
母が亡くなってふた月が経った。
仔犬が初めて私の貢物 “特選和牛サーロインステーキ” ちなみに、お値段は1,300円(税込み)を食べてくれてからは、ひと月ほど経っている。
あの日、仔犬は牛肉をぺろりと平らげたが、野菜とご飯には全く興味を示さなかったので、次の日からコスト的に厳しい弁当は止めにして、ディスカウント系スーパーのタイムサービスを狙って国産牛ステーキ肉を買いまくり、それを自分でミディアムレアに焼き、一日一回これを児童公園に持参して仔犬のご機嫌伺いするというのが私の日課になった。
このこと、親友たちに話したら、何故そこまで熱心に仔犬の世話を焼いているのかと不思議がられた。
というより呆れられたが、たぶん、それは当り前の反応。
この時期の私は普通に生活していたように見えて、精神的にかなり微妙な感じになっていたのだと思う。
母の死により天涯孤独の身の上となってしまったことが、私の心理状態に決して小さくない影響を及ぼしていたのだろう。
人前では気丈に振る舞いつつも、やはり寂しかったし、心細かったし、大人の支え無しに世間知らずの高校生が一人で生きていかなければならないことへの不安とプレッシャー、そんなモノが平常心の裏側で蟠っていたに決まっている。
「私には家族がいない! 」
生前の母は夜遅くに帰宅し、私が学校に出掛けてから起きて来るような生活ぶりだったので、顔を合わせることも少なかった。
家に帰って、自分で灯りを点け、風呂を沸かし、食事の支度をする。
一応は口にする「ただいま」や「いってきます」は、いつも独り言。
それが私の日常だっただから、今の暮らしと見掛け的には殆ど大差は無い。
それでも、母は生きていたし、同じ屋根の下に住んでいた。
さんざん反発し、ぶつかり合ったけれど、私に愛情を注ぎ、守ってくれるたった一人の家族だった。
今の私はどうなの?
学校に行けば友だちがいるし、先生を始めとして優しい大人たちもいる。
皆が私を心配し、いつでも親しく接してくれる。
だが、彼らは家族ではない。
無条件で、気兼ねなく、好きな時に、辛いことや嬉しいことを分かち合ったり、愚痴をこぼしたり、甘えられたりする人はいない、いなくなった。
(この仔も、そうなのかな? )
仔犬はいつも決まって植え込みの中で寝転がっていた。
このひと月半、飼い主は現れなかったので、やはり野良、もしくは捨て犬だったと結論付けて良いだろう。
私と同じ天涯孤独の身の上の仔犬。
最初は単にカワイくて魅力的な見た目に心を動かされただけだったが、そのうちに自分と同じ境遇の仔犬を、同じ悲しみを共有できる相手と認識するようになり、徐々に強い親しみを覚えていった。
それに加えて、仔犬の世話を焼くことで、二度と取り戻すことができない家族とか親子とかの関係の真似事をして、自分を慰めているつもりだったのかもしれない。
だから、本当は、仔犬を連れ帰って本当の家族にしてしまいたかったのだが、私が住んでいる賃貸アパートはペット不可なので、それはできなかった。
私と仔犬の関係はゆっくりとだが確実に深まっているのが感じられた。
始めは、一方的に私が話し掛け、仔犬が知らんぷりを決め込む日々。
その間、色々な食べ物を貢いで機嫌を取ろうとしたが全て空振り。
それでも、仔犬の心の声を聴いたような気がした日から以降、メニューは和牛ステーキに限定されていたが、仔犬は私の目の前で食べてくれるようになり、モフモフを撫でさせてくれたり、時々尻尾もふってくれるようになった。
しかも、それだけではなく、仔犬は毎日会う度に私の臭いチェックをするようになった。
始めは私が臭いのかと思ってしょんぼりしていたが、どうやらそうではなかったらしい。
この仔犬、私に纏わりついている何らかの臭いが気に入らなくて、それを会う度にチェックしているらしい。
時々自分の身体を擦り付けて、私に自分の臭いを上書きするようなこともしていたので間違いない。
さらには、私が児童公園を去る時には、わざわざ植え込みから出てきて先頭に立って歩き、公園の出口から外の様子を窺うようなことを毎回していて、それが終わる前に私が出ていこうとすると身体をぶつけて押し戻したりもする。
(どうしたんだろうこの仔? 私を何から庇ってる? 守ってるつもりなの? )
そういった不思議な行動が仔犬のコミュニケーション手段だというならば、「嬉しい」で済む話なのだが、どうにも毎回のことなので、それで済ませて良い話では無さそうな気がしてきていた。
それから、
(この仔って、こんなに大きかったっけ? )
変化に気づいたのは9月の半ば。
仔犬と出会ってからひと月ほど経っていたが、その僅かな期間に中型犬並みの大きさに成長してしまったのだ。
出会った頃は片手で抱きかかえられそうな小さな仔犬だったのに、驚くほどの成長の早さだった。
その後も毎日、会う度に目に見える速度で大きくなっていき、残暑がひと段落し、爽やかな秋風が吹き始めた9月の下旬には、なんと大型犬並みの大きさに育っていた。
その背丈は身長165センチの私と並んだら腰にとどくほどもあり、胴回りは両手を回して漸く抱えきれるくらいに太くなった。
当然、大きくなった身体を支える前足と後ろ足も、太く筋肉質に変わり、足跡の大きさは私の掌と大して変わりない大きさだった。
全身の毛は仔犬だった時から変わらずに真っ白でフサフサでモフモフなので、そこだけ見ればゴールデンレトリーバーに似ているが、顔つきは成長と共に段々尖ってきていて、可愛いというよりは精悍、耳も三角に尖りピンと立っているので、シベリアンハスキーに似た容姿になった。
但し、この時の私に動物に関する幅広い知識があったなら、ゴールデンレトリーバーとかシベリアンハスキーなどとは言わず、冬場の “ホッキョクオオカミ” の名を口にしていただろう。
(ってか、普通のワンコじゃないよね。)
普通じゃないというのは成長速度のことだけを指しているのではない。
この仔、いや、もう仔犬というわけではないから( 男の仔であることは確認済みだし )彼と呼ぶことにしよう。
彼が住み着いている児童公園だが、近所に住宅やマンション、会社や工場もあるので真昼間なら出入りする人が途切れることは殆ど無い。
夏休みが終わって学校が始まってから、私は “あじさい” のアルバイトシフトに入る直前の夕方17時や、シフト終了後の20時半過ぎくらいに顔を出すようにしていたが、この時間帯ならば公園の敷地内をショートカットする会社帰りのサラリーマンなんかもポツポツといるので、全くの無人になることは無かった。
それなのに、
(誰も気にしないんだ? )
仔犬だった頃もそうだが、植え込みで寝転がっている彼にちょっかいを出そうとする者は一人もいなかった。
大人はともかく、公園に大勢出入りしている子どもたちならば、可愛らしい仔犬を見付けたらそのままにしてはおかないと思う。
絶対に一緒に遊びたいし、触りたくなるだろう。
私が子どもの頃なら、絶対にそうした。
それに、仔犬は子どもが好きなモノだと思っていた。
小さな子どもと一緒に遊びたがる仔犬は、これまでに沢山見てきた。
ところが、この児童公園では、そんな風景を見たことは一度も無い。
そして、
彼が、今の大きさに成長してから、その状況は一段と不自然に思えるようになった。
先に説明したとおりの大型犬、首輪も着けていない野犬が園内に住み着いているにも拘らず、怖がったり、保健所に連絡しようとする人がいないのだ。
彼はいつも定位置の植え込みの中に寝そべっていて、人に迷惑を掛けるようなことはせず、人と関わろうともせず、ただ其処にいるだけ。
彼の目の前では、毎日のように平然と昼寝しているサラリーマン、散歩途中に休憩しているお年寄り、小さな子供たちが何事も無く遊んでいた。
もちろん、私的には彼が保健所に捕まるようなことがあって欲しくは無いのだが、いつだったかパトロール中のお巡りさんが素通りしていった時には、流石に唖然としてしまった。
その時に確信した。
公園を訪れる老若男女、全ての人々が彼に近づかないし、彼に興味を抱かない。
彼を見ないとか、見えないとか、そんな物理的な問題ではなく、誰もが彼を認識していないのだ。
「どうしてなの? キミはナニモノなの? 」
いつものようにステーキを平らげて、寝そべっている彼に話し掛けたが、大きな欠伸を一つされただけで、私の質問に答える気は無いみたい。
愛想の無いとこは、大きくなっても全く変わっていない。
「そういうとこ、仔犬の頃はクールでカワイイと思っていたけど、大きくなったら偉そうに見えてくるんだけど。」
そう言って、生意気そうにピンと立てた片方の耳を軽く引っ張ってやったが、意にも解されなかった。
ちょっとイラっとしたので、今度はフサフサの尻尾を引っ張ってやろうと手を伸ばし掛けたが、その時、私はもの凄く重大なことを見落としているのに気付いた。
「そう言えばっ! キミ、ウンチとか、どうしてるのっ? 」
急に大きな声を出した私を、彼は驚いた顔で振り向いた。
そして、直ぐに私を小馬鹿にしたような表情を見せる。
仔犬の頃から時々見せる、片方の口元を持ち上げる超感じ悪い顔つきである。
その次には、いつも決まって大欠伸を放つ。
(仔犬の頃には、そんなに気にならなかったけど、大きくなったら、なんか無性に腹立つ! )
彼は知らんぷりだが、ウンチは大事なポイントである。
今まで気にしなかった自分も迂闊だったが、犬が長い期間寝床にする場所には、その排せつ物が近くに落っこちているものである。
それが町の衛生状態に悪い影響を与えるからというのも野犬を駆除する理由の一つになっているはず。
ところが、この児童公園の中はキレイなものである。
犬のウンチどころか、ゴミ1つ落ちていないし。
それと、ウンチ以外にもう一つ。
これだけ、フサフサでモフモフな毛並みをした彼が毎日ゴロゴロしている植え込みの地面なら、沢山の抜け毛で白くなっていても不思議は無いはずなのに、
「ぜんぜん、抜け毛無いよね? 」
ウンチやオシッコをせず、毛も抜けない。
そんなワンコいるはずない。
「やっぱ、キミって変! 普通じゃないよね? 」
話し掛けている私を見ようともせず、完全にシカトである。
仔犬だろうが成犬だろうが、フサフサでモフモフなワンコなら全てを愛す私だが、人様に無礼を働く馬鹿ワンコには礼儀を教えるのも大切な愛犬家の義務である。
「こっち向け! 人の話はちゃんと聞け! 」
彼の正面に回り込んで、その顔を両手で挟み、私の顔の真ん前に持って来た。
こんな事したら、普通の野犬なら怒るだろうし、噛みつかれてしまうかもしれない。
でも、私は、彼が私を始めとして人に暴力を働くことなど絶対に無いと、何故だか確信しており、このぐらいのことをしたって怒りもしないことを知っていた。
但し、彼がされるがままの無抵抗でいながら、とても面倒臭そうにしているのは良く分かった。
「へへん! いい気味だ! 」
彼と一緒にいるうちにワンコの顔色が読めるようになったのかもしれない。
と、その時、
「あれ? 」
突然、彼が首を振って私の手を振り払うと、邪魔だと言わんばかりに前足で私の横頭を、
ベシッ
と、踏み叩いた。
そして、尻餅をついた私を飛び越えて、スタスタと公園の入口に向かった。
「え、どしたのよ? なに? なんなの? 」
私は直ぐに立ち上がって彼の後を追い、公園の入口に立ち止まって外を睨んでいる彼の隣にしゃがみ、横から表情を覗き込んでみた。
そして、驚いた!
そこには、激しい怒りが込められた野獣の顔があったのだ。
低い唸り声をあげながら、公園の外にいるナニモノかに向かって敵意を剥き出しにして、今にも飛び掛からんとする野獣の顔である。
(すごっ! )
私は、そんな彼の顔を見ても恐怖など微塵も感じられなかったけど、彼が睨みつけた先に対しては得体の知れない不安を覚えていた。
「何かいるの? どこ? 」
そこにいるモノのの正体は分からない。
目に見えもしない。
だけど、ナニモノかが鳥肌立つような悪意を発していることだけは分かった。




