早くウチに帰りたいぞって時に限って呼び止められるんだよなぁ
蒸し風呂のような体育館での始業式。
多少は涼しい教室に戻ってのHR。
そして最後に掃除当番。
この日の学校での全スケジュールが終了した私は、皆でランチをしようとの親友たちからのお誘いを大事な用事があるからと丁重にお断りしてから、大急ぎで帰り支度を始めた。
大事な用事とは、もちろん仔犬との約束。
お肉を持って、例の児童公園に行かねばならない。
(まずは何処へ行くべき? お肉屋さん? お肉買いに行って焼いてたら2時間ぐらい掛かるかな? )
現時刻は11時50分。
今から2時間後なら、ギリでアルバイトの休憩時間と同じタイミングで仔犬の待つ児童公園に滑り込める。
(んじゃ,それでいこう! )
ところが、荷物抱えて教室を出ようとしたら、
「神月! ちょっと時間あるか? 」
呼び止められてしまった。
相手が、さんざんお世話になったクラス担任の相良先生じゃ、スルーできない。
「はい。」
と、明るく応えて立ち止まった。
「軽く近況とか聞くだけだから、そんなに時間取らないし、ちょっと付き合ってくれ。」
そう言われてみれば、法廷後見人の経過報告とか、生活状況とか、担任には報告しとかなきゃならない。
「んじゃ、生徒指導室に行くか。」
短時間で済むことを祈りながら、抱えていたスクールバックを再び机のサイドフックに戻し、聴こえないように溜息を一つ吐いてから、相良先生の後に続いて生徒指導室に向かった。
「おーっと、暑っついなぁ。エアコンつけるけど、先に窓開けとくか! 」
日当たり良好で普段はカーテン開けっ放しの生徒指導室なので、中はサウナのようになっている。
「あ、私、窓開けます。」
「頼むわ。」
相良先生はエアコンのスイッチを入れ、温度設定を最低まで引き下げた。
20平米ほどの広さの生徒指導室は、窓のある1面を除くと残り3面は天井近くまである本棚と、紙の資料がパンパンに詰まった前後2列5段積みくらいにしてある段ボール箱で埋め尽くされ、真ん中の空いたスペースに面談用のテーブルと椅子が置かれている。
だから実質半分、畳にして6畳分くらいの広さしかないので、エアコンを強冷にしとけば直ぐに涼しくなるだろう。
私は風を入れようと窓を全開にしたが、既に35度を超えている外気を入れたところで涼しくなるはずがないので、これは気休め。
「エアコン効き始めたら直ぐに閉めたほうが良いですね。」
「ああ、そうだな。」
窓を開け終わって、入り口側の生徒用席に向かう途中、相良先生とすれ違った。
「ん? あれ? 」
すれ違いざまに相良先生が何かに気付いたような声を出し、その後で2度3度鼻を鳴らした。
「え? どうかしました? 」
狭い室内なので、すれ違う際には腕がぶつかる程の距離だったのだが、その時に、
(も、もしかして私? 汗臭した? )
そんなんだったら困る、ヤダ、恥ずかしい。
朝にシャワーは浴びているし、制汗用品だって小まめに使っている。
但し、今日は朝から真夏日だし、汗かいては乾きを何度も繰り返しているので、もしかしたらもしかして・・・自信がない。
席に着く前、一歩引き気味になって顔を曇らせた私に気付いて、相良先生は、
「ああ、そんなんじゃないから。」
慌てて手を振った。
そんなんじゃなきゃ何?
「いや、なんか、神月って最近、旅行とか行った? 山登りとか? 」
「いえ、夏休みはずっとアルバイトしてましたけど? 」
「ああ、そうだよな。今、旅行なんて行くわけないしなぁ、すまん。」
「いえ、別に。」
旅行と臭いと何の関係があるんだろう? と首を傾げたが、相良先生は席に座ると直ぐに話題を変えてしまった。
まあ、私が汗臭くないのなら、別に構わないのだが。
「もう、家の方は片付いたか? 法廷後見人の件とか色々? 」
「はい、今は家庭裁判所からの連絡待ちですけど、おかげさまで手続きは終わってますから、こちらが急ぎで何かしなければならないようなことは無いです。」
「お母さんの遺品整理とかも大変だったろう? 」
「それなりに整理しましたけど、小物ばかりなので大した手間はかかってませんので。」
「そっか、それなら良いか。」
「はい。」
「その、なんだ、気になる遺品とか、扱いに困るモノとか、そう言うのは無いか? 」
「え? 」
相良先生の口調に少し違和感。
何か私に問いたいことがあるような、それでいてハッキリと言葉にできずにいるような、何か胸の中に詰まらせているような、そんな歯切れの悪い雰囲気が伝わってきていた。
「扱いに困るモノって、例えばどんなものですか? 」
母の遺品は一通り整理したが、そんなモノは一つも見当たらなかった。
元々趣味の無い人だったので、仕事道具や書籍の類い、衣類や貴金属類がそれなりにあるくらいで、それらは全て整理してある。
パソコンやスマホのデータについては未整理だが、相良先生が気にしているのはそういうモノのことだろうか?
「いや、そうじゃない。突然亡くなった人の遺品を整理してたら、なんだろうコレ? みたいなモノが出てきたりするだろう。そう言う感じかなぁ。」
「はあ。」
「何に使うのか分からない道具とか、意味不明な “石ころ” みたいなモノとかそういうのあったり、するもんじゃない。」
相良先生が何を言いたいのかサッパリだが、言いたいことがあるのは分かった。
口にしたい単語があるのに、それを言えずに困っているような感じ。
そこに助け舟を出したくても、ヒントの一つももらわなければ無理である。
なんか、“石ころ” という単語だけ、少しアクセントが変わって聴こえたような気はしたが、
「今のところ、何も無いんですが、先生の仰るような気になるモノがあったら、相談しますね。」
とりあえず、そう言っておくことぐらいしかできなかった。
いったい、相良先生は何を言いたいのだろう?
もしかしたら、相良先生は母と物品の貸し借りでもしていたのだろうか?
それが、私に内緒にしなければならないような貸し借りだったりするのかも?
母と相良先生の間には、私の知らない関係が・・・?
(うーん、それは考えられないなぁ。)
母は一日の大半を会社で過ごしていたし、残業や休日出勤も多く、たまの休みの日には、自室で一日中爆睡していたからプライベートな時間なんて殆ど無かったと思う。
高校へ顔を出したのは入学式の時の一度だけ、それも途中退場だったし。
1年次の三者面談にも来なかったし、そもそも私の担任の名前すら知らなかったんじゃないだろうか?
そんな母と相良先生に繋がりがあったなどとは考えられない。
(仕事ばっかで不健康な顔して、身だしなみに気をつかうようなこともしてなかったから、アラフォーなのにアラフィフと間違えられたりしてたからなぁ。)
そんな母と、アラサーだけど20代半ばでも通じるほどの相良先生では、邪推するのにも無理がある。
「まあ、大したことじゃないんだ。これから気を煩わせるようなことがあったら相談してくれってことを言いたかったんだわ。頭の片隅にでも入れといてくれ。」
いったい、何を頭の片隅に入れとけば良いのか分からなかったが、そう言われたので一応は分かりましたと答えて、その後は家庭調査書の書き直しとかさせられて面談は終了した。
なんだかんだで1時間以上も掛かったので、生徒指導室を出られたのは13時半過ぎ。
(あっちゃー! )
スケジュールが大幅に狂ってしまった。
生徒の大半が帰宅してしまった後の静かな廊下を足音響かせながらダッシュし、大急ぎで教室へ戻った。
途中の2年生教室に人気は無かったので、私たちの教室にも誰もいないはず。
そう思って勢いよくドアを開けて飛び込んだ教室だったが、
「あ! 」
窓際に一人でポツンと立ち、外の風景を眺めている男子がいた。
「あれ、神月さん? どうしたの? 」
教室の後ろのドアから入って直ぐの所で上履きを横滑りさせながら急ブレーキを掛けた私を振り返ったのは、洲崎君だった。
「ゴメン、煩くしちゃった。もう、教室は誰もいないと思ったから。」
校内を一人で全力疾走するなんて、小学生っぽくて少し恥ずかしい。
「大丈夫、気にしないで。それよりも神月さんが元気でいてくれて嬉しいよ。」
洲崎君は笑顔でそう言ってくれたが、そんな大人のコメントじゃなく “うるせーよ!” とか怒鳴ってくれた方が、こういう場合は気まずく無くて良い。
悪い人じゃないのだろうけれど、こういうところがイマイチ苦手なので、付き合う対象としては見れないのである。
だから、誰もいない教室で二人きりというシチュエーションは好ましくない。
何故、こんな時間まで一人で教室にいたのかチラっと気になったが、ここで洲崎君と会話などする時間が惜しいし、一緒に帰ろうなんて流れになったら困る。
私は足早に自分の席に向かい、サイドフックのスクールバックに手を伸ばした。
(あれ? )
違和感があった。
私のいつもの習慣というか癖みたいなものだが、スクールバックをサイドフックに掛ける際は、いつもポケットの付いた側を内向きにしておく。
意識しなくても勝手に手が動いて、そういう掛け方をしてしまうのだが、
(ポケット、外向きだ? )
些細なことではあるが、見慣れない絵面は心に引っ掛かる。
相良先生に呼ばれた際、一度手にしたスクールバックをサイドフックに戻したので、裏返ってしまったのかも知れない。
(たぶん、そうだよね。)
自分が、どうやってスクールバックを戻したかなんて気にしてないから憶えているわけがない。
だが、いつもだって何も気にしなくとも毎日勝手に手が動いてポケットを内向きにしている私が、今日に限って外向きにするなんてことあるだろうか?
何となく嫌な感じがして、窓際に立ったまま私に笑顔を送り続けている洲崎君をチラリと見た。
(まさか、それはないでしょ? )
高校生にもなって好きな女子の持ち物を漁る男子なんて・・・
いや、いるのかもしれないけど、だからといって洲崎君に私のスクールバックを触ったか? なんて聞けやしない。
念のため、彼の見ている前で、さり気無く中身の確認をするぐらい。
(無くなっているモノは無し。増えているモノも無し。)
特に異常は見当たらなかった。
それならば、これ以上はどうしようもない。
(さっさと帰ろう。)
学校を出れば、この嫌な引っ掛かりも直ぐに忘れてしまうだろう。
そう決めて、スクールバックを肩に掛けると、
「んじゃ、お先っ! 」
一応、洲崎君に一声挨拶してから教室を出た。
「それじゃ神月さん! また明日ね! 」
洲崎君の声を背中で聴きながら、私は再び廊下を走り出した。
出掛けに視界の端で見た彼は、私が教室に入った時のままずっと窓際からは動いておらず、右手を上げて私を見送っていた。
その時、彼が私に向けてた笑顔は、ちょっとだけ気味が悪かった。




