一話
午後の授業。
それは気の遠くなる地獄の時間。
ある者は睡魔と戦い、ある者は真面目に勉学に励み、ある者は別の世界へと意識をとばす。
私は勿論、意識を別世界へととばしていた。
私の頭の中はこの地獄のような授業から抜け出すための作戦で頭がいっぱいだった。
なんといっても高校1年の秋。
誰もが高校生活に胸躍らせ、恋とか青春とか部活とか勉強以外のことを思い浮かべては胸を高鳴らせることだろう。
でもいざ通うと特に何も無い日常。
恋をすることもなく、青春のせの字もなく、部活は帰宅部に所属したからか家に帰るのみ。
こう思うと寂しい日常のように思うが、意外と自分自身で満足している毎日だ。結局。なんてことのない、そんな日々に飽きなんてものはないし、なにより普通が一番というように特別なことは起こらないほうが良いだろう。
…そう思って、自分はウトウトしていたのだ。
授業中だということも忘れて。
「…さん…、……せさ……、………絢瀬さん。」
「っ!?」
ビクッ
夢の中から強制的に現実に引き戻らされた私は、背筋を震わせて立ち上がる。
教室がクスクスというお上品な笑い声で包まれる中、教卓に立つ現国の先生と視線があった。ギロリ。上品さの中に神経質そうな雰囲気を持つおばちゃん先生は、どうやら私が居眠りをしていたことに気付いていたらしい。
なんてこった。恐るべし、おばちゃん先生。
隣の席の子から教科書の読むページを教えてもらい、開いてもいなかった教科書を持って椅子から立つ。
ズルッ
あれ、おかしいな。
立ち上がったはずなのに、なんだか視界が後ろに下がっていく。
あれ、あれ、…あれ、もしかしなくても、私、倒れてる…?
…こうして、私の華の女子高校人生は呆気なく終わった。
死因は倒れた後に感じた後頭部の強い衝撃から、きっと頭の打ちどころが悪かったんだと思う。なんとも、格好の悪い死に方だ。
最後は大好きな人達に囲まれながら死にたいという願いは、呆気なくそのときに打ち砕かれたようだ。
□□□
なんて前世の短い人生の記憶を、転んだ拍子に頭を強打して思い出してしまった。
どうも皆様こんにちは。アリーネ・フォン・ロベッタ、年は11歳。因みに性別は女。
両親に蝶よ花よと育てられ、見事な世間知らずに育ったロベッタ公爵家の令嬢である。
先程両親がとても心配そうに私の様子を見に来たが、たんこぶ1つで済んだのでそこまで心配することはないと追い返した。
前世を思い出すまではとても傲慢で我儘なクソ餓…じゃなかった。とても面倒な性格をしていたが、今は精神年齢にプラス15歳してとても子供として振舞っていられない歳になったので、性格も昔の性格に激変してしまったのだ。
両親は私の突然のクールビューティーっぷりに綺麗な顔を大層間抜けな顔にして去っていったのだが。
どんだけ我儘放題だったんだろうな、私…。
まぁそんなことは置いといて、私はどうやら転生なるものをしたらしいのだが、ここはよく物語であるようにどこかのゲームの世界なんてことになるのだろうか。
だとしたら、徹底的に調べないといけない!
私はゲームに対しては全くのにわかで、あのキノコ踏み潰すゲームとか、動物たちと一緒に住んで島や森の開拓をしていったりするゲームしかやったことがない。
なので、この世界がゲームの世界なのだとしたら、自分自身に危険が及ぶか及ばないかぐらい知ってる起きたいのである。
…よし、そうと決まればこのお屋敷を改めて探検しなければ…!
「お嬢様?なにをおひとりでブツブツ言ってるのですか?」
「ひっ!?」
突如頭上から降ってきた声に、私は思わず悲鳴をあげる。
上を見上げれば、どこか訝しげに顔を歪めたとても顔の整った男が立っていた。男と言っても、私が生まれた時から専属の執事をやってくれている大変お世話になっている男だ。
絹のように艶のある真っ黒な髪に、長めの前髪から覗く切れ長の黒曜石のような瞳。すっと通った鼻筋に、形の良い薄い桜色の唇。
日焼けを知らない真っ白な肌に影をつくる、濃く長い睫毛。
絶世の美男子、なのだが。この顔を見て、私は違和感を覚えた。
「…セロ…?」
………。
……しまった。
そう思って、口を手で覆う。
この男があまりに前世で執事をやっていた男に似ていたからか、思わずその執事の名前を口にしてしまった。
今のこの執事の名前は知らないが、セロという少し変わった名前ではないだろう。
前に立つ男を見れば、男は目を見開いて私を見つめた。
「…思い出して、くれたのですか?」
え、
「え?」
「有那お嬢様、覚えておりますよ。私は。
今はアリーナお嬢様ですけれど、私はあなたを忘れた日はございません。
…お久しぶりですね、アリーネ様。」
ふっと妖艶に微笑む目の前の男を見て、胸が締め付けられるような感覚に陥る。
気付いたときには、私は目から大量の涙を流して泣いていた。
「お嬢様!?どうされましたか!?」
「…なんでもないのよ、えぇ。本当に」
本当に、なんでもないのだ。
なぜ今自分が泣いているのかも、よくわかっていない。
ただ。ただ心の底から思ってしまったのだ。
こうして、息をして笑って、私の目の前で普段通りに微笑む彼に。
生きててくれて、ありがとう。と、思ってしまったのだ。
「…………お嬢様、少し。話でも致しませんか?」
「…えぇ、良いわよ。私の部屋で良いわよね?」
「勿論です、お嬢様。では、私はアフターヌーンの準備をして参りますね」
セロは私の寝室から出て、そのまま音もなく扉を閉める。
…本当に、なぜだか懐かしい。
こうして意味不明に記憶が戻って、今まで深く意図せずスマホで読んでいた漫画では死亡フラグなるものがあって、そしてその物語の主人公たちは、その死亡フラグ回避の方法を知っている。
だが、私は知らないのだ。
特に趣味もなく、いろいろなものに手を出しては直ぐに飽きてやめていた私にとっては、死亡フラグ回避の方法なんて分からない。ゲームなんて少し齧ってもいないような、そんな曖昧なものなのだ。
はっきりいってしまえば、とても不安だった。
先行きが見えない。このどうしようもない状況下の中で、私はどうやってこの見知らぬ世界で過ごしていけば良いのかなんて分からなかった。
前世を思い出すまでの記憶が無くなった訳では無い。
ただ魔法なるものが使えるこの世界観の中で、前世ではもちろん魔法なんて無かったのだから、どうして良いかさえも分からない。
普通よりも少ない情報しかない。
そんなときに、彼がいてくれた。
この世界でも彼がいるだけで、心の底からほっと出来た。
彼がいる理由は知らないけれど、彼がいるという理由だけでどうにでもなる気がしている。
ただ、ひとつ分からないことがあるとしたら。
私は彼を見て、なぜ死への恐怖と生への安堵を感じたのだろうか。