ラーメンハウス、もうひとつの戦い 中
ラーメンハウスによるゲリラ的な臨時営業、その意図を端的に言い表すならば――戦地での炊き出し。当然ながら、対価は不要。
事の発端は、開戦前にまで遡る。
前触れなく侵略してきた非道なるヴァルフリード辺境伯領軍を打倒すべく――という名目で、第1騎士団がドグル大平原に向かっていることを知った、その日。
ウィロウ公爵領の軍事の要である、宗茂、レイヴン、レヴェナの三者での話し合いが、ウィロウ公爵領都であるキュアノエイデスで行なわれた。
本格的な軍議――領軍に所属する将軍職や参謀を担う上位の軍人たちを交えた公的な会議を開く、その前に、大枠の方針や方策、大小生まれる目標の確認など、最上位の統率者同士での情報のすり合わせを、宗茂たちは実施する。
その最中、幾つかの献策とともに、ラーメンハウス主導の炊き出しを実施することを、宗茂が提案。
突飛な発案に驚いた2人だったが、炊き出しをすることの戦中戦後に及ぼす影響力――真意を詳しく説明されたことで納得し、快く了承。その結果、開戦から6日目の夕暮れ時、ラーメンハウスの臨時営業という名の炊き出しが、大平原中央にて開始されることになる。
そんなわけで、意気揚々と営業、もとい、客を選ばない炊き出しを、ラーメンハウスの各チームが始めたわけだ。
ところで、傭兵クランとして参戦した6日目を除く、開戦からの5日間、彼ら彼女らは、いったい何をしていたのだろうか――その答えは、ドグル大平原中央部以外の地域での材料の調達と加工、および、スープやトッピングの試作と仕込みである。
ドグル大平原は、東西の街道付近や地面が露出している中央部を除いた南北2つの地域に、雄大と呼べるほどに背が高く生え揃っている草原が広がり、多種多様な魔物が生息している。
東に、ランベルジュ皇国。
西に、ナヴァル王国。
南に、メルベス魔沼、最北域。
北に、デラルス大森林、最東域。
東と西を人族領域、南と北を魔物領域と、複数の種族領域に隣接し、各地域を実効的に支配されているドグル大平原――のように、多種族が闊歩し、明確な単一の統治者が存在しない領域のことを、ユグドレアでは俗に、多種族領域と呼ばれている。
隣接する魔物領域が影響し、南には水上や水中での争いにも適応できる魔物、北には森林という環境に適した機動性や隠密性を有する魔物といった具合に、環境に対して適切に対応した進化を果たす者たちが住み着いているのが、ドグル大平原という多種族領域だが、こういった変化は特別なことではない。ユグドレアの各大陸では、このような魔物領域や多種族領域がいくつも存在し、日々、拡大と縮小を繰り返すことこそが、領域の常。
要約すると、闘争に明け暮れているのは、人種族だけではないということ。
むしろ、種が確立して以降、人々が古代と呼ぶ時代以前から生存競争を繰り返してきた魔物の方が先達であり、それ故に強大であることを忘れてはならない。
未開領域を開拓することが主な役割である冒険者ギルドにも、破天と称されし英雄たちが在籍していた事実があったにも関わらず、ユグドレアの大陸各所に未開領域が存在している事実こそ、魔物が強大な存在であることの、なによりの証明である。
「――次よ、シーダ!」
「は、はい!」
一気呵成にして疾風怒濤、放たれたるは斬撃、其処に残るは幾多の骸。それは、断つべきと定めたものを、彼女らが首尾よく速やかに断ったことを示す証。
「これで最後、っと……オルトス、次は?」
「3番に、クリムゾンブルが18、アクアグースが43、ベアラビットが76ですね」
「ちょっと待って……なんで、こんなにベアラビットが多いのよ、おかしくない?」
「自分もそう思って、一応、確認はしたんですが……狩り担当も不思議がってましたね」
「そう……一体どうなってるのよ」
艶かな金尾を後頭で揺れ動かす少女――エリザベート=B=ウィロウ。
肉体労働職の者たちが愛用する作業服の一種である鉛管服、通称ツナギもしくはオーバーオールと呼ばれるそれを身に包んだエリザは、ドグル大平原中央部で営業するラーメンハウスの皆を横目に、シーダ、オルトスとともに、宗茂から頼まれた役割――獲物の解体作業を敢行していた。
(んー、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、細かいことはあんまり気にしないからなぁ……ベアラビットだけがこんなに増えてるとか、ちょっとおかしいよね……)
ウィロウ公爵領で生まれ育ったエリザは、武のウィロウの一員として、領都周辺を含めた領内の魔物の間引きなどの公務に、幼少の頃から同道していた。そのため、領内の魔物の生態を一通り理解しており、ドグル大平原に生息している魔物のこともよく知っている。
『鑑定 極』持ちで、剣の腕が立ち、物怖じしない気性は、魔物の解体を任せるに適した人材であり、それに加えて、平時のドグル大平原のことを良く知るエリザだけに、今回は最適な人選である。
解体令嬢エリザ――其の地の子供たちにそのように呼ばれるほど、その解体技術は高い。本人としては、少々血生臭い異名であることに想うところはあるものの、一応は褒められているので納得はしている様子。
ただ一つだけ不満があるとすれば、前にも増して仲が深まっているティアナと一緒に、ラーメンハウス宗茂の給仕ができないこと。
スキルの極化、正式名称を――開花と呼ぶ現象の影響で、特等級鑑定師に就いたエリザは、子供じみたイタズラだけならまだしも、時に賊や暗殺者から命を狙われるなど、宰相派のナヴァル貴族から、度を超えた数々の嫌がらせにあっていた。
ウィロウ公爵家の正統なる血統、すなわち、建国の立役者である三大公の後嗣たるエリザへの敬意など、微塵も感じさせない、その悪辣な振る舞いによって、人族そのものを内心で嫌悪するようになってしまった彼女――を変えた、宗茂とティアナの2人と同じ時間を過ごすのは、今のエリザにとって、レイヴンやレヴェナとの語らいや触れ合いに並ぶ、心安らぐ時間。
だからこそ、本当は2人と一緒に……と、そんなことを思いながらも、シーダやネウ、オルトス――ラーメンハウスの面々と一緒に、同じ方向を向いて力を尽くすという、チームとしての活動にも、喜びと楽しさを感じているため、どうにも複雑な気持ちを抱くエリザが、そこにいた。
さて、ユグドレアの魔物は、突然どこからともなく現れる――などといったことはなく、地球の動物たちと同じように、誕生までの過程が存在する。
植物型の魔物以外、つまり、動物型の魔物の産まれ方は、大別すると3種類――胎生、卵生、卵胎生という形で誕生する。つまり、地球のそれと同様である。
人種族や犬や猫のような、哺乳類の脊椎動物――が魔素の影響で進化した生物――の大半が、胎生、つまり、母胎の中である程度まで育ったのち、産み出される。生物の大きさが産み出される数に影響するため、大型の魔物ほど、一度に生まれる数が少なくなる。
ヘビやトカゲのような爬虫類や、カエルのような両生類、海や河川に生息する魚類、タコのような非脊椎動物――それら魔物たちの大多数が、卵生もしくは卵胎生である。基本的には、一度に数十から数百以上の卵を産み出すが、成体まで生き残るのは2割3割が関の山である、というのも、地球に棲まうそれら野生の生き物とほぼ同じである。
ドグル大平原北部に生息するベアラビット。
大型の哺乳類であり、脊椎動物であるこの魔物は、約2年の妊娠期間を経て、2、3頭を産む――この数字は、ドグル大平原にて最少。
ベアラビットに劣らぬ体格と同程度の出産数である、クリムゾンブルという牛の魔物の、実に4倍以上の数のベアラビットが狩れてしまうという現実は、間違いなく異常である。
特等級鑑定師としての任が多くなったことで、ここ最近は公爵家の一員としての公務を果たしていなかったが、3年も経たずに、ここまでの変化を見せたベアラビットの生息数の上昇には、何か裏がある――作為的なナニカの影を感じたエリザは、だからこそ疑問を覚えた。
(うーん……魔物が急に増えるとしたら、どっちかだと思うんだけど……ベアラビットだけなら、たぶん――プロリフェレイションだよね。でも、何が原因なんだろう……魔素、それとも、餌? それに、これがもし、どこかの誰かの所為だとして、誰が、何のために、そんなこと――)
魔物たちの、前触れなき異常な状態や行動を指す名称として、対魔物を常とする者たち――騎士や兵士、冒険者や傭兵などの戦う者たちに、昔から広く周知されている、3つの文言。
・プロリフェレイション(Proliferation)
地球にて増殖を意味する英単語であり、後述の2つの言葉同様、異世界英傑によって広められた名称である。
領域内にて、上位にある魔物のいずれかが、なんらかの原因によって、異常なまでにその生息数を増やした状況を指す。危険な状況ではあるものの、ただ数が増えただけであるとも言えるため、時間はかかるものの、相応の戦力で対処できることから、緊急性が高いとは言い難く、冒険者ギルドや傭兵ギルドのみで堅実に対処するのが通例となっている。
ただし、デラルス大森林のカイゼルオーク軍のような、例外も存在するので、油断は禁物である。
・スタンピード(Stampede)
家畜の集団暴走などを指す英単語が、数多のフィクション、その中の一部の作品内にて、魔物やモンスターといった怪物達の集団暴走を表現する際に用いたことをきっかけとして、広く使われるようになった言葉。そういった作品群に触れて育ってきた異世界英傑達もまた、同じような意味合いとして、この言葉を周知させた。
ユグドレアにおけるスタンピードとは、魔物領域内の魔素が異常活性化――暴走したことによる魔物の生育速度上昇および出産の所要時間の短縮によって、領域が許容できる総量を超過したことによる、隣接領域への魔物の流出である。
スタンピードの厄介な点は、領域全体から流出するがゆえの、被害範囲の広さである。
例えば、デラルス大森林でスタンピードが起きた場合。
大森林最西部、西部の魔物たちは、隣接するデラルスレイク防衛都市が第1防衛線となって民衆を避難させたのち、誘導しつつ後退、王都ナヴァリルシアで迎え撃つ。
大森林東部以降の魔物たちは、隣接する領土の中で最大規模である、ウィロウ公爵領の領都であるキュアノエイデスを中心として迎え撃つ。
前述のプロリフェレイションのように、特定の魔物だけが増えるわけではなく、多種多様の魔物が数を増やし、広い範囲で隣接領域へ襲来するというのが、ユグドレアにおけるスタンピードの特徴である。とはいえ、あくまでも領域内に収まりきらない余剰分の魔物たちとその勢いに便乗した者たちが領域外に溢れてくるだけであり、たしかにプロリフェレイション以上の脅威ではあるものの、一部の例外を除いて、領域内に存在する個々の勢力のみで対処が可能である。
そして、最後の1つ。
ユグドレアという世界において、神代以前から生き残っている巨大な魔物の総称である神獣、その強大無比なる脅威、すなわち――災厄と同列に語られる、ある状況を指す言葉。
・イロージョン(Erosion)
地球にて侵食、又は、侵蝕を意味する言葉。その意味、その現実は、ユグドレアの各大陸に暮らす力無き人々にとって、けっして看過できない、しかし、かならず逃れなければならない、緊急性が高すぎる異常事態。
何故ならその言葉は、魔物領域に生息する全ての魔物による侵攻、領域と領域、その総力を尽くし、互いの存亡を賭ける総力戦――仁義なき全面戦争の始まりを意味するからだ。




