ラーメンハウス、もうひとつの戦い 上
生きるために必要なナニカを喰らい、生き長らえる者を捕食者と呼ぶ。それは、地球でもユグドレアでも変わらない。
ただし、1点だけ、地球とユグドレアでは、決定的に異なる点が存在している。
植物を食み、血脈を繋ぐことができる草食動物。
他の動物を喰らい、生き長らえている肉食動物。
動植物問わず食し、生命維持が可能な雑食動物。
地球という惑星に暮らす捕食者たる動物たちを大別すると、このようになる。
ユグドレアという世界においても、基本的な構造は変わってはいない――からこそ、全ての動物は、つつがなく、次の段階へと推移することになる。
それは、間違えようもなく予定調和だった。
ユグドレアの全てに、ソレが行き渡っている以上、単なる必然でしかなかった。
地球とユグドレアで異なる点――魔素の存在。
大気を満たす魔素は、星の環境全てに浸透していく。空も海も大地も、全ては魔素と共にある。
魔素をふんだんに含んだ草木を食む動物たち、それらを喰らう動物たち、強く大きく育った者たちによる争い、骸は地に還りて草木を育む。いわゆる――食物連鎖。
悠久とも呼べる長い年月をかけて、整った結果、星の全てが、魔素との繋がりを得る。
そうして生まれたのが、魔素との繋がりを得た、ユグドレアに暮らす全ての動植物――魔物。
無論、今のユグドレアにて、そうであると語られている人種族も含めての話である。
それが、正しく在れと歪められてしまう前の、かつて確かに其処に在った筈の、ユグドレア。
とても賑やかな、喧騒というよりはもはや狂騒といった様子の、さりとて悪感情によって狂っているわけではなく、むしろ嬉しそうに、未知なる味を楽しみ楽しませている人々、彼ら彼女らは多くの種族――人種族、獣人族、エルフにドワーフ、魔族のハーフやクォーター等で構成されていた、が、誰も何も気にしていない。
――食を楽しむことに、境界線は不要なのだから。
「おいひぃ……おいひぃよぅ……」
「本気の反応じゃねぇか……ヨダレをふけ、ヨダレを……てか、そんなに美味いのかコレ……」
そこには、いくつもの篝火――ある程度の間隔を空けて並び立つソレの規則正しさは、その場に、確固たる秩序があることを示している。
「……なるほど、確かに美味い、んだが……なんだ? この味、どこかで……」
「――ベアラビットだと思いますよ?」
「ああ、そうか……アイツらの肉の味か、コレ」
「ふぉ、ふぉうふぁふふぇふふぁ!?」
「……飲み込んでから喋れや」
隣に座る人物の声に応えようとした灰髮の少女の口内は、直前にすすっていた食べ物で占められていたため、非常に聞き苦しい声になっていたことに呆れていた、銀髪の青年。
そんな銀髪の青年のそばに立っていたのは、給仕姿をした翠髪の少女。
「……確認したいんだが、ベアラビットって……あの?」
「はい、あのベアラビットですね」
ウサギの魔物の一種、ベアラビット。
熊ウサギと呼ばれている銀等級の魔物だが、群れでの行動を常としていることから、その脅威度は高い。実質、金等級相当の魔物である。
成獣時での体長は、平均3m。分類としては、ウサギの仲間だが、その大きさに比例する膂力の高さと、ウサギに共通する小回りのきいた俊敏性の優秀さは、中々に侮れない。
銅等級の傭兵や冒険者が、低位の等級からの脱却を果たす際、試金石にすることでも有名な魔物である。
しかし、それ以上に有名なのが――
「どうにも信じらんねぇな……あの腐れウサギを使って、こんなに美味いとか……」
「もう、ホント素直じゃないですよねー、副長は。こんな優しそうな店員さんが、ウソつくわけないじゃないですか! ねっ、店員さん!」
「え、えーと……あはは――」
「――サービスだ」
銀髪の青年と灰髪の少女の前に置かれたのは、ナニカの肉といくつかの具材を炒めたと思しき、鼻奥を刺激する香ばしい料理の大皿。
2人が座っているカウンター席、その向こう側で調理している黒髪の大男が置いた、その料理は――
「……いいのか?」
「ああ、それより――」
黒髪の大男の意を察したのか、大皿に盛られたそれを、手慣れた様子で箸でつまみ、食した青年は思わず、笑みをこぼす。
「……めちゃくちゃ美味い、ってか、この味――」
「そう――ベアラビットだ」
「うわぁ、ホントに美味しいですねー……って、えぇぇぇぇぇ!? これが、あの熊ウサちゃんですか!?」
ウサギというのは、元来、雑食性の動物である。
地球では、草食動物としてのイメージが強いが、野生のウサギには雑食性の種が多く、草食性の種が、ペットや食肉用として飼育されているというのが実情である。
ユグドレアにおいては、魔物の大半が、野生で暮らすのが当たり前である以上、ウサギ型の魔物であるベアラビットもまた、雑食性。
地球でもそうだが、食肉に適しているのは、草食性の生き物。雑食性の生き物は、基本的に食肉には不向きであり、特に、現代人には適していない。
その理由は単純明快。雑食性の生き物の肉は、とにかく臭いのである。とはいえ、臭いの原因は、大半が血液にあるため、適切な血抜きを行なった上で、余分なストレスを与えないように保管すれば、可食素材として成立させることはできる。
だが、美味いかどうかは話が別である。
例えば、雑食性の動物として有名なクマ、その肉は、大抵の場合、煮込まれることが多い。それは、標準的な牛や豚などに比べて、赤身部分が多いことが多大な影響を与えている。
クマ肉は、良質な赤身肉がその大部分を占めており、高い弾力性が特徴なのだが、火を入れ過ぎると硬くなるため、高温で加熱する調理にはあまり向いていない。
むしろ、低温で長時間じっくり煮込むことで、肉質が変性し、柔らかく仕上がるのが、赤身の多い肉に共通する特徴。同じような作用を見込んだ料理として代表的なのは、牛タンのシチューが挙げられる。
極論、塩さえあれば、美味しく食すことが可能な脂肪の多い肉とは異なり、料理人の腕とセンスを問われるのが、赤身肉の特徴である。
さて、黒髪の大男が、大皿で提供した料理は、一見すると豪快に炒めたように見えるが、その実、肉とそれ以外の具材は、別々に調理し、仕上がる直前に合流させている。
まず、ベアラビットのモモのブロック肉を、デラルス大森林産の香味野菜と一緒に、じっくりと時間をかけて煮込む。その間、大量に出るアクを丹念に取り除くことを忘れてはならない。
約3時間後、ホロホロのトロトロ――翠髪の少女曰くホロトロになるまで煮込んだそれを丁寧に切り分ける。
次に、塩と、胡椒に良く似た調味料であるランべルジュペッパーを軽く振った後、表にも裏にも、焼き色をつける程度に、かつ、肉全体にまんべんなく火を入れる。そうすることで、外はサクッ、中はホロトロになるように仕上げるのである。
そして、同時進行で炒めた野菜などの具材と合流、それぞれを馴染ませるように、サッと炒める。
熊ウサギのホロトロ肉入り野菜炒めの完成である。
「んんんっ!? んっ、んっ!!」
「興奮しすぎだ、叩くんじゃねぇ……それにしても、ホント美味いな、これ……」
「店主さん店主さん、おかわり、いいですかー?」
「ええ、どうぞ。何にしますか?」
「おいおい、おかわりって、ペース早……は? 3杯目かよ!? おまえ、いつの間に――」
「そうですねー……じゃあ次は、このデラルスブラックというのを注文します!!」
「へい、かしこまりました。ブラック一丁!!」
「「「――喜んでぇぃ!!!」」」
「……次は、塩にするか」
万が一を警戒しながら食していたが、隣に座っている灰髪少女――アイナ=ブラックスミスの、遠慮する気なぞ一切ない完全無警戒な食いっぷりを見せられ、尚且つ、若干驚いてしまうほどに威勢の良い店員たちにも当てられたのだろう、どうにも馬鹿らしくなってきた銀髪の青年――シド=ウェルガノンもまた、驚くほど美味な麺料理、すなわち、ラーメンを満喫することを決めた。
そんな2人がいるのは、ドグル大平原中央部。
そう、東方軍という名のウィロウ公爵領軍とヴァルフリード辺境伯領軍が連日争いあうことで、地形が毎日変化している、あの場所である。
何故、こんな場所で、シドとアイナがラーメンを食すことになったのか――ヴァルフリード辺境伯領前陣に届けられた、一枚の羊皮紙。そこに書かれた内容が、その理由。
シドやアイナのように、正確な情報を得ている者だけでなく、風の噂として、その料理の存在を知っている者たちもまた興味を惹かれるような、その内容。
シドが代表となって希望者を募り、その料理に興味津々な者たちを伴い、やってきたというわけだ。
その羊皮紙に書かれていた内容を要約すると、このようになる。
――ラーメンハウス、臨時営業、始めます!




