黒き戦鬼と聖なる狂剣 結
世界が彩りある様相へと、少しずつ、戻っていく。
それは、シドが保有しているノーマルスキル『高速思考』が極みに到ったその日、その瞬間に追加されたスキル特性『思考乖離』によって、シドの意識だけが霊子領域内に入り込んだことで起きる、発動したシドだけが感知し、観ることが叶う特別な光景。
『思考乖離』発動と同時に、周囲の色彩が失われ、白と黒のモノクロームの世界へと変化し、自身も含めた、ありとあらゆるモノ全てが停止する。次いで、端から徐々に、本来あるべき姿へと戻り始める。タイムリミットは、世界が元通りの姿に戻るまで。最大で10分。
『思考乖離』のメリットは、時間制限有りの『高速思考』の限界突破、および、負荷の軽減。
デメリットは、『思考乖離』発動中に思考した時間に応じた、解除時の脳への一括負荷。例えば、10分の制限時間ギリギリまで思考した場合、その際に発生する脳へのダメージ全てが、『思考乖離』が解除されたと同時に、一度にまとめて襲いかかる。
ただし、魄もしくはHPシステムによって相殺可能であるため、よほど逼迫した状況ではない限り、実質的にデメリットはゼロである。
また、どのスキルにも言えることだが、スキルを深く深く理解し、上級を超え、超級と化したのち、一定の条件を満たすことで辿り着く境地――極化の際に獲得する特性を発動した際のデメリットは、肉体もしくは魄への負荷や負担が大半である。
ちなみに、宗茂が保有する『料理 極』が獲得するスキル特性は――『食材との会話』。
対象は、ユグドレア内のスキル『料理』保有する全ての者が、食材と認定している生物。対象の生命活動が停止した時点から、食材と判断され、料理用の素材の良し悪しを、完全に、感覚的に把握、なおかつ、未知の食材であろうとも、他の『料理』スキルを保有しているものが知っていれば即座に理解――情報の共有が可能という、料理人からすれば非常に有用なスキル特性である。
宗茂の場合、『鑑定 極』も保有しているので、こと食材の見立てに関してならば、ユグドレアのいかなる存在にも劣ることは無い。
いずれ食の聖地とも呼ばれる地の頂天に座す、ユグドレアにおいて最高の料理人にふさわしい、隙の無いスキル構成である。
このように、スキルや極化した際に獲得できる特性を、他のスキルと組み合わせることで、効果を相乗させることに繋がり、性能や効果の劇的な向上や予期せぬ変化といった結果へと導く――地球、ユグドレア問わずに、シナジーと呼ばれている現象である。
さて、複数の魔導器を繋ぎ合わせることで稼働する、魔導機や魔導騎の総称、連結式魔導器――ミコト=ブラックスミスがコネクテッドと呼んでいた魔導器を十全に扱うには、『高速思考』と『並列思考』、この2つのスキルが不可欠である。特に、複数の魔導器を連鎖的かつ流動的に、緻密なコントロールを可能にする『並列思考』は必須である。
この2つのスキルを保有できた者を、ミコトは、このように呼んでいた。
接続する者――コネクター、と。
元来、『高速思考』と『並列思考』の両スキルは、魔道職や斥候職などのように、取り扱う情報量が多い職業を補助するだけの役割だった。
しかし、古代期にて魔導機が登場して以来、その有用性が見直されることとなり、現代今日において、2つのスキルに対する評価は極めて高い。
『高速思考』と『並列思考』。この2つのスキルは、古代期から現代のユグドレアに至るまでの時間の流れにおいて、極めて稀有なスキル――断絶も、欠落することも、歪められることもなく、正しい情報としてユグドレアに在る。
それは、後世の同胞たちへ伝えるべく、命を賭して連綿と繋げ続けてきた、魔道職に就いた先達たちの意地と執念が成し遂げた偉大なる功績にして、奴らに知られてはならない、何があろうとも渡してはならない、英雄、否――破天の残滓にして世界の一欠片。
だからこそ、真なる接続者――ジ・コネクターは、ユグドレアの希望たりうる。
だからこそ、彼も彼女も狙われる理由になる。
だからこそ、救わなければいけない。
だからこそ、このタイミングで、ガルディアナ大陸に連れてきたのだ――導く者を。
スキル『鑑定 極』を保有する者の別称、真なる解析者――ジ・アナライザー同様、真なる接続者であるジ・コネクターもまた、世界を狙う者たちにとって、不都合な存在であるということだ。
(蒼風のジジイ以来だな、ここまで消耗すんのも――)
今から1年と少し前。ランベルジュ皇国と、獣人領域に存在する、とある軍事国家との合同演習が、ドグル大平原を舞台に行なわれた。
当時のシドは、然程疑問には思っていなかったが、今回の国境域での戦いで気付いた可能性。そのいくつかと照らし合わせることで、どうにも厄介な事態に進展している気がしてならない、と、そのように考えていたシドの脳裏には――
(あの時、あの場でのイカレ獣王の発言……今にして思えば――)
獣人領域、というよりも、獣人族全体での話だが、一部を除き、非常に好戦的な気質を備えるのが、獣人族。
そのことが影響し、領域内に存在する大小いくつもの国が、今なお覇を競い合う、群雄割拠という言葉が良く合う状況となっているため、国の数だけ王が――獣王が存在するという、混沌とした情勢となっている。
ただし、そんな獣人領域にあって、唯一、最も上位に位置することを獣人全種族から認められている者たちがいる。
獣人領域中央部に広がる巨大な湖、そこに暮らしている、白銀色の毛色が鮮やかな獣人。その者らは、かの古代エルフやオリジンドワーフらと同じ、天族が世界に遺した大眷属。
霊獣や聖獣といった伝承等でのみ確認できる存在を、世界に顕現できる、唯一の獣人族。
――玉兎人。
獣人領域にて、絶対不可侵とされている種族である、のだが――
(陛下や、俺を含めた四魔導全員の前で、堂々と、玉兎人の批判をしやがったからな、アイツ……言っちまえば、ネフル天聖教徒にとってのネフル様みたいな存在、それが玉兎人……まともな獣人族なら、絶対にありえない発言。けど、アイツは元々、言動も政策も行き過ぎてる、イカレ獣王として有名だから、あの時は大して気にしてなかったが、見方を変えればアレは……暴挙に等しい)
シドの脳裏には――ルストの姿があった。
そう、イカレ獣王の、あの時の言動が、今回の戦の引き金となった義剣のルスト同様、何者かの手によって、歪めさせられたものだとしたら。
――ドグル大平原に、アイツが来た理由はなんだ?
世界に色が戻り、宗茂との愉しすぎる剣戟を再開したシドの胸中は、とても複雑である。
『並列思考 極』の効果によって、宗茂との戦闘を心から愉しむシドの思考と、戦闘中に気づいてしまったがために若干イライラしながら考察しなければならないシドの思考、それぞれから発生した感情の処理をしなければならないからだ。
(こういう時はホントに不便だな、このスキルは、ったく……ま、いずれにしても情報不足。獣人領域の今の情勢、表だけじゃなく、裏側の奴らの動向も含めて、正確に、しかも秘密裏に調査する必要がある…………はぁ、やっぱり、ブラックスミス経由で調べるしかねぇか……クソジジイが間違いなくブチ切れるな、ホント面倒だわ……)
本多 宗茂が、周囲に現れる赤と黒へと両手の戟を振るうたび、それらは霧散し、別の場所に再び出現する、赤と黒。前後左右上下、神出鬼没に出現する斬撃の全てに対応する本多 宗茂は、戦闘開始から今まで、基本的には受けに徹してきた。
戦闘最序盤の、界刻天の鼻先による未来からの斬撃以外、全てを完璧に捌いていた宗茂だが、それはシドも同様。
時折、間隙と呼ぶにはあまりにも狭い、隙の間を突いた魔導戟の一穿を宗茂が放つが、デュランダルは、それら全てを紙一重で避け続けていた。
並の武人はおろか、あのレイヴンですら、逸らして回避することを最適とする、魔導戟による穿撃。紙一重とはいえ、シドが避け続けられているのには理由がある――『高速思考 極』の特性である『思考乖離』の連続発動が、その答え。
アストラルドライブによって、霊子領域への潜行と現実への浮上を繰り返すデュランダル。その結果、宗茂の周囲を光り輝く霧のようなソレが漂い続けることになる。
その実、浮上すると同時に『思考乖離』を発動しているシドは、宗茂の挙動に違和感がないかを確認、なければ解除と同時に潜行。違和があるようならば、解除の後、即座に『思考乖離』を再び発動。宗茂の動きを見て、どのように回避するかを決定し、『思考乖離』解除後、デュランダルに全力の回避行動をさせる。
行動の最中に、『思考乖離』を適切に発動することによって、相手の動きを逐一把握し、それを次の行動に活かす。
これが、狂剣を名乗ることを、大皇ジーク=アスクレイドから許された、史上初めての魔導騎士であるシド=ウェルガノンにしか出来ない戦い方。
改修以降、多くの魔導師を狂わせては死に到らしめてきた聖剣、魔導騎デュランダルを、真に担える資格を有する者の出現もまた、歪められし因果の螺旋を穿つ、12の杭の一。
なれど、今はまだ――
シドとデュランダル、その組み合わせによる戦い方は、一見すると無敵じみてはいるが、弱点が無いわけではなく、けっして楽なものでもない。
臨界による魔力の超回復があるとはいえ、回復分を消費量が超えてしまえば、いずれは力尽きる。それは、ユグドレアという世界の摂理である。
戦闘からの離脱用の余力を残すことを前提とし、現在のデュランダルをシドが駆り、臨界下にある場所で、アストラルドライブと界刻天の鼻先の併用による全力戦闘を行なった場合、稼働時間の限界は――約15分。
つまり、今から2分後、シドは戦闘を離脱しなければならないということだ。
デュランダル内に響く、なんとも騒がしい音が、シドを襲う。それは、任意で指定した一定の時間を満たすと同時に、首からかけた懐中時計から鳴る、タイマーと呼ばれている魔導器――時限式警報器の亜種が、正常に動作した結果。
わーわーわー、時間ですよ、急いでくださーい! わーわーわー、時間ですよ、急いでくださーい! わーわーわー、時間で――カチっという音とともに、懐中時計の形をしている魔導器から、大音量で鳴っていた彼女の声が止まる。
(あのバカ……いや、あいつにメンテナンスを任せた俺がバカだったか……ともかく、残り時間は僅か、今回はここまでだな)
撤退すべく、宗茂とデュランダルとの距離を空けようとしたシドの騎体操作、その起こりを察知したのだろう――
「――なっ!?」
今の今まで、回避するための立ち回り以外の挙動を取っていなかった宗茂が、現代のユグドレア最速たるレイヴン並の速力で、デュランダルの懐にまで侵入してきた。
霊子領域へデュランダルを潜行させる暇も与えられなかったシドは、両手に握らせている双剣での迎撃を余儀なくされ、何故か成功する。
それは、まごうことなき油断だった。目の前の武人が、レイヴン同様、ランベルジュ皇国の害となる存在ではないと判断したとしても、今は戦闘中、気も戦意も緩めてはならなかった。
完全に後手に回らされた、ベガルタとモラルタによる迎撃、とてもではないが間に合うわけが無い。しかし、結果は――成功、宗茂の放つ、魔導戟による一撃を、双剣で受け止めていた。
(なんで間に合った、なんで手加減なんか――)
「……聞こえるか」
「――っ!?」
囁くような声量による、宗茂の問いかけに、シドは察したのだろう、ベガルタとモラルタで魔導戟を軽く押し返すことで返事をする。魔導騎の拡声器では、どれだけ音量を絞っても、周囲の者たちに聞こえてしまうからこその、返答の仕方。
そして、宗茂がシドへ、ある情報を伝える。
それは、シドに疑問しか残さない情報だった。言葉の、情報の内容は理解できるからこそ、疑問にしかならなかった。しかも、その情報は、その全てがわからないのではなく、半分程度は知識として、シドの中に存在していたからこそ、より難解な疑問へと転じた。
(どういうことだ、訳がわからん……調べろとか言われてもな……家名はともかく、そんな名前、一度も聞いたことねえぞ……誰だよ――)
――アノロス・ラマドって。
疑問を残した者は、既に遠く。配下たちを伴い、帰還している黒き大鬼の姿を、シドは、ただ眺めることしか出来ないでいた。
(……それにしても、予想以上の強さだったな。結局、腕を軽、く……斬った、だと……いやいやいやいや、ちょっと待て、嘘だろっ!?)
シドは、ようやくそのことに気付く。
シドのような魔導師を含めた魔道職は、魔力線という形ではあるが、相手の魔力量を大まかに予測することが可能である。当然、宗茂の凄まじい濃度の魔力線を見て、とんでもない魔力量だということは理解している、その上で戦いに臨んだのだから。
生物の魔力というのは、魂と魄、どちらにも影響し、魂魄と繋がることで稼働するのがステータスユニット。その機能であるHPシステムとMPシステムは、着用者の魔力量が高ければ高いほど、上限が上昇する。
(一度もダメージを与えてないのに、なんで――腕に傷がつくんだ!?)
シドが、レイヴンを倒すために修練を重ね、己の実力を高めたように。
宗茂もまた、ステータスユニット抜きでレイヴンと戦えるようにと、己の実力を高めるための修練を欠かさない――何時如何なる時においても。
つまり、己が武の研鑽と、実戦だからこそ量り得る今現在の実力を識るため、シドとの戦いの最中、あえてステータスユニットを起動していなかった、ただそれだけのことである。
そして、ドグル大平原中央部を舞台とした6日目の戦が、その終わりを迎えた。




