戦場の鬼たち 拾伍
「んっんっ、あっあっ……えー、ただ今、拡声器のテスト中です! 前軍の皆さん、聞こえていましたら、大きな声でお返事してくださーい!」
強烈な威圧感を放つ紅き巨躯、その威容。だが、その凄まじき威容からあまりにかけ離れた、その和やかなセリフ。その声、その言葉の影響力は大きく、前軍に漂っていた敗戦ムードを、完全に霧散させる。
そして、前軍兵士が楽しそうに返事をする様に「ありがとうございまーす!」と言いながら、フィエルボワの大きすぎる右腕を、左右に振って応えるアイナがそこにいた。
前軍の兵士は、いや、彼らだけではない。ヴァルフリード辺境伯領軍の者たちは、知っている。
確かに、新たなウィロウ公爵は凄まじい強さを備えている剛の者であり、従える者たちもまた強者である。今日、そのことを、まざまざと知らしめられた。
だが、まだだ――前軍の兵士全員は、知っている。知っていることを、彼女の声で思い出した。
我らにはまだ、あの2人がいる、と。
古今、戦場にて兵を鼓舞できる者は限られている。英雄、英傑、勇将、猛将といった、強き者たちの言動に、兵たちは、士気を激しく高める。
しかし、それらを凌駕する者らが、確かに存在するのだ。
頑張れ、挫けるな、諦めるな――そういった激励の言葉を望む者のほとんどは、強者気取りの傲慢な愚者たちに嘲られる、艱難辛苦に耐えながら懸命に今を生きる、弱きを強いられし者たち。
だからこそ、心に響く。
痛みを理解し、他者が苦しんでいる姿に自然と涙する、そんな純粋な優しさこそが、彼女らを――聖女たらしめる。故に、その声は、言葉は、歌は、傷ついている者たちの、奥々深くにまで、届く。
染み入るのだ、心に、その想いが。
だからこそ、アイナ=ブラックスミスという純真無垢な少女を、フィエルボワは――聖女の劔は、自身の担い手として認めた。
その剣は、特段、優れているわけではない。聖剣、魔剣、神剣、妖刀……綺羅星のごとく語られ謳われる、数多の名剣名刀と比べれば、ひとつふたつ、格落ちするといわざるを得ない。フィエルボワとは、そういった立ち位置にある、凡庸な剣である。
魔導騎のモチーフとして、十字の装飾だけが特徴の剣を、ミコト=ブラックスミスが採用した理由。
それは、フィエルボワを携え、戦場に向かったといわれている、ある人物の存在。
信仰に殉じ、勇を以って民を導いた彼女は、地球という惑星の歴史上、最も有名な聖女。
そして、その一振りは、彼女が携えていたとされる、5つの十字架が刻まれた代物。故に、剣の由来になぞり、かの聖女のごとき高潔さと勇ましさを備えていることが、その魔導騎を駆る資格となる。
これが、当代 紅灰の聖女たるアイナ=ブラックスミスが駆る魔導騎、その銘の由来。
5つの紅き十字剣を携え、聖女は、戦場を駆ける。
ユグドレアにおいて、高く大きな存在を語る時、まず初めに挙がるのは、神代以前より生き永らえているとされる、巨大な獣――神獣。
ユグドレアの大陸各地に点在する、古代や神代の遺跡群、通称ダンジョンの中でも、古代の遺跡群だけに現れる特殊な魔物――ゴーレム。
ゴーレムの強大さをも含めて、比肩すると並び評される、最大最長の人種族――巨人族。
神獣、ゴーレム、巨人族。そのいずれもが、ユグドレアの各大陸に存在し、知性ある生物の理性と本能に畏怖を抱かせる、強大無比な化け物の類である。
そんな中、ガルディアナ大陸では、それらの他に、強大なる者として語られている存在がある。
それこそが――
「初めましての方は、初めまして! ランベルジュ皇国、魔導騎士団ヘリケ・イグニスに所属しております、アイナ=ブラックスミスと申します!」
とても丁寧で元気な挨拶をする彼女――アイナが駆る魔導騎も、強く大きな存在として、ガルディアナ大陸の民衆の間で語られている、伝説のひとつ。
全長38mという、従来の10倍以上の高さを誇る、最大最長の魔導騎。
それが、フィエルボワである。
そんな魔導騎を駆るアイナは、フィエルボワの左肩に腰かける、黒い魔導騎を指差す。
「それと、ここに座ってる、小さいけど黒くてカッコいい魔導騎に乗っているのが、我らが副ちょ、じゃないや、副団長の、シド=ウェルガノ、え? はい……えー、ちゃんと挨拶しとけって、言ったじゃないですかー! まったく、副長はワガママです、ふぇ…………あ、言われてみれば確かにそうですね! 前軍のみなさーん――」
――ちょっと危ないので、退がってくださーい!
アイナが口にした言葉、その意味を理解している前軍の兵士は、自軍の裏を取っている『ラーメンハウス』との交戦を避けるため、ウィロウ公爵領軍に向けて、全力で、前進という名の後退を始める。
――総員、後退せよ。
追撃しようとする『ラーメンハウス』の傭兵たちのもとに、ムネシゲから届いたのは、前軍同様、後退の指示。
「みなさん、衝撃に備えてください、ていやっ!」
紅き巨体が輝き始め、光の粒を生み出す。徐々に形が整われゆくそれは、自身の名、その由来を示すように、フィエルボワの背後に出現した。
紅と灰色で彩られた、巨大な十字架。
巨大であるはずのフィエルボワよりも、さらに大きいその十字架が、揺れるようにブレると、次の瞬間――
「これから先、前軍のみんなには手出しさせませんよ、ウィロウ公爵領軍のみなさん!!」
前軍の四方を覆い囲む、薄紅色をした半透明の布のようなそれは、フィエルボワに搭載された、特殊な魔導器で構築された守護障壁。四方の角それぞれに、巨大な紅い十字剣。
――聖女が携えるは、5つの十字刻まれし紅剣。
今、戦場に在る劔たちを以って、仄明るき聖女は、己が役割を果たす。
――ラ・ピュセル・ドルレアン。
フィエルボワの背後に浮かぶ十字の剣の形をした巨大な魔導器の名であり、多目的汎用魔導十字剣とも呼ばれる自身を複製する為のものである。
フィエルボワの背後に浮かぶ巨大な十字剣から生み出されたその守りは、堅牢そのもの。薄紅色の障壁の強度はすさまじく、並大抵の破壊力では、まず突破することはできない。
現時点での本多 宗茂、本気の一撃――大陸を海に沈める威力のそれを、数年後に星割りと呼ばれることになる、その拳ですら、フィエルボワという魔導騎は耐えしのぐ、それだけの防御力を有している。
ただし、これはあくまでも、宗茂自身が放つ、本気の一撃での話。
本多 宗茂の全力――憤怒の権能を含める、全ての力と共に放った一撃ではない。
そのことを、けっして勘違いしてはならない。
もし、万が一、憤怒の権能を完全に――ユグドレアの怒りをすべて束ねて発動した状態での一撃を、宗茂が放った場合。
世界――次元もろとも、因果律を崩壊させる。
宗茂が託された力とは、こういったことを可能にする。だからこそ、警戒している。同じく権能の1つであり、外天の支配者らに奪われた傲慢の権能を、最大限に警戒しており、宗茂自身も、むやみやたらに権能を発動しないのである。
力に溺れ、自身を見失い、力に使われることのないように。
数多のフィクションで描かれている、物語、否、作者の思うがままに使われている最強気取りの愚か者、井の中の蛙と相違のない、無知な弱者になってはならない。
どこかの誰かから与えられた【チート】という名の力。そんなものに、いいように使われている弱者が吹聴する最強など、数多のフィクションで描かれている自分勝手な妄想となんら変わらない、ご都合主義という名のニセモノ――最強の皮をかぶった紛い物でしかない。
自制も、自重も、自粛もできない、惰弱極まる愚か者に、摂理を逸脱している強大な力を与えるのは、幼児にミサイル発射ボタンを渡すような、思慮の足りない自殺行為でしかない。それは、地球でも、ユグドレアでも、どのような世界でも変わらない。
故に、立花流戦場術が世界に産まれた。
故に、導く者として彼が連れてこられた。
力が、世界と共に在れるように、と。




