戦場の鬼たち 拾参
陣を左右に別けられ、激しく動揺しているヴァルフリード辺境伯領前軍をからかうように、黒鬼たち――『ラーメンハウス』の面々は、嬉々として、前軍の兵を無力化する。
古い刃にこびりつくサビを丁寧に削り落とすかのように、勝利をひとつひとつ危なげなく勝利を積みかさねていく黒鬼たち。その見事な戦いぶりは、黒鬼たちの強さを証明するに、なんら不足のない光景であった。
本多 宗茂ひきいる『ラーメンハウス』の面々が、陣を分断する際にうまれた凸凹道――奮闘する黒鬼たちを横目に、倒れ呻く前軍の兵士たち。
その隙間を、縫うようにゆっくりと歩を進めている1人の黒鬼。
一見すると無防備に見えたのか、その黒鬼に向かう3人の兵士。前方と左右からの三方向という、明らかに不利な状況が、黒仮面――鬼面をかぶる赤髪の青年へと襲いかかろうとしていた。
そんな状況下にて、彼が選択した行動は、3名の兵士の中央にいる者へ向かって――前進。それも、相対する者のふところという至近距離へと、しゃがみながら踏み込み、右脚をもちいて、地面に円を描くような右回りの足払い。
体勢を崩し、困惑する兵士の右脇腹へ向けて、左掌底を上方向に撃ち、宙へと打ち上げる。
――まずは、1人。
またたく間に無力化された仲間の姿、そんなものを見せられ、呆気にとられたからだろう、自分への注意が逸れたことに気付いた彼は、黒仮面の裏で微笑み、宙から落下してきた兵士を突き飛ばし、片方の兵士へとおしつけ、もう片方の兵士の鼻先へと自分の身体を運ぶ。
突然あらわれた黒仮面におどろき、慌てたように後退る兵士は、剣を上段にかまえようと、両腕を頭上へと振りあげる、その途中。兵士が振りあげた腕を、遮蔽物として活用できる、その一瞬で、彼は兵士の視界から消えた。背後へと回り込んだ彼は、踏み込むために転回させた身体、その勢いをのせた右肘打ちを、兵士の背中へと撃ち込む。
――2人目。
強烈な肘の一撃によって吹き飛んでいく兵士、その先には、彼が突き飛ばした味方によって、身体をもつれさせられている最後の1人。合流させられた兵士達は、三人一緒に地面を転がされ、意識のある最後の1人が、意識のない2人の下敷きになっていた。
最後の兵士が、仲間を押しのけると、そこには、かがみながら兵士を眺めている、黒仮面の姿。彼は、無防備な兵士の顎先に向けて、右人差し指の一本拳を放つ――手首をしならせながら、ピンポイントで掠めるように当てることで、脳を激しく揺さぶり、最後の兵士も、意識を手放すことになった。
――これで最後、と。
右、左と目を向け、黒鬼たちが、順調に課題をこなしているのを確認した彼は、感想を告げるように口を開く。
「なるほど……確かにこれは理に適ってるな」
3名の兵士を行動不能にするのに要した時間は、約5秒。1人当たり1秒弱。この数字は、彼にとって良しなのか悪しなのか。
そのまえに、ひとつ、確実に言えることがある。
鬼面をかぶっている赤髪の青年、すなわち、傭兵クラン『ラーメンハウス』のサブリーダーである彼――ゲイル=ガーベインであれば、さっきの10倍、30人がかりで襲われたとしても、10秒以内で全員を無力化できるだろう。
ただしそれは、彼の本来の戦闘方法――ガーベイン流魔闘術で対処した場合。さきほどのように、魔力の消費を極力おさえた徒手空拳のみでの対処となると、そうそう上手くはいかない。
ならば最初から魔闘術で対処すればいい――たしかにそれはもっともな話だが、それが最適解であるとは限らない、とは、本多 宗茂の言葉。
例えばこれが、武人同士の1対1の闘争であるならば、ガーベイン流魔闘術の真髄を存分に見せつけてやればいい。
だが、今は違う。今のゲイルは、戦場にいる。1対多という不利な戦況が、いともたやすく生まれる場所にいる。
強者として振るまう資格を有する、ゲイルのような武人の場合、念頭におくべきは、最後まで戦うための適切なペース配分。つまり、余力を残す上手い戦い方である――これは、本多 宗茂の主張であり、『ラーメンハウス』の中に存在する、ゲイルのような強者たちの行動指針としている。
ゲイル=ガーベインという英傑であれば、全力の魔闘術で以って、敵兵の千や二千程度であれば、いとも容易く屠れる。彼は、それだけの武人である。
だが、いかに魔族であるゲイルとはいえ、体力も魔力もけっして無限ではない以上、力を発揮する相手は選ぶべきであり、そうすることで、戦場を戦い抜くことにつながる。特に、持久力と同義ともいえる体力の有無は、地球のみならず、ユグドレアの戦場においても、やはり死活問題だといえる。
ただし、活性化による魔素の変質によって、結果的に、ほぼ無尽蔵に魔力をあつかうことが可能になる現象――臨界を前提とした戦場、そこでの闘争を常とするのが、ユグドレアという世界。で、あれば、魔力に関しては、そこまで神経質になる必要はない。
とはいえ、臨界という現象に欠点がないわけではない。
ユグドレアの生物は、そのすべてが、魂魄によって形成されている。
魂が霊子領域とつながることで、魂という名の、魔素を魔力に変換する役割を有する臓器のようなモノとなり、魄が生物として活動するための肉体を形成する。
これは、ユグドレアの生物すべてに共通する機能である。
魔力が使用される順番は、装着している場合、ステータスユニット内のMPから消費していき、残量が空になった時点で、体内の魔力を消費していく
そして、生物が体内の魔力を消費した場合、空気中の魔素を自動的に変換し、失った魔力をとりもどすように回復する。これは、ステータスユニットの機能であるMPシステムも同様であり、基本的に連動している。
つまり、臨界であるかどうかにかかわらず、空気中に魔素が存在していれば、ユグドレアの生物の体内魔力が尽きることはない――無茶な使い方をしない限り。
例えばそれは――殲滅魔術。
殲滅魔術のように、大量の魔力を必要とする大規模な魔道を執り行うときには、複数名の魔力を束ねて発動するのが一般的であり、大概の場合、枯渇寸前まで魔力を失うことになる。
非臨界の場合、戦場に向かうことを認められるだけの実力ある魔道職であれば、枯渇状態から、再度の大規模魔道を発動可能な魔力量に戻るのは、およそ2時間。比較的安全な魔薬――魔力補給薬を服用した場合でも、30分程度。
では、臨界状態の場合はどうかというと、およそ5分。魔力補給薬を併用した場合は、2分程度にまで短縮される。
ただしこれは、大規模な魔道によって、枯渇寸前にまで失った体内魔力を回復するという、特殊な場合での話。個人用の魔法や魔術などの魔道的行為であれば、失った魔力やMPは、ものの数秒で完全に回復する。
参戦した勢力のいずれかが、勝利もしくは撤退したうえで、終戦宣言がなされない限り、戦闘状態が続くのが戦争である。戦闘が止まらないのであれば、連続かつ継続的な魔道的行為を、世の魔道職は要求される。
魔道職にとって至福のひとときである臨界。そんな特別な状況であっても、魔力を消費した者には、それを回復するための時間が、それがほんの少しの間であったとしても、やがて必ず訪れるということ。
その僅かな間が付け入る隙であると、宗茂は断言した。
ユグドレアの各大陸に存在する多くの国軍では、魔力の枯渇対策として、交代制を取り入れている。そうすることで、可能な限り、継戦能力を損なわないように努めているわけだ。
だが、交代するための動きを要求されるのであれば、そこには時間の損失が存在する。どのように言い繕ったとしても、それは明確に――隙間であり、避けようのない現実である。
武人として、軍人として、自身が携わった事の最中に生まれた隙を、本多 宗茂が見過ごすことも、見逃すこともない。何かしらを、必ず、その隙間にねじ込む。
それは、本多 宗茂という男の根底に、業無という名の攻めの理合が存在しているが故に。
例えば、本多 宗茂に武人として対峙する場合。
現代地球における、ゾーンと呼ばれる極限の集中状態に、任意で入れることが、本多 宗茂との勝負の場に立つ、最低条件という名のスタートライン。ゾーンを維持できなくなった次の瞬間、敗北を与えられることになる。
逆を言えば、任意でゾーンに入り、かつ、それを持続するのは、宗茂はもちろん、立花流戦場術の高弟にとっても当たり前――基本中の基本であるということだ。
結論として、本多 宗茂という武人を相手取りたいのであれば、ほんの僅かでも、けっして隙を見せてはならないということだ。
英傑級の強者ひしめく、武を尊ぶ魔族領域ですら、一度も体験したことがない、ほんの僅かでも隙を見せれば簡単に意識を手放すことを強要される――それが、2人目の師と仰いでいる、本多 宗茂との模擬戦。武の道を征く者として得難い経験を、其の地の誰よりも重ねているゲイルだからこそ、手加減して戦うことのメリットを知らされた時、その真意をすぐに理解した。
(意図的に力を制限することで、体力と魔力に加えて、気力も温存、強敵と遭遇したら全力で対処する……実戦で、適切に手加減するのはむずかしいからな……緊張して気疲れするわ、テンション上がって興奮するわ、そうなれば冷静に集中し続けるのはむずかしい、と……経験不足のこいつらに、不殺の制約を課すのは、まちがいなく理にかなってる……本当に底が知れないな、あの人は)
体力や魔力を失うというのは、身体が疲労しているということであり、思考力や判断力の低下を招き、冷静さを損なうことに繋がるため、気力――精神的な負担の増加をも招いてしまう。もし、心身ともに疲弊した状態で、自身と同等以上の強敵と遭遇した場合、ゲイルのような英傑はおろか、宗茂のような英雄であっても苦戦はまぬがれない。
敵対者に付け入られる隙を心身に生み出さないためにも、闘争がいつ終わるかわからない戦場という状況下で、あえて手加減し、体力や魔力を温存するのは重要だということだ。
宗茂が与えた課題、不殺の制約は、戦場に慣れてはいないが、まちがいなく強者である『ラーメンハウス』の面々に、手加減することの有用性、重要性を理解してもらうと同時に、不必要に隙をつくらせず、継戦能力の低下を抑えるための方策でもあるということだ。
だが、不殺の制約を課せられた『ラーメンハウス』の面々、そのほとんどが困惑していた、が、それも当然である。
彼ら彼女らは、自分達が弱者であると思っており、自分達が手加減するなど、甚だ烏滸がましいと、心の底から思っているからだ。
そもそも、傭兵クラン『ラーメンハウス』の新人傭兵である彼ら彼女らの大半は、騎士登用試験に落ち、騎士見習いにすらなれなかった――志半ばで挫折してしまった者たち。それ以外の者たちも、貧民という名の敗北者である。
それはつまり、ゲイルのような英傑や、それに次ぐ実力のティアナやエリザのような強者を除き、自信につながる健全な自尊心が欠如し、劣等感に心を縛られている者たちで、『ラーメンハウス』の大半が占められていることを意味する。
もっとも、デラルス大森林という、人族領域でも屈指の魔物領域に棲息する魔物――デラルスカイゼルオーク以外の魔物を、複数人がかりとはいえ、素材を傷つけぬように狩れる時点で、彼ら彼女らが弱者であるわけがない。だが、一度しみついてしまった劣等感は、そう簡単にぬぐい落とせるものではない。
だからこそ、本多 宗茂は、いささか強引に、機会を設けた。
だからこそ、本多 宗茂は、ヴァルフリード辺境伯領前軍とは、基本的に戦わないことを告げた。
だからこそ、人族領域において屈指の戦闘集団であるヴァルフリード辺境伯領前軍を、傭兵クラン『ラーメンハウス』躍進のための踏み台、やや悪しざまに曲解した呼び方をするならば――生贄になってもらおうと、本多 宗茂は決めたのである。
彼ら彼女らならば、この戦いを糧に強くなると信じて。




