戦場の鬼たち 拾弐
現在のユグドレアは、飢餓の時代であり、貧富の差と食糧事情が直結している。
ガルディアナ大陸の国々の中でも、貧富の差が大きい――貴族と平民との経済力、その格差が尋常ではないことが、他国に知れわたっているナヴァル王国であれば、食糧事情の劣悪さがもたらす深刻な状況は、他国のそれとはくらべものにならない。
貴族であれば、一部の清貧な者や、領地経営が難航している者を除き、基本的に飢えることはない。
銀等級以上の傭兵や冒険者。商人を統括する商人ギルドに、基準を超える税を納めることで認定される中級以上の商人。王都や子爵以上の貴族がおさめる領都に勤務する騎士や、政務官、法務官などの公職についた者たち。
平民の中でも、比較的安定した収入があり、所属する組織の庇護を受けられる者やその親族も、貴族と同じように、飢えて死するような状況から免れることだろう。
だが、それ以外の平民――銅等級や新人に相当する鉄等級の傭兵や冒険者、商人ギルドへの納税がむずかしい下級商人や、商人ギルドに所属しない野良と呼ばれる商人のように、収入を食費にまわす経済的な余裕がない者たちは、最低限の食生活を余儀なくされている。
そして、不運にも一部の貴族に目をつけられた者や、不運にも一部の貴族ともめごとを起こしてしまった者、不運にも一部の貴族に見初められるもすげなく断った者など、ある派閥に属する一部の貴族との間で、何故かトラブルが発生し、借金を始めとしたなんらかの負債を何故か背負うことになってしまった、貧しい生活をしいられる平民――貧民は、常に限界ギリギリの食生活の中、懸命に耐えぬいている。
そして、一部の貴族達に、貧民と蔑まれている者たちは、ナヴァル王国の各地から、何故か王都ナヴァリルシア平民街の右半分に、追いやられるように移送され、そこで暮らすことを強要される。
王都ナヴァリルシアの貧民窟、そこは――何故か、不運にも、ある派閥に属する貴族と、なんらかの関わりをもってしまったことで、多大な負債を背負わされてしまった、王都在住の一部の平民とナヴァル王国各地から送られてくる平民で形成されている、貧民という呼び名の債務者が、日々を生きぬく場所である。
金銭を貸し与えた債権者からすれば、金貨袋同然の債務者である、貧民という名の平民たちが、其の地――デラルス大森林西域を本拠と定めている傭兵クラン『ラーメンハウス』に、どういうわけか数多く所属している。
そんな彼ら彼女らが、戦場で活躍することに、何故レヴェナがおどろいているのだろうか。
当然のことだが、ユグドレアの生物は日々成長している。生きているのだから、それは当たり前のことである。
そして、肉体の成長には、食べ物に含まれる栄養が重要である、それもまた当然のことである。
ならば、飢餓の時代であり、貧富の差と食糧事情を同列に語るべきユグドレアの現状において、ナヴァル王国の貴族と貧民と呼ばれる者たち、はたして、生育の度合いには如何程の差があるだろうか。
――肉体の成長度。
レヴェナが驚愕した最大の要因が、これだ。
幼少の頃から十分な栄養を摂取しながら鍛えられた貴族に対し、日々を生き抜くことで精一杯の貧民とでは、肉体の完成度が違いすぎる。
これは、かつての地球でも同じことが起きていたことは想像に難くなく、王侯貴族やそれらに従属する者たちが、戦場で功を重ねることができた要因のひとつであったのは間違いない。
そして、これら貧富の差により生じる一連の流れ、その対策として、戦闘能力低下を阻止する一助になるべく、神代よりもさらに前の時代――古代にて開発された魔導器こそが、ステータスユニットとスキルボードである。ただし、これはあくまでも開発理由の一部でしかないことを、補足しておこう。
ともあれ、ユグドレアという世界では、今も昔も食糧事情が変わっていない――進歩していないのである。
――何故?
本多 宗茂が、ユグドレアに連れてこられて感じた、多くの違和。その1つに、何故か改善されない、ガルディアナ大陸の食糧事情がある。
平民以下の領民が物理的な力をたくわえ、起こりうる民衆の反乱をおそれた、悪徳貴族とでも呼ぶべき非道な者たちによって、永きにわたる画策がおこなわれてきた――これが、食糧事情が改善されない理由であるのは間違いない。
しかし、あくまでも理由の1つでしかない。宗茂は、そのように推測している。
もし、これが人族領域だけに限った話であれば、ナヴァル王国の一部の貴族たちによる暗躍の結果であり、それが理由のすべてと断言できた。
だが、他の領域――亜人領域も、獣人領域も、魔族領域も、飢えて死にいたる者たちの割合は、さほど変わらない。
つまり、ガルディアナ大陸全土に共通する、他のなにかが、変わらぬ食糧事情の原因であると推測できるわけだ。
さて、其の地に連れてこられた者たちが、ガルディアナ大陸に暮らす、ほぼ全ての種族で構成されていることを知った宗茂。これ幸いとラーメンに使えそうな素材が無いかを調べるために、聞き込みを開始したのだが、期せずして、ガルディアナ大陸の各領域の食糧事情を知り、違和感の正体と暗躍する者たちの狙いを確信する。
それは、呪術のように適切な処理を要するようなものではなく、目には見えず、真偽も定まらず、正誤を確かめることも難しい、噂や風聞といった確度の低い情報を以って、秘密裏におこなわれていたこと。
――情報操作による思考誘導。
本多 宗茂は、暗躍する者たちが、フォルス皇神教およびネフル天聖教霊長派であることを前提とした上で、暗躍する者たちが、ガルディアナ大陸で画策していたことの流れを、このように推察した。
コミュニティの大小に関わらず、国内外の不穏な噂や風聞を、手当たり次第に流布する。この際に重要なのは、情報の真偽や正誤ではなく、ただひたすら大量に、情報をばらまくことにある。
現代地球でのSNSのように、単一の情報の拡散性を高める手段がとぼしいユグドレアでは、ヘタな鉄砲数撃ちゃ当たるの精神で、数多くの情報をばらまくことが情報戦の基本になり、十分な成果を見込める有効な手段となる。
暗躍する者たちは、流布する情報の内容を、国内外の不安定な情勢に関わるものを基本とし、それらの情報を、撒き餌という名の罠として、ガルディアナ大陸の各地に数多く設置していたと予想。
無作為に散りばめられた撒き餌に反応した時点で、暗躍する者たちが付け入る隙を生むことになり、入り込まれれば最後、思考を1つの方向へと無理矢理に向けられることになる。
――戦争。
暗躍する者たちは、規模の大小にこだわることなく戦火を望んでいると、宗茂は確信している。
どうして食糧事情が改善されないのか、という問いかけに対して、戦争が数多く引き起こされているから、という解答がなされたとしたら、それは充分に納得のいくものであり、かつて戦乱の大陸といわれていたガルディアナ大陸であれば、なおさら説得力を高めてくれるからだ。
――権力者の思考を誘導し、大陸各地で戦争を頻発させることで、糧食という名のリソースの、多大なる消費をうながす。
そうすることで、ガルディアナ大陸の人口の大半を占める平民を、発育不良という状態へ誘い込む。そうなれば、平民出の信者を多数抱えるネフル天聖教だからこそ、軍事力の弱体化に繋がる。
つまり、ネフル天聖教とフォルス皇神教による宗教戦争は、ガルディアナ大陸の水面下において、今もなお続いているということだ。
――とはいえ、暗躍する者達のやり口自体は杜撰であり、緻密さとは無縁、宗茂の目には、質の低い振る舞いにしか見えない。
おそらくは、あえて簡易な策を立案し、数多く実行することを優先、失敗しても構わない、というスタンスなのだろうと、宗茂は推測した。
こうなると気になってくるのが、ナヴァル国境戦役という比較的規模の大きい戦争が、果たして誰が描いた絵なのだろうかということ。
結論からいえば、本多 宗茂、アルヴィス=C=オーバージーン、暗躍する者たちの1人、この三者が描いた絵である。正確には、アルヴィスと暗躍する者たちの1人の、二者が描いていた絵に、宗茂が強引に割り込んだという図式である。
半ば偶然とはいえ、王都ナヴァリルシアの裏側のほとんどを掌握した宗茂は、そのアドバンテージを活かすため、ダグラダマーケットを中核とした大規模な情報網を構築。憤怒の権能を中心に、真偽を定めにくい多種多様な情報を、国内外問わずにばらまいた――これは、暗躍する者達への意趣返しもかねての行動である。
その結果、ルスト=ヴァルフリード辺境伯が挙兵した、という反応が起きた。
その行動、宗茂にしてみれば非常に得るものの多い情報提供でしかなく、その報せを聞いたことで、おもわずニヤリと口角を上げて――しまったのを、エリザに見られた宗茂が「不謹慎でしょ!!」と叱られたことも、ここに記しておこう。
それはさておき、情報拡散後に間も無くヴァルフリード辺境伯が動いた、という事実は、決定的と呼べる明確な示唆を、宗茂へともたらす。
1.義剣と呼ばれる英傑であり、ウィロウ公爵領軍と長年渡りあってきたランベルジュ皇国屈指の軍人でもある、ルスト=ヴァルフリード辺境伯が動いた理由――自身の息子が所属する冒険者パーティーである、炎燼の剣の失踪が関わっている可能性が高く、炎燼の剣の失踪に関わっている者が接触し、ルスト=ヴァルフリード辺境伯を動かしたと予想できる。同時に、炎燼の剣生存の可能性が高いこともうかがえる。
2.炎燼の剣失踪に関わった者が、ルスト=ヴァルフリード辺境伯を動かした理由――ランベルジュ皇国最西に位置する、ヴァルフリード辺境伯領が対峙するのは、ナヴァル王国最北東に位置するウィロウ公爵領であり、憤怒の権能を授かっているのは新しいウィロウ公爵らしい、という噂の真偽を確かめるための手駒にふさわしい、と判断されたからだと予想できる。義剣のルストという英傑が、気まぐれで戦を起こすような人物ではないことを、様々な情報から推測できることも、この予想の確度を高める要因となっている。
以上の2つの理由と内情の推測を根拠とし、暗躍する者達たちが真に狙うものは、憤怒の権能であり、憤怒の権能者。つまり、新たなウィロウ公爵となったムネシゲ=B=ウィロウであると、宗茂は結論づけた。
だからこそ、機が熟したと判断した6日目に、宗茂自らが手勢を率いて、戦禍の真っ只中へと赴いた――自分自身を餌にしたのである。
宗茂が『ラーメンハウス』を動かす判断をくだしたのは、ある報告を聞き届けた瞬間。
『ラーメンハウス』の面々が、ヴァルフリード辺境伯領前軍を蹂躙することになる前日、夜も更ける頃、宗茂のもとに1つの情報がとどけられた。
その報告の内容を、簡潔にまとめるとこうなる。
第1騎士団特別選抜連隊第3大隊、壊滅。
その報告を知ったとき、宗茂の表情に変化があった。それは、とある感情が一定以上高まったときに必ず起きてしまう、幼少時から変わることのない、ある意味では悪癖とも呼べる生理的現象。
本多 宗茂は、嬉しそうに――嗤っていた。




