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戦場の鬼たち 玖

 




 選べる行動が、逡巡(しゅんじゅん)すること()()

 自らの意思で戦場に赴いている軍勢が、そんな状況に陥るというのは、頻度(ひんど)こそは低いものの、決して特別なことではない、が、今回のように特殊すぎる状況は別であり、例外という言葉がふさわしい。

 5万の軍勢が、たった()()の武人に挙動を抑えられている――そんな現状、特別に決まっている。戦に長く携わっている者ほど驚き、否応いやおうなく、その姿に(おそ)れを抱くことになる。


 ――両手に斧槍を構える、黒き大鬼。


 オーガのような黒仮面をかぶる、目の前の存在が、敵の総大将であることを理解している。

 時が過ぎるほどに、状況が悪化することも理解している。

 たった1人で、大軍の全てを対処することなど出来ないことも理解している


 だが、動けない。


 もし、自分たちが動けば、目の前の黒き大鬼が即座に動き出し、甚大な被害をもたらす可能性が高いことを理解しているから。

 強制的に心胆ごと全身を硬直させられる、その圧倒的な武威を放つ大鬼――規格外とさえ呼べる存在が沈黙しているのは、配下の者たちが、前軍の全てを平らげ終えるのを待っているだけ。

 そのことを十全に理解しながらも、ヴァルフリード辺境伯領軍の中央に座している()()は、いまだ踏み出せずにいた――前軍を助けようとする動きを、まるで地面へと縫い付けられているかのように止められていた、黒鬼の群れを率いる大鬼によって。


 その姿、橋を落とし、殿(しんがり)となった――()()豪傑の如し。


 地球の歴史で語られている伝説の武人――義兄らを逃がすため、あえて戦地に残った蛇矛(だぼう)の担い手に(なら)ったかのように、黒き大鬼は立ちふさがっていた。




 はたして、大鬼が見据えていたのは中軍か、それとも――










 立花流戦場術に、他の武術で言うところの、技と呼ばれる術理は存在しない。

 厳密に言えば、裏立花と呼ばれる橘流暗殺術にかぎっては、know-how(ノウハウ)と呼ぶべき殺しの技が存在するため、立花流戦場術の師範や師範代、一部の高弟が、それらの技を振るえるのは間違いない。

 だがそれは、立花流戦場術が技という概念を()()したことには一切関係がなく、いくつかある例外のひとつでしかない。

 そう、技そのものを自ら捨てた経緯があるからこそ、理合という名の()の伝授に、立花流戦場術は多くの力を注ぐ。

 なぜそうまでして、立花流という武の流れから、技という概念を無くそうと考えたか。

 それは、立花流戦場術を担う者達が皆、古今を問わず武の高みを目指す、貪欲どんよくにして高潔な求道者であるという、単純な答え。

 実のところ、非常に簡単な話なのだ。当たり前のことを当たり前にするために励んでいた、ただそれだけの話なのだから。


 ――攻撃に当たらずに、攻撃を当てる。


 これは、勝利を求める武人が思考した時に、一度は行き着くであろう、至極当然の理屈。

 だが、険しき武の道を歩んできた者同士が相対(あいたい)する場――強者同士の戦いにて、それを為すことの難しさを、世の武人は嫌というほどに理解している。

 ゆえに、自らの未熟さを補うための概念である、技という名の術理が生まれた。

 技がもたらす汎用性と利便性は、たしかに有用であり、多くの者が、一定以上の結果を手に入れることが可能になった功績を否定すべきではない。


 だが、立花の者はそれを――妥協と断じた。


 立花以外の者は諦めたのだ、目の前の()()から――単純だからこそ至難極まる、その(ことわり)から目を背けたのだ。

 立花の者たちは挑み続け、その結果として技を捨てた、(いな)、技という概念からの脱却を果たしたのだ。

 武の腐敗を促しかねない罪業である技という概念、それに固執しない道を選んだ末に、立花の先達が辿り着いた、武の極致。


 それは、立花流戦場術において、攻を司る理合、その()()()




 ――()無きは、隙も無く。










(すごい……こんなに()()()なんて……)


 見る、視る、観る。

 戦闘において視覚情報の取得が重要であることは、論ずるまでもない常識に等しい認識である。

 それは、彼女――元暗殺者のシーダを含めた『ラーメンハウス』の面々も、当然、理解している、していた()()()()()()

 凄まじい勢いで戦場を駆ける宗茂に、どうにか追従した末、ヴァルフリード辺境伯領前軍の最後方に到着。モールネストが採用されたと同時に、黒鬼たちが、順次ステータスユニットを起動した、次の瞬間、その時。


 立花流戦場術という立ち位置での、()()という行動、その()()()()を、彼ら彼女らは、本当の意味で知ることになる。


『ラーメンハウス』の傭兵の中で選抜した者たちが、ドグル大平原へ到着してから数日後。出陣が決まった、その日の朝、実際に戦いに赴く寸前、つまり、殲滅魔術発動の少し前に、宗茂から、留意すべき事柄を伝えられていた。

 それは、山駆けという修練法によって、戦場に連れてきた全員が、()を破ったと、宗茂が判断したからこそ伝えるべき――注意点。

 デラルス大森林西奥に位置する其の地にて、彼ら彼女ら全員は、ステータスユニットとスキルボードを使わずに、立花流の修練法と鍛錬法によってひたすらに――()()()()()()()()()


 それは、ある種の――矯正(きょうせい)


 なぜ、宗茂は山駆けという修練法を初めに選んだのか。

 なぜ、それを荒療治であると位置付けたか。

 そも、荒療治とは、手荒い()()を指す言葉。


 つまり、治療しなければならない何かが、其の地に集う、武を征かんとする者達の中に存在するからこそ、宗茂は山駆けを採用したということ。


 ステータスユニットには、実に多様な機能が備わっている。

 代表的な機能としては、周囲に存在する魂――分解された他者の(はく)を吸収して成長するレベルシステム、着用者の(こん)の周囲を漂う、不要な魔素と魔道的に繋がることでステータスユニット内に貯蓄するMP(マジックポイント)システム等が挙げられる。

 そして、宗茂が最も難色を示した、とある機能。

 その機能こそが、ユグドレアの武人の成長を妨げる、病巣とも呼ぶべき最大の原因。


 着用者の魄と魔道的に繋がることで、身体的負傷を()()する障壁生成機能――HP(ヒットポイント)システム。


 勘違いしてはならないのだが、この機能は不要である、といった否定的な考えを、宗茂はみじんも持っていない。

 むしろ、強力な外敵が存在するユグドレアという世界だからこそ必要な機能であると、素直に理解しているし、システムの完成度や秀逸さには感嘆していた。

 だが、それが問題なのだ――HPシステムは、あまりにも優れており、あまりにも便利すぎる。

 消耗した魂魄(こんぱく)というのは、大気中に魔素さえ存在していれば、魂魄の形に沿って自然に修復される。


 つまり、HPシステムが正常に働いている限り、負傷などによって死に至る可能性は、極めて低いということ。


 そして、本来ならば有効的に利用するはずの道具に、()()しなければならない状況が――それを生んだ。

 己自身と相対する者それぞれが、お互いの魂と身体へと、生と死の選択を押し付け合う、紙一重のせめぎ合い(デッドオアアライブ)()()できない。

 スキルという名の力を見せびらかすだけの、子供(だま)しのお遊戯会となんら変わりのない、児戯に等しい醜態(しゅうたい)を闘争であると、()()()することしかできない。

 それは、ステータスユニットという名の安全と、スキルボードという名の便利な機能が、上辺(うわべ)は頑強、しかし一皮剥けば極度に(もろ)惰弱(だじゃく)が過ぎる心身と、生温く芝居じみた滑稽(こっけい)極まる無様な戦闘方法という、開発者の意図とは()()()結果をもたらすことになった。

 ゲイル=ガーベインのような魔族や、レイヴン=B=ウィロウのような例外を除いた、大概の武人然としている者たちが、日々修練や鍛錬を重ねて育み、身体に宿らせた(おの)が武ではなく、ある日突如として己の内に現れた強大な力――スキルという名の技術に傾注し、挙句の果てには依存する。

 武を以って戦闘する者である武人には程遠い、その腑抜けた在り方は、宗茂からすると、武への冒涜にしか思えず、とても(みにく)く感じた。


 ステータスユニットが与えた安全性と、スキルという強大な力が生んだ自己陶酔じみた万能感が、ガルディアナ大陸における武の意味を歪め、無様すぎる者たちが溢れかえる現状に導いた原因であると、宗茂は理解した。




 武を愛する本多 宗茂が、そんな醜態極まる武の姿を見せられて、放置するわけもなく。




(まず初めに、軽く数合撃って、()()()……あれ、なんで向かって来な……あぁ、そうか、これが――)


 ヴァルフリード辺境伯領軍の兵と戦闘を開始した黒鬼たちの立ち姿には、ある1つの共通点が存在しており、相対している者達全員へと与えた心象もまた――1つ。


 ――攻め込むための()が見当たらない。


 地面にまっすぐ立っている――ただそれだけの姿に見える黒鬼たちに、前軍の兵士は、()しくも()()させられていた。

 攻め込む機が見つからないまま、(こら)えきれずに、苦し紛れに向か――うも、身体を動かしたと、()()()()に、地面へと打ち伏せられる、そんな光景が今なお広がっていく。

 さて、長くて半年程度の師事で、立花流戦場術の全てを修めた、などと、シーダも他の黒鬼たちも口にすることは、絶対にない。師のそれとは、比べ物にならないことを全員がわかっているからだ。

 あくまで、一門の(ともがら)としての本当の始まりを、今日という日に『ラーメンハウス』の面々が迎えただけに過ぎないことを、他ならぬ黒鬼たちが最も理解しており、本多 宗茂という流派を担う者からすれば、黒鬼たちは、まだまだ未熟な、けれど先が楽しみな弟子たちでしかない。


 だがそれでも、だ。


 黒鬼達それぞれが、追放された者、没落した者、落第した者、落伍した者――()()の烙印を押し付けられ、他者からは苦渋を舐めさせられ、地に涙を流し、絶望感で心が圧し潰され、歪み(へこ)まされた心の奥のその片隅で、如何(いかん)ともしがたい己の運命を、静かに嘆くことしか出来ないでいた者たちだった。

 オーガの如き黒仮面をかぶっている以上、黒鬼たちの表情をうかがい知ることはできない。だが、心の内を占めている感情を推測するだけならば、彼ら彼女らの過去を知る者ならば、簡単だ。

 黒鬼たちの目の前にいる兵士は、ランベルジュ皇国の英傑の1人――義剣のルストが治める、ヴァルフリード辺境伯領軍に属する者たち。

 ランベルジュ皇国屈指の隆盛を誇る領地として有名な、あのヴァルフリード辺境伯領の兵士たち。

 危険ではあるが、戦場の花形に等しい一番槍の名誉を(あずか)れる前軍に所属する、歴戦の勇士たち。

 あの蒼風と紅蓮が率いるウィロウ公爵軍との戦いを生き抜いてきた、猛者であり強者。


 ヴァルフリード辺境伯領の前軍に所属する兵士というのは、人族領域のみならず、ガルディアナ大陸全体で見ても、エリート中のエリート――黒鬼たちからすれば、間違いなく羨望の対象なのだ。


 ――歓喜。


 黒鬼たちの胸中は、敬意を示すに値する人たちと、互角以上に戦えているという喜びの感情と、それを可能にしてくれた師への感謝の念で満たされていた。

 そんな黒鬼達が披露している武の根底にある立花流の(ことわり)は――2つ。

 1つ目は在無(ざいむ)――立花流戦場術、守を司る理合、そのひとつ。


 そして、残る片方こそが、立花流戦場術にて攻を司る理合、そのひとつ。




 ――業無(ごうむ)







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