戦場の鬼たち 捌
ひとり、またひとり、と。
眠りから解放され、開放した黒鬼たちは、我が意を得たとばかりに嬉々として戦場を駆け抜け、辺境伯領の兵達をさも当然のように昏倒させていく。
そう、彼ら彼女らもまた師と同じように徹底して不殺を貫き、自分達もそれが可能な武人であると証明するかのように、広大な平原を一切迷うことなく邁進していく。
もしもこの時、ヴァルフリード辺境伯領前軍の陣を空から眺めることができたならば、その光景を――陣の最後方から、枝分かれするように伸び広がる、数多の線を捉えることが叶っただろう。
その有様――地中深くに夥しく掘られた、巣穴の如く。
さて、ヴァルフリード辺境伯領前軍の陣を掘り進むかのように駆ける黒鬼たち。実は、今回の奇襲行動時にて達成すべき、ノルマに等しい課題を、師から与えられている。
その内容は――1人あたり10人、行動不能にすること。
3から5人でのチーム編成で動くことを義務付けられている黒鬼たちは、人数 × 10人分を行動不能にすることを目標としている。
また、達成数を正確にするために、昏倒させた兵士のステータスユニットとスキルボードの回収役として魔導師が同道しているため、護衛任務も兼ねている。
ヴァルフリード辺境伯領の前軍の兵数は――約40000人。
本多 宗茂が、ほぼ独力で蹴散らした人数が――約10000人。
ドグル大平原へとやってきた傭兵クラン『ラーメンハウス』の総員が――約3000人、1人当たりのノルマは――10人。
実は、マークが懸念していた殲滅魔術の余波消失後のウィロウ公爵領軍の進軍など、宗茂は指示すらしていない。
今回、ドグル大平原にて行なわれた、現ウィロウ公爵とその配下による奇襲行動は、傭兵クラン『ラーメンハウス』の面々にとっては、師から与えられた試練を超えるための場でしかないということだ。
さらに付け加えるならば、本多 宗茂という武人にとって、ナヴァル国境戦役と名付けられることになる、この戦自体が、絵空事の如き夢想を実現させるための試金石――試しの場でしかなかった。
もし、立花流戦場術に師事する者達だけで部隊を組み、戦地に赴いたらどうなるのか。地球にいた頃から、本多 宗茂は、そんなことを考えていた。
現代地球では、本物の武人が全力で戦える場となると、どうしても限られてしまい、ほとんどの者が、最新鋭の銃火器を装備する者たちがひしめき合う、兵器の発表会のような戦場でのみ、闘争に明け暮れることになってしまう。
無論のことではあるが、宗茂であれば、銃弾が発射される前でも、発射された後でも、それらの対処は可能なので問題なく参戦できる。だが、宗茂以外の立花の者で、同じことができる高弟は限られてしまう以上、安易に同道させるわけにもいかない。
そもそもの話、門下にある者が両手で数えられる人数しかいないのでは、部隊を組むにしても分隊規模でしかない。
宗茂としては、千人規模の立花の者達と一緒に戦場を駆けたい訳で――違う、そうじゃない、という気持ちになってしまうわけだ。
武人である本多 宗茂にとって、時折襲い来る閉塞感に近しい虚無の感情は、中々に苦痛を伴うものだった。
そんな地球での日常の最中、宗茂はユグドレアに連れてこられた。
そして、ティアナやエリザと出会い、異世界で暮らすこと、数週間。現代地球では不可能だった絵空事が、ユグドレアでは可能になったことを、宗茂は確信した。
万夫不当は無理かもしれない、一騎当千も辛いかもしれない。
だが、百の兵を倒すことなら、この世界でも可能なんじゃないか?
――ならば、是非とも試してみたい。
ユグドレアに暮らしている、武の道を征こうとする者たちを、立花流戦場術の理合を解する武人へと鍛え上げたら、それはもう立花の部隊と呼べるのではないかと、宗茂は思い至った。
本多 宗茂はラーメンが大好きだ、愛している。
だが、ラーメンと同じくらいに武の道を征けることに喜びを感じている。
幼き頃、天涯孤独であり、道に迷うどころか、道自体を見ることすらできなかった弱い自分を、満面の笑みで拾ってくれた師から、ラーメンと同じように与えられた大切なものが――立花流戦場術。
ナヴァリルシアの貧民窟の者達や番外区域にいた者たち、不当に奴隷に落とされた者たち、暗殺者として利用されていた者たち――かつて、名も与えられず、何者にもなれないようにと虐げられていた彼が、彼ら彼女らの境遇を知り、苦難の最中にあると知ったならば、見過ごすわけもない。
だからこそ宗茂は、自身の記憶の中にある、若かりし頃の義父になってくれた師と同じように、笑顔で、手を差し伸べたのである。
そして、現在。
手を差し伸べられた者たちの中でも、特に戦闘能力の高い上位の序列者――其の地にてランカーと呼ばれる武人を含めた黒鬼達が、ドグル大平原という名の戦場へと参じ、戦闘を開始したのだが、全員の心境がこのようになっている。
――立花流戦場術、凄すぎないか!?
年齢も性別も種族もバラバラな人員で構成されている『ラーメンハウス』であるため、正確な文言は統一できないが、概ね正しく訳せているはずだ。
其の地にて何ヶ月も、長い者ならば半年以上、本多 宗茂によって鍛えられていた者たちが抱く想いとしては、いささか違和感を覚えるようにも思えるが、それも致し方ない、そう言わざるを得ない事情がある。
本多 宗茂は、人族領域の人々の弱さ、成長の遅さに疑問を覚えていた。そして、その原因はどう考えても、ステータスユニット。
だからこそ宗茂は、ステータスユニットを待機状態にさせた上で、山駆けという荒療治を施した。
そして、本多 宗茂が斧槍による指示を出した、あの時、あの瞬間、宗茂を除いた黒鬼達の手首が、ほぼ同時に淡く輝き始めた――待機状態のステータスユニットとスキルボードを起こした。
つまり、宗茂も『ラーメンハウス』の面々も、ヴァルフリード辺境伯領前軍の最後方にたどり着くまで、ステータスユニットとスキルボードの恩恵を排していた――素の身体能力のみで、殲滅魔術の余波をくぐり抜け、敵陣を突破したという、当事者以外の余人から見れば、狂気的としか感じ得ない行動を取っていたのである。
立花流戦場術に師事することを決めた者たちが、初めて外の世界で心身を動かしたことで、敵兵の鈍重さに、精兵であるはずのヴァルフリード辺境伯領軍兵士の隙だらけの姿に、そのように感じてしまうほどに変容した自らの感覚に、本気で驚き、自分達が師事すると決めた流派の凄まじさに、この時、本当の意味で、ようやく気付いたのだ。
それはさておき、傾斜を駆け降りるという運動は、本来ならば二足歩行の生物が行なうべきではない。理由を簡潔に述べるならば、いとも容易く、本人の限界以上の速度域へと、心身を連れて行ってしまい、許容範囲を簡単に超えてしまうから。
だからこそ、鍛錬に向いているとも言える。
ユグドレアの人々が、ステータスユニットを待機状態にするというのは、地球などの世界から来た者が想像するよりも、はるかに、精神的負荷がかかる行為である。
地球上の生物が生きていくのに、酸素や水などを必要とするように、外敵が明確に存在するユグドレアの人々にとって、ステータスユニットとスキルボードは、日々を生き抜く上で必須である。
そんなステータスユニットが稼働していない状態で、危険極まる修練を行なうのだ、荒療治と呼ばれて当然だろう。とはいえ、最初から山頂付近から駆け下りろなどという、死刑宣告にも等しい指示を宗茂が出すわけもなく、きちんと段階を経させた上での修練ではあるし、そもそも治癒魔術という素晴らしいサポートがある以上、死傷沙汰になることはないし、実際に無かった。
だが、精神的ダメージをなかったことにするのは治癒魔術でも難しいことから、トラウマ気味の思い出が、もれなく全員に贈られたことを補足する必要はあるだろう。
ともあれ、傭兵クラン『ラーメンハウス』に所属する者達は、皆、宗茂が課した荒行を乗り越えた。
ちなみに、山駆けという修練法が、修行の第1段階であることを知った時、老若男女を問わない悲鳴が、其の地に響いたことも補足しておこう。
立花流戦場術が武の流派であると唱えている以上、当然のことだが、修練法が、山駆けのみな訳もなく。皆が山駆けの課題をこなした時点で、戦が差し迫っていることを知っている宗茂は、どうせ急拵えになるならばと、1つの鍛錬法と2つの理合だけを伝えることを決め、短い期間ではあるが、骨の髄にまで叩き込んでいった。
立花流戦場術、鍛錬法の一、触撃。
字面では分かりにくいが、文にすることで意味がわかりやすくなるのが、触撃という鍛錬法。
身体に触られている部位を撃つ、ただそれだけの鍛錬法だが、鍛錬の内容自体は非常に困難。しかし、恐ろしいほどに有用性のある鍛錬法である。また、複数人で行なうことを前提としているのも、特徴の1つである。
触撃がどういった鍛錬法か、例をひとつ。
まずは、誰かの手を両肩に置き、不規則的に動かしてもらう。両肩に触れている手の動きを察知するために集中し、動き次第――触られている部位を以って、素早く、弾くように撃ちぬく。
これが触撃と呼ばれる、立花流戦場術においても、屈指の難易度の高さで知られる鍛錬法である。
ちなみに、宗茂が触撃を行なった場合、10人以上に触られている部位をほぼ同時に、それも2、3メートルは吹き飛ばすことが可能である。
とはいえ、そもそもの話、部位を以って撃つという行動が、一般人には不可解だと思われる。だが、実のところ、理屈自体は、それほど難しい話ではない。
つまるところ、重心移動の一環。
重心を自在に操るための訓練と考えるならば、触撃ほど理に適った鍛錬法は存在しないとすらいえる。そして、立花流戦場術という流派の基礎にして根幹とも呼べる――ある理合の習熟に役立つという側面がある。
――在るが無きが如く。
それは、立花流戦場術の守を司る理合の一。地面に対し、重心を完全に垂直に立たせた上での脱力――いついかなる場合においても、それを完全に実現できる者は、事実上、隙という名の死角が消失する。
代々、立花流戦場術の師範となる者は、この理合を完全に解することが条件の1つとされている。
つまり、本多 宗茂という武人には、事実上、死角が存在していないということ。
立花流戦場術では、この技術を基礎とし必須であると位置付けており、立花を担う気概がある者が、最初に越えなければならない壁の1つと言われている。
それが立花流戦場術、理合の一、在無である。
そして、もうひとつ。
立花流戦場術を常勝不敗へと導いている、守を司る在無と双璧を成す、ある理合が存在する。
その名は――業無。
立花流戦場術、攻を司る理合の一である。




