戦場の鬼たち 陸
本多 宗茂には、ユグドレアに来てから感じた違和や疑問が、いくつか存在していた。
異世界であるユグドレアで日本語が通じることや、太陽や月とよく似た天体の存在など、なぜ、こうも地球との類似点があるのか、どうにも不可解だったのだ。
その中の1つに、その疑問もあった。
ナヴァル王国の人々は、何故こんなに弱いのか。
正確に述べるなら、もっと強くないとおかしい、理屈が合っていないと、宗茂は考えていた。
それは、ステータスユニットとスキルボードという、不思議な道具の存在を知ったときに浮かんだ疑問であり、宗茂が特に気になったのは、ステータスユニット――神経系を含む素の身体能力を参照後に反映させるという魔導器の仕様についてだ。
この場合の参照とは、参考にするという側面が強く反映されることから、短所を補い長所をさらに伸ばすという結果になるはずだと、宗茂は推測。自身のステータスユニットの数値や、ティアナやエリザのものを見せてもらうことで、その推測が事実として正しいことを、宗茂は確信した。
さらに、ステータスユニットの特性として存在する、レベルと表現されている機能――生物を殺めた際に魂を吸収することで強化するという、成長する魔導器としての利点を、人族領域の人々が、ある意味では誤解に等しい理解に留まっていること、上手く活かしていなかったことも、宗茂にしてみれば、非常に不可解だった。
さらに致命的なのは、産まれた時からステータスユニットを身につけるのは、メリット以上のデメリットに等しい逆効果だということに、ナヴァル王国に暮らす人々が気付いていないことに、宗茂は気づいたのである。
ステータスユニットはレベルが上がった際、一定の数値分のステータスが上昇するわけではなく、ステータス補正倍率が上昇する。
つまり、ステータスユニットのレベルが上がれば上がるほど、着用した際のステータスの上昇量自体が上がり、最終的なステータス――素の身体能力とステータスユニットを掛け合わせた数値が高くなるということだ。
ちなみに、素の身体能力を数値化したものと、ステータスユニットの補正値を加えた2種類のステータスが、ステータスユニットの機能として、『鑑定』と同じ要領で確認可能である。
さて、STR《膂力》が10の者が、自身のステータスユニットを、レベル1からレベル101まで上げた際のステータス上昇量が、レベルが1上がる度にステータス補正倍率が1%ずつ増えていくと仮定した場合、レベル101の時点で補正倍率は、100%から200%となり、最終的なSTRは20となる。
ここで重要なのは、素の身体能力を参照し、反映されるということ。
もし、元々のSTRが、10ではなく20相当であれば、ステータスユニットを通すことで、当人の最終的なSTRは40となる。
ステータスユニットを経由し、素の身体能力を参照後に反映されることで、最終的なステータスが決定される――この流れが、ステータスユニットを身につけた者の基本的能力として決定される。
つまり、ユグドレアで強くなろうとする場合、素の身体能力の向上こそが、最も優先すべきこと。
幼少期を、ステータスユニットとスキルボード抜きで過ごす魔族領域出身のゲイル=ガーベインが、本多 宗茂の身体に攻撃を当てている――回避ではなく、迎撃による防御を選択させたという事実が、ユグドレアにおいて、素の身体能力を鍛えることの重要性を示している。
これは宗茂が疑問に思い、仮説を立て、いくつかの検証を重ねて知ることになった、ユグドレアという異世界の法則、ルールのひとつ。
そのことを理解し、間違いないと確信した宗茂は、ある1つの試みを実施する。
それは、いわば――種蒔き。
このドグル大平原という戦場においては、単に芽吹いただけ、スタート地点に立っただけに過ぎない。
本当に、ただ、それだけのことでしかない。
だからこそ――
――止まらない。
ありえない、ふざけるな、どうなっているんだ――そんな罵倒に等しい疑問の言葉を彼の脳裏に暴れさせているのは、いまだ足を止めない黒一色の集団。
――止まらない。
先頭の黒仮面の大男だけではなく、その後ろを追う、大男のそれとは意匠の異なる黒仮面をかぶる、大小も性別も所持する武器も様々な者達までもが、一切止めることができないでいる。
――止まらない。
長年の戦を生き抜いてきた経験豊富な騎士や魔法師による攻撃も、自軍への被害も覚悟した多数の魔術師による魔術も、携行型の連弩型魔導器による一斉射撃も、それら全ての反撃が、ことごとく無意味なものへと力づくで変えられた。
何をしても止まることのない黒き群れが、ようやく足を止めた――そこは、ヴァルフリード辺境伯領軍前軍、最後方。
黒仮面の大男は、両手に握る黒き斧槍を、頭上へと持ち上げる。空に向けて掲げられた斧槍は、長蛇をなして大男の背後に並ぶ者達への合図であり、これからどう動くかを指示する為のもの。
狼煙代わりの2本の斧槍は、開くように左右へと降ろされ――肩口でピタリと止まる。
それは、戦いの始まりをも意味する、ある戦術の合図。大男を追いかけてきた黒仮面の集団が、大男を中央点として、左右それぞれに身体の向きを変え始める。
まもなく大男による号令の下、ヴァルフリード辺境伯領軍の前軍は蹂躙されることになる。
陣形は杭、大男が採用した戦術は――モールネスト。
大男が、土竜の巣と名付けたそれを実行するべく、黒仮面の群れがとうとう動き始める、この瞬間こそが、ユグドレアの歴史上、その名を初めて登場させた戦いでの、最初の戦果、その始まり。
黒仮面たちの名は、『ラーメンハウス』。
創始者である本多 宗茂によって必要な全てを叩き込まれ、やがてユグドレア屈指の戦闘集団の1つに数えられる、後世においても詩篇として高らかに謳われる傭兵クランが、その伝説を紡ぎ始めた。
このように、局地的に起きたことを歴史的な視点で捉えた場合、彼も、彼が従える者達も、結局は伝説の礎でしかなく、劇的もしくは詩的に表現するのなら、端役――ただの踏み台であるとしか言い表せない。
だが、忘れてならないのは、そんな彼らもまた、各々の事情のために戦っていたということ。
ヴァルフリード辺境伯領軍の前軍を指揮する者であり、将軍職に就いている彼――マーク=レメノーダもまた、己が抱える事情のために戦う、英雄譚における端役の1人。
マークは、部隊を円状に広げることで全方位からの攻撃に備える、方円の陣と地球で呼称されているものに酷似している陣形を採用していた。
そんなマークの目には、いまだかつて見たことがない――あっという間に真っ二つに分断された方円の陣という、もはや陣形の体を保てていない前軍の姿。困惑しながらも、令を出そうとした矢先、必死な形相の副官に引きずられるようにその場を離れたことで、マークはいまだ戦場に立つことができた。
マークの隣にいる副官と、周囲にいる、従者であり騎士である者たちも、彼と同じように困惑し、激しく動揺していたのだが、本来ならそれはありえない姿であると断言できる。
マークも副官も従者達も、今回初めて戦場に来た新兵というわけではなく、ウィロウ公爵領軍との本物の戦を何度も経験した、歴戦の勇士と言えるほどの生粋の軍人達である。
そんな彼ら彼女らが、けっして気を緩めてはならない戦場で、まるで新人騎士のように動揺し困惑するという、ある意味では醜態とも呼べる姿を晒す、それほどの異常事態。
「な、なんなのだ、あれは……」
「あの蒼風に代わって総大将に就いた者が、ただのお飾りとは思ってはいませんでしたが……あれは、流石に――」
「うむ……すまんなアノロス、助かった……もしあそこに残っていたら――」
黒仮面の集団が通り抜けた後には、半死半生といった様子の者たちが、うめき声を挙げながら地に転がっていた。辺境伯領領軍の前軍を指揮するマークは、今日もいつも通り中央に陣取っており、しかし、先ほどまで自身が座していた陣の跡を、苦々しい表情で眺めることしかできないでいた。
だが、物思いにふける時間など、今のマーク達には一切無い。
黒仮面の大男、すなわち、新たなウィロウ公爵が両手に持っ黒き斧槍による、なんらかの指示を出したのち、その指示を受けたであろう後続の者達が身体の向きを変えるのを、たった今、見せられた。。
そして、最も重要なのは、マークたち前軍を分断する際に、さしたる手出しをすることなく、敵陣の奥深くにまでたどり着く、その事実、その意味を、歴戦の将たるマークが、理解できないわけもない。
実際に何をするつもりかまでは、マークもわかってはいない。だが、大きな怪我もない極めて万全な状態の兵が、自陣深くに侵入していることの危険性だけは、嫌でも解っている。
マーク=レメノーダは、優秀な将である。
ランベルジュ皇国内でも戦上手で知られる勇将であり、職務に忠実で勤勉、部下にも好かれる好人物。軍人としては、特に守戦に優れ、堅実な立ち回りと果断な良策を以って、ウィロウ公爵領軍との長い戦いを、ルスト=ヴァルフリード辺境伯とともに生き抜いてきた。
一方で、柔軟な思考の持ち主とは言い難く、既知の戦術や戦略を基に、軍略を練る傾向がある。
それはつまり、突発的なトラブルやアクシデントに弱く、臨機応変な対応をすることに、いささか難があることを意味する。
だからこそ、そこを狙われた。




