黒の狩人 Ⅲ
(ガデルのじいさんから聞いてはいたけど……サーナさん、やるなぁ……薄氷スタイルとか、まじでかっけえわ)
ユニークスキル『明鏡止水』。
ステータスユニットのAGIを参照後、5倍相当のAGI補正と任意の範囲の視覚補正を獲得する。
効果時間は1分。クールタイムは2分。
選択した視覚範囲以外は、ホワイトアウト処理がなされ、スキル解除から2分程度、一時的に盲目状態となる。
ただし、10秒以内に手動で解除した場合、クールタイムはゼロとなり即時発動可能。さらに、盲目耐性を獲得する。
サーナの闘いを見終えたシンが1番驚いていたのは、静の型の剣士である彼女が『明鏡止水』を本当に使いこなしていたということ。
扱いが恐ろしく難しいと言われているユニークスキルのひとつとして、アンチパシーブレイブクロニクルでは有名な『明鏡止水』。そんなスキルが、サーナに生えていると聞かされたシンだが、動の型ではなく静の型の剣士であることを聞かされて、更に驚いていた。
(あのギズって大剣士の狙いは、中段の斬り払いを防御させて武器破壊だったんだろうけど……サーナさんとは相性が悪すぎたな)
シンの推測通り、ギズの狙いは、左下段から右中段への斬り払いによって防御させ、サーナの剣を破壊するというもの。
攻撃範囲の広い大剣を用いた至近距離での中段の斬り払いは、あの状況での選択としては間違いなく上策。これを回避する場合、上に跳ぶ、後ろに退く、下にしゃがむ、という3択に絞られる。
あの場面でサーナが後ろに退がることはない、武人としての矜持がそれを許さない――退いてしまったら、ギズの振るう大剣をあしらえず逃げたと、他ならぬサーナ自身がみなすからだ。
それは武人の信念からくる感情であり、それがサーナの心に宿っていることを確信したからこそ、ギズは、この盤面にたどり着くように上手く誘導した。
上と下、どちらに回避したとしてもギズには問題がない。
上、つまり、空中での斬撃の回避は困難、となれば、防御せざるをえない。
下にしゃがんで回避するにしても、間違いなく体勢が崩れるため、追撃への対処に余裕がなくなり、後ろに飛び退くか防御するか、その2つの選択肢を迫れる。
つまり、ギズの振り下ろしをサーナが紙一重で避けたあの場面、将棋であれば王手、チェスであればチェックを、サーナは指されていたというわけだ。
ギズのミスはただ一つ、サーナのユニークスキルを見誤ったこと。
(青柳流刀術のスキルツリーで静の型を選んだ場合、育ち方の傾向を考えれば『千変万化』が生えているはず――そう判断した上での、懐に呼び込んでからの中段って選択は正しい……まさか『明鏡止水』が生えてるとは思わないよな)
ユニークスキル『千変万化』。
効果時間は3分、クールタイムは5分、
ステータスユニットのDEXを参照、現在のDEXに応じた攻撃範囲拡張補正と根源適正に準じた武器への属性付与を獲得。
拡張された攻撃範囲と自意識及び視覚を接続し、貯蓄された魔力を消費することで、再現可能な攻撃方法を自由に、且つ、同時に擬似的に実現可能とする。
『千変万化』を取得している静の型を相手取る場合、攻撃を当てられる距離に侵入しなければ勝ち目が無い。接近すればするほど攻撃方法が少なくなるのが『千変万化』の弱みで、至近距離にこそ勝機が現れるという側面がある。
結論として、静の型の剣士を相手取るための対策と対応を、ギズは完璧に成し遂げていた。
先んじてユニークスキルを発動、自分の舞台にサーナを乗せることで『千変万化』を発動させにくい状況へと誘導、一手一手確実に攻め、詰みの一手前まで勝機を呼び込む――そういった思惑全てを、ギズの想定外だった『明鏡止水』の発動によって、サーナはひっくり返した。
『明鏡止水』を発動した後のサーナの動きはこうだ。
肉薄している大剣の軌道が変わる動きを察知、背中から倒れこむように沈み込みながら身体をひねり、地面と背中が平行になると同時に抜刀。大剣を握るギズの両手首を真下から峰打ち、発生している遠心力に逆らわず、ギズの右側を独楽のように回りながら丁寧な歩様で通過し、ギズの背後で態勢を整えたのち納刀。
これを一瞬で行なうことを可能にするのが、AGIを5倍にするという『明鏡止水』が備える特性であり、凶悪とすら呼べる性能の一端である。
本来は動の型に生えやすい『明鏡止水』が静の型に生えた結果、そもそもが速いはずの抜刀がさらに速くなり、対峙した場合、視認がほぼ不可能という斬撃を可能にするスキル――を10秒以内に手動で解除することで、魔力が尽きるまで何度でも発動を繰り返すという、刀術士最凶の近接戦闘スタイル。
アンチパシーブレイブクロニクルでも希少な刀術士ビルド――スキルツリー構成であり、対人戦最強の黒魔法師に対抗できる数少ない近接戦闘スタイル。
ピーキーすぎているスキルツリー構成とステータス傾向ゆえに、常にギリギリを攻めることを余儀なくされるため、アンブレの走り屋やスピード狂などの異名をも与えられている近接戦闘スタイル。
それが薄氷スタイル、近接戦闘職随一の爆発力と紙装甲を併せ持つ、ロマン溢れる武人の形である。
(それにしても、アンブレとユグドレアは違うとこも結構あるから、対人戦周りはどうなのかと思ってたけど、安心したな……)
サーナがギズに対峙し、ギズが名を告げ、サーナが返答した瞬間、周囲で見てた奴らの空気が変わった。
それまではサーナを心配していたり、不安そうだったり、ギズに野次が飛んでいたりと、見ていた全員の意思は見事にちぐはぐだった。
だが、2人が武人として立ち会うことを目の当たりにした時から全員の意思が同じになり、静かに見守り始めたのだ。
それはつまり、ユグドレアに暮らす人々にとって武人の語らいというのは尊いものであり、同時に娯楽に通ずる行為であるということを意味していた。
シンは、その様子を見て、対人戦を楽しそうに見守るアンブレプレイヤー達を思い出し、安堵すると同時に、自分もこれから楽しめそうだなと嬉しくなっていた。
だからこそ、それを見過ごすことはできない。
「なっ、抜けねえ――」
「あいにくと、それだけは駄目なんだわ、おっちゃん」
「マッ、シン様!?」
「て、めえら……や、め――」
スキルの効果が切れ、魔力の枯渇と盲目状態が重なっていることで動けないでいるサーナの側へ、騒ぎに乗じて忍び寄って剣を抜こうとしていたのは、ギズの傭兵仲間。
その傭兵たちの前に、いつのまにか現れていたシンが睨みを利かせていた。
「なんだ、このガ、キ……ひぃっ!?」
「せっかく良いもの観れたってのに、興醒めするようなことすんのは駄目だろ……」
ギズとの闘いは構わない、サーナ自身が武人として選択した闘いである以上、もしもそこで傷ついたり、万が一命を落としたとしても仕方のないことと、シンも納得するだろう。
だが、これは無理だ。
殺す気だったのか、傷を負わせようとしたのか、はたまた人質にでもしようとしたのか、正直なところ、その傭兵達が何をする気だったのか、シンは知らない。
いずれにしても、闘いを終えてスキルの影響で無防備なサーナに何かをしようとしたことに変わりはない。
――サーナを傷つける奴を、ボクは許さない。
だとすれば、シンの中にその感情が生まれるのは必然でしかない。
だからこそ、完全に制御されているはずの魔力線から、霧のような黒い魔力が滲み出てくる。
だから、傭兵達は怯んでいる――なまじ他の魔法師を知り、感覚で実力を量ることが戦場を生き抜く秘訣であり、傭兵として生きるために必須な技術なだけに、黒髪の少年から感じられる黒い魔力の濃さがもたらす異質さに飲み込まれていたのだ。
「イライラする気持ちはわかるけどさ……ここにいる以上、仮にも味方だろうが……」
「く、来るな……」
完全に、場が静まり返っていた。
シンが無意識に垂れ流す、黒の根源の深層から引きずり出されている高濃度の魔力から放たれている黒き波動が、その場にいる生物を衰弱させているのが、場が沈黙している理由。
今、確実にわかっていることは、比較的穏やかな口調とは裏腹に、シンが激怒していること。
「暴れたいってんなら俺がまとめて相手に――」
「何をやってるんですかー!!」
とても大きな声量で届けられた幼げな響きが、その場を満たした。
続いて、小さな歩幅ながらも急いで来たのだろう、少々息を切らせていたのを整えながらシンと傭兵の間に割って入ると胸を張り、彼女はこんなことを告げる。
「悪い子は、お尻ペンペンしちゃいますよー!!」
あまりにも緊張感に欠けたその言葉は、シンの怒りを抑える要因になり得た。
だがそれ以上に、ある意味で彼女はこの状況を作った元凶の1人であり、それを再確認したからこそ、シンは怒っているのが馬鹿らしくなったとも言える。
彼女の名前はアリス。
第3大隊の大隊長補佐であり、副隊長と呼ばれ親しまれている、人族とドワーフのハーフである。




