黒の狩人 Ⅱ
「ふんっ!!」
「…………」
巨漢が振るう大剣がことごとく空を斬る。
その結果を生んでいるのはサーナだが、それは単に回避しているだけでなく、巨漢がサーナに向かって踏み込むことを度々躊躇させられているからでもある。
「らちが明かねえな……ふぅぅ……」
「…………」
大剣を肩に背負った巨漢は、眼を閉じると同時に息を整える。すると、まるで帯電しているかのような動きに魔力線が変わっていく。
そして、サーナを見据えた巨漢が、告げる。
「――『金剛破砕』!!」
――世界が名付けた己の武の形はこれだ、と。
「ユニークスキル、ですか……」
「ああ……ギズだ」
「……サーナと申します」
「いい名前だな…………ふっ、破っ!!」
「…………」
ユニークスキル『金剛破砕』。
ステータスユニットのSTR値を参照後、算出した結果として、3.5倍率の最終ダメージ補正と、STR値から算出されるシールドと呼ばれる魔力障壁を獲得する。
効果時間は5分。クールタイムは1分。
ただし、敵性対象にダメージを与えた瞬間、ダメージ補正とシールドは消失。また、1分間、筋組織損傷による行動不能に陥り、その際、外部からの筋組織修復は不可能。
これが、金剛のギズと呼ばれる星銀等級傭兵の切り札のひとつ、武人としての誇りそのものである。
対するサーナ。
腰に下げている剣の鞘に左手を、右手は柄に添えるという、先ほどまでと同じ佇まい。
彼女の剣は、ナヴァル王国伝統の剣術であり、ウィロウ派と呼ばれているもの。動の型と静の型、二通りの戦い方を軸とする流派である。ウィロウ公爵家の祖、異世界16英傑の1人であるホーク=B=ウィロウが開祖である。
サーナが披露している静の型は、刀術と呼称されるユグドレアでは稀有な武術、その中の技術のひとつ。
鞘から剣を抜くのではなく、剣を納めている鞘をタイミングよく引き抜くことで、抜き身の剣を用いた技のそれよりも、速く鋭い斬撃を可能とする――これが静の型、またの名を居合いと呼ばれている技術の基礎。
静の型の本領にして真髄は、剣が抜かれていない時にこそ発揮される。
視線や息遣い、身体の各部位を使ったフェイントやミスディレクションによる――虚の構築。
そして、魂に貯められている魔素が変質した、生命力に代替可能な力――魔力を用いた身体能力および武器性能の強化。
虚の構築と魔力による身体と武器の強化、この2つと基礎である抜刀技術と組み合わせることで、静の型はその真価を――剣を振るうことなく敵の行動を制限、制圧する――抜かずの剣とも称される姿を見せつける。
現にサーナは、唯の一度も剣を振るわずにギズの攻めをあしらっている。
ギズが『金剛破砕』を選択したのも、抜かずの剣の厄介さを知るからこそ。
静の型を破る常套手段は、基本的には3つ。
速さで上回るか、硬さでしのぐか、技術で超えるか。
つまり、ギズは硬さを選んだということ。
『金剛破砕』の特徴の1つであるシールド付与、それが破られるまでに倒す。至極単純な戦術ではあるが、それだけに効果は高い。
尤も、今となってはそんなこと、ギズにもサーナにも関係がない。
今のサーナとギズは、相手を倒すことになどまったく興味がない。ユグドレアという命が軽い世界において、他者を倒す――殺すために闘う、我欲のために武の道を外れた武人を、殺戮者と呼ぶ。
間違いなく言えることは、サーナもギズも、武人であるということ、外道に踏み込んではいないということだ。
武人とは、武の道を征くことを決めた者の総称であり、己が信じた武の道を極めんとする探求者。
闘いの末に死することはあっても、相手を殺めるために闘う武人はいない。誇りなき外道のそれを、武の道を征く者たちが認めることはない。
故にこそ、ギズが武人として名を告げたことでサーナは憤りを抑え、武人としてギズと対峙する意を示すためにサーナも名乗った。
サーナとギズは、武人としての勝負を既に始めていたということである。
サーナは、剣の才に特別恵まれていたわけではない。
槍を扱うには体格的に不利、格闘術向きの気質でもない。残された道が剣だけだった、ただそれだけの理由で、彼女は剣を選んだのだ。
さて、騎士国家の貴族とは、生まれた時から騎士となることが望まれる。だからこそ、適性のない者が侮蔑の対象になりうるのだが。
それはさておき、マルスもまた、騎士になるべく育てられてきた。あいにく、マルスの騎士適性はそれほど高くはなく、黒の根源との繋がりが深いという、ナヴァル貴族としては汚名に等しい事実までもが発覚する。
だが、寛容で慈悲深い父や、優しい母や兄たちに見守られながらマルスは育ち、そのかたわらには、サーナがいつも控えていた。
ある時、サーナに転機が訪れた。
前ウィロウ公爵であるレイヴンとの出会いだ。
サーナの剣筋や気質、人柄を知ったレイヴンは、静の型を極める気は無いかと提案、一も二もなくサーナはうなずき、年に数回、ウィロウ公爵領へとおもむいては、レイヴン直々の指導を受けていた。
その結果、彼女は――
「まさか、ここまでやれるとはな……」
「……いえ、私など――」
「くっくっく……なるほど、とことん向いてやがんだな……行くぜ!!」
「…………」
ギズは一心不乱に幾度も大剣を振るい、サーナへと襲いかかる。怒涛のごときギズの攻めは、サーナに攻撃の機会を与えないためであり、行動を制限するため。
『金剛破砕』の影響が及ぶのは、その特性上、基本的に武器のみであり、ギズにとっては、そうでなくてはならない。
ダメージの定義が、敵性対象が負傷するであるため、例えば頭突きや体当たりなども、一応は『金剛破砕』の影響内ではある。
だが、肉薄するような超接近戦ならばともかく、お互いが素手に比べて攻撃範囲が広い武器による戦闘法であることを踏まえれば、今の今まで回避し続けてきたサーナに、大剣以外の攻撃手段で当てられる道理がない。
そもそも、今のギズが狙うのはサーナの剣、つまり――武器破壊。
武を以って語る、つまるところそれは、磨き上げてきた互いの武で競い合うことである。
サーナにしろ、ギズにしろ、既に互いの力量を認め合っている。
だからこそ、ギズは、ユニークスキルという魂の負荷が大きいスキルを披露し、ギズが仕掛けてきた駆け引きの場にサーナは立っている。
――抜かずの剣を破壊するか、それとも『金剛破砕』をかいくぐるか。
サーナとギズ、2人は今、武人として言葉通りの勝負をしているということ。
そして、サーナにとっての勝利条件は、ギズの体力が尽きる前に大剣を使用不可にすること。
サーナが、ギズの大剣を避け続けていたのは、タイミングを見定めるため。ギズも気づいているが、サーナが大剣を回避する時の距離が、徐々に短くなっている。
指3本分、2本分、1本分――次だ。
右上段から左下段への振り下ろし、その最中に必ず剣が抜かれる――その一瞬を見逃してはならないと、ギズは集中力を高められるだけ高め、現れるはずの一瞬に備えるようにと意識しながらも、星銀等級に認められるに足る、渾身の一撃を振るうべく備える。
振り下ろしている大剣は、案の定回避され、しかもそれは、まさに紙一重と呼ぶべき至近距離。
見た目の儚さからは想像もできないほどの剛胆さを以って、死線をかいくぐり踏み込んでくるサーナの姿に、ギズは感嘆と驚愕を覚えさせられたと同時に、笑う。
これこそが、武を競うことの楽しみだ、と。
そして、今この瞬間こそが、ギズにとって最大の勝機。身体中の筋肉を全力で稼働させ、振り切り終える寸前、無理やり大剣の軌道を変え――
「――『明鏡止水』」
囁くように静かな声音がギズの耳に届くと同時に、両の手首に強烈な痛み。
続いて、地面に何か重い物が落ちたような音と、鉄と鉄が擦れたような音が伸びるように続き、何かがはまったような音が鳴ると同時に、場が静寂する。
そして、背後の気配に気づいたギズが思わず苦笑いした瞬間――2人の周囲から、音の大洪水とでも表現できそうなほどの大喝采が鳴り響いた。
それは、わずかに反る片刃の剣――刀を鞘に納めて巨漢の背後に佇む、凛とした女剣士の勝利を讃える賞賛の音だった。




