紅蓮と呼ばれし女
シンとサーナが砦に到着した次の日。
最前線であるドグル大平原に今回の戦に投入される予定の、全ての人員が結集した。
そして、大平原西端に築かれた砦の周囲に陣取るナヴァル王国の兵士達――総勢30万の兵に向けて、3人の指揮官による戦前の挨拶が始まる。
今も昔も世界も変わらない、士気を高める為の常套的な手段である。
指揮官の1人であるシルバ=ランフィスタが、兵士達を見下ろしながら拡声器と呼ばれる魔導器を片手に持ちながら砦の屋上前部に立つ。何処からどう見てもお飾りのトップである第1騎士団長、その演説じみた挨拶は平民の罵倒から始まった。
聞くに堪えない言葉の羅列にイライラしたのだろう、不愉快な音が耳に入らないように『魔素探知』内を波のように揺らぎながら向かってくる粘っこくて気色の悪い魔素の流れを、シンは一切躊躇することなく押し潰した。
隣に立つサーナにもまた不快な波が押し寄せていたのだが、それが唐突に消えたことに彼女は戸惑い、キョロキョロと周りに視線を巡らせると、隣のシンと目が合う。苦笑いしながら肩をすくめるシンの様子を見て、サーナは微笑みながら軽く頭を下げていた。
そうこうしているうちに周囲の者たちが拍手し始めたことに気づいたシンは、砦へと目を向け、気怠げだった眼の色を変えることになる。
淡い桃色髪のポニーテールを弾ませながら砦の屋上に現れた、赤を基調とした軍服を纏う少女のような見た目のエルフこそが、シンが確認したかった存在の1人だったからだ。
「……随分と腑抜けた面をしてるねぇ――アンタら」
強者の言葉には相応の力が宿る――それは、魂の強度を高める要因として体内と空気中の魔素が影響していることと、言葉という名の音が空気中を伝わり他者に届くという性質を備えているからこそ。
では、比較的小柄で少女のようにも見える、しかして絶世の美少女と呼ぶ他にないその女性の言葉には、果たしてどれだけの力が備わっているのか。
「味方気取りの置物なんて、全部燃やした方が手っ取り早いんだがねぇ……そこんとこどうなんだい――坊や」
「あ、ぐぁぁっ……や、やめ――」
第1騎士団に所属する騎士、すなわち貴族とその従者だけが、身体を震わせながら地面に伏していた。それは、砦の屋上に立っていた第1騎士団団長であるシルバ=ランフィスタも例外ではない。
彼女は怒っていた。
武の道を外れた愚か者を、真の武人が許せないように――根っからの軍人である彼女は、戦に赴く覚悟が足りていない大馬鹿者をどうにも許せない性格である。
「たかだか20万の弱卒の群れを燃やすなんて、アタイからすりゃあ狼煙を上げるよりも簡単なことさね。いや、平民の子らは除かないといけないか。覚悟を決めた気持ちの良い色だものねぇ……」
「ふざ、けるな……はやく、これ、を、取れ――」
「おやおや、ランフィスタの坊やは、小銭稼ぎの仕方は教わっても、目上への口の利き方は教わっていないのかい?」
彼女は怒っている。
溺愛している孫の命を狙っている輩の小間使い如きが、自分の目の前でのうのうと生きているばかりか、こともあろうに自分の前で民を蔑ろにする姿を臆面もなく晒す、浅ましさを凝縮したような醜すぎる心構えも気に入らないのだ。
「そうさね、役立たずの置物を運んできた罰は坊やに与えるとしよう。それで手打ちといこうかね」
「な、なぜ、この、私が――」
「こりゃ驚いた……ナヴァル王国の名家とか嘯いてるランフィスタ侯爵家では、責任の取り方は教えないのかい?」
彼女の怒りは、ただ1人だけに注がれていた。それを証明するように、第1騎士団の団員達を襲っていた圧迫感と赤い泥のような何かは既に消え去っていた。
ただし、その代わりとばかりにシルバ=ランフィスタ自慢の白い甲冑が真っ赤に染まっていく――今現在もその勢いが止まる気配は無い。
「や、やめ、やめろおおお!?」
「安心しな、痛みも熱さも感じる前に終わるさね」
「い、いやぐぁ――、――!?」
甲冑の白を塗りつぶすように、次から次にとシルバ=ランフィスタの周囲――前後も左右も上下も問わないあらゆる方向から赤い泥が溢れ、終いにはひとつの塊となっていた。
蠢く赤い塊はなおも揺れ動き、その形に整ったことでようやく止まる。
先ほどまで、沼地の泥のように緩やかに波打つ塊だったそれは、採寸でもしたかのように綺麗な長方体となっていた。
言うなれば――赤い棺。
「さ、派手に散りな――」
「――、――ぁあああ!? 死ぬ、死んでしま……ふぇ?」
彼女は、言葉と同時に――指を鳴らす。
すると、まるで何事もなかったかのように赤は消え去り、白い甲冑を纏う者の見苦しい悲鳴が挙がる――ドグル大平原に、拡声器で以って。
「はん、冗談に決まってるだろうに、随分と大げさだねぇ」
「き、きさ……ふざけ――」
「ただの冗談さ……ねえ、坊や?」
強者の言葉には、相応の力が宿る。
どれだけ愚鈍であろうと、ここまでされれば流石に気づくというもの。
つまり彼女は、言外に、このようなことを伝えたわけだ。
――調子に乗ってると次は本当に殺す、と。
そのことにようやく気付いたのか、おぼつかない足取りで後退り、頭を抱えながら震えるシルバ=ランフィスタがいた、が、そんなものに彼女は目もくれない。
「さて、余興はここまでだね」
彼女は向かう。
語るために、伝えるために、起こすために。
「アタイの声は届いてるかい?」
彼女の言葉に応えるように、音がひとつ。
「……アタイの声は届いてるかい?」
再びの問いに察した者も、音をひとつ。
そして、拡声器を放り捨てた彼女が――高らかに吼える。
「アタイの声は……お前たちに届いてるか!!」
ひとつ、またひとつと。
剣が収まる鞘で、しっかり握る槍の石突きで、地に着く両脚の片割れで、返事をするかのように大地を打つ。音は鳴り止まず、ひとつがひとつに重なっては鳴り、ひとつが鳴ってはまた重なる。
故に、此処の群れは、ただのひとつに非ず。
それは、ある種の儀式、何時とも知れぬ時代にいつのまにか忘却さられた大陸にて、史上最大の版図を広げたと云われている英雄が、戦の前に行なったとされる戦勝祈願。
全てはひとつ。
貴賎も立場も関係なく、命ひとつは同じひとつ。重なるひとつは群れと成り、たったひとつの軍と成る。その軍率いし者、唯一の敗北も許さず。
その者――山海覇王と呼ばれし、破天歩みし少年王なり。
古代エルフである彼女は、それゆえに幾つもの英雄譚を読み聞いてきた。特に――グルドゥム山海覇王伝という書物の影響で戦好きになった経緯もあり、大好きな戦の前ともなると知らず知らずのうちに気持ちが昂ぶり、思わずやってしまうのだ。
「アタイは――レヴェナ=B=ウィロウ」
強者である自分の言葉に相応の力が宿ることを理解している彼女――レヴェナは、知る人ぞ知る、大の英雄マニア。
気持ちが高まってくると、我慢できずについ引用してしまうのだ――英雄の言動を。
「――『私は此処にいる』!!」
左胸に右の拳を当て高らかに言い放った言葉は、英雄の中の英雄と呼ばれている男の有名な台詞を、ちょちょいっとアレンジしたもの。
皆が皆、勘違いしているのだ。
その言動が、強さが、振る舞いが、結果的にそう見せているだけと知っているのは彼女の家族のみ。
――紅蓮と呼ばれしガルディアナ最高の赤魔法師。
――魔導城グレンアギトを駆る者。
――ナヴァル最凶の戦狂い。
全て事実だが、全てが虚構。
彼女からしてみれば、自身が夢想したカッコイイを、そのまま自分自身に当てはめているだけの、ただのごっこ遊びにすぎない。
遊び続けて生きていたら、気づいたときには、やたらと大仰な呼ばれ方になっていた、ただそれだけのこと。
それが、レヴェナ=B=ウィロウという名の元ウィロウ公爵夫人、又は、森人にして守り人の役割を担う古代エルフであるレヴェナ=ド=メルシードという名の――紅蓮龍を継ぐ女性が、ユグドレアを奔放に生きてきた結果である。




