野良犬部隊
世の中、ままならないことばかりである。
どんな世界でも、どんな星でも、どんな文明でも、死が訪れるまで生を営むことを選んだ知性ある生物は、多かれ少なかれ苦悩しながら日々を暮らしていることだろう。
それは、王族や貴族といった国の中枢に居る、民衆から支配層とみなされている者達であってもなんら変わりがない、忌々しさすら感じさせる情動。
だからこそ、なにかしらの捌け口が必要になるのかもしれない。
つまり、彼ら彼女らがその場所に送られた意味とは、そういうことである。
「はぁはぁ……ひぃむぐっ!?」
「静かに…………落ち着いたか?」
「う、うん、ごめんよ……」
「どうしますか、マ……シン君」
「……惜しい、じゃなくて、さっきと同じように俺が行くよ」
「じゃあ俺達は――」
「ああ、周囲の警戒とこぼれた奴を頼む」
「こぼれる、ねぇ……」
「ちょっと想像できないよね」
5人の少年少女が出会うきっかけを生んだ者であり、死地へと向かう原因を作った者。
――ルスト=ヴァルフリード辺境伯
ランベルジュ皇国も有名な貴族であり、義剣とも称されるほど義理堅く温厚で理性的、高い善性を備える貴族として知られる皇国の英傑、その1人。
戦地に近いという環境であるにも関わらず、ヴァルフリード辺境伯領への移住者は絶えず、事実、その領地運営術は国内外問わず、さまざまな貴族が参考にしている。
そんな皇国が誇る英傑は、宣戦布告という戦の礼儀を無視し、辺境伯領全軍――約15万の軍勢を引き連れてドグル大平原へとやってきた。
ナヴァル王国軍の首脳陣へ届いた一報の、その異常すぎる内容を知った時の反応は様々。
ある者は驚き、ある者は疑い、ある者は慄き。
ある者は――ナヴァル王国第1騎士団の団長であるシルバ=ランフィスタは嗤っていた。
――王国最強たる我らが奴らを滅ぼしてくれる!
意気揚々と国内の団員全てを緊急招集したシルバ団長はドグル大平原へと向かうことを表明。王都や周囲の町村から平民を強制的に徴兵、手順を無視した軍編成を実施、第1騎士団で構成された正規部隊に傭兵や民兵で構成された非正規部隊――あわせて約20万の軍勢が生まれ、ドグル大平原へと進軍を開始した。
制止の全てを振り切り、自慢の白い甲冑を纏うシルバ=ランフィスタが高笑いする様子に、非正規部隊の士気は著しく低下していた。
黒髪の少年も同じように気分が悪くなってしまい、冷ややかな目で眺めていた。
「まさか、こんなことになるとは……」
「どうしたの、シン君?」
「あー……貴族のクソみたいなワガママには、ホント困るよな、って」
「うん、それは確かにそうだねー……嫌な貴族だと、平民が近くを歩いてるだけで怒って剣を抜いたりするし……」
「まじかよ……ろくでもねえな、そいつ」
3日前、黒髪の少年――シンは、王都ナヴァリルシアからドグル大平原西に建造されている砦へとやってきた。実際は、第1騎士団に連行されたふりをして戦地へと来たわけだが、結果的には同じことである。
何はともあれ、戦地であるドグル大平原へとやってきたシンとサーナの2人は、あらかじめ通達されていた配属先の部隊である――第3大隊に合流することになる。
さて、ナヴァル王国軍の軍編成における想定兵数は、以下の通りである。
連隊――約10000人。
大隊――約3000人。
中隊――約500人。
小隊――約100人。
分隊――10人以内。
情勢や状況により人数の推移はあるものの、大概の場合、これらの人数に収まる。
だが、シンが配属された第3大隊は、約6000人という兵数で構成されており、大概の場合に当てはまらない人数となっている。
何故、第3大隊にこれほどの数が集められたか。
それは、第3大隊の役割が関係し、存在意義であり、理由である。
ナヴァル王国第1騎士団、特別選抜連隊。
特選隊と呼ばれている連隊を構成する大隊のひとつが、シン達が所属する第3大隊である。
特選隊の内訳は――
第1大隊――約1000人。
第2大隊――約2000人。
第3大隊――約6000人。
――となっている。
特選隊設立の名目は、経験は浅いものの才能が豊かな人材を育成する為。だが本当の理由は、一部の貴族達の虚栄心を満たすこと。
ナヴァル王国内に点在する騎士学院や魔法学院――子爵以上の貴族が治める領都だけに設立可能な其処を卒業したばかりの者。その中でも、特に優秀な成績を修めた年若い貴族とその従者達で構成されているのが第1大隊と第2大隊。その全員が今回の戦で初陣を切ろうとしている者達である。
その一方で、第3大隊がどういった者達で構成されているかといえば、大隊長を含む全ての者が平民、それも一部の貴族の反感を買った者だけが所属している。
――貴族に非ずんば人族に非ず。
――貧民など、平民からこぼれ落ちた犬畜生である。
これは、先代の第1騎士団団長が第3大隊設立の際に言い放った言葉であり、間髪入れずに揶揄して挙げた名称が、第1騎士団では通称となった。
――野良犬部隊。
3つの大隊にはそれぞれの役割がある。
第1大隊の役割は、第1騎士団団長が率いる正規軍と同道し、後方にて指揮を執る騎士団長の護衛を務める。
第2大隊の役割は、最前線に配置される第1騎士団の非正規軍の後方にて、騎士団から支給される望遠用魔導器を使った敵軍の監視。
第3大隊の役割は、昼夜を問わない敵軍への威力偵察行動。
威力偵察とは、敵の装備などを把握するために、実際に敵と交戦することで情報を得ることであり、だからこそ第3大隊には平民しかいない。
つまり、第3大隊という部隊は亡くなっても困らない野良犬に役割――滑稽で無様な死に様を披露する場所を与えてやるという、宰相派閥に属してる貴族の悪辣さと傲慢さが極まる、卑劣な憂さ晴らしの為に生まれたのである。
ドグル大平原で行なわれる例年通りの小競り合いの場合、第3大隊の生存率はおよそ――3割。その後、生き残った者は第2騎士団に引き取られていくのが、去年までのドグル大平原での戦後の流れ。
だが、今年は違う。
皇国の英傑であるルスト=ヴァルフリード辺境伯が全軍を率いてきたことが引き金となり発生する、未曾有の戦禍と成り果てるナヴァル国境戦役が、これから始まろうとしているのだから。
約1割、それはシンが想定している、ナヴァル国境戦役においてまともに戦った場合の第3大隊の生存人数、その割合。だが、シン及びマルスの今後のことを考えると、この予想通りになってしまっては少々困ってしまう。
そのことを理解しているからこそ、シンは、この戦争に積極的に参加する必要がある。
シンには、この戦争で成し遂げたい幾つかの目標がある。シン自身、しっかりと覚えていないこともあるのだが、確実にわかっていることとその知識に伴う確実に成さなければならない目標が――2つ程、存在する。
1つ、紅蓮と蒼風の死、その回避。
シンやマルスにとっても、ナヴァル王国にとっても、これは絶対に成し遂げなければならないミッションである。
シンが、この時期のガルディアナ戦記で最も危険視している敵勢力は――ナヴァル神国。
実は、建国の2年前からアードニード公国の侵略が始まり、オーバージーン公爵領が襲撃されることになる。その時点で、ウィロウ公爵家は取り潰されており、王家であるナヴァル公爵家の直轄領になっていた為、救援が来ない。
さらに、白の救世主に支配されたナヴァル王国第1騎士団の裏切りも重なった結果、オーバージーン公爵家の当主が殺害されてしまう。
もしもこの時にウィロウ公爵家が存続してさえいればアードニード公国の侵略計画すらそもそも存在していなかった筈と、アンブレの考察中毒者である友人が結論づけていたことを、シンはしっかりと覚えていた。
2つ、非正規部隊の生存。
非正規部隊は、傭兵と平民で構成されている。
今後、この国で行なわれる内乱という名の大戦において、非正規部隊の面々が生存しているかどうかは、ゲーム的にいうならば難易度を劇的に変えるとシンは予想している。
元々が王位継承に端を発して起こる内乱において、民衆を味方につけることの影響は大きい。
まず、ドグル大平原に集まっている、戦いに赴く覚悟を決めている非正規部隊の人々は、ナヴァル王国各地に暮らす人々の家族であるということを忘れてはいけない。
そして、国内、それも王都近辺において、王都に暮らす高位貴族の権力は強く、相応の影響力を有する。そういった貴族達は領都を代官に預けることで宮中での権力闘争に集中できる為、必然的に国内の情報に詳しくなり、自ずと情報戦に優れている者が多くなる。
――非正規部隊が亡くなったのは、ウィロウ公爵家の独断専行によるものだ。
例えばこのような噂を、王都在住の高位貴族達が王都に流した場合、それを早い段階で払拭できるのは、王都に暮らす非正規部隊に参加した当事者以外に存在しない。
時間をかければ揉み消すことは可能かもしれないが、消し終えた頃には既に手遅れになっていることだろう。
つまるところ、今回の戦いで当事者である平民達に壊滅的な被害が発生した場合、遺族のヘイトが、ウィロウ公爵家に注がれるように誘導される可能性が極めて高いということだ。
そうなった場合、王位継承戦のみならず、内乱の際に民衆からの支持が集まらず、彼我との戦力差が尋常ではなくなる。
なにより、民衆からの信頼を損ない、無用な憎しみを産み出すことだけは避けなければならない。
勘違いしてはいけない。
ユグドレアには魔法がある。魔術もあれば魔導もある。ユグドレアの人々がステータスユニットやスキルボードを十全に扱う様を見れば、地球の若者は興奮することだろう。
それら全てを、まるでフィクションのような動きで扱う英傑や英雄の姿を、日本から転移なり転生してきた勇者が見れば、こんなことを思うかもしれない。
――ひょっとして、無双し放題?
その考えは間違いではない。
たしかに、英傑やその上位互換ともいうべき英雄であれば、一騎当千どころか、10万や20万の兵を討つことも、山河を吹き飛ばし、大陸を海へと沈めることすら可能である。
だが、あまりに強すぎる力は人々から異端とみなされ、恐怖そのものになってしまう。
異世界だろうと、そうでなかろうと、生を営む者であれば疑いようもなく個々の感情がある。生き征くものには等しく、それらが備わっている。
決して勘違いしてはいけない、民衆はたった1人で敵を殺し尽くすような存在を、英傑や英雄と呼ぶことはない。
人々はそういった存在を、胸に産まれた怖れを込めて――怪物と呼ぶのだ。
ともあれ、第3大隊に配属されることになってしまったシンは、その役割通りの威力偵察へと向かうことになる。
実のところ、今のシンが置かれている状況は、シンが想定していたウィロウ公爵領軍への配属とはまるで違う、完全なる予想外といえるアクシデントであった。
Antipathy Brave Chronicle でのナヴァル国境戦役には存在しない、孤立無援下での非正規部隊援護という鬼畜イベントと敵先陣の半数以上を殲滅するというクソイベントに――シンの友人連中ならば無理ゲー乙と大はしゃぎすること間違いなしの高難易度ミッションに――シンは、実質単身で挑むことになる。
「ホント、ろくでもねえよなぁ……」
「何かありましたか、マルー……シン、くん」
「……ふぅ、癒されるわぁ」
「わかるぜ、シン……美人は癒しだよなぁ」
「あー、うん、ソウダネー……はぁ……」
「え、あの……えっと……あ、ありがとう、ございます?」
ユグドレアという異世界が己の知る歴史の流れとは所々が違うことを再確認させられたシンは、憂鬱ながらも時々やってくる微笑ましさに癒されながら、戦の展望を脳裏に描いていた。




