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魔導少女と王と竜




「んっ!」


 少女と呼ぶにはまだ幼い、銀髪蒼眼の彼女が元気な声を挙げる。右手には箸、摘まんでいるのはデラルスオークのパーコー。

 満面の笑みを浮かべながら彼女は、箸でつまんでいる香ばしい物体を、左隣に座る者の口許へと運んでいく。


「おや、()()()にくれるのか、どれ……うむ、実に美味じゃな」

「んっ!!」


 じぃじと呼ばれた金髪碧眼の老紳士は、彼女が口許へと運んできたパーコーをゆっくりと咀嚼そしゃく、しっかりと味わい、次いで感想を――美食と呼ぶにふさわしい逸品を食した自分以上に嬉しそうな、満面の笑顔が眩しい少女へと言葉を返す。


「んっ!」

「ふはは、儂もか!」


 続いて彼女は、左隣に座る老紳士(じぃじ)ではなく、右隣に座るの()()の大男の口許へとパーコーを運び、食べてもらっていた。


「……おお、確かにこれも美味いのう!」

「んっ!!」


 大男は豪快に笑いながらもしっかりと料理を味わい、少女と一緒に笑顔を見せ合う。

 少女と老紳士と大男。

 この3人がいるのは、デラルス大森林西域の最も奥、()()()丘に建てられた大屋敷前の庭園、その最端に設置された、壁の無い小屋。

 現代日本においてBBQ(バーベキュー)小屋とも呼ばれるその建物では、食事を楽しむと同時に周囲の景観をも堪能できる。

 大男と老紳士は、日毎ひごと拡がっていく此の地の全てを眼にすることができるこの小屋での晩餐ばんさんを、とても気に入っていた。


 特に、彼が料理を振る舞う日はどうしようもなく心が踊り、ソワソワしながら今か今かと料理が運ばれてくるのを待ち望んでいた、


「楽しんでくれてるみたいだな、っと――」

「ムネシゲ!」

「どうだ、美味しかったか?」

「んっ!!」

「そうかそうか……ん? あー、あっちのはリィルにはまだ早いかもな」

「んー?」


 食事を楽しんでいる3人の前に現れたのは黒髪の大男――本多 宗茂。両手には木製の大皿2枚。

 右手の大皿には、コカトリスのから揚げ、デラルスオークのフライ――日本的な呼び方をするならカツレツ、部位はヒレとロース。

 さらにもうひとつ、野生の鴨が魔物化したデラルスブルダックの燻製くんせい肉を軽く炙った一品――デラルスブルダック燻製肉の炙り。

 そして、左手の大皿には、老紳士に()()()()()宗茂が早速とばかりに試作した品々が並ぶ。


「も、もしや、これが例の――」

「ああ、()()()が食べたがってた()()のから揚げだ、このソースは好みで使ってくれ」


 淡水と海水が混ざることで豊かな漁場として有名な汽水湖、それがデラルスレイクである。

 淡水は、ベルナス神山の水源地から溢れる水がいくつもの川となり、デラルスレイクに注がれる。

 海水は、ナヴァル西海に隣接するフィント侯爵領の()()を通り、王家直轄領であるデラルスの地下を通り、デラルスレイク最深域へ流れ込む。

 そして、上下の水流が湖全体を攪拌かくはんされることで、かん水――ラーメンの麺に欠かせないそれを採取可能な汽水域へと変わり、多種多様な生物が生息する豊かな漁場となったのである。


 ちなみに、デラルスレイクはその成り立ちが特殊な汽水湖である。デラルスレイク、いや、デラルス大森林や防衛都市を含む地域一帯その全てが、かつては()だった。


 其処は、人族領域と魔族領域を隔てると同時に、数多の命が散った古戦場――死海デラルス。


 無惨な過去と非情なる現在、暗き未来を憂いた天聖ネフルが同志である覇竜と協力して発動させた魔法、いや、魔律戒法の『三』――『天地創造』によって、死海デラルスと呼ばれていた広大な海湾を埋めるようにベルナス神山をそびえ立たせ、その麓に広がる草木の無い大地に大森林を据えた。




 つまり、偶然という名の奇跡によって生み出された汽水湖が、デラルスレイクなのである。




 さて、此の地や大森林西域の美しい渓流に生きる魚達の中で、デラルスレイク防衛都市の住民に最も愛されている食材、日本産の鮎によく似ているそれは香味魚デリメルと呼ばれている。


 通称――デラルスの小さき宝。


 デリメルの塩焼きは、ナヴァル王国随一の美食の地と謳われるデラルスレイク防衛都市の名物のひとつとして有名で、そのあまりの美味しさにお忍びで通い詰めるナヴァル王侯貴族が数多く存在するという、まことしやかな噂までもが流れるほど。


 なお、お忍び訪問の噂において最も真偽を疑われている存在は、ナヴァル王国の国王であり現在失踪中のクリストフ=A=ナヴァルである。


 ともあれ、宗茂が提供するデリメル料理は2つ。


 1つ目は、デリメルのから揚げ。

 身を開いて内臓を取り除き、小麦粉と片栗粉の代用品である米粉、デラルス大森林で採取可能なガリケと呼ばれる地球の大蒜ニンニクそっくりなそれをラードで揚げて粉状にしたガリケパウダーと混ぜ合わせた――お手製から揚げ粉を衣とし、初めに低温でじっくり熱を通し、仕上げに高温でカラッと仕上げて、完成。


 もう1つはデリメルの塩辛、日本では、うるかと呼ばれる珍味3種。


 内臓のみを使った、しぶうるか。

 卵巣である真子まこを使った、子うるか。

 精巣である白子を使った、白うるか。


 微妙に味わいが異なるそれらは、老紳士と青髪の大男の酒のつまみとして提供される。

 今回、宗茂が試作した料理に使われた主な食材は2つ、その片方こそがクリスに調理を()()にお願いされたデリメルである。

 もう片方は、デリメルの熱烈な人気とは真逆の、デラルスレイク防衛都市の住民や漁師に最も嫌われている、ある魔物。


 ――アングル。


 宗茂の母国である日本において鮟鱇アンコウと呼ばれている美味なる魚と酷似した魔物、金等級。

 非常にヌルヌルした表皮がもたらす異常な防御力と、その守りがそのまま攻撃力へと転化されているアングルの戦闘能力は、デラルスレイクの生態系でも頂天を競わせるほどに高く、あのカイゼルオークですら水中での戦いを避けると云われている。

 とはいえ、いくら魔物であろうともアングルが魚類――水中生物であることに変わりはない為、地上に釣り上げてしまえば討伐は容易い。


 そのため、駆け出しの冒険者や傭兵が高い品質の魔石を得る手段のひとつとして、アングル狩りは確立している。


 ただし、アングルは味も臭いも酷すぎる魔物として有名で、魔石以外は廃棄されるのが常である――という話を聞いたムネシゲが、あまりにもったいないと主張。

 アンコウに似た魔物であるアングルはおそらくは美味であると考え、即座に湖へ赴いてアングルを釣り上げ、異常に手間のかかる下処理後、()()で使える部位のみを調理し、自らが試食、想定以上の美味しさに宗茂は感動していた。

 その後、何回かの試作を重ね、店売り可能な水準を満たした物が今回のから揚げであり、レモンに似た果物で作ったポン酢もどきでいただくアングルの肝――アン肝酢である。

 なお、寄生虫や食中毒対策の為に宗茂がリィルに依頼して開発された、浄化の白魔法――ピュリフィケイションを付与してある水差し型魔導器は、此の地のみならず、王都やウィロウ公爵領のラーメンハウスでも大いに活躍している。


 今回の試作でもその性能をいかんなく発揮していた魔導器の製造者であるリィルは、和やかな食事を終え、穏やかな寝息を奏でていた。







 リィルを起こさないように丁寧に背負い、立派な屋敷――ではなく、屋敷の右側に建っている丸太小屋に向かう宗茂の背中を、青髪の大男と老紳士はなんと無しに眺めていた。


「……今日も素晴らしかったですな」

「うむ、やはりムネシゲの料理は別格だのう」


 2人は、掌大のグラスに注がれている薄い琥珀色の液体をゆっくり味わいながら、宗茂の料理に感嘆する。食事と同じかそれ以上に酒が好きな2人にとって、グラスの中身である琥珀色の液体を、酒と相性の良い料理、宗茂曰く――酒の肴とともに1日の終わりに嗜むことができるのは、幸福以外のなにものでもないと言えた。

 2人が惚れ込んでいる、琥珀色の液体。それは、エールを()()することで作られる、非常に酒精が強まっている酒。


 宗茂曰く――ウイスキー。


 至上とも呼べる(かぐわ)しさを纏う液体をゆっくりと喉に通すことで鼻から香りが抜けていく感覚と、強い酒精に殺されることのない独特の旨味は、味わった者にしか解り得ないことだろう。

 だが、ここまでの品質に至るのは、実は並大抵のことではない。ウイスキーは、ただ蒸留するだけで作れるような代物ではないからだ。

 幸い、ウイスキー作りに欠かせない専用の樽を製作するための素材――香木がデラルス大森林内に数種存在することを、宗茂は確認している。そもそもそれら香木のひとつを用いたことで、デラルスブルダックの燻製肉が作られていることを忘れてはならない。


 それはさておき、宗茂がウイスキー樽に選んだ香木は、日本ではならと呼ばれる――オークという木に似た香りを放つ樹木である。


 クリスに話を聞いたところ、その木は名付けされていない樹木らしく、非常に()()()()()ことこの上ないので、宗茂はこの樹木をデラルスナラと名付けた。

 大小様々なデラルスナラの樽を満たすのは、多くのエールを蒸留することで生まれた原酒。

 そして、原酒で満ちた樽達は、ウイスキー作りにおいて最も重要な工程に臨む。


 ――熟成。


 そう、熟成という長き工程を越えることで、原酒はウイスキーと成るのだが、その期間は基本的に1年以上もの時間を要する。

 だが、宗茂がウイスキー作りに着手し始めたのは、およそ1ヶ月前。熟成期間としてはあまりに短いにも関わらず、ウイスキーが振舞われているのは道理に合わない。


 ――コラプション。


 腐敗を促す黒魔法であるコラプションの存在こそが、短い熟成期間でウイスキーを完成させた答えである。ただし、試作を担当する宗茂の魔法技術はまだまだ未熟である。

 そのため、宗茂がコラプションによる熟成を試した大小合わせて4つの樽の内、最も大きな樽でのみ、成功したという経緯が存在する。とはいえ、黒魔法のコラプションによるウイスキー製造が可能であるという事実は、非常に大きな意味を持つ。


 ガルディアナ大陸に蔓延する黒の根源蔑視、その風潮を払拭する一因に成り得るからだ。


 ナヴァル王国に黒魔法師が少ない理由をクリスから聞いた宗茂は、コラプションによる発酵や熟成で生み出せる可能性がある食材や嗜好品の存在を列挙していった。

 その1つが、ウイスキーだったというわけだ。

 コラプションの有用性が証明されれば、黒魔法の価値が高まり、需要と供給が生まれ、黒魔法師の雇用先の増大に繋がる。

 コラプションが関与する一連の流れは、間違いなく莫大な富を生む。故に、ウイスキー製作を依頼したクリス――ナヴァル王国の国主たるクリストフにしてみれば、政治的にも経済的にも、とてつもなく強力な手札を獲得したといえる。


 だからこそ――


「…………ひっく」

「ほんにお主は、王に向いておらんのう」


 クリストフは、酔いが一定以上に深くなると周りが驚きを隠せないほどの自虐を見せるようになる。

 青髪の大男――蒼穹竜ジ・ブルー ファクシナータは、毎日毎晩、自虐に染まった愚痴を吐く酔っ払いに付き合っていた。

 根源竜随一の寛容さと慈悲深さをファクシナータが備えていることが故ではあるのだが、それは要因の全てではない。


 1番の理由は、種族を問わず、王であるということの苦労を理解しているからこそ、ファクシナータはクリストフを慰めているのだ。


「わしは……はしゅらひい(恥ずかしい)のれしゃ(のです)……」

「……そうか」


 クリストフが恥じていること。

 それは、自らが治めるナヴァル王国を、他国どころか異世界出身の宗茂に頼ることでしか変えることができないという現状が示す、自身の王としての力があまりにも不足している現実が恥ずかしくてたまらないのだ、クリフトフは。


「わしは……じょにょように(どのように)むきゅいれば(報いれば)いいのきゃ(いいのか)わきゃりゃにゃい(わからない)ろれしゅ(のです)……ひっく……」

「たしかにムネシゲの功は凄まじいからのう、王として、どのように応えるべきか悩むのも仕方がないのう……」


 そもそもの話、本多 宗茂という存在が、ナヴァル王国と現王であるクリフトフに与えた影響は、始まりからして凄まじい。


 本多 宗茂がクリフトフと出会ったあの日、事と次第によってはクリフトフは殺害されていた――他ならぬ宗茂の手によって。

 全ては、ナヴァル王国の視線を自分に向けさせることで、裏に潜む何者かの尻尾を掴み、白日はくじつへと引きずり晒す為に。

 城門を破壊し、王都を悠々と歩み、単身で王城に乗り込むという、現代地球最高の暗殺者にあるまじき悪目立ちした行動もその一環である。

 結果として、カイトを含む近衛衆の全てが本物の英雄の実力を身を以て知ることになり、話し合いの中でクリストフの()()が解かれ、ナヴァル王国に巣食うであろうフォルス皇神教に通ずる者をあぶり出すために宗茂が献策した――空位の計が行なわれることになる。


 だが、宗茂の言はそこで終わったわけではない。


 空位の計を献策した時点で、ナヴァル王国内とその周辺国との境界で今後発生するであろう()()の戦い、その概要をクリストフに語っていた。


 1つ、王国内乱を隠れ蓑にした宗教戦争。

 2つ、アードニード公国による侵略戦争。


 この2つの戦いは、クリストフやカイトから提供された情報を精査した宗茂が、しばしの思考の後に、空位の計とともに口にした予想であり予測。

 宗茂の語った戦争勃発に至る可能性、その理由の合理性は、クリフトフとカイトを納得させうるものだった。


 そして、3つ目と4つ目の戦い。


 3つ、ナヴァル国境での複数勢力によるいくさ

 4つ、王都ナヴァリルシア内に潜む暗殺者達による勢力争い。


 この2つの戦いは、宗茂が加入したクリストフ陣営が仕掛ける――罠に等しいいくさ

 現王不在という隙だらけの非常事態を()()に生み出し、表舞台にて素知らぬ顔で佇んでいる者達が裏社会で暗躍する協力者達を動かしやすい状況へと()()、それぞれの勢力が求める物を手中に納める絶好の機会であると()()させる。

 そうすることで、それぞれが赴くべき戦場へと()()()()、一網打尽にする。


 これが宗茂が仕掛けた、狩りという名の戦争。


 それは、ナヴァル王国が長年負わされている傷からにじみ、汚染するように広がるみの()()を取り除くための戦い、その初戦にして緒戦である。

 異世界である地球にて最高の傭兵の1人ともくされていた本多 宗茂が画策した国境での戦いと王都の暗部での勢力争いは、どう転んでもクリストフの追い風となる。

 そのことを十二分に理解しているクリストフだからこそ、此の地にクリストフが留まることが王国を平和に近づける一手と知っているからこそ。




 ただジッとしていることしか出来ない自分のような男を――クリストフこそが王にふさわしいと信じて戦ってくれている者達の血が流れてしまう受け入れがたい現実を、如何いかんともしがたい悔しい想いとして胸に在り続けさせているクリストフは、ただひたすらに、やがて訪れる()を待ち続けているのだ。




「……ふひゅ」

「…………」


 酔い潰れるクリストフを穏やかな表情で見つめるファクシナータ。なにかを懐かしむような哀愁漂う雰囲気を漂わせながら、グラスに口をつける。


「……()()()()()()()


 放たれた言葉は優しく、眠る老紳士を気遣っているのは間違いない。だが、その口調は――


「王には向いていない、か……そういう意味でもやはり似ているな……」


 先程までの豪快な老人めいたものではなく、むしろ若々しくも落ち着いた口調になっていた。

 ふと何かに思い至ったのか、宙空を見つめたファクシナータは、その文言をつぶやく。


「……『()()()()』」


 何も無かった宙に突如として現れたのは、ステータスボードと呼ばれる代物。半透明な板状のそれに記されているのは、蒼穹竜ジ・ブルー ファクシナータの全て。

 目を滑らせるファクシナータが捉えた項目――真名(まな)と区分されている其処には、とある名が記されていた。


 ――ノブシゲ=サナダ。


 そして、称号と区分されるそこに、いくつもの文言が並んでいる中に記されている()()が、なぜ彼が此処にいるかを示していた。




 ――『真生を歩む者』













 語られるべきを語り終えた。

 それはつまり、整ったということ。


 これより始まるは、語るべき英雄を謳う叙事詩、その一端――序章もしくは第1章。


 英雄は出会う。


 善意に。

 悪意に。

 偽善に。

 偽悪に。




 そして、英雄は――原初との出会いを果たす。











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