彼と彼女と彼女とラーメン
虚構を積むことで敵の隙を生み、練り重ねた攻め手を実践することで敵を討つ、この流れが戦闘をこなす上で最も重要なことである。
これは、俺の問いに対する、新しい弟子となったシーダの答えだ。
「ふむ、なるほどな……」
虚と実。
実際のところ、その考え方自体は間違いではないが、決定的に間違った捉え方ではある。
「わかった……少し手合わせしようか」
異世界であるユグドレアが、何故か地球と同じ、1年を約365日とする太陽暦と酷似した時間周期なのか、甚だ疑問ではあるが、それはさておくとして。
1週間に1度の定休日は、ウチの店員を鍛える修練の日となることが多い。自由参加だと伝えてはいるのだが、ほぼ全ての者――およそ5000人もの修練希望者が集まってくれる。
これだけの人数が毎回来てくれているという現状は、俺という武人が師の本懐を成せることを意味しているわけで、毎回のように喜びを噛み締めることになっている。偏に感謝だな。
ただ正直なところ、向こうにいた頃は、両手で数えられるくらいの弟子しかいなかったこともあり、これほど多くの者に手ほどきすることに慣れていないことだけは申し訳がない。精進しなければならないことの1つと言える。
それにしても、この世界の人々は強さに貪欲だと感じる。やはり、死が身近にある環境がそうさせているのだろう。
とはいえ、橘流暗殺術ならともかく、立花流戦場術に技なんてものは存在しない以上、理合を伝えることだけに終始してしまう。
だが、皆のやる気にきちんと応えられなければ師として失格だ。武の道を先に征く者として、そのような怠慢は恥ずべき醜態であり、師や先達に申し訳が立たない。
ならば、俺も本気で応えるべきだろう――
「――全員で来い……そうだ、この場にいる全員でかかってくるんだ。そうすればきっと理解できるはず……何を、か……それはな――」
――武と闘争の本質だ。
「――ティアナ!」
「――エアブレイド!」
「なるほど、それは効果的だな」
「まだよ――『リリース』」
「聞こえてるぞエリザ、っと、その調子だティアナ、間断のない攻めこそ――」
「はいっ、ブリザード!」
「ていやっ!」
「いい連携だが、まだ甘いな」
「あ痛っ!?」
「きゃっ!?」
ティアナとエリザの額に、軽くデコピンを当てることで、戦いの終わりを告げる。
「もー、すんごい悔しいんだけど!?」
「未だに一度も当てられませんからね……私も悔しいです」
「いやいや、いい線行っていると思うぞ?」
「見てよティアナ、この余裕っぷり。あーもう、悔しいっ!!」
「あはは、頑張りましょう、エリザさ……エ、エリ……ザ?」
「まーた、さん付けしそうになってるし。アタシとティアナは姉妹になったんだし、遠慮なんかしなくていいのよ?」
「うぅ……どうにも呼び捨てには慣れないんですよー……やっぱりお姉ちゃんって――」
「却下よ。この身長差でお姉ちゃん呼びされるとアタシの精神が保たないんだもん」
「そんなぁ……」
「ふっふっふっ、お姉ちゃんの特権よ!」
「えー、ズルイですよー」
週に何度か行なう模擬戦。
その内容は、ティアナとエリザの2人の長所を伸ばし、連携を強化することに重きを置いている。その際、前衛をエリザ、中後衛をティアナに務めさせてることで役割を分け、それぞれに課題を与えている。
ティアナの場合、元々が魔法騎士であることから剣や槍などの心得もあるが、聖女候補に選ばれるほどに根源との繋がりが深く、それに伴って魔力量も多い為、それを活かさない選択というのはいささか勿体ない。そのため、魔法や魔術による後方からの攻めや支援に終始するべきと伝えた。
魔族であるゲイルとリィルの教えによる古代式の魔法の実践をするにも、こういった模擬戦はちょうどいい。
エリザに前衛を任せる理由は、彼女がナヴァル王国の武の名家であるウィロウ公爵家の者であり、ナヴァル王国上位戦力――特等の1人に数えられているだけの実力を備えているからだ。
俺以上の速力と剣の冴えを見せる、あのレイヴン殿の孫こそがエリザベート=B=ウィロウであり、当然ながら接近戦の英才教育を幼少から施されている。実際、星銀等級傭兵並みかそれ以上の剣の力量がエリザに備わっていることを、俺もティアナも此の地に暮らす人々も知っている。
持ち前の強気な性格も幸いし、エリザの前衛の適性は非常に高いと断言できる。
それに加え、特等級鑑定師の資格であり象徴するスキル『鑑定 極』、その特性のひとつであるスキルプロテクションの存在は、エリザの戦闘能力を高める要因だ。
スキルプロテクションは、スキルを保護するという名目でコピーした挙句、リスクなくそれら全てを用いることができるという、とんでもない能力だ。
ただし、各スキルの扱いに習熟して初めて真価を発揮することを踏まえれば、ある意味、それがリスクと言えなくもない。それらのスキルを戦闘の場で有効な手段にするために、エリザは修練に励んでいるということだ。
とはいえ――
「まだまだスキルを使っているな、エリザ?」
「うっ!?」
「ティアナの魔法を遮蔽物にするのは良いが――」
「わかってる、口にしたら意味がない、でしょ?」
「その通りだ。まぁ、癖を治しきるのは生半可なことじゃない。ゆっくり改善していくといいさ。実際のところ、ティアナと連携することである程度の形にはなっているからな」
「でも、使わないようになれば――」
「当然、今とは比べ物にならない程の脅威になるのは間違いない」
「だよねー……うん、アタシ頑張る」
「あぁ、その意気だ………………」
「あ、ありがと……」
「恥ずかしいなら――」
「恥ずかしくなんかないから、すんごく喜んでるから、やめたらラーメン道具にイタズラするからね、わかったムネシゲ!?」
「お、おう、了解だ」
模擬戦の後に頭を撫でてくれたら次の模擬戦もすんごくやる気出るから絶対撫でてよね、ティアナもだからね――というエリザの言葉に従い、毎回こんな感じで撫でているのだが、先程のようにエリザはいつも赤面する。恥ずかしいのなら撫でない方がいいと思うのだが、そのことを伝えると、やはり先程のように怒りだす。
結局のところ、異世界であるかどうかも老若も関係なく、女人の考えることは難解なものだとつくづく実感している。
お鶴も大きくなるにつれて気を使わないといけなくなったからなぁ……よく叱られたもんだ。
「あの……」
「ん、ああ……よし、始めるか――」
「は、はいっ!」
難しいといえば、ティアナもそうだな。
俺がこの世界に来てから付き合いが一番長いティアナだが、やはり所々でよくわからない時がある。
約半年前、デラルスレイク防衛都市でエリザと出会ったあの日。
何故そう見えたのかは未だにわからないのだが、機嫌が良い時のお鶴とティアナが重なって見えてしまい、思わず頭を撫でてしまったあの日から、ティアナの様子が変わってしまった。
目が合うと、視線を逸らしたり。
ふとした拍子でお互いの手が当たると、機敏な動作で距離を取ったり。
布で上半身を拭いていると、顔に当てた手の指の隙間からチラチラとこちらを見てきたり。
ラーメンの味見にと渡した、俺が愛用している器をジッと見つめていたり。
どうにも首を傾げてしまうティアナの行動を目の当たりにした俺は、その考えに至った。俺に対する行動全てが、そのことを裏付けているように思えたからだ。
ひょっとしたらティアナは、あの時のことがきっかけで俺のことを――嫌っているのではと思い、エリザに相談してみた。
見た目こそ、彼女の祖母の影響で少々幼く見える――日本でいうなら中学生になったばかりの小柄な女の子に見えるが、実際はティアナより1つ年上、17歳のエリザである。やはり、年頃の娘のことは、同じ年頃の娘に相談するべきだろう。
――えっ……嘘でしょ?
開口一番、エリザが言い放った言葉である。
何故か頭を抱えているエリザが言うには、絶対にあり得ないから安心しなさい、だそうだ。
しかし、そうなってくるとティアナの行動の意が全く読めない……つくづく女人の考えというか機微というか、そういった女人特有の情緒のようなそれが、俺には未だによくわからない。
男であれば拳を交えれば大概は解り合えるものだし、負けや痛みを恐れるだけの軟弱者や語りあおうとする舌を持たぬ無礼者であれば、相手にする価値も必要もない。
女人にも同じように接すればいいのではないかとお鶴に告げた時は盛大に叱られたもんだ、なんとも懐かしい。
とはいえ、それ以降も女人への対応――女心というやつにはいつも苦心している気がする。
幸い、エリザは奔放な気性だからか非常に気が合うし、ティアナにしても時々言動がおかしくはなるものの、大らかで快活な性格は気疲れしない。
俺とはかなり年齢が離れているティアナとエリザだが、友人付き合いするにはこの上ない、気立てのいい女人だ。
まして、俺がラーメン屋を始めた当初から看板娘として働いてくれる2人には世話になりっぱなしだからな。
いつかまとめて恩を返したいもんだ――
――なんてことを考えてそうな顔ね、あれは。
約半年前、デラルスレイク防衛都市でムネシゲとティアナの2人に出会ったあの日。
運命的な出会いっていうのは、こういうものなんだなって初めて知ったわよ、うん。
アタシ以外の『鑑定 極』持ちの超越者と、ユニークスキルである『天声』持ちで、魂の最奥にイクシードスキルの『聖唱』が隠されてる――真なる聖女の器に出会うとか、運命的だし奇跡に等しいもんね。
しかも、2人して人がいいっていうか、優しいっていうか。
きっと他の人にはわからないわね、このなんとも言いようのない感覚は。
あの日の夜に訪れた初対面のアタシの言葉を、なんの疑いなく信じてくれるなんて思ってなかった。
これまで散々色んな奴を看てきたアタシほどの鑑定師なら、その人の言動が本当か嘘かなんて一目見れば大体わかる。『鑑定 極』の特性の1つである擬似的な『看破』だってできたけど、するまでもなかった。
だって、涙ぐんでるアタシを心配する2人の真摯さが、大好きなお爺ちゃんお婆ちゃんがアタシに向ける雰囲気とそっくりなんだもん。
そりゃ、こんなアタシでも――どこかのクソ王族やクソ貴族どもに覗き屋呼ばわりされて人族嫌いになっちゃったアタシでも信じざるを得ないし、いきなり好感度MAXにだってなるに決まってる。
まぁ、アタシ自身がアタシの感情の動きに1番びっくりしたけどね。
で、特等の特権で2人に同道することを決めたことで、クソッタレな第1王子が寄越したクソメイドという名の暗殺者とお別れして。
王都の外にある番外区域で、天聖教の聖官でありティアナと同じ修道院育ちで姉代わりのナタリーと意気投合。
貧民窟でゲイルとリィルっていう魔族の兄妹がムネシゲに心酔して、まさかまさかの天族であるルフル様と出会い、アタシもティアナも大好きなラーメン屋の営業を開始。
あの大商人ダグラダとその右腕として有名なドルトルが貧民窟にこだわる理由を知って、その2人から紹介された悪名高いナヴァルの悪童ドルズによる涙の懇願をムネシゲが受諾。
元々、素材の豊富さと入手のしやすさから、デラルスレイク防衛都市内でラーメン屋を開こうとしていたムネシゲは、方針を変更。
デラルス大森林を開拓して、ラーメンハウス 宗茂の拠点作りを考案、ダグラダのお爺ちゃん達と一緒に着手し始めた。
そして、ムネシゲ自身が営むラーメン屋の料理担当や店員、ラーメンに関係する業務――素材の調達や加工の人員として、王都内の奴隷商に囚われている不法奴隷のみんなと番外区域に不法滞在させられているみんなを雇用すると決めたって訳。
そもそもの話、どこぞの枢機卿如きで、ネフル様が定めた奴隷法を覆せるわけがないのよね。
ティアナやナタリーが、天聖法典と呼ばれる天聖ネフル様の教えや定めたルールを纏めた有名な書物を何度も読み返して再確認した結果、ナヴァリルシアに滞在する人族以外の種族の扱いは明らかに異常であり、違法性があるものと2人は断言。
法的に問題ないことを確認した後、ムネシゲは番外区域のみんなと一緒に王都内の奴隷商館を訪問し、人族以外の奴隷のみんなを連れ出した。
当たり前だけど、これは合法的な取引。お金はちゃんときっちり払ってある。
他国、特に獣人領域や亜人領域での適切な相場――やむなく奴隷落ちさせてしまった家族を無理なく買い戻せる相場価格通りの金貨をきちんと支払ったため、違法性は皆無。
王都内の奴隷商人達が提示している、馬鹿げた金額を素直に払う道理は無いもんね。
文句があるなら、天聖法典の教えを遵守する方針の大陸総本部に言ってどうぞって、堂々と反論できる態勢――間接的にガルディアナ大陸最強の後ろ盾を獲得したってわけ。
この絵を描いたのは――ムネシゲ。
まさか、あの竜聖の盟約を遠回しに利用するとはね……アタシ達みたいなユグドレア人じゃ、思いついたとしても、実行するのは流石に恐れ多すぎて躊躇う。
異世界出身のムネシゲだからこそ出来る、怖いもの知らずの発想ね。
その後、貧民窟に店舗を作る予定のラーメンハウス ダグラダ、その最下層にあたる地下3階にあらかじめ設置しておいた大型の長距離空間転移陣を起動。
奴隷商館襲撃に揺れる王都内の混乱に紛れて、買い戻した元奴隷のみんなと王都外周の番外区域のみんな、総勢――約12万人を蒼竜のねぐらのあるデラルス大森林西域の最奥へと連れていった。
なんていうか……ホントとんでもないのよコレ。
あの子の――リィルの超絶技巧が過ぎる魔導技術も凄い。青様――かの蒼穹竜の世界最強クラスの魔力総量も凄まじい。
けど、なによりヤバいのは、青様に引けを取らないどころか上回ってるムネシゲの魔力総量ね。
あり得ないなんてことはあり得ないんだって思い知らされたわ、うん。
青様曰く、ムネシゲは英雄の中でも魂の強度がずば抜けて高いらしく、青様が見知った英雄達の中でも1、2を争うほどの魔力総量らしいのよ、納得。
ただ、ステータスユニットとスキルボードの性能が低いから、実質的な強さはいわゆる準英雄に相当するらしい、ってそれ、お爺ちゃんお婆ちゃん並みに強いってことよね!?
異世界から来たばっかりなのに、ほぼほぼ素の身体能力だけで準英雄並みって、ムネシゲは一体どんな経験をしてきたのかしら。いやまぁ確かに、武術の師範で元々傭兵ってことは聞いてるけど、常人の範疇からは確実に超えてるわね。
ま、それはともかく。
竜種最強クラスの根源竜である青様と異世界の英雄ムネシゲ、超絶技巧魔導師であるリィルの3人が力を合わせた結果、想定以上に大きくなってしまった空間転移陣。
ナヴァル王国の魔法師団製で一度に運べる人員は多くて約1万人。
ガルディアナ大陸随一って云われてる魔導大国であるランベルジュ皇国で約2万人。
さて問題、ラーメンハウス ダグラダ最下層にある空間転移陣はどれだけの人を運べるでしょうか?
はい、約5万人です!!
そりゃ自問自答もするわよ、あの皇国の倍以上ってどういうこと!? ダグラダのお爺ちゃんの引き攣った顔、未だに思い出せるわよ、かわいそうに。
本来は、空間中央に陣を敷いて、その周囲に簡易的な住居や倉庫を設置する予定だったらしいの。
だけど、3人が造った空間転移陣は、そのスペースまでも塗りつぶすように広がっちゃったわけ。
念のために6万人規模に拡張しといて正解だったぜ、とはダグラダお爺ちゃんの言葉。
更なる拡張――掘削用の大型魔導器を稼働する為に必要な魔石を集めるための資金投入を余儀なくされたことで頭を抱えるドルトルおじさんと、ムネシゲ達の凄まじさを初めて目の当たりにしたことで子供のように笑うドルズが印象的だったわね。
ちなみにドルズだけ呼び捨てなのは、アタシをチビ呼ばわりしたから。
お婆ちゃんが古代エルフで、その血が流れてるから成長が遅いだけなの、アタシは! 乙女の身長をイジる輩に、礼儀なんてものは一切不要!!
正直なところ、最初は警戒していました。
黒髪に黒眼、騎士の制服に似ている見慣れない材質の服装――幼い頃からネフル天聖教の教えを受けていた身からすれば、この人の姿が教えに記されていた特徴と一致していたので、脳裏にあの忌まわしい存在を想像してしまう。
曰く――人の形をした害虫、災いを蒔く怪物、他者を欺く醜悪、傲慢なる殺戮者。
数多くの悪名を与えざるを得ないほどの悲劇をもたらしてきた、決して赦されざる存在。
――異世界勇者。
私達の前に現れたこの人が、異世界の人族であるのは間違いない。なら、命を救われたこと自体が、こちらを欺く手管ではないのか?
そんな恩知らずなことを僅かでも考えてしまった自分に、私は驚きを隠せませんでした。
けれど、この人は違いました。
普段は、とても温厚な性格。
ラーメンや武術のことになると子供のように無邪気に笑い、でも、とても真剣で、情熱的で。
命を奪い合う場では、怖いくらいに容赦が無い。
けれど、自分の都合で殺めた魔物に対して、手と手を合わせて目を閉じ御辞儀をする、異世界流の黙祷を決して忘れることのない、生命に対する真摯な姿勢。
それは、天聖ネフル様がガルディアナ大陸に暮らす者達が争うことを憂い嘆き、その慈悲深き想いをまとめた教えに通ずると私は感じました。
そして、あの時。
私の頭を撫でたあの時の、今はもう見ることが叶わない、大好きだったお父さんが私に向けていたような優しい笑顔を見た時、私の中にあった疑念は、完全に消えました。
同時に、私の身体に異変が起きました。
この人を――ムネシゲさんのことを考えたり、目が合ったり、特に身体に触れてしまった時。
胸がドキドキして、頭が真っ白になって、何をどうしたらいいのか、わからなくなっちゃうんです。
ナタリーお姉ちゃんに聞いても、あらあらまあまあ、とか、頑張るのよティアナ、とか言われただけで、何も解決しませんでした。
そんな私の戸惑いをよそに、周囲の環境や状況が変わっていきます。
王都外周に滞在させられている国元に帰れない方々や王都内の奴隷にさせられていた方々と一緒に、ラーメンハウス ダグラダの建設予定地の最下層にある空間転移陣から青の根源竜様のところに向かいました。
まさか王城地下にある陣よりも大きいとは思いもしませんでした、あんなに大きいものは初めて見ました……すごく大きかったです。
さて、まだまだ開拓を始めたばかりのデラルス大森林西域。当然、最低限の施設しかないような有様ですけど、種族なんて関係なく、みんながみんな笑顔で開拓作業に取り組んでいます。
なんとなくですが、笑顔で作業してしまうその心持ち、わかるような気がします。
頑張れば居場所を自分達の手で作れるという希望と、自分達を救ってくれた人への感謝と恩返しができることが嬉しいんだと――昔の私と同じなんじゃないかと思うんです。
そんな優しい光景に私も嬉しくなり、ついつい目で追ってしまうんです、みんなの中心で朗らかに、私のお父さんのように笑うムネシゲさんのことを。
あの笑顔を見ると、いつも胸の1番奥がポカポカするんです。不思議ではありますけど、嫌いな感覚じゃないんですよね。
本当に……不思議な人です。
その後、ムネシゲさんが王都に向かい、クリストフ陛下とカイト様をお連れになって帰ってきた時は本当に驚きました、ビックリです。
なんでも、中途半端に守るよりも思い切って攻めた方が結果的に被害を抑えることに繋がりやすいし戦局も動かし易い、だそうです。
今の王都がかなりの混乱で騒がしくなっているのは想像するまでもありません、なんといってもクリストフ陛下の失踪ですから。
政務局に軍務局、法務局に加えて各騎士団や魔法師団、その全てに対して少なくない影響を与えるはずです。そうなると私達に向ける余裕が、敵から失われることになります。
結果、態勢と体制を整える時間が生まれるということですね。なるほどと思わずにはいられません。
クリストフ陛下とカイト様がいらした翌日。
ムネシゲさんとクリストフ陛下、青様の3人が半日ほど話し合い、事態は一気に動き始めます。
ゲイルさんの妹さんであり、凄腕の魔導師であるリィルちゃんとムネシゲさんが、此の地の空間転移陣とウィロウ公爵邸の敷地内に設置してある空間転移陣を繋げます。
ウィロウ公爵家側は、エリザ様の祖母に当たる、あの有名な紅蓮様が担当したそうです。
そして、クリストフ陛下やムネシゲさん達と一緒にウィロウ公爵家に向かい、私にとって思いもよらない事が起きました。
私を、聖女候補の平民でしかない私を、ウィロウ公爵家に養子縁組していただいたのです。
それだけでも驚きに満ちているというのに、さらに驚く出来事が続きます。
なんと、ムネシゲさんがウィロウ公爵家に婿入りするというのです。それはつまり、エリザ様の旦那様になるということです。
私は、困惑してしまいました。
何故、ここ最近いつもポカポカしていた胸の1番奥がこんなにも痛み、凍えたような寒さまで感じてるのか。
頭が真っ白になって何も考えることができないでいた私のお腹に、なにかが当たりました。
視線を向けると、いつもの笑顔を向けるエリザ様が、私のお腹に拳を当てていました。
そして、こんなことを言ってくれたのです。
――次はティアナの番ね!
最初、エリザ様が何を言っているのかわかりませんでした。
次とは何のことなのか。
私の番とはどういう意味なのか。
ようやく落ち着いてきた私は、その言葉の意味に気づいたのです。
しかし、それは更なる混乱を私に齎らしました。だって、それはつまり、そういうこと、ですよね。
私は、ムネシゲさんに――恋してる?
その考えにたどり着いた瞬間、顔が真っ赤になってしまったとすぐさま確信できるほどの熱が、私の中に産まれたことに気づきました。
そしてその熱は、どうやら胸の1番奥で産まれたみたいです。こんなに身体が熱くなったこと、いままで1度もありません。
そんな私にエリザ様は、さらに言葉を続けます。
――いつでもお姉ちゃんに相談しなさい!
それはあまりに唐突でした。
火照った熱を冷ますように、何故か、私の頬が濡れていくのです。それと同時に滲んでいく視界は、途端に真っ暗になりました。
エリザ様が私の頭を胸元に引き寄せたのです。
優しい匂いがしました。
全然違う匂いの筈なのに、何故かお母さんの匂いを――二度と会えないお母さんの懐かしい匂いを思い出していました。
涙が止まりません。
でもこれは、悲しいから流れてきた涙じゃないんです、絶対に違うんです。
家族を――お父さんとお母さんとお兄ちゃんを殺されてしまって独りきりになっちゃった私に、新しい家族ができたことがすごく嬉しいから泣いているんです、涙が溢れてくるんです……そうに決まってるんです。
絶対に……そうなんです。
その音は聴く者の心を――感情をあまりにも揺さぶってしまう。
周囲に他の音は存在しない。故にこそ、それほど大きな音ではないにも関わらず、耳の奥にまで届く、届いてしまう。
それは、いっそ悲劇と呼ぶべきかもしれない。
眼を離すことは許されず、しかし、とめどなく溢れてくる感情は焦燥そのものという苦悶の時間。
この辛さ、この苦しみは、どこの誰であろうと逃れることはできないのか、そんな妄想じみた考えに囚われてしまう。
さりとて手を出すことを許されてはいない。迂闊に動けば更なる悲劇が待つことを、身を以て知っている以上、愚は犯せない。
だがいよいよとなれば、きっと彼女らは動いてしまうことだろう。
さしずめそれは――呪いに等しい。
「――よし、できたぞ、ってどうした?」
彼の――本多 宗茂の疑問はもっともである。
振り向いた先にいた彼女達3人が、真剣というよりも必死と呼ぶのがふさわしい形相と眼差しで見つめていたからだ。
「そ、それが……例の?」
「ああ――」
エリザからの問いかけに返事をする宗茂が、自宅のダイニングの半分近くを占める長テーブルへと運んだ物の正体、それは――
「お前達が大好きなから揚げとは一味違う、だが、勝るとも劣らない揚げ料理――」
――パーコー。
排骨と書き、ぱいこー、ぱーこーとも呼ばれるこれは、宗茂にとっての異国にて、豚などの肋肉を意味する。転じて、豚の肋肉に卵と小麦粉の衣をつけて油で揚げた肉料理を指す。
パーコーを語る上で特筆すべきは――材料。
豚肉、卵、小麦粉――これら全てが、異世界であるユグドレアでも揃う意味は大きく、それ以上に高揚と期待感が高まる。
何故ならそれは、ただ揃うだけの現状に収まることがないからだ。
――デラルスハイオークとコカトリス。
地球各地で観てきた様々な素材を超えると宗茂が断言したこの2つの素材、それを材料として用いた事実は、完成した料理を宗茂の知るそれとは別格の質へと導くことに繋がる。
宗茂の要望を詰め込んだリィル謹製の調理用魔導器を用いて、丸みのある鉄鍋にデラルスオークの背脂で仕込んだラードの塊を置き、熱を入れていく。
すかさず砂時計をひっくり返した宗茂は、材料の仕込みを始める。
デラルスハイオークの肋肉をぶつ切りにした後、ダグラダマーケット経由で入手した塩と胡椒で下味、小麦粉をまぶしコカトリスの卵にくぐらせる。
砂時計の砂が落ちきったことを確認した宗茂は、お手製の菜箸を鉄鍋へと入れることで温度を確認――細かい泡が静かに上がってくる。
それは、ラードの温度が弱火――約160度であることを示す。
先ほどの砂時計とは別のそれをひっくり返した宗茂は、すかさず小麦粉と卵を纏った肋肉をラード油の中へと向かわせていく――じっくり丁寧に、焦がさぬように。
細かい火力調整と菜箸による肉の状態確認を始めた宗茂は、この上なく集中していく。
――自分の料理を待ってくれる人達に喜んでもらうために。
選択した道が故に選ぶことが出来ず、しかし諦めきれなかった道を横目に歩み続けたその涯てに、何の因果か連れてこられた異世界であるユグドレアにて、本多 宗茂は図らずも自由の身となった。
だからこそ彼は此処にいる、本多 宗茂はラーメン屋の店主でありたいと願った。
数多の修練、幾多の戦場を超えることで磨き極まった――『鑑定 極』の取得すら可能とする集中力と洞察力を以って、宗茂はパーコーの状態を観察し、同時に、別の調理用魔導器で茹でている麺から意識を離さない。
――パーコー麺。
それは、彼が今日試作している麺料理の名称であり、ユグドレアの人々がいずれ出会うことになる数々のラーメンの中のひとつ。
本多 宗茂は、今日も明日もラーメンを作る。




