リア=ウィンディル ②
魔術大国――その呼び名にふさわしいだけの技術力を有し、高名な魔術師も数多く在住していることでも知られている。そして、今は亡き、あのリルシア帝国の貴族であり、帝国魔道士団長であった、アードニード侯爵こそ、我らがアードニード公国の祖である。
かつての帝国では、騎士と魔道の融合により生まれた魔道騎士で編成された、魔道騎士団を戦力の中心とし、ガルディアナ大陸の3割を制していた。
魔道騎士には魔道――魔法、魔術、魔導、それぞれの利点が組み込まれている。
・魔法適性が高い者だけが騎士に成ることで、高い水準での広範囲魔法を、騎馬の機動力を活かしながら運用することを可能にする。
・リルシア帝国の魔導技術で造り出した魔導甲冑による、魔法や魔術以外の物理的な攻撃方法の強化、および、戦術や戦略の多様化。
・リルシア帝国魔道士団が創り出した、多種の武装魔術の換装を想定した魔術――魔装術が、臨機応変な任務遂行能力をもたらす。
その後、リルシア帝国崩壊の際に、帝国の魔道技術は3つに分けられた。
魔法は、ナヴァル王国。
魔導は、ランベルジュ皇国。
魔術は、アードニード公国。
だからこそ、アードニード公国の主力は魔装術であり、魔装術師であるべきだ――このように考える者達が、今現在、伝統派と揶揄されている。私自身が、魔装術師だからこそ、この現状が悔しくてたまらない。
それもこれも、全ての原因が勇者たちにあるのは間違いない。
――白騎士。
勇者の1人であるミク=タケダという魔導師もどきのバカ女が作り出した、白い鎧型の魔導器のような物を纏う騎士の名だ。
この白い鎧こそが、革新派などと宣う愚か者どもが、魔導兵装と自称する、今もなお公国経済を破綻へと導いている、くだらない代物である。
この鎧が抱える1番の問題は――素材だ。
この魔導器もどきは、純隕鉄と神魔金の合金で作られているそうだ。
それを聞いた時、思わずあのバカ女を罵倒しそうになってしまったが、なんとか自制しきった自分を褒めてやりたい。
何故なら、オリハルコンにアダマンタイト、ともに世界最上の素材である以上、そう易々と揃えることはできないからだ。
ならば、どう揃えたか、簡単だ。
金に物を言わせて掻き集めた、ただそれだけ。
それだけの大金を、アードニード公国は消費してしまったのだ。
国や民のために用いるべき大切な国庫金を。
守るべき民から集めた貴重な税金を。
その全てを、奴らは使い潰したのだ。
さらに、国庫が空になったのを知った勇者たちがなぜか憤慨し、為政者が安易にしてはならない、最悪な所業をしでかした。
――強制徴税
ただの作り話なのかと、私は思っていた。
欲深い者の醜さを教え伝えるためだけに作られた、おとぎ話の類いだと思っていた。
違った、存在していたのだ、その害虫は。
外の世界――外天からやってきた、世界を食いつぶす害虫は確かにいるのだと、私は思い知らされた。奴らは、いくつかの種類が確認されている害虫、その中のひとつだったのだ。
国に集っては、一切遠慮することなく財を喰らい尽くし、別の国へと向かい、再び財を喰らい始める。甘そうな蜜を見つけては群がり蠢く、虫のような様相、それ故に与えられた異名。
――金喰い蟲
こいつらは、異名に恥じぬ傲慢な行為を、よりにもよって、私の母国でやってのけたのだ。
「なんかジメジメしてない?」
「そこそこ暑くて、この湿地だからな、無理もないだろ」
「え、そんなに暑いかなぁ?」
「はぁ……いいなぁ、【クソチート】」
「そういうとこだぞ、【クソチート】」
「あはは、ひどい言い草だなぁ」
私は今、3人の勇者たちとともに、ある場所へ向かっている、そう、この場にいる勇者は3人だ。
1人は【魅了】のヒナ=タケナカ。
2人目は【武芸百般】のタツタロウ=タナカ。
そして、3人目の少年。
断言できる。
タツ程度を殺すだけならば私でも可能だ。それだけの力を、私は備えているのだから。当然ながら、戦闘能力皆無のヒナを殺すことなど、造作もない。
だが、【クソチート】と呼ばれているこの少年だけはどうしようもない。
まず間違いなく――負ける。
この少年がいるからこそ、私も父上も【魅了】の影響下にない地方の高位貴族の方々も、迂闊に手を出せないでいるのだから。
「僕だって欲しくて貰ったわけじゃないんだし、もう少し優しくしてくれても――」
「だから【クソチート】って呼び名だけで、我慢してんだろうが」
「えぇ、そうだったの?」
「そうだったの!?」
「……なんでお前まで驚いてやがんだ」
「みんなが言ってたから、そういうものなのかなって思ってたんだもん」
この男の名は、ヒトシ=スズキ。
持っている【チート】は、あまりに現実離れしているものだった。
無窮のアインハルト――因果変動と呼ばれる零魔法を得意とし、数多の戦場を主と共に駆け抜けたとされる、無の根源に繋がる英雄。
混沌のゼアル――事象操作と呼ばれる太極魔法を得意としていたとされる、史上初めて白と黒の根源を連ねることに成功した英雄。
ヒトシのチートは、伝説で語られている英雄達の中でも異端と云われているこの2人、その英雄譚で語られる魔法と比較してもなんら遜色の無い、あまりに異常な力だった。
そのチートの名は、【主人公補正】。
自分が思い描いた作品の主人公の設定を、現実の自分に反映させることで、結果的に自分の思い通りに物事を進ませるチート、だそうだ。
4年前、【魅了】によって、公国首都であるマージアルトを掌握し終えた勇者たちが、謁見の間での談笑中、魅了されていない私の前で、ヒトシがそのように口にしていた。
その後、私は、いくつもの光景を目の当たりにすることになる。
――万を超える魔物群をひと薙ぎで葬る姿。
――心臓を貫かれたヒトシが平然とする姿。
強大な戦闘能力を持つ者が、殺されても死なないという現実は、私達の心を砕いていく。
だが、他にあるのだ、4年経った今でも忘れられない、私達の心をへし折った、あの光景。
ヒトシが持つ理不尽すぎるチート――武人殺しとでも呼べるその力。
あの日、もしかしたら私達の心は殺されてしまったのかもしれない。
王国最大戦力――ナヴァル六傑。
皇国最大戦力――ランベルジュ四魔導。
他国から特記戦力と呼ばれ、ガルディアナ大陸各地にて列挙されるような強者達は、アードニード公国にも存在している。
公国最大戦力――アードニード七剣。
4年前、領地内にて魔物の大氾濫が発生していたため、合議に不参加だったアルテリス公爵家の現当主こそ、七剣の1人にして、公国最強の魔装術師。
七剣の一、雷霆剣のセシル殿である。
彼は、私の父上から事の顛末を聞き、公国首都マージアルトへと領軍を率いて急行した。
その行動は怒りに任せたもので、些か冷静さを欠いてはいたが、数で劣る私達にとって、一縷の希望であることに違いはなく、いざとなれば、我々が補えばそれでいい。【魅了】対策の魔導器を身に付けさせた、僅かな手勢を率いる父上は、そのように語っていた。
確かに、セシル殿が率いるアルテリス公爵領軍なら首都防衛の要である大公軍に劣りはしない。ならば、セシル殿と合流し、勇者たちを討ちさえすれば公国に平和が戻ってくる、私はそう信じていた。
だが、この時の私は、まだ理解していなかった。
悪名高い勇者たちの名が、何故大陸全土という範囲で広まっているのか。
私は、勇者たちが名実ともに、大陸の害悪であるということを、心を折られたあの時、本当の意味で理解させられた。
「……これは酷いな」
「そうなの?」
「ホント鈍いわね、あんた」
「そ、そんなことないもん! えーと……ど、どうなってるの、タツ?」
「はぁ……あんまりイジメんな、ミク」
「タツがいつも甘やかすから、こんなポンコツになってると思うんだけど?」
「あー……善処する」
「……当分無理そうね」
「そうなの?」
「……ええ、間違いなくね」
勇者たち3人は、目の前で戦っているヒトシに対して、一切の心配もしていなかった。今現在戦っているこの時も、戦う前からも、それは変わらない。相手が、アードニード公国最強の魔装術師であるセシル殿であっても、その態度が変わる様子はない。
そして、勇者たちが楽観的であればあるほど、私達の中で戸惑いが生まれている。それは、私達が見せられているものが、とてもじゃないが現実であるとは思えなかったことと、嫌でも関係してしまう。
目の前のそれは、凡そ、戦闘と呼べるものではなかった。
「な、んなんだ、これは……」
「まさか、これほどとは……」
私と父上も、こんな言葉しか口に出せなかった。
こんなもの、どうしようもないではないか――そんな言い訳めいた心境になってしまうのもしょうがないと思わずにいられない。
それは4年経った今も、4年前のこの時も。
タツが口にした呟きが、確かに正しい。
こんなの、あまりにも――酷すぎる。
雷霆剣のセシルといえば、ガルディアナ大陸全土で考えても、間違いなく上位に位置している実力者のはずだ。
たとえ神魔金等級の魔物であろうと、セシル殿は対等に戦える。その現実をこれまで世に示してきたからこその、七剣最強の地位なのだから。
セシル=アルテリスは、間違いなく公国最高の武人なのだ。
そんな彼を、ヒトシは翻弄している。
いや、違う。
セシル殿が自らの意思で、ヒトシに翻弄されに行ってる、というのが正確だろうか。
「はぁはぁ……何がどうなっている!?」
「あのー、そろそろ諦めた方が……」
「なっ!? ふざけるな!!」
雷霆剣と称されし、アルテリス公爵家に伝わる魔装術――雷刃戦型。
その特徴は、術師の周囲に、雷霧と呼ばれる粉状の雷という現象を再現し、雷霧を束ねて多数の雷刃を成すことにある。
雷霧という攻防一体の領域を創り出し、万雷の刃という怒涛の攻めを以って、敵を討つ。
それがアルテリス公爵家秘伝の魔装術。
それが、七剣最強のセシル=アルテリス。
それが、まさかこんな――
「またか!? 貴様、一体なにをっ!?」
「あはは……特になにかをしているわけではないんですけどね」
「そ、そんな訳があるか、現に――」
――この私の魔装術が消えているではないか!
セシル殿のこの一言が、全てを物語っていた。
そうなのだ。
戦う以前の問題なのだ。
ある一定の距離、おそらくはヒトシがセシル殿の間合いへと入った瞬間、雷霧も雷刃も、一瞬で消え失せてしまうのだ。
「――簡単な理屈よ」
おそらくは勇者たちの中で1番の智慧者であるミク=タケダが、口を挟む。
その場にいた全員の視線が、声のした方へと向いた。私や父上は当然だが、誰よりも答えを知りたいであろうセシル殿の表情は実に険しい。
「うっ、ちょ、んっんっ……」
「ミク、ビビりすぎだろ」
「う、うるさい! んっんっ……簡単な理屈よ」
「ぷはっ、最初からかよ」
「……!!」
「睨むな睨むな、ほら説明」
「あとで絶対泣かすからね……ふぅ、簡単な理屈よ。私も初めて見るから半信半疑ではあったけど、間違いない。そちらの貴族の攻撃が、ヒトシの命を奪うに足るものだったから、無かったことにしたんでしょう――」
――【主人公補正】が。
確かに説明自体は簡単だ。
だが、理解するには、あまりに難解過ぎた。
「あー、やっぱりそういうことだったんだ」
「わかってたの?」
「なんとなくね。それにおかしかったから」
「……何が?」
「ここって、まだ序盤でしょ? なのにこんな強そうな人が来たからね。多分だけど、僕がいなかったら、これって――」
――負けイベントだったんじゃないのかなー?
意味が、わからない。
武人の誇りを踏み躙りながら、ヘラヘラと笑う、この少年の無神経さも。
決死の覚悟でこの場にいる私達とはまるで違う、呑気すぎる態度でいる勇者たちの思考も。
序盤などという、演劇でしか使わないような言葉を、この場で用いることの不可解さも。
なにも、わからない。
だが、この先の展開は読めたし、実際にその通りになってしまった。
堕とされてしまった、公国最強の魔装術師が。
――黒白の聖女に【魅了】され、堕ちたのだ。




