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ナヴァリルシア暗黒事変




 ガルディアナ大陸の人種族の多くが、適性の高い職業を選択する傾向にあり、当人たちもまた、自身に適した職に就くことを望んでいる。だが、当然ではあるが、必ずしも個々人が望んでいる職業に就けるわけではない。

 軍務や財務、法務などの、自国を支える職は総じて人気が高く、だからこそ競争相手も多い。

 それらの職に就ける者は、一握りの優秀な人材だけである。特に、かつて、戦乱の大陸と呼ばれたガルディアナ大陸では、戦を司る軍務への、民の関心はいまだに高い。


 大陸屈指の軍事力を有する、人族領域の一角であるナヴァル王国もまた、軍務を希望する若者たちが大多数を占めていた。


 ナヴァル王国は騎士国家である。

 魔道職の適性がどれだけ高くとも、騎士を第1志望、魔法師や魔術師を第2志望にすることが当たり前、そういった風潮を良しとするのが、ナヴァル王国民の気質。

 そのため、年に数回実施される騎士登用試験を受ける者は多く、30万を超える騎士志望の若者が、王都や子爵位以上の貴族が治める領都に足を運ぶ。

 年毎(としごと)に多少の推移はあるものの、騎士になれる者は約1割、騎士見習いという名の予備兵として約3割が採用される。つまり、残りの6割は、不採用である。

 さて、不採用という憂き目にあった彼ら彼女らは、この後、どうするか。


 ある者は、故郷へ帰る。

 ある者は、魔道職へと目標を変える。

 ある者は――冒険者や傭兵となる。


 実際は、ほとんどの者が冒険者ギルドの門を開いては冒険者となり、次に実施される騎士登用試験の為に、少しでも自力を伸ばしつつ生活していく。

 それは、ナヴァル王国に暮らす人々が毎年のように目にする、実に見慣れた光景である。

 ところで、どうして彼ら彼女らが、傭兵ギルドではなく、冒険者ギルドの門を開くのか。


 冒険者と傭兵では、採用基準が違いすぎるのだ。


 採用基準が、基本的には年齢だけの冒険者ギルドに対し、傭兵ギルドでは一定以上の戦闘能力――最低でも、騎士見習い程度の戦闘能力がない者の所属を認めない。


 ――力無き者に剣を取らせることを恥じよ。


 それは、ふるき時代から、連綿と引き継がれてきた想いであり、傭兵達の信念。

 力無き者の味方であり続けた先達の歩み、その重さを背負うことの意味と意義、それを理解しているからこそ、傭兵の道を弱き者に安易に進ませ、その命を散らさせるようなことはしない。

 それは、傭兵ギルドという組織が、ネフル天聖教大陸総本部設立と()()()、発足されたという経緯があるからこそ。

 傭兵ギルドの理念は、ただ一つ。


 ――力無き者の代行者たれ。


 故に、傭兵という存在は、かつて破天の一であった竜族の長と、同じく破天の一であった真なる聖天の代行者、その()()の意志と言う名の残滓ざんしを継ぐ、くさびとならなくてはならない。


 それが、誇りある傭兵達の総意である。


 大陸各国に派遣されたギルドマスターを含めた、傭兵ギルドにおける序列の格付け。その中で最高等級である 純 隕 鉄 (アダマンタイト)等級の傭兵達で構成される、対()()、対()を本領とする、ガルディアナ大陸をむさぼる害悪――()()の敵対者。


 ――竜聖の盟約。




 それは、英雄の残滓を継ぐ者たちの名である。










 冒険者ギルド、それは、各国それぞれが主導し、設立する、国にとっての傭兵ギルドともいうべき、国営組織である。

 ところで、傭兵ギルドと冒険者ギルドは仲が悪いことで有名である。その理由は、傭兵ギルドが長年培ってきた大切なノウハウを、冒険者ギルドが何の配慮も遠慮もなく模倣したことにある。

 残念ながら、異世界であるユグドレアに、現代地球のような著作権や特許制度はなく、とがめる者などいるわけもない。


 それが、今日こんにちまで続く両組織の対立の理由として、今なお有り続けている。


 それぞれが戦うべき存在と闘わなければならない者たちである以上、それらのサポートをする両ギルドの細部は、どうしても似てしまう。

 それぞれのギルドが掲げる等級制が、最高等級以外共通しているのも、その一例といえる。

 4、5名程度の人数で編成されるパーティー制度。ギルドの下部組織に等しい立ち位置である、30名以上の人数で構成されているクラン制度。

 傭兵の生存率や依頼達成率を高めるため、傭兵ギルドが始めたこれらの施策も、冒険者ギルドが()()()模倣したことで、共通してしまった一例である。

 やはり傭兵ギルドを模倣して設立された経緯が影響してのことだろう、冒険者ギルドの業務の方向性も傭兵ギルドに似ている。ただし、方向性が似ているとはいえ、業務の内容()()は全く異なっている。


 それは、傭兵と冒険者の違いにもつながる。


 弱き民のために戦へとおもむき、敵となる対象に貴賎の差はなく、どんな相手でもけっして退くことのない、戦闘のスペシャリスト。


 それが、傭兵。


 未知なる魔物が跋扈ばっこしている、未開領域や未探索領域の調査――環境次第では、竜聖の盟約ですら手こずりかねない脅威と成りうる、それほどまでに危()な場所ですら、おかすことを恐れない()たち。


 ――国が管理する領域を拡大することが、無辜なる人々の為になるならば。


 そんな献身めいた誇りを、大切に胸中へと仕舞い、未知を切り拓く者たち。


 それが、冒険者。




 ただし、補足しなくてはならないことがある。




 全ての傭兵、全ての冒険者に当てはまることなのだが、己の欲――金銭欲や自己顕示欲などのために、活動している者も少なくない。

 他にも、日々の生活のために傭兵活動や冒険者活動を行なっている者、そしてもちろん、次の騎士登用試験を合格するための力を得るために、冒険者という立場を選ばざるを得ない、そういった者もいるということを忘れてはならない。

 端的にいえば、個人差があるということ。


 だからこそ、問題になることがある。


 ガルディアナ大陸の人種族の多くが、適性の高い職業を選択する傾向にあるが、必ずしも本人が望んだ職業に就くことができないことが、ある種の――悪循環を生んでしまう。


 ある者は、故郷へ帰る。

 ある者は、魔道職へと目標を変える。

 ある者は、冒険者や傭兵となる。


 ある者は――道を外れてしまう。


 夢破れ、失意の底で打ちひしがれていれば、いずれ必ず朽ち果てる。だが、そうとわかっていても動けない。きっとそれは甘えなんだろうと、頭で理解していても、身体が動いてくれない。

 其の境遇にまで堕ちた者は、そのことを嫌でも理解させられてしまう。


 ――心が追いついてこれない、と。


 だから、其奴そいつらは連れていかない。甘く優しげな言葉で、強引に頭と身体()()を連れ去る。

 夢想する場に執着する心を置き去りにして、耳当たりのいい言葉と、都合が良すぎる環境を与える。

 はたから見ればそれは、単なる餌付けにしか見えないことだろう。


 だが、勘違いしてしまう。


 彼ら彼女らからすれば、一切の光が差し込まない深い底から、不甲斐ない自分を救い出してくれた、優しき理解者にしか見えなくなるのだ。

 そして、素質が開花されていない()()の前途ある者たちが、其奴らの手駒となっていく。


 其奴らは、ある組織の手の者。


 ガルディアナ大陸各国の裏側で暗躍し、苛烈かれつな勢力争いをつねとする、道を外れた者達の楽園であり、心()おどらせる闘争をとする者達が集う、非合法な組織、その()()


 ――暗殺者()()()


 そして、同じ地域で活動する暗殺者や、暗殺者クランを屈服させた者達だけが、唯一、それを()()()()()()

 あの組織らが、属する者たちをさも従えているかのように、暗殺者たちを支配することを()()()()()()

 ()()名称を名乗ることを()()()()()()()()


 それは、数多の怨嗟えんさが結実した証。


 そのために、力を磨く。

 そのために、敵を殺す。

 そのために、邪魔する者たちを殺し尽くす。

 いつかその名で以って、自分達を闇に追いやった者達へ――わからせるために。


 我らは、闇を支配する者――暗殺者()()()である、と。


 それは、夢破れたと()()()している者達の、夢という名の幻想。

 暗殺者にとっての栄光ある道程を歩んでいる、と思い込んでいる、彼ら彼女らが止まることはない。けっして止まらない、止まれるわけがないのだ。


 唯一、止められる可能性である、自身の心の在処ありかを知らないから。


 自身を弱者と勘違いし、心を見失っている者達は、今日もまた、愚直に邁進まいしんさせられる。

 全ては、強者気取りのいやしい小物どもが抱いた、醜悪しゅうあくな欲望を起因とする愚かな野望が、この()()の原因である。




 だからこそ、()の怒りに触れた。










 暗殺者クラン『アグリュム』。

 アグリュムとは、()()()()語で柑橘かんきつ類を意味し、柑橘は、柑とたちばなの二字で構成されている。

 自身が担う流派の、()()()こそが、組織の名にふさわしいと考えた彼は、其の名を異世界観に合わせ、暗殺者クランの名とした。


 其の名は――橘。

 別名――裏立花。


 彼が担う流派である立花流戦場術の門下において、その名をれるのは、師範が認めた高弟のみ。


 ――()流暗殺術。


 わざ()()()()()立花流戦場術とは、異なる役割を持つのが、橘流暗殺術。

 敵をいかに効率良く殺害せしめるかを追求し、幾つか存在する致死までの流れを基礎とし、ただ()()()()(技術)として確立させるのが、橘流暗殺術の役割。

 本来であれば、立花流戦場術の理念に反しているが、暗殺――秘密裏に殺したい者を殺すのに不可欠な基礎技術は、戦場でも活かせるという理由が大きく影響し、橘流暗殺術は、今なおあとへと継がれている。


 それはつまり、歴代の立花流戦場術を担った者の中でも、()()()()で数えられる実力者である、異世界に招かれた()()()()()もまた、裏立花を継ぐ者の1人であるということ。


 だからこそ彼は、殺人を法で防ぐことしかできない現代地球の出身であるにも関わらず、躊躇(ちゅうちょ)することなく他者を殺せる。

 橘を継ぐ者の1人であるからこそ、法を隠れみのにする小賢しい害悪を、病死や老衰死、事故死などの半ば偶発的な死因で()()必要がある。


 ――法で裁けない外道は、法外に身を置ける者でしか殺せない。


 それは、今も昔も世界も問わない真理であるからこそ、彼が逡巡(しゅんじゅん)することはない。




 だからきっと、その願いが、彼を動かした。




 あの日、貧民窟の覇権を争う戦いから降りることを決めた者からの、心からの願い。

 愛する弟と国との板挟みに苦しみながらも、己を奮い立たせ、慕う者たちを守るために苦渋を味わうことを選び続けた生涯で得た、その全てを引き換えとして、彼に懇願した者――ドルズ。


 それは、激しくも悲しき願い。


 ドルズ、ドルトルの兄弟のみならず、今やナヴァル有数の大商人であるダグラダも所属していた、今はもう何処にもない商会、そのおさ

 ダグラダの親友であり、ドルズ、ドルトルの兄弟を拾い上げた恩人でもある、ナヴァル王国で知らぬ者のいない大商人。

 暗殺者ギルドの卑劣極まる策に()()まる事を選び、親友や愛弟子達、そして、愛する妻子を救うために命を捧げ、非業の死を遂げた者の名。


 その名はレミントン。ナヴァル王国屈指の大商人が率いる、レミントン商会の長である。


 その日、レミントンは自ら命を絶った。

 妻子や商会員であるドルズ達をさらい、脅迫文を送り付け、レミントンを呼び出したのは、レミントンに王家御用商人の座を奪われた、ある商人。

 レミントンは、その商人が人質を解放したのを確認した後、約束を果たす。


 ――手にしたナイフで腹を裂き、更に左胸へと刺し入れることで。


 それは、幾百幾千もの大商おおあきないをくぐり抜けてきた男の、尊厳を守る勝負にして、最後に勝利を決めるための、必死の抵抗。

 背後に暗殺者クランを抱えるその商人に、生きたまま捕まれば、生物の尊厳など見るも無惨に裂かれ、喜悦を贈ることになってしまう。


 ――冗談ではない。

 ――妻子や親友、愛弟子達に危害を加えた奴を、これ以上喜ばせてなるものか。


 だから、レミントンは、笑顔でったのだ。


 その結果、親友であるダグラダは救われた。

 弟子であるドルズもドルトルも救われた。

 レミントンの愛する妻と子も救われた。


 ――ただし。


 ただし、時が来れば身体を蝕む()()を再現する魔導器が、身体に埋め込まれた状態で、レミントンの妻と子は暗殺者たちに生かされていた。

 ダグラダも、ドルズも、ドルトルも、その光景を見ていることしかできなかった。


 レミントンの妻と子が――()()()()へと姿を変えられ、もてあそばれて殺されていくのを、ただ眺めていることしかできなかったのだ。


 ――其処には、叫びだけがあった。


 ダグラダは嘆き悲しみ、しかし、抑えた。

 ドルトルは泣き喚いて、しかし、抑えた。

 ドルズは頬を濡らして、しかし、()()だった。


 許せるわけがない。

 親に捨てられ、貧民窟の闇に引きずり込まれるところを救ってくれた恩人を。

 貧民窟出身の2人にも分け隔てなく接し、いつも笑顔で指導してくれた偉大な師を。

 ともに泣き、ともに怒り、ともに笑い、そんな当たり前の日常を与えてくれた――自分たちを家族にしてくれた義父ちちを。

 いつも優しく頭を撫でてくれた、大好きな義母ははを。

 自分たちを、義兄あにと慕ってくれた、大切な義妹いもうとを。

 義父の誇りある最後を。

 変わり果てた義母と義妹の、無慈悲な最後を。


 ――わらった。


 だからドルズは、力の限りに叫んだのだ。


 ――あの人達を嗤ったあいつを許せるかよ!


 だからドルズは、レミントンと同じく恩人であるダグラダと、力を合わせて世界を生き抜こうと誓ったドルトルの前から、姿を消した。

 そして、ドルズ商会を立ち上げ、ナヴァルの闇である貧民窟の闘争へと、身も心も墜としていった。

 ドルズの全ては、ナヴァル王国の底の底に巣食う怨敵おんてき――暗殺者ギルドの長に成り上がった外道を滅ぼすためにあった。


 それは、純然たる怒り。


 故にそれは、彼が叶えるべき願い。

 憤怒を担う彼が、目の前にある激しくも悲しき憤怒(願い)を――悲劇の終わりを願う、心からの声を受け取らないわけがない。

 忘れることなかれ、権能を手にする者とは、()()する者であるということを。


 だから、仕方のないことなのだ。


 演目の内容には、脚本家の()()がどうしようもなく反映されてしまう。故に、此度こたびの演目は、悲劇を嗤い愉しんでいた者たちが、衆目へと、滑稽こっけいで無様な姿をさらすだけ、という、実にくだらないコメディ(喜劇)になると()()()()


 彼の心に、ドルズの汚れなき怒りが触れた時、世界の機能たる憤怒の権能が動き始め、彼の中の憤怒が――()が目を覚ます。




 全ては、このくだらない喜劇を、心から願った者に観せるために。










 貧民窟の覇権を争う戦いから降りることを決めたドルズが、彼に願った、あの日の()

 王都ナヴァリルシアの、けっして陽の当たらない物陰に、数えきれぬ(おびただ)しい()が撒かれた。


 その日、暗殺者ギルドを自称する暗殺者クランを含めた、王都ナヴァリルシアを拠点とする暗殺者クランの()()全て――279の暗殺者クランが滅びた。




 一夜にして、ナヴァル王国の裏社会が、闇の勢力図が一変したのである。










 ある時期を境に、ガルディアナ大陸各国の裏に潜む闇の組織が、突如として消失してしまう事件が多発していく。

 それは、ガルディアナ大陸のみならず、ユグドレア中を席巻する麺料理の名を冠する傭兵クラン『ラーメンハウス』と、その影に在る暗殺者クラン『アグリュム』の躍進――彼がその真価を発揮したことの証明。


 後世にて、ナヴァリルシア暗黒事変と呼ばれる奇妙な事件が端を発していることが解明され、研究者たち全てが予想していた、()()()()が、暗き舞台においても尋常ならざる活躍をしていたことを、人々が知ることになる。




 これは、のちに憤怒の破戒獣ベルセルクと呼ばれる大男が、ユグドレアにて最初に成した偉業である。






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