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ラーメン狂いどもの1日




 彼らの1日の始まりは、早い。

 日が昇り始めると同時に、響き渡る鐘の音。

 その音は、1日の始まりを告げる。


「うおおおおおおおっ!?」

「ぎゃあああああああ!?」

「……死ぬ、今日こそ死んじまう……」


 彼らは現在、毎朝行なう鍛錬の真っ最中。

 鍛錬の名は、山駆やまがけ。

 それは、木々が並ぶ傾斜の厳しい山肌を、全力で駆け()()()、彼らの師が担う武術の流派に、古くから伝わる鍛錬法。

 途中で足を止めた場合、最初からやり直しになるため、参加者は皆必死である。


 師曰く、


「山駆けは、手っ取り早くお前達を強くするのに最適だからな。多少の怪我はするが、治癒魔術って便利な技術があるんだ。徹底的に追い込んで、鍛えてやろうじゃないか、あ、ステータスユニットとスキルボードは外しとけよ」


 だそうだ。


 ただし、山の頂上からふもとまで駆け下りるのが、山駆け本来の姿。

 毎朝、()()()をしながら、楽しそうに山頂から駆け下りてくる師の姿に、彼らは畏敬の念を送っていた。

 ちなみに、最初は約500mから始まり、師の裁量の下、500mずつ距離が追加される。

 鍛錬開始から3ヶ月経った今では、ステータスユニットとスキルボード抜きの影響で、全身がズタボロになりながらも、約2kmの道程をこなせるようになってきた。


 ――鍛え上げた身体に宿る強き精神こそが、他者の心に響く、熱き()()に通ずる。


 これは、此の地の指導者でもある、師の言葉。




 故に彼らは、1日を山駆けから始めるのだ。




 日課の山駆けを終え、治癒魔術で身体を癒した彼らは、此の地に暮らす人々が利用する大衆浴場、師曰く――銭湯にて汗を流したのち、朝食を摂るためにその場所に向かう。

 多種多様な種族が、種族独自の料理を作り、適正価格で販売する――屋台が、其処彼処そこかしこに建ち並ぶ場所。

 元々は、中央広場と名付けられたその場所には、此の地に暮らす人々の半数以上――約8000人が、食事時に訪れる。


 通称、屋台広場。


 軽い食事を終え、仕事着姿となった彼らは、昼の開店に備えての準備を始める。

 まずは、タレ作り。

 彼らが提供する料理であるラーメンの味は、基本的に2種類――エルフセウユと塩。その2つの味を形づくる重要な要素の1つ、それがタレである。


 師曰く、


「基本的にスープがしっかりしていれば、タレにそこまで手を加える必要はない。けどそれは、タレを(ないがし)ろにしていい理由にはならない。素材のほとんどが、ここの山と森と湖で採れるからな、タレに使う素材もこだわりたいだろ」


 とのこと。


 そのため、タレの素材はシンプルだが、きちんと厳選をしている。

 タレのベースは、エルフセウユ、ナヴァル西海の塩と、ベルナス神山の岩塩の3つと、さらに3つ。


 椎茸に似た味わいのムアール茸。

 ポルチーニ茸に似た風味のノノボル茸。

 ともにデラルス大森林で採れる美味なるキノコ。


 隠し味に、ガルディアナ大陸に暮らす人達に馴染み深いお酒――エール。

 大麦を発酵させて出来る麦芽と水だけで作られている、シンプルなホップ無しのエールを少量加えることで、麦芽特有の旨味を足す。


 師曰く、


「2種のキノコの旨味と、皆に馴染みのあるエールの旨味。この3つをタレの要にする事で、スープでは届かない深いところにまで、この森の恵みを感じることが出来るようにしたんだ」


 ただ、本来であれば日本酒を用いたかったのだが、それらしい酒は見当たらない。苦肉の策として、少々独特な旨味であるエールを、隠し味として分量調整し、レシピを組んだという経緯がある。

 こうしてタレを仕込みながら、具材となる野菜と根菜をカットしては、師曰く――冷蔵庫と呼ばれる携行型の魔導器へと入れていく。


 続いて行なうのは、コカトリスの煮卵作り。


 其の地に、4箇所存在する孤児院。そこで養育されているコカトリスが、毎朝産む無精卵は、非常に美味。


 師曰く、


「この世界は美味いものが多いんだけど、中でもコカトリスは別格なんだわ。俺がいた場所で、烏骨鶏うこっけいっていう有名な鶏がいたんだけど、それと同等かそれ以上の素材なんだよ、コイツ。もちろん、卵も絶品だ」


 コカトリスの無精卵にエルフセウユを適量垂らし手早く掻き混ぜたそれを、エルフライスと呼ばれる穀物を炊き上げたものへとぶっかけた、料理とは呼べない手軽さのそれ――卵かけ御飯。

 毎朝、凄まじい勢いで卵かけ御飯を口へとかっこむ師は、コカトリスを、鶏肉最高級の素材と評する。そんなコカトリスの卵は、野生に存在するコッコ種の卵を大きく上回るサイズ。師曰く、マンゴーという果物とよく似たラプルの実という果物の大きさに近い。


 まずは、そんなコカトリスの卵を茹でていく。


 茹で時間は、若干長めの10分。

 師が持っている腕時計のように、正確な時を刻む魔導器は、此の地には()()無い。

 その為、師が提案し、木工師達と協力して、砂で時を測る砂時計を作成。ラーメン作りに必須である正確な時間管理の体制を整えた。

 そうして出来上がったコカトリスの()()卵を、デラルスハイオークのチャーシューの煮汁に漬け込む。

 これにてコカトリスの煮卵の仕込みは終了。


 続いて、明日の営業用のスープ作り。


 屋台営業と同時並行で、翌日のスープを作るのは、当然ながら師の教え。現在、此の地で店舗営業している5つのラーメン屋でも、同じ作業を行なっている。店舗での営業を視野に入れている彼らは、試行錯誤しながら、スープを仕込んでいく。


 それはいずれ、独立する為に。


 彼らは、偉大なる師と同様、ラーメンの魅力に取り憑かれ――狂っている。故に彼らは、自身の理想の一杯を追い求める。

 週に一度行われる、品評会という名の選抜戦。彼らと同じラーメン狂い達が、しのぎを削る真剣勝負を繰り広げるのも、理想の一杯を求めているからこそ。


 日々の屋台営業は、やがて訪れる戦場で戦い抜く実力を身につけるために必要な、彼らにとって大切な修行の時間である。


 師が造らせた特注の大鍋――寸胴鍋で、翌日用のスープの仕込みを始めると同時に、営業の準備をする彼らは、先程のとは別の、2つの寸胴鍋を確認する。

 1つは、昨日仕込んだスープ。

 もう1つは、あれを茹でる為の寸胴鍋。


 ――麺。


 それは、ラーメンに欠かせない要素。

 故に此の地では、師自らが麺作りに着手し、徹底的にこだわり抜いた末に出来上がった製法を、師から直々に教わった者達だけが、ほまれある製麺所の一員となれる。


 製麺所では以下の8種類の麺が扱われている。


・極細麺 (1.1mm)

・細麺 (1.15mm)

・中細麺 (1.25mm)

・中太麺 (1.4mm)

・太麺 (1.875mm or 1.7mm)

・極太麺 (2.5mm or 2.2mm)


 どの店も、基本的には同じ麺が使われている。


 師曰く、


「麺のサイズにこだわるのはかなり重要だ、それというのも、麺はラーメンの要の1つで、主に食後感に関わるから。タレやスープに麺を合わせる、もしくは、麺にタレやスープを合わせる。どっちの方向性でも正解だから、様々な組み合わせを試行錯誤してみるといい。忘れるなよ、麺選びを(おろそ)かにする奴に、ラーメン屋としての成長はない」


 麺、スープ、タレ。ラーメンという食べ物の大部分を構成する、それらの組み合わせは、本来ならば多岐に渡る。しかし、かつて師がいた世界では、特定のスープやタレに相性のいい麺が有ると、()()()()られていた。

 たしかに、決まった組み合わせ――セオリー通りに組み合わせることで、安定してラーメンを作ることができるのは事実である。

 ならば、と、安直に麺を選択し終えるラーメン屋が、師のいた世界では多かったらしい。


 師曰く、


「それはベストじゃなくてベター――思考放棄した妥協でしかない。何故なら、チェーン店の画一したスープやタレならともかく、個人で経営しているラーメン屋なら、店主オリジナルのスープやタレが生み出されてるのが、ほぼ確実だからだ」


 だからこそ、四苦八苦して産んだ我が子に等しいスープやタレのために、妥協せず、誠実な麺選びをしてほしい――師が思うのはそれだけ。

 彼らの師は、ラーメンが大好きだからこそ、安易な妥協をひどく嫌う。


 そのため、こと麺選びだけは、決して師は口を出さない。それが彼らの成長につながると信じているからだ。


 開店30分前。

 具材やトッピング、タレや調味料等を作業台に配置を終える。次いで、その日の味見を兼ねた昼食を摂る。

 味見は、検証と考察を兼ねているため、激しい議論を交えての昼食となることが多い。この時間が、彼らのラーメンの成長に繋がることを彼ら自身が自覚しているため、熱くなるのも無理はない。


 開店5分前、屋台脇に今日のメニューを簡潔に記した木版を設置し、準備完了。


 彼らの戦いが始まる。




 2時間後。




 昼の部の営業を終えると、ガランゴロンと、牧歌的な鐘の音が此の地に響き渡り、皆が皆、しばしの休息を取る。


 師提案のシエスタと呼ばれる休憩時間だ。


 此の地では、師の尽力によって、飢えによる死に怯えなくてもいい。


 ――なら楽しめ、と。


 老若男女問わず、睡眠の楽しみ、談笑の楽しみを満喫できるようにと、師は、この時間を定めた。


「生を謳歌するのは、生きとし生ける者全てに与えられた、侵すべからざる権利だからな。お前達も存分に楽しめよ?」


 師は、此の地に暮らす皆へ、笑顔で告げた。

 理不尽な死から逃げるように、此の地へ来ることになった人々は、彼らも含めて、静かに泣き崩れた。


 もう、怯えなくていい。

 もう、諦めなくていい。

 もう、奪われるのを見なくていい。


 ――生きてて、いいんだ、と。


 師の力強い笑顔が、此の上ない安堵を、此の地に暮らすことになる人々にもたらした。




 そして、理不尽を超えるための力を得る機会をも、此の地の人々へ与えた。










 シエスタを終えた彼らは、すぐさま動き出す。

 チャーシュー用のデラルスハイオークをスープ寸胴へと投下し、夜の部の開店準備を始める。

 とはいえ、昼の部で用いた具材やトッピングなどの補充をするだけ。2時間ほど煮込んだチャーシューを、エルフセウユのタレに、20分ほど漬け込めば、チャーシューは完成する。同時に、翌日用のスープの、コカトリスのガラやデラルスハイオークのゲンコツを変えたり、チャーシューの糸巻きをしていく。


 時間は進み、夜の部開店、5分前。


 具材やトッピング、備品などの最終チェックをこなしながら、その時間を待つ。陽が徐々に落ちていく中、翌日用のスープ、その火を止める。


 彼らの戦いが、再び始まる。




 3時間後。




 最後の客へとどんぶりを渡し、屋台脇の木板に、営業終了、と書かれた布を被せる。

 今日の戦いは終わった。

 それは、明日始まる戦いに備える時間が、彼らに訪れたことを意味する。


 今日の営業の後片付け。

 調理器具や丼などの店の備品の洗浄。

 屋台内外の掃除。

 仕事着や布巾の洗濯。

 今日の売り上げの集計作業。

 麺や具材、スープやタレ用の素材の発注。


 彼らは、独立――暖簾のれん分けしてもらい、此の地や、他の国で、自分の店を持つことが当面の目標である。

 こういった作業は、ラーメン屋として動くために必ず覚えなければならないこと。そのため、これらの作業を日毎に交代しながら、彼らは行なっている。


 全ては、理想の一杯の為に。


 翌日用のスープを、携行型冷蔵庫へと保管した彼らは――社宅と呼ばれる、2階建ての立派な家に帰ってきた。

 師の方針として、ラーメン修行を希望する者は1チーム5名で組むことを義務付けられる。


 師曰く、


「俺がいた世界なら、小さな店舗を1人か2人で回せるけど、この世界ではちょっとな――」


 師が語った理由は以下の通り。


・魔物や賊の類が跋扈ばっこする世界である以上は、戦う力が必要になる。

・外で生き抜ける為に鍛えてはいるが、少数では数の力に負ける可能性がある。

・そのため、5名以上でのチーム編成を義務とする。


 これは同時に、素材の調達において有効であることも踏まえての案である。




 此の地の人々は、師の考えに納得し、他の業種の者もこの考えを採用。結果として、死傷者が大幅に減ることになる。










 帰宅した彼らはすぐさま調理場へと向かう。

 今日の営業で余った具材を用いて、まかない料理という名目の、サイドメニューの研究を始めるために。


 師曰く、


「ただひたすらに、ラーメンだけを提供するっていうスタイルもいいんだけど、あえてラーメンとは関係ない品を提供するのも、けっして悪くはない。理由としては――」


 師のいた世界での常識、ではなく、知る人ぞ知る知識らしいが、上質なラーメンを提供する店主が、実は他の料理の道を修めた者という事例が多いそうだ。

 何故と問われた、師の返言は、


「ラーメンって、他の料理の技術が活かせる懐の深い料理なんだわ。俺のいた世界で有名な、フランス料理やイタリア料理、俺の母国の日本料理を学んだ料理人が、ラーメンに魅せられてどっぷりハマる、ってのは、よくある話だったりする」


 そういったラーメン店は、ラーメン自体もさることながら、サイドメニューが他店と比べてユニークな物が多く、それらを楽しみにする客も多いらしい。要約すると、サイドメニューは、他店との差別化に加えて、ラーメン自体のクオリティを上げる着想を得る可能性があるということ。


 そのため、他の料理人との交流も、此の地では非常に盛んである。


 まかない料理が完成し、やや遅めの夕食。

 朗らかに談笑し、熱く議論を交わし、アイディアを出し合い、また議論する。


 彼らは、いつも、この瞬間に実感する。


 ――楽しい、と。


 彼らは謳歌(おうか)する、尊敬する師から与えられた大切な時間を。


 そして、心に決めている。




 いずれ必ず、恩人へ――理想の一杯を、と。










 曰く、武の頂天が座する地。

 曰く、料理を極めし王に学びを請える地。


 ()()()が、ガルディアナ大陸のみならず、この星に暮らす者から、武と食の聖地と呼ばれるのは、まだまだ先の話。


 陽が昇り、鐘が鳴り、再び始まる。




 今日も彼らは、山を駆け下りる。







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