希望と節制と赤き者と
パチパチパチ、と。
炎燼の剣を讃えるように軽やかに拍手をしながら現れたのは、白い法衣と腰まで伸びる白銀髪を身に纏う、年端もいかない少女。
――素晴らしいです。
それは、竜炎の大渦が少しずつ収まっていく最中に届けられた、少女の声。淑やかで落ち着きのある声なのだが、告げた言葉とその内容が今の状況にあまりにもそぐわない。
炎燼の剣の4人には、妙な物言いも相まって、その見目麗しい少女が何か悍ましい存在にしか見えないでいた。
ドグル街道で起きた謎の失踪事件、その調査依頼を受諾した炎燼の剣は、すぐさま行動を開始した。
4人はドグル街道を西に進み、ガルガド大樹海奥地まで調査の手を伸ばし、探索の末に死臭漂う小さな集落を発見した。だが、死を想起させる腐臭のことを差し引いたとしても、どうにも妙な不審さを感じさせる集落の様子に4人は大いに訝しむ。
そもそも、集落にたどり着くまでの道程自体が、4人からすれば不可解だった。
同じ人族領域に存在する有名な魔物領域であるデラルス大森林には劣るものの、ガルガド大樹海も比較的上位に位置する魔物領域。
狼や犬、猫などの魔獣系の魔物、蜥蜴や蛇などの爬虫類系の魔物が数多く生息しており、ガルガドキマイラと呼ばれる星銀等級上位のキマイラ亜種を生態系の頂点とする魔境がガルガド大樹海である。当たり前だが多数の魔物が闊歩する危険な場所である。
だからこそ、炎燼の剣の4人は戸惑っていた。
樹海内にて人の集団が進んだであろう痕跡を見つけ、それを辿って進むほどに魔物との遭遇が減り、集落を発見した半日ほど前からは魔物どころか動物や虫の鳴き声すら無くなってしまった。
非日常そのものである魔物領域で起きている異常事態に身を置く4人が進んだ先に、件の集落があったという訳だ。
炎燼の剣の4人は、状況と環境の異常さに言い様のない不気味さを感じ、否が応にも緊張せざるを得なかった。とはいえ、調査依頼で訪れた以上は何かしらの成果を得ておきたいし、何よりも被害者を増やすわけにはいかない。
だからこそ、ランベルジュ皇国に属する冒険者の頂点の一角、神魔金等級冒険者である自分達が来たのだと意を決し、4人は集落内の調査を開始する。
家屋の数から30人程の人々が暮らしていたはずだが、その姿は無い。ひとつ、またひとつと家屋を調べるが、おびただしく拡がっているやや古い血痕以外、目立った痕跡は見当たらない。
もっとも、比較的新しい血肉がそこら中に散乱していることを考慮すれば、ひとつの油断も許されない状況であるのは間違いない。
4人は、集落でもっとも大きな建物、おそらくは集落の長のような人物が暮らしていたであろう2階建ての建物へと潜入した。
1階、異常なし。
2階、異常なし。
肩透かしな結果に顔を見合わせた4人だったが、白エルフの魔弓術士エレスが、何かに気づいたように手をかざし、ある1点を指す。
エレスが指した方向、階段裏のスペースへと向かうと、不自然な魔素溜まりがあることに気づく。
もしやと思った4人が床を叩けば音の響きが異なる箇所、そこの床板を剥がすことで現れたのは、地下へとつながっているであろう――隠し階段。
視線を交わした4人が頷きあい、点灯の光を頼りに地下へと慎重に降り進む。
やがて4人がたどり着いたのは、目的地へと繋がっているであろう鉄の扉の前。
盾役であるリグが何故か鍵のかかってない扉を開け放ち、油断せずに室内へ侵入した炎燼の剣の4人は、迂闊にも隙だらけの姿を晒してしまう。
若くともその実力が認められて神魔金等級冒険者となった4人ですら唖然としてしまうほどに、辿り着いた場所で目にしたそれは不可解だった。
床も壁も天井も、目に見える全てが真っ白に塗られた広大な空間に、数えきれないほどに立ち並ぶ、あまりに不可解なオブジェ。
4人は、動揺を抑えきれないでいた。
見慣れない材質の床や壁の異質さもまた動揺を誘うかもしれない。だがやはり、それこそが、4人の心を乱した最たるものだろう。
天井から伸びる金属状の脈打つ柱に繋がれている、透明度が高く青白い謎の液体で満たされている巨大な――ガラス瓶。
そんな巨大なガラス瓶ひとつひとつに、一糸纏わぬ出で立ちの人族が納められていた。
地下とは思えないほどの広い空間に、千を超える人々全員が、ガラス瓶の中で眠っているように瞳を閉じている――そんな荒唐無稽な光景を目にすれば、いくら神魔金等級の冒険者といえども動揺してしまうのは仕方がない。
あまりに理解し難い現実を見せられたことで狂気に陥りそうな意識をなんとか正気に戻した4人は、白い空間を慎重に調べ始めることにした。
胸が上下していることから生きていることはわかるのだが、水中で呼吸していることに関しては、4人の胸中には疑問しかない。とはいえ、ガラス瓶の者の大多数が失踪した人々――ランベルジュ皇国の魔導騎士や冒険者、傭兵であることに疑いはなく4人は安堵した、のだが、異常の中に存在する更なる異常に気づいてしまった。
――このガラス瓶には、何故、人族しか入っていないのだろうか。
人族だけを選別して拉致監禁状態にしたとも考えられるが、それにしては数が多すぎる気がすると4人は考える。
ランベルジュ皇国は多種族国家。
皇国における人族の人口は全体の2割から3割程であり、それ以外は獣人の各部族、エルフやドワーフ、魔族などで占められており、その割合はそのまま各職業へと反映される。
種族毎に向き不向きの職業はあるが、極端に偏ることは少なく、魔導騎士や冒険者、傭兵などに求められる戦闘職であれば、ランベルジュ皇国内での種族格差はほとんど無い。
その事実は、今回の事件で失踪した人々が、人族だけに偏ることはあり得ないことの根拠となる。
そして、失踪した2038名と、集落の地下で発見したガラス瓶の数に大した差は無い。
おおよそではあるが、集落の地下で眠っている人族は約2000人。視認による目算での算出なので誤差はあるだろうが、失踪した人族の数――647名と比較すれば誤差は無きに等しい。
さて、約1400名の人族はどこの誰なのか。
4人全員が抱いたあまりに奇妙すぎる疑問に、研究意欲の強い魔弓術士エレスを中心として考察が始まりかけた時、魔法師ラティーナが気づく。
――かすかな魔素の揺らぎ。
ランベルジュ皇国でも数少ない『魔素探知』最上級持ちであり、皇魔七選と呼ばれる皇国の魔道職最高位の1人に選ばれている、黒雷の申し子という二つ名持ちの魔法師ラティーナ。
そんな彼女だからこそ、集落内に突如として現れた異常なまでに歪んだ魔力2つと、その周囲に湧いている数多の魔力に気づいた。
警告を促すラティーナの声と同時に、乱暴に2つの扉が――4人が侵入してきた際に開いた扉と、その真逆にある、白い空間の奥にある扉が開かれ、そいつらが侵入してくる。
――白い仮面を被る、全身白づくめの集団。
一切声を上げず、気味が悪いほどに足並みを揃えて近寄ってくる謎の白い集団の、その薄気味悪い雰囲気に飲まれた4人は、無意識に後退ってしまい、白い空間の中央にある祭壇らしき場所にまで追いやられる――と同時に気付く。
――しまった、と。
4人全員が同じ思考に陥った瞬間には既に、白い空間から炎燼の剣の姿が消え失せていた。
――空間転移。
そして、転移させられた先で4人は、奇妙なキマイラとの戦いを強いられたのだ。
膝から崩れ落ちる彼の息は荒く、身体に力が入らないようだった。
「グルァァァ!!」
何度聴いたかわからない、聴き飽きたそいつの叫び声にも、クライドは怯えていた。
「み、んな……」
朱豹人族の武人であり、覇豹バルムスの化身とも評される剛盾士リグ=ガウズも。
黒猫人族が輩出した魔法の大器、殲雷のラティーナ=リドも。
白エルフの魔弓術士にして、古弓の担い手に最年少で選ばれたエレス=ファ=メルシードも。
皆が一様に地面へと崩れ落ち、怯えていた。
「――ふふっ」
その声を聞いた炎燼の剣全員が、ビクッ、と身体を震わせる、当然だ。
4人を眺めながら嬉しそうに微笑む少女こそが怯えの――恐怖の元凶なのだから。
「本当に皆様は素晴らしいです」
またか、と、4人はガタガタと身体を震わせながら同じことを考えていた。
これから少女が口にするであろう、一切聴き入れたくない祝福然とした、脅迫となんら変わらない言葉の数々。その内容を一言一句、4人は脳裏に刻んでいる、否、強制的に刻まれていたのだ。
「可能性はゼロでも――」
――知っている。
「望みを希ってこそ――」
――知っている。
「奇跡は起きるのです。さあ――」
――知っている!!
「――諦めないで?」
もう……いや、だ。
「怨嗟とか諦念とか、邪教徒如きにはもったいない感情だけど、ボクは赦すよ――暇つぶしにちょうどいいし」
「ええ、ええ、確かに。邪教徒のワガママな態度にはいつも悩まされますが、怨みの声を出すくらいならば赦してもいいかもしれませんね――退屈しのぎにはなりそうですし」
白い法衣に身を包んだ少女と、同じく白い法衣に身を包む銀髪の少年。
たった今静寂が訪れた闘技場のような場所で、2人は穏やかな雰囲気で歓談している。
「でしょ? 愛とか信仰辺りはすごーく怒りそうだけど」
「ふふっ、あの2人は仕方ありませんよ、邪教徒が生きてることが赦せない性分ですから」
「ホントもったいない……邪教徒は生きてるから愉しいのに」
「ええ、そうですね」
2人は笑う、楽しいことがあったから。
「可能性など皆無ですのに諦めることなく生きる望みを希い、悍ましくも美しい奇跡を見せてくれる邪教徒の皆さんの健気な姿……ついつい私もはりきって、精一杯の祝福を与えてしまいました」
彼女は満足していた。
本来、すぐに浄化しなければならない汚れた存在に何度もチャンスを与えることで改心する機会を与え、見事に成し遂げたからだ。
「そういうとこ、希望は優しいよね」
「そうでしょうか?」
「それこそ、フェネとかアルグードなんかと比較したらそう思うよ……ま、ボクもそうだけど、邪教徒とかただのゴミクズだしさ、いちいち祝福とかめんどくさいんだよね」
「ふふっ、邪教徒とはいえ世界に住まう命。今現在の姿形が醜悪でも、祝福の先で志を同じくできるかもしれません。で、あるのならば、現世での汚泥に塗れた魂と肉体を解放することこそが、邪教徒達の救いとなるでしょう」
「いやー、フェルメイユは聖者の鑑だよね、いい子いい子してあげる」
「もう……私の方がお姉さんですよ、節制」
スッと立ち上がった少年が少女の頭を優しく撫でると、少女は頬を赤く染め、照れたようにはにかんでいた。
「あはは、照れたフェルメイユも可愛いよね、と、そういえば、手紙って誰から?」
「まったくもう……手紙は知恵からです。なんでも、大きめの魔石が欲しいそうですよ」
「あのひきこもりめ……自分で取りに行けばいいだろうに」
「まあまあ……条件に合いそうなものがこの近くにあるらしいので、私達にお願いしたいそうですよ」
「お願いねぇ……あいつに貸した諸々、そのうちまとめて返してもらおうかな」
「あら、それもいいですね」
少年少女は和やかに笑い合う――心折れた彼ら彼女ら4人が嘆き苦しむ最中に、実に楽しそうに。
「それで、あいつは何が欲しいって?」
「かの有名なレガシーズナイン、最後の作品である魔導城グレンアギトに使われた――」
――先代『紅蓮竜』ヴァルヘイゼンの魔石です。
ピシッ、と、空気が軋んだ。
「途絶えた、だと……」
彼が呟いたその言葉が、その場に居ること――側に在ることを許された者へと、軋んだ空気以上に緊張を促す。
「アーシェ殿下もヴァーガス様も皇都におられるはずです、ということは……」
「フリードのところの小倅だろうな。だが、これは……ふざけたことをっ!!」
「っっ、ど、どうされましたか!?」
――怒髪、天を衝く。
今の彼は、怒色満面とでも言えるほどの怒りを露わにしている。
無理もない、と、永く側に仕えている従者である青年は考える。
青年が終生の主と決めた彼は、血の繋がりと自らを信ずる者達を、自らの命以上に大事にする。
だからこそ許せないことがある。
「……魂が還っておらぬ」
「なっ!?」
「我が眷属を奪うだと……」
彼は、生まれた時から備え持つ性質が故に苛烈となる愛情を、決して表には出さぬようにと厳格さを必死に装う、いと深き優愛を心に宿す君主。
彼は、家族を――眷属を一途に愛する者。
だからこそ、愛する者を傷つけた輩を、決して赦さない。
「わかってるな」
「はい……8割でよろしいでしょうか」
「うむ、明日には発てるな?」
「はっ、そのように」
だからこそ、直系である三大眷属のひとつであるヴァルフリード家、そこの末子との繋がりが途絶えたことを知った彼は、皇都アスクレイド防衛の要である皇都防衛軍、その8割――およそ15万を自身が引き連れ、偉大なる父が宿る遺産の一振りの気配へと向かう。
彼の名は、ジーク=アスクレイド。
ランベルジュ皇国の君主である大皇にして、かつての神代にて、友と眷属を救うために命を落とした先代『紅蓮竜』ヴァルヘイゼンが長子。
当代『紅蓮竜』ジークヴァルスが人の世で象る姿である。
かの『紅蓮竜』ジークヴァルスまさかの参戦という、未来の歴史家が激しい議論を繰り広げることになる、未だ結論を見出せない謎。
竜族の中でも苛烈で知られる彼が、実際は眷属を大切にする慈悲深い者だったという、彼自身にまつわる暴虐な戦歴からは信じられないほどに優しい理由だったと知られるのは、さらに時を進めた時代であった。
後世にてナヴァル国境戦役と呼ばれることになる、ナヴァル大戦、第1の戦の主演達が舞台に集まりつつある。
戦端が開かれる日は近い。




