異世界勇者
「――断るわ」
静寂が、その場に訪れていた。
彼女が口にした言葉は、集まっている者達の口を思わず硬直させるほどの、いわば禁忌に等しい内容だったということだ。
「すまん、もう一度言ってく――」
「断るって言ったのよ」
彼女の周囲がざわつき始める。ようやく言葉の意味をきちんと理解してきたからだ。
だからこそ、彼女の正気を疑っていた。
「ど、どうやら勇者殿はお疲れ――」
「いいからアタシの質問に答えなさい」
「な、なんたる無れ――」
頭に王冠を載せ、黒地に金の刺繍が施された豪奢なローブを身に纏う壮年の小太り男の顔の横を何かが通り過ぎ、同時に何かが砕けたような音が聞こえてきた為、彼は言葉を止められていた。
小太り男は振り向けない、彼女から送られてくる視線には、武の心得などあるわけもない小太り男ですら理解できるほどの殺気が込められていたから。
もしも、目を離せば――
「ねえ……今まさか無礼って言おうとした?」
「い、いや、それ、は……」
「――答えなさい」
本来、この空間、この状況下に限れば、小太り男に逆らえる者はいない、それがルールである。
小太り男を終始威圧し萎縮させている彼女――腰よりも長く伸びる美しい黒髪を携えた、凛とした表情が高潔さを感じさせる美しい少女は、小太り男の目の前にいた。
そして、本来であれば小太り男を守る筈の銀甲冑姿の者達、総勢84名が、今にも絶命しかねないほどの瀕死の状態で転がっている現実。
それは、黒髪の少女がその場のルールを力づくで変更したことを示していた。
アルダート大陸。
かつて戦乱と呼ばれし大陸ガルディアナを彷彿させるほど、戦によって世が乱れている大陸。
虚飾の魔王を旗頭とする強大な魔族に大陸全土のおよそ5割を支配されている状況に、他の種族が黙したままでいるはずもなく、人族領域、獣人領域、エルフやドワーフを中心とした亜人領域、その3つの領域内の国々が魔族討伐の目標を果たすべく戦いに明け暮れている。
強大な魔族に対し、人族、獣人、亜人は協力をする――ことはなく、各個で対策を取り、それぞれで抗っていた。
但しそれは、仲違いをしているからではない。
――虚飾の権能。
虚飾という言葉を意味としてみるならば、実質を伴わない外見だけの飾り、自身の能力や他の人に与える魅力を過度に信じている、総じて、虚栄心――見栄を張りたがる性質を指す。
言葉の意味のみを抜き取って考えれば、恐れを抱く必要はないように思える、虚飾というSinを司る権能。
だが、授かった者が強者となった場合、非常に厄介な力へと変貌する。
――虚。
虚飾の権能は、ウツロと呼ばれる、ある種の人形を作り出すことができる。
それは、実質を伴わない外見だけが飾られた人形である筈なのだが、自身の能力や他の人に与える魅力を真実であると、過度に信じている人形である。
そして、ありとあらゆる者の姿形を着飾る――再現することが、ウツロには可能。
――隣にいる友人は本当に自分の友人だろうか?
そう、虚飾の権能は、簡単には拭えぬ疑念を、いとも簡単にばらまく。
故に、それぞれの種族だけでの対応を余儀なくされているのだ――不要な軋轢を種族間で招かぬように。
さて、そんな虚飾の魔王率いる魔族を打倒するのに欠かせないものとは何か。
だからこそ予定を変更されて、ガルディアナ大陸ではなくアルダート大陸に、彼女が呼ばれたのだ。
だから彼女は、そもそも不機嫌だったのだ。
だからこそ、そいつの傍若無人で自分勝手極まる物言いに後押しされる形で、簡単にブチ切れてしまったのだ。
「よく来たな、異世界の勇者達よ」
――いやいや、あんたらが勝手に呼んだんでしょ。
「そなたらの使命は、悪しき魔王を滅ぼすことである」
――使命って……あんたはアタシの上司かなにかなの?
「さあ、時間は少ない。後のことは、我がゼアルディート帝国が誇る銀竜騎士団に任せてる故、彼らの言うことを聞き、一刻でも早く勇者の偉大なる力を覚醒し、魔王討伐へと向かえ――」
「イヤよ」
「……何?」
色彩豊かな宝石を散りばめた豪華な玉座を最奥に置くその空間は、いわゆる謁見の間である。
謁見の間の中央には、異世界勇者召喚陣と呼ばれる巨大なカーペット状の魔導器。
玉座に在る資格を有する小太り男――ゼアルディート帝国皇帝であるアルヴァン=ゼアルディート。
彼は、一瞬呆けたのち、巨大カーペットの上で佇む、腰よりも長い黒髪の少女からの言葉の意味を理解したことで機嫌を損なっていた。
「イヤって言ったのよ、聞こえなかった?」
続く少女の言葉に、謁見の間に集まっていた者達――黒髪の少女以外の異世界勇者達も、帝国宰相も、高位貴族達も、近衛騎士達も、皆一様に動揺していた。
ゼアルディート帝国は、人族領域に存在する5大国のひとつにして、1、2を争うほどの軍事力を有する絶対君主制の軍事国家である。
即ち、皇帝に逆らえば避けれぬ死が待つ――いつも通りであれば。
「き、貴様……余に向かって――」
「はぁ……ねえ、そこの豚ジジイ」
「なんだと貴さ――」
文字通り、帝国民の生殺与奪を意のままに扱えるゼアルディート帝国皇帝に向け、まさかの豚ジジイ発言。
怒りの琴線を遠慮なく乱していく、ざっくばらんながらも鋭利で刺々しい言動と態度の黒髪の少女。
当然、皇帝アルヴァンの怒りのボルテージは最高潮目前まで上昇していき――
「人にお願いするなら、まずは頭を下げなさい、わかった?」
「なっ……近衛! コイツを殺せ!」
他者に命令を与えることが自身だけの権利であり、果たすべき義務と思い込んでいる皇帝アルヴァン。
そんな彼が、ただの手駒に過ぎない、異世界から連れてきた勇者という名の奴隷如きが皇帝の言葉を遮り、あまつさえ頭ごなしに命令するという屈辱に激怒しないわけもない。
すぐさま下した勅を、近衛騎士達が受け取った。
騒然とする謁見の間。
緊迫した空間の中、近衛騎士に守られる帝国宰相と高位貴族達の表情が気の毒なほどに青ざめていた、その理由。
異世界勇者召喚陣を起動する為には、魔法石と呼ばれる鉱石を大量に用意しなくてはならず、ゼアルディート帝国という軍事的にも経済的にも優れた国の国家予算、実に――3年分もの通貨価値となる。
今回、召喚した勇者は5名。
ゼアルディート帝国の政務を委任されている宰相や、召喚陣起動のために帝国の国庫からの領地運営補助金が半分以上カットされている貴族達からすれば、勇者達は帝国の資産そのものであり、彼ら彼女らの働きで得られる恩恵が分配されなければ、身も心も領地運営もやってられない、つまり――死なれては困るのだ。
だが、止めることはできない、このゼアルディート帝国では、皇帝の言葉が絶対である故に。
皇帝が言葉として発したならば、あのギガントオーガですらゴブリン扱いしなければ貴族ですら死罪になってしまう、帝国とはそんな国なのだ。
だからこそ彼らは悲嘆にくれていたのだ、日本風に言えば金蔓を失うことになるからだ。
黒髪の少女のまわりを近衛騎士が囲んでいく、その数は9名。勅が下された時点で、城内に点在する他の近衛騎士達に向けて伝令が放たれている、すぐに謁見の間に集結することだろう。
皇帝の近くに控えている近衛騎士長が頷き、それを見た近衛騎士達が抜剣し始める。
それは合図、愚かにも皇帝の気分を損ねた黒髪の少女を殺めるための、不本意な指示。
そして、皇帝を守り抜くことを誉れとする騎士の刃が、異世界より連れてこられた哀れな少女に向けて振り下ろされる。




