キュアノエイデス防衛戦 04
「はぁ……やっと見えてきたぜ――」
(――なんて、誰も返事しねえけどな)
黒髪黒目、そこそこ上背のある少年――タツタロウ=タナカは、愚痴にも似た独り言を口にし、周囲を見渡しては深くため息をつく。
タツタロウの周囲には、白甲冑の騎士――白騎士と呼称している、少年にとって言葉通りの手駒がひしめき合う。
(えーと、今日で9日? 10日だっけ? なんにせよ、時間かかりすぎだろ、ったく――)
疲労の色濃いタツタロウが心内でボヤいたことは何を指してのことだろうか。
そもそも、何故、10日前後の日程で、アードニード公国軍がキュアノエイデスに到達するのか。
実のところ、その理由自体は、その時その時の戦いにおいて変動する。但し、ナヴァル王国第2王子アルフリート=A=ナヴァルの到達を見越した行軍であることに変わりなく、大体が調整がてらの略奪関連の事象に終始、その後、キュアノエイデスに到着するという流れが大半であった、これまでは。
そう、いまだかつて起こったことのない事象の数々が、アードニード公国陣営にも起こっていた。
例えば、リア=ウィンディルの離反もそれらに該当し、【主人公補正】持ちの異世界召喚勇者が、キュアノエイデス防衛戦前に大敗したこともまた、初めての事象。
だが、他に類を見ない事象、最も影響力のある事実が存在する。
其れは、一大事と呼ぶに相応しい事象。
其れのせいで、アードニード公国軍の今回の行軍が遅れる――本来ならば7日の道程が、10日にまで延ばされた。其れの歩みの遅さが、そうさせたのである。
其れが、キュアノエイデス防衛戦に参戦した事実は、いかなる歴史を紐解いても、あらゆる世界線を覗いても観測されていない、正真正銘、新たに現出した事象。
其れは、神代より生存する巨獣。
其れは、神獣と呼ばれたる魔物。
其れの名は、偽龍メルベス。
大陸屈指の圧倒的強者、否――あの本多 宗茂やレイヴン=B=ウィロウ、蒼穹竜ファクシナータと同格の絶対的強者、神魔金等級認定巨獣種が、とうとう動いたのである。
彼女は求めていた。
彼女は願っていた。
故に、解き放った。
故に、歩を進めた。
彼女が求むは強者。
彼女が願うは闘争。
彼女は求めていた、願っていた。
自らにふさわしき、死に場所を。
アードニード公国騎士、その精神性を語る上で特筆すべきは、その潔さにある。例えばそれは、異世界惑星たる地球は日本にて語られる戦士――武士のそれに酷似している、要するに、滅私奉公。
公国騎士であるリア=ウィンディルがそうであるように、己の全てを懸けて国と民に尽くし、いざとなれば自死すら厭わぬ、真っ直ぐ正しく歪んでいる、その特殊な精神性――献身性こそが、アードニード公国騎士の強さの源泉である。
それはつまり、今の彼ら彼女らは――
(なんなんだ、これ……流石に――)
――弱すぎやしねえか?
適材適所、その言葉通りにすべく、1時間ほど前に終えた軍議にて練られた各員の配置及び担当区域は、以下の通りである。
傭兵ギルド → キュアノエイデス北域
ウィロウ公爵領軍 → キュアノエイデス全域
そして、アードニード公国軍と交戦することになるであろう、キュアノエイデス東域を担当するのが、冒険者ギルドである。
そんな冒険者ギルドに属する冒険者達――約5000名を率いるリーダーには、ギルドマスターであるカルロが就く。
単純な戦闘能力ならば、物心ついた頃からの悪友であるアージェスに劣るのは確かである。
だが、単純ではない戦闘能力ならば、カルロが上。それ故、カルロは冒険者を選び、その頂天を競うに欠かせぬ資格――神魔金等級に至った。
ナヴァル国境戦役10日目――キュアノエイデス防衛戦初日、夕方。
ナヴァル王国にて最強の冒険者が、動いた。
陽も落ちかけている時分、キュアノエイデス東の城壁から約3kmほど離れた平地に、ひとつの変化が訪れる。
それは、軽くひと当てとばかりに、カルロが仕掛けた結果――単身、アードニード公国軍前軍の陣へと潜入しては成功したことを示す、徴に等しい変化。
彼に与えられた二つ名の由来であり、字面から連想させる行動――濃度の高い霧を広範囲に発生させることで狩場を構築。
音も無く結果を成す隠密行動を敢行――キュアノエイデスの冒険者全員へ支給された魔導鉄扇の機能の1つ、静音モード。その機能を用いて、小一時間は動けない程の重篤な麻痺を付与、数十の敵兵を行動不能な状態へと、ものの数分で追い込んだ。
だが、公国の騎士である筈のその者ら――白甲冑の騎士の、そのあまりの手応えと反応の無さに、心中にて首を傾げていたカルロは、どうにも気になったのだろう、近くに転がっている者から、兜を脱がせてみた。
そして、カルロを含めたクリストフ陣営は、その醜悪な事実を知ることになる。
煌びやかな意匠の純白に染められた総甲冑、その見た目の美しさとは真逆の、悍ましく汚らわしい中身を、カルロは目撃し、嫌悪感に襲われていた。
「……おいおい――」
(とても正気とは思えねえぞ……ジジイのとこに居る炎姫から、公国がヤベエことになってるってのは聞いてはいたが……なるほど、本当のことだったみてえだ。無駄にピカピカしてる総甲冑の中身が、まさか――)
――アンデッドとはな。
これは、アードニード公国軍を戦力評価する際、対外的に主攻扱いされる筈の第1軍たる白騎士団が、第2軍の魔装騎士団よりも、何故劣っているかの理由であり解答。
アンデッド――ユグドレアにおいては不死種と呼称され類される魔物という認識が一般的である。
但し、魔道を深く識り解する者からすれば、この者らの理への認識として、魔物に類することを正しいと口にする者はいない筈。不死種のことを端的に語るならば、曖昧という言葉が相応しいからだ。
魔物とは、魔素の庇護を受けし生物。
では、不死種と呼ばれる者達は、その言葉から推察できるように、生きてはいないということなのだろうか――否。
勘違いしてはならないのだが、そういった存在が死なない、もしくは、死ねないというのは、ただ単に、命と呼ばれる機能がその身に存在していないことだけが理由。
定命に縛られし者達は、命という名の機能を保有しているが、かの者らはそうではない、ただそれだけの違いなのである。
では、ユグドレアにおける命とは、何を指すか。
――正常に機能している魂魄。
生物が死亡する、即ち、命を落とすとは、魂魄という機能が正常に機能しない――魂か魄、そのいずれかが欠落する事象の発生を意味する。
一方、アンデッド、もしくはノーライフ、はたまたイモータルなどと呼ばれる存在は総じて、その魂魄に異常が発生しており、その結果、命を落とすという事象が発生しなくなってしまったのだ。
異常な魂魄は、命に非ず。だが、生物が命を落とすことと魂魄の異常は、同一であると言い難い。
なにせ、魂も魄も欠落していない――死んではいないのだから。
その存在に宿るのは命ではない、あくまでも、似て非なるナニカでしかない、が、だからこそ死者の定義に当て嵌まることもない。
そして、かつて繁栄を極めた、定命にして長命なる種族に現れた賢者は、このように主張した――正常から逸脱している魂魄を、生者の理にも死者の理にも反している存在を、定義の上では死者ではないとしても、自分達と同じ生者だとは到底思えない、と。
それ故、異常な魂魄を有した存在に対して、生者なのか死者なのかが判別不明な魔物という結論が下され、不死種という区分けがされた。
これが、生と死の境界を揺蕩いし、曖昧なる存在、アンデッドであり、ノーライフであり、イモータル――不死種と定義されし存在が、ありとあらゆる世界に認識された経緯である。
但し、不死種とは本来、自然発生する存在。
カルロの眼下に伏せる彼ら彼女らは、定命の縛りから、強制的に解放されてしまった者達。
異世界召喚勇者の1人が有する【チート】によって、使い勝手の良い手駒に変えられた者達。
それを成したのは【主人公補正】ではない。
それを成したのは【魅了】でもない。
それを成したのが【武芸百般】の訳がない。
それを成したのは、アードニード公国に召喚された4人の若者の内、残る最後の1人である、彼女。
彼女の【チート】こそが、白騎士と呼ばれる、決して裏切らない手駒を産んだ。
彼女の【チート】の名は、【忘己利他】。
戦いに赴けるだけの武力と精神力を非戦闘員に与え、主たる彼女から与えられた使命を果たす為に身命を賭し、忠義を尽くす精兵と化す、というのが、この【チート】に対する異世界召喚勇者達の認識――だが、それは、傲慢の破壊神によって歪められた、いわば建前。
実際は、そんな綺麗なものではない。
老若男女も種族も問わず。
生者か死者かも問わず。
ありとあらゆる存在を、己が意のままに動く命無き戦闘人形――不死種と定義されし存在にへと作り替える、悪辣な『チート』。
――『有象無象』。
これが、異世界召喚勇者の1人であるミク=タケダ、彼女が有する【チート】能力、その隠されし本当の『名』である。