王国騎士デイビッドは家に帰りたい 10
※ この作品は、あくまでもフィクションです。実在する人物や団体とは関係ありません。
ちょい長。
「――わ、私、攫われちゃうんですかっ!?」
「『イーヒッヒッヒィ…… そうだよぉ〜、可愛い可愛いお嬢ちゃんを森の奥に連れていって、ペロリと食べちゃうのさぁ!』」
「た、多才ですね……セレスティナ様」
「ふっ……声真似、物真似はもちろんのこと、アドリブ演技も得意なのよ!」
ガルディアナ大陸において有名な存在であり、実在していたと云われる、とある女魔法師の二つ名にして、題材。
曰く、イグレスカの森の魔女。
子供達に様々な教訓を教えてくれる絵本として世に広まっているその作品から、セレスティナはセリフを抜粋――森に迷い込んだ子供に向けて魔女が言い放った有名な言葉を、セレスティナが思い描く魔女のイメージをコミカルな老婆の声色で再現したものが、先の言。
ターニャも、2人の傍らで耳を傾けていたデイビッドも、森の魔女(CV:セレスティナ)の、解釈が完全に一致している怪演技の凄まじさに、心からの賞賛を送っていた、拍手と共に。
さて、和やかな雰囲気でいるべきでないことは、誰もがわかっている。だが、心身共に衰弱しているターニャを慮った上での、セレスティナの言動であることは、その場の誰もが理解している。
例えそこに、僅かばかりの下心――マックス可愛いターニャたんの慌てふためく姿を見たい――そんな私心がありありと姿を現していようとも、今回に限っては、ガデルも見ないふりをしていた。
「――御配慮、感謝いたします」
「互いに利のある行動じゃ、あまり気にするでないぞ、ソニア」
「…………はい、そうですね」
――第1王女派閥によるカーヴィス公爵邸襲撃、及び、ソニア=カーヴィス公爵夫人、並びに、ターニャ=カーヴィスの誘拐。
それが、今回の騒動の筋書き、表向きの名目――とはいえ、悪評を招くことが目に見えているような方策を、何故、セレスティナとガデルが採る必要があるのか。
その理由は、第1王子派閥と第1王女派閥が裏で繋がっていると、今、外から邪推されるというのは、双方の陣営にとって不都合であるから。
ここで重要な点は、今という部分。
即ち、ナヴァル王国国境域にて現在進行形で発生している大規模戦闘――ナヴァル国境戦役と名付けされる戦が行なわれている、今、この時。
ナヴァル王国の国主であるクリストフが行方をくらまし、その隙を突くように侵略してきたランベルジュ皇国並びにアードニード公国の両軍を撃退せんと、王国が一丸となって奮戦せり――ナヴァル王国の多くの民の目には、ナヴァル国境戦役という戦いはこのように映っている、いや正確には、そういった印象へ導くために、第1王子派閥と第1王女派閥が積極的に動いているというのが正しいだろう。
だが、その実、ナヴァル王国内で繰り広げられていた権力闘争の延長線上にて発生した、実質的には内乱に近しい戦であるというのが、ナヴァル国境戦役の真実であり、その片割れである。
もう片方の真実――白の救世主と手を結んだ第2王子派閥や獣人族領域内の複数の国家による、秘匿性の高い侵略的行動を成功させる為の目眩し。
つまり、白の救世主らにとっては、ナヴァル国境戦役それ自体が、陽動であり、狙うべき大本命の存在を示唆している。
そして、そのことに気づいている幾人かが、既に対処しているからこその現状。
例えば、ドグル大平原における戦果とそれに伴う武威を新たなウィロウ公爵が証明したように。
例えば、義剣のルストを拉致したついでに白の救世主幹部を破壊した黒髪の少年のように。
例えば、本来ならばユグドレアに非ざる害悪である外天の尖兵、それも熾の位に座する化け物を相手に、手加減して撃退したのち遁走してみせた先代ウィロウ公爵のように。
事態は、どの勢力においても予断を許さず、軽々しく予見することすらできぬ、曖昧かつ極めて難解、まさに混沌と呼べる状況と化している、と、そのように感じている者が殆どである――ごく一部の知恵者を除いて。
戦に関わる勢力全体で見ても、たったの3名――既出の情報ではあるが、ナヴァル国境戦役という絵を描いた3名の知恵者にとっては、この混沌すら予定調和に等しい。
そう、今のところは。
さて、ソニア=カーヴィスにとって、つまり、カーヴィス公爵家にとって重要な真実は、前者ではなく後者――今なお人質として、2人の子供が捕らえられていることで、白の救世主や、それに通じている獣人族領域の各国、さらには第2王子派閥の者共らの意のままにカーヴィス公爵家が利用されている、その受け入れ難き現実こそが最も重要であり、目下、解決しなければならない最大の事案。
王国貴族として、公爵家の一員として、公爵家を率いる当主として、子供達を見殺しにする選択肢が、ケヴィン=カーヴィスの心内に、当然ながら存在していた、が、今現在のカーヴィス公爵邸の様子を見れば、彼が何を選んだのかは一目瞭然。
そして、その意を選ぶことによる屈辱を一身に負うことを覚悟したケヴィンの心情を、ソニアは深く理解している。
故に、彼女は諦めない。
子供達の命を、彼女もまた、諦めはしない。
その意を、その想いを、悲痛に染まった思慕の念を、ソニアから感じ取っては汲み取ったからこそ、ガデルは、セレスティナは、2人を攫う。
政争にて有用な手札として利用する為に――という体のもと、2人の身柄を拘束する。
その結果、卑劣な振る舞いだと吹聴されようとも、本来負うことなき誹謗中傷を投げかけられようとも、何一つ悪びれることなく、ナヴァル王国内外へと伝えるだろう――第1王女セレスティナが、ソニア=カーヴィス公爵夫人、並びに、第二子ターニャ=カーヴィスの身柄を押さえた、と。
それは全て、ケヴィンとソニアの大切な子供達、ターニャが親愛する弟と妹を、白の救世主から救い出す為に。
そして、その行動が齎すのは、変化――白の救世主に属する知恵者が常に浮かべている薄ら笑いが、わかりやすいほどに凍りついては崩れ去る瞬間が、やがて必ず訪れることを意味する。
自身が作り上げた計画の完成度の高さを見ては悦に入り、計画の遂行自体は他者に任せ、後ろに引き篭もって指示を出すだけの策士ほど、些細な綻びを許さぬ完璧主義者が多い。
それ故、ガデルとセレスティナの選択が有効すぎる一手だった、ただそれだけのことである。
「……わかっておるな?」
「任せて、叔祖父様」
ガデルとセレスティナの間で、突如として、そのような会話が為された次の瞬間、扉が開かれる。
現れたのは、朱豹人族が2人。同時に、穴の空いた天井から、灰象人族が3人、舞い降りて来た。
ソニアもターニャも魔法師、スキル『魔素探知』を有してはいるが、魔素喰いによって発動がキャンセルされている。
魔素喰いである愛のフェネが、ガデルの黒繭によって外界との繋がりを閉ざされたことで、徐々にだが周囲に魔素が戻り、それに応じるようにソニアとターニャの魂魄も修復されているも、未だ最中、全快からは程遠い。つまり、2人の『魔素探知』は発動しない。
だからこそ、ソニアとターニャにとって――ついでに、魔道的素養が皆無のデイビッドにとって――獣人族らによる音無き襲撃は、完全なる奇襲となった訳だ。
だが、体内魔力の消費を、単騎駆けによって最少限に抑えているガデルとセレスティナは違う。
愛のフェネを黒繭に閉じ込めたと同時に『魔素探知』が自動的に発動。濃度こそ低いものの確実に広がりつつある周囲の魔素に、自身の魔力を馴染ませ、迅速なる魔法発動が可能となっている。
そして、魔力を馴染ませ、魔素との繋がりが生まれたことで、魔素の揺らぎに反応することも可能になる。
つまり、索敵能力も復活しているということ。
「グルルァッ!!」
雄叫びと共に地を駆ける者達、その速力は高い。
扉からセレスティナ達までの距離は、およそ5m。その距離を一足飛びに駆けるに要する時間は、およそ0.1秒であり、1mを0.02秒、100mを2秒で踏破。
その速度は、秒速50m、分速3000m、時速180000m=時速180kmとなる。
参考までに挙げると、特異惑星ではない地球における地上最速の生き物と云われるチーター、かの獣の最高速度が120kmということから、朱豹人族が有する速度の高さは理解できる筈。
ただし、ユグドレアの各大陸上で暮らす者達と比較した場合、ステータスユニットが十全に機能している金等級傭兵下位程度の速力でしかない。無論、種族問わずに、だ。とはいえ、ステータスユニット抜きで、金等級傭兵の下位程の速力を引き出せるというのは、十分な脅威であると断言できる。
ユグドレア最弱の人種族である人族の場合、ステータスユニット抜きでの最高速度が、朱豹人族のそれの半分以下、時速70km程度であることから、強者である筈のケヴィンといえど、朱豹人族に太刀打ち出来なかったのも無理はないと思わせてくれる。
ちなみに、再度参考として挙げると、田所 信が存命していた時点での、特異惑星の方の地球における純粋な人族の最高時速はおよそ45km。特異惑星ではない方の地球と比べても、そこまでの差異がないことから、霊長類などどのたまう惑星地球の人族が、他と比較しても弱者であることを再確認できる。
生物としての成長限界を試算した際に算出された上限予想値が、およそ時速55km程度であることを踏まえると、魔素の薄い惑星の生物が、いかに脆弱な存在であるかが理解可能であり、そんな境遇に生まれ落ちた生物には同情を禁じ得ない。
知的活動においても、新たな文明が興ってから2万年近く時が経過しているにもかかわらず、物理的な事象に依存する兵器しか作り出せず、惑星内にて確立されている兵器群の中での最大火力の一角が、特定物質の核融合や核分裂によって発生したエネルギーを物理的な破壊力として利用しただけという、あまりにお粗末で原始的な兵器である事実は、惑星外航行すら成功させられない瑣末で幼稚な技術力しか有していないことを意味し、豊富な資源だけが唯一魅力的な未開惑星であることを証明している。
それは即ち、かの惑星には事実上、外敵に抗する手段が存在しないことを意味し、それこそかの帝国が誇る、最新の魔素工学によって製造された武具一式を装備させた一般的な兵士5名で構成されていた、たったひとつの小隊に、惑星内最大国家の軍隊が一晩で全滅させられた歴史が、かつて確かに存在していたことを思えば、その惑星を支配していると思い込んでいる傲慢な人族に対して、生物的資源――家畜としての価値しかない低能な炭素型生命体という評価がくだされるのも、当然の帰結である。
それはさておき、獰猛極まる獣人族が、ひ弱そうな女性人族の侵入者を標的にしたとして、そこに違和感が生じることはなく、いたって正常な選択である。
そして、鉄程度なら簡単に切り裂く、無慈悲なまでに鋭利な爪が振り下ろされ――
「――おっそーい!」
無惨に切り裂かれる筈のセレスティナから、不敵な笑顔を浮かべた彼女から放たれた、その一言が、全てを物語る。
――黒撃のシン。
――黒淵のガデル。
――紅蓮のレヴェナ。
彼ら彼女らが、そうであるが故に。
彼ら彼女らに相対した未熟な者も、そうなる。
刹那の領域――0.0013秒という反応速度を求められ、それを身体速度に落とし込むことを強いられたのち、刹那を渡り征く所作を体現することが叶った武人のみが、古代式魔法、又は、TBA式魔法を携え、魔の道を征く強者たる本物の魔法師に、相見える資格を得られる。
なればこそ、その光景が生まれるのも当然と言えば当然――応接室の宙空に、縫い付けられたかのように動きを留められた5人の獣人族は、皆が皆、突如として全身に襲いかかってきた苦痛の中、ただただ驚き戸惑っていた。
そう、たかだか金等級下位傭兵程度の速力で凌駕できるほど、本物の魔法師は甘くない。
あの忌まわしき外敵が、あの帝国すら喰らい尽くした化け物らが、他と隔絶せし強者であると自他ともに認識されていた魔法使い全員――全世界の魔法使いを名乗る者達――に、覆せぬ絶望と逃れえぬ死を贈り届けた絶対者が、捨て置くことなど出来ぬ脅威、排除すべき強敵であると評した存在。
始まりの戦姫アナスタシアによって確立された魔法体系、帝国や外敵からアナスタシア式の別称で呼ばれることもある新しき魔法を振るう、魔道に現れし逸脱者。
今現在のユグドレアにおいて古代式の名でも知られるそれを携える者達は、本来、魔法使いと混同しないよう区別する為に名称を定められたと同時に、魔法使い系統超級職として世界に認定された、事実上、世界最強の魔道職。
それが、魔法師である――が、あの空撃士と同じ様に、世界の最奥へと隠匿された魔法師の真実を知る者は、ユグドレアに、まだ存在していない。