王国騎士デイビッドは家に帰りたい 07
誰一人、気づくことはなかった。
だからこそだろう、その場にいた人族全員の脳裏に浮かんだ疑問は、ものの見事に一致していた。
――いつから?
極論、それ以外のことを考える必要は無い。
解答は、場の状況で以て、示されているから。
やはり、答えを知りたい疑問は、ただそれだけ。
「――ご機嫌いかがですか、カーヴィス公爵」
領都に残してきた長子を除いた、3人の子供達、その喉元に突きつけられた刃が、言葉にせずとも答えを語っている。
引き攣った表情と溢れ流れる涙――恐怖に竦んだ喉は音を殺し、意思とは関係なく頬に引かれ続ける涙が、少年少女らの怯えの度合いを示す。
可哀想なほどに怯えきった子供達を、ダイニング用の広間へと連れてきた彼ら彼女らの後方から、遅れてやってきた者――白く鮮やかに染められた礼装に身を包む、短く整えられた艶やかな白銀髪がよく似合う、少年のような少女が、何も知らぬ者達へ、その名を明かす。
「白の救世主、七徳が一。愛を司る使徒――フェネと申します。お見知りおきを」
それは、ナヴァル王国の重鎮たるカーヴィス公爵をして、未知なる名称であり、聞いたことのない組織の名――無理もない話なのだ、本来は。
人族領域に限定した上で、白の救世主のことを知っている者は――田所 信という例外や、白の救世主関係者を除き――かなり少ない。
それもそのはず、その組織の名が、歴史の表舞台に出ていたのは、約500年以上も前のガルディアナ大陸なのである。
そのことから、今現在、かの組織の名を知るのは、エルフやドワーフなどの、いわゆる長命種の生き残りと、ガルディアナ大陸の歴史を紐解こうとする者、つまり、考古学者や歴史学者を代表とする、研究探究の徒本人達と、そんな者達から聞かされた者だけ。
情報諜報に深く関わることを苦手とする、武人気質のカーヴィス公爵が知らなかったとしても、致し方のないこと。
それに何より、今現在のカーヴィス公爵が置かれてる状況下にあって、決して看過できない――してはならない疑問、その答えを知ることの方が重要である。
「さて……いくつかお願いがあるのですが、聞き入れてくださいますか、カーヴィス公爵」
「……言ってみろ」
鈴が鳴ったように軽やかな声音を押し潰すかのような、無骨さが滲み出ている重低音質の声色の持ち主――ケヴィン=カーヴィス公爵が劣勢に置かれる場に集う者達こそが、疑問の源。
カーヴィス公爵邸には、三つの広間があり、食堂として普段使いしている広間には、およそ50名ほどであれば、快適に食事を摂れるだけのスペースが存在する。
そんな広間に集まった者達の総数、のべ93名。
カーヴィス公爵とその奥方、子供達――5名。
白の救世主幹部、愛のフェネ――1名。
では、残りの87名は何者なのか。
そう、彼ら彼女らが何者なのか。
カーヴィス公爵らが、今一番知りたいこと。
「特に難しいことではないですよ……公爵領内に棲息する汚らわしい人族擬きを、私達に――」
――供与していただけませんか?
言葉の意味、いや、この場合、意図というべきか、耳に届いた要求にある筈の利が、ケヴィンには理解できないでいた。
この場の状況に加えて、意のわからぬ要求と、更に困惑していたケヴィンだったが、気づいたこともあった。
「……オルクメリアの飼い犬といったところか」
「ふふっ、流石は公爵家を継ぐ者、高い直感力をお持ちなのですね……ですが、半分だけ正解といったところです……同志ですよ、彼らは」
「……やはり、霊長派と繋がっているか」
そう、あの男や、その配下、もしくは、その背後にいる者達の悪辣さを、ケヴィンは知っている。
偏向的な思想を絶対的な正義と信じて活動する狂信者達――それは、ネフル天聖教霊長派の行動方針であり、ケヴィンから見た、霊長派の印象である。
手段を問わず、人族以外の他種族を現世から排除することが、世界で唯一の善行である――こんな世迷言を心の底から信じる、そんな危険思想の持ち主達が掲げる人族至上主義を、ナヴァル王国に広めるべく活動しているあの男が、裏で口にしていそうな台詞なのだ。
そう、人族を除いた人種族のことを、汚らわしい人族擬きと口にしても、あの男――枢機卿バルグ=オルクメリアであれば、そこに違和感など微塵も存在しないことを、うんざりするほどに理解させられているのだ、ケヴィンは。
目の前の男装少女と、あの性根の腐った枢機卿が、裏で繋がっているのではと、ケヴィンが連想したのも、至極当然と呼べるほどに道理が通っていた――からこその気付きである。
「それで……どうでしょう、良い返事は聞かせてもらえるのでしょうか?」
「……その前に聞かせろ」
実のところ、今の状況を打開する機が訪れることが無いことを、当のケヴィン本人が、誰よりも理解していた。
多勢に無勢――ではない。
人質がいる――でもない。
左手首にはめてあるステータスユニットから、光が失われたことが、最大の理由。
古くから続く家には、魔導器であるステータスユニットとスキルボードが、家宝のような形で、脈々と引き継がれる。
それはつまり、幾十幾百年と引き継がれ、代を重ねてきた貴族が有している、それらに秘められた力、その凄まじさ――ステータス補正の値は、そこいらの新造品とは、比べ物にならないほど高いということ。
ユグドレアにおいて、貴族などの特権階級に在る者達が、そう在れるだけの理由、もしくは根拠――連綿と継がれし魔導器が齎す、凡百から隔絶されし圧倒的な武力があるからこそ、民衆が大人しく従い、危難が訪れた時に期待する。
これが、ユグドレアという世界における、貴族と平民の正常な関係性。
平民だけでなく、貴族にとってもまた、ステータスユニットとスキルボードは、ある種の命綱であるということだ。
そして、当主に就く貴族とは、代々引き継がれし力を以て、一騎当千、はたまた、万夫不当を、現実のものにする強者だということ。
即ち、王国屈指の武闘派貴族であり、巨断を継ぎ、担う、ケヴィン=カーヴィス公爵もまた強者――ナヴァル六傑ではないものの――ナヴァル王国の特記戦力の1人に数えられるほどの、圧倒的な強者である。
それほどの力を装着者に与える筈のステータスユニットが、突如として停止、機能不全に陥る。
その原因は、誰の目にも明白――愛のフェネと名乗った男装少女の仕業であると、ケヴィンも推察。
だが、何をどうやって、そんな異常を成立させているのかが、どうしてもわからない――あまりに未知な現象を前に、歯噛みする他ないケヴィンの思考を埋める、残る最後の疑問。
それだけは、問い正さなければならない。
「……こいつらは、いつから裏切っていた?」
――総勢87名の使用人達。
3人の子供達の喉元に刃を突きつけているのは、子供達の世話役の任を与えられた、3人の使用人。
ケヴィンとその奥方が、並ぶように着席するその周囲を取り囲み、入り口まで塞ぐように整然と立ち並ぶ、のべ84名の使用人達。その腰元には直剣――ロングソードとも呼ばれるそれが差される。
このような状況が眼前に広がっているのだ、自分達が危機下にあることなど、誰に問わずとも理解するのは当然のこと。
わからないのは、使用人達がカーヴィス公爵家を裏切っていた、そのタイミングだけということだ。
現状を鑑みるに、男装少女の手引きによって、使用人達のクーデターが引き起こされたのではと、ケヴィンは考えていた。
それは、公爵領軍を率いるに足る優秀な軍人であるが、それ以上に、巨断にまつわる逸話を体現する武人としての生き方こそを理想としている、ケヴィン=カーヴィスらしいシンプルな考え方と言える――が、不正解。
「いつからと言われましても……2日前としかお答えできませんね」
「……何?」
「懇切丁寧に祝福させていただきました――」
――精一杯の、愛を込めて。
既知の外にある知を用いての奇襲――これは、ケヴィン=カーヴィス公爵の身に起きた事柄、その要約。
ユグドレアの者達にとって、戦闘の拠り所と呼んで差し支えない2つの魔導器、ステータスユニットとスキルボードを封じられることで、為す術のことごとくを奪われ、一方的な展開になるという一例である。
その後、子供達の内、2人が連行され、ケヴィンの奥方ともう一人の子供の側には、フェネが監視役として付くことに。
そして、ケヴィンには、とある指示がフェネから出されることに。
それは、他種族の引き渡しとは、別の件。
それは、とてもシンプルな頼みごと。
それは、ナヴァル王国第1王子アレクセイ=A=ナヴァルを、徹底的に煽ってほしいという、様々な意味でわかりやすく、容易が過ぎる要求。
だが、その行動の意味、起きうる事態が、安易から程遠いことなど、誰にでも予測できる筈だ。
それはつまり、第1王子勢力と第2王子勢力による争いを、激化させるように促す行動なのだから。
ケヴィンの脳裏に浮かぶ言葉――時期尚早。
第2王子勢力にだけ注視していればどうにかなる、そんな情勢ではない――第1王女セレスティナ、ひいては、その裏で画策する黒淵のガデル、かの者らへの警戒を解けるような余裕は無い、というのが、ケヴィンの心中である。
しかし、今のケヴィンは、抗いようもない現状を嫌でも受け入れざるを得なく、言われるがままに動くことしか出来ない。
その日、ケヴィン=カーヴィス公爵は、白の救世主の操り人形となった。
ナヴァル国境戦役、開戦の日から数えること、約2ヶ月前の出来事である。