王国騎士デイビッドは家に帰りたい 05
ちょい長。
現代地球――西暦2020年代頃の地球出身である彼女からすると、ナヴァル王国王都ナヴァリルシアの街並みは、絵画で描かれる中世ヨーロッパのそれのようであった。
だが、整然と築かれた建造物に、なにやら日本的なテイストを感じ取ったのは、彼女が生粋の日本人だからだろう。
言うなれば、西洋寄りの和洋折衷――それぞれの良いところを絶妙に取り入れることで、独自性を高めた建築様式で統一された、ガルディアナ大陸有数の大都市。
それが、ナヴァリルシア。そんな大都市の中で、最も大きな建造物――王城の一室にて、彼女は、その意識を突如として覚醒させた。
セレスティナ=A=ナヴァル、享年6歳。
毒で殺された筈の第1王女の中で、入れ替わるように目醒めた、彼女。
渋沢 鶫、享年18歳。
彼女のステータスの称号欄に、『真生を歩みし者』の表記――は、無い。
彼女は、大いなる魔の意思たるアナスタシアにより届けられた7つの種とは無関係の、偶然にも異世界転生を果たした者であり、完全なるイレギュラー。
幸か不幸か、外敵を阻みしユグドレアの防衛機構に引っかかることのない、か弱き傷ついた魂が、偶然にも異世界たるユグドレアに迷い込むケースが、極々稀に発生する。
寄る辺の存在しない儚き魂は、世界に遍く存在する魔素によって、霊子領域へと導かれ、傷ついた魂の修復が行なわれる。
その後、完癒した魂とそれを守護するかのように追随する魔素が、霊子領域からユグドレアへと流入、なんらかの生物として世界に誕生する。
ツグミ=シブサワの魂もまた、正式に、ユグドレアへと足を踏み入れることになる――魂魄を構成する一欠片として。
これは、魂魄流転の理に基づく、ユグドレアにおける生物誕生の自然な流れ。故に、いかなる例外も存在せず。
だからこそ彼女は、イレギュラーなのである。
そして、この事象は間違いなく、偶然に偶然が重なった結果でしかない。
ただし、他の世界線には見られない、とある事象の1つが、セレスティナの生存に繋がった可能性が高い。
その出来事とは、セレスティナの生存と同様、この時期のガルディアナ大陸にて、初めて観測された異常事態――蒼穹竜ファクシナータが、ベルナス神山を離れ、地上に居を移したこと。
かの竜が、ナヴァル王国に睨みを効かせたことで、ナヴァル国境戦役の時期がズレたように。
セレスティナ襲撃に関しても、他の世界線と比較した場合、彼女を襲撃する時期が、約2ヶ月ほど遅れる。
つまり、襲撃が遅れたことこそが、セレスティナが生存するに欠かせない最重要な事象、いや、敢えてこのように呼ぼう――イベントフラグである可能性が高い。
なんにせよ、この事象が観測されたことは、ユグドレアを守る者達にとって、朗報である。
蒼穹竜ファクシナータの行動の結果、有利な戦況へと覆せている、この流れ、それ自体が世界に確立されたことで、再現も容易くなったのだから。
例えこの先、理不尽な敗北が訪れようとも。
望まぬ終わり、受け入れ難き現実、打ち払うべき惨劇を壊し、其処に在るはずの歴史へと辿り着くまで、再開し続ければ、いずれは未来を勝ち得る。
これは、そういう物語である――と、そのように、私は聞かされていた。
正直なところ、この私――ストーリーテラーが開いている、この書物、この物語の正体が、どうにもわからないでいる。
無論、随分と長いタイトルであることは、カバーを見れば一目瞭然、その文言じみたタイトル通りのストーリーであることに間違いはない。些か、不足している要素があるようにも思えるが、疎かにしている訳ではないので、そこもまあ、良しとしよう。
だが、やはり、ならば、どうして……何故、このようなタイトルだというのに――端的に言えば、辻褄が合わない。
だからこそ、思わせてくれる。言い得て妙とはこういうことかと、そんな理解を促してくれるようだね、この書物は。
私の言葉、その意味が解りにくい方のために、少々のヒントを。
この物語は、一から十まで、喜劇的な英雄譚である――この文章が示す、ある種の矛盾点こそが、私を愉快な気分へと導くと同時に、少々の疑問を脳裏へと浮かび上がらせる原因となっているわけだ。
気づいた者もいるかもしれないが、私自身、この書物は初見、初めて語る書物、初めて触れる物語なのだよ。
つまり、観覧する者や眺める者、覗き見る者、盗み見る者――傍観者である君達と同じように、私もまた、この物語を楽しむ者の1人であるということだ。
願わくば――余計な手出しをするなよ、貴様ら。
さあ、物語を再開しようか――
さて、幼き姫君の身に起きた事象、その内訳はこのようになる。
ツグミ=シブサワが、セレスティナ=A=ナヴァルという人族を構成する、魂魄の一部となる。
魂のみを殺す、そんな特殊な毒を飲まされたセレスティナが、その凄まじき苦痛に耐えきれず、生を手放す。
毒殺後、暗殺者により手引きされた呪術師による、任意の魂の付与が成される筈だったが、セレスティナ本人の魂が消失したことによって生まれる、魂魄にあるはずの隙間が、何故か、埋められていた。
毒による殺害未遂が発覚したことによって、セレスティナの警備が厳重になり、その結果、黒淵のガデルの元へ預けられる。
魂のみを毒殺された挙句、魂の付与にも失敗し、魂魄が完全に消滅する――それは、無限に等しい試行回数の内にあって、必ず、ただの一度たりとも漏れ無き、不憫が過ぎる最期であり、これが、セレスティナという少女が迎える、完全に確定されている末路。
要するに、彼女は本来、単なる端役でしかないのだ。
悲惨な最期を遂げる非業の姫君、セレスティナ=A=ナヴァル。そんな彼女が、主人格こそ別人ではあるものの、今なお生存しているという事実、現実、歴史、事象、それらが発生する可能性。
それは間違いなく、ゼロだった。
つまり、彼女が生存していること自体が、いわゆる天文学的な確率と呼べる、まさに奇跡だということ。
そんな奇跡が成された――傍観者達に観測されたのは、今のところ、たった一つの世界線のみ。
毒殺されなかった事実。
今なお生きている現実。
第1王女としての足跡という名の歴史。
傍観者達の観測による、存在の確立という事象。
これら全ては、唯一無二という名の奇跡の産物。
それ故に、彼女は認められた。
その時代に数名いるかいないか、それほどまでに稀有であり、世界に変革を齎す存在を、傍観者達はこのように呼ぶ――特異点、と。
セレスティナ=A=ナヴァル、彼女もまたユグドレアにおける特異点のひとつである。
だが、それより何よりも、乱数の境界という難所中の難所を超えし、稀なる只人として、世界より、その称号を与えられている。
――『稀人』。
『真生を歩みし者』同様、希少な称号であり、その効果は、どのような人族であろうとも――例え、魔素の存在も、意味も知らぬ、無知極まる者であろうとも――魔素からの寵愛を受ける、というもの。
つまり、エルフと呼ばれし長命種の中でも特別とされた存在――始祖エルフと、魔道的に同格の存在であると世界から認められた、と、そういうことである。
――過酷な戦時下であれど、むしろそんな時勢だからこそ、束の間であろうとも、民衆に平穏を与えてやりたい。
これは、国主たるクリストフが掲げた、建国祭の基本方針である。
建国祭の期間は1週間。諸々の費用は、税で賄える為、よほど無理な催し物でない限り、金銭的な問題は無い。
そう、そこに問題はない。
つまり、別のところに問題があるということ。
実は、クリストフの頭を悩ませている問題が、昨年の建国祭から存在しているのだ。
第1王子派閥と第2王子派閥による、権力闘争である。
当時、水面下での争いが激化し始めていた第1王子派閥と第2王子派閥による権力闘争が、民草の為の催しである建国祭にまで飛び火しようとしていたのだ。
はっきり断言すると、建国祭では、大きな金が動く。
言い方を変えるならば、利権争いの側面を持つ。
例えば、10年以上前の建国祭とは、貴族同士の商い勝負といった、至極単純な様相であった――クリストフ政権が盤石であり、揺らぐ要素が無かったからこそ、貴族達は、自身の利益を追求していたのである。
そして、一見すると利己的な振る舞いに見えるそれが、国の利益に繋がる。利益の2割ほどは、税として納めるのが義務であり、それでも、貴族達には十分すぎる利益となるのだから、建国祭の運営側に回らない理由がないということだ。
特に、人口が少ない傾向にある地方の貴族達にとっては、領内から徴税するのと同等か、それ以上の利に繋がる可能性がある為、率先して、建国祭へ参加していた。
問題となった、去年の建国祭。
舞台は、王都ナヴァリルシア。つまり、ナヴァル王国の中央域である。
王都近郊を除いた、王国の人々が建国祭に参加する場合、当たり前だが、街道を通って、ナヴァリルシアへ訪れる。その際、街道沿いに存在する町村や集落は、いわゆる宿場としての役割を担い、多くの利用客が存在する。
無論、野宿を選ぶ者もいるが、それはそれとして、少なくない宿泊代が、宿場へと舞い込み、それらの一部が、領の税収となる。
もしも、そういった宿場に、他の貴族領の者達が、勝手に宿を開いていた場合、果たしてどうなるのだろうか。
そう、第1王子派閥の貴族も、第2王子派閥の貴族も、自分達の派閥に属さない貴族の領地に、宿を――それも必ず、元々そこにあった宿よりも上等、かつ、低価格という営業態勢を敷き、複数、最低でも5倍以上の宿を設けていたのだ。
ちなみに、宿場建造に関しては、魔道的な技術――土造りの建物であれば黄魔法師、木造建築であれば緑魔法師を、複数人確保できればどうとでもなるので、そこにかかるコストは、実質ゼロ。
そして、建国祭が終わると同時に、撤収する。
本来、その場所で宿場を営む者達が得るはずだった収入を根こそぎ奪い、何事もなかったかのように、その地を去っていったのだ。
これはなにも、宿だけの話ではない。
建国祭の期間における衣食住の三項目、それらすべての既得権益を、第1王子と第2王子、いずれかの派閥に属する貴族達が連携を取り、占有していったのだ。
無論、建国祭における利益、その全てを集めることなど出来はしない。
だとしても、今までの半分以下、場合によっては、1割ほどの利益しか上げることが出来なかった、その現実を突きつけられた地方貴族達の落胆は大きい。
だが、それと同時に知った、いや、思い知らされたのだ――王位継承戦が、既に始まっていることを。
弱きが淘汰され、強きが生き残る、いわゆる弱肉強食の図式で、次代の王が選ばれる――それが国是となるならばと、政争を黙認していたクリストフだったが、民衆を巻き込むことを容認した覚えは無い。
両派閥下にある貴族一同に、建国祭運営の参加自粛要請、その旨を織り込んだ書を認めようとした矢先、王城の執務室の扉がコンコンと叩かれる。
それは、ナヴァル6傑の一たる老魔法師と、その弟子である第1王女の来訪を告げる音。
クリストフにとって、その来訪は、とても喜ばしいものである。暗殺未遂の影響で、年に数回しか会えぬ愛娘と、尊敬してやまない偉大なる叔父、そんな2人と時を同じくできるのは、殺伐とした政務の中にあって、一時の安らぎであったのだから。
何より、クリストフにとって幸運だったのは、目下、悩みの種となっている建国祭における権力争い、ある種の経済戦争そのものを破綻させる、そんな代案を提示してくれたことである。
後日、ナヴァル王国国主クリストフより、ある通達が、ナヴァル王国全域に届けられた。
その通達を要約すると、このようになる。
――今年の建国祭の最高責任者は、ナヴァル王国第1王女、セレスティナ=A=ナヴァルとする。
つまり、建国祭の采配――仕切りを、セレスティナに任せると、王国最高権力者たるクリストフから発せられたのである。
そして、ナヴァルの奇才の異名が彼女に与えられる、その最たる理由となった、あるイベントが開催される。
王国中の美男美女を集め、服飾や装飾を生業とする者達をも集め、王都ナヴァリルシア郊外に魔法で創り上げた特設ステージにて、煌びやかな演出をもって演者を輝かせては、貴賤を問わず集まった老若男女の瞳を潤ませた、そのイベント。
――ナヴァルコレクション、通称ナヴァコレ。
ようするに、ファッションショーである。
何はともあれ、王国の民にとって、未知に満ちた建国祭が始まる。
現代地球の出身者なら、どこかで見たことがあるようなイベントを、セレスティナはいくつも考案。
長年行なわれてきた建国祭にて、過去最高の盛り上がり――歴代最高金額の税収を稼ぎ出すことに成功する。
セレスティナは――ツグミは、いわゆる知識チートと呼ばれる振る舞いを、存分に披露したのである。
――建国祭を仕切るべきは、第1王女セレスティナ。
殆どの地方貴族はもちろんのこと、何より、建国祭に参加した民衆によるセレスティナを讃える声が、口コミとして、王国中へと広がることに。
その声の大きさも強さも、無視できるような軽いものではなく、国主たるクリストフは、新たに設けた建国祭運営部の長へと、彼女を就かせることを決定。
そして、翌年以降の建国祭は、今まで以上に民衆から望まれる一大イベントとなり、セレスティナ=A=ナヴァルという姫君の名が、国内外に知れ渡ることとなる。
とある禿げた黒魔法師の読み通りに――いや、正確には、彼の想定以上の結果となり、民衆からの強い支持を受ける王位継承候補が、その年、生まれたということだ。