王国騎士デイビッドは家に帰りたい 04
戦乱の大陸ガルディアナの歴史の中でも、変革という言葉を現実としていたとされる時期――中世期。その当時の情勢を詳らかに紐解く為には避けては通れない、とある大事件。
――ナヴァリルシア暗黒事変。
この事件にまつわる幾つかの逸話と、それ以降の裏社会の情勢の流れの不可思議さは、的確に捉えることが適わぬ難解さを備える。
次から次へと、思考の水面にゆらゆらと浮かび上がってくる疑問の群れは、それぞれが互いに関連があるのではと、そのように推察する学者は多く、数世紀先の未来である現代においても、未だ結論は――暫定的にすら断じることが出来ないでいる。
だからこそ、熱意ある学者達の興味を、強く惹きつけるのかもしれない。
さて、かの大事件の舞台は、ナヴァル王国の中心地、王都ナヴァリルシア。
その裏に潜んでいた有力な暗殺者クラン同士が繋がることで形成されていた巨大組織、即ち、暗殺者ギルドの消失こそが、本件における最大の見せ場である。
ナヴァル王国の暗殺者の全てを、あたかも隷属するように従え、自分達こそが王国の影を支配する者である――と、そのように自称していた甘露な現実は、あの日あの晩あの男の手によって、あっけなく崩壊することとなる。
その後、瞬く間に台頭してきたのが、多くの種族の者達で構成されている暗殺者クラン『アグリュム』である。
かのクランこそが、ガルディアナ大陸の歴史上、最強にして最凶と目される暗殺者クランと相成り、恐れ慄かれることになる一大組織なのだが、ここでひとつ、憶測に近い補足――仮説が、学会にて提唱されている。
当時のナヴァル王国における重要人物――ネフル天聖教の一派であり、保守派と双璧を為す最大派閥たる霊長派における最高権力者、枢機卿バルグ=オルクメリア。
彼の働きかけもあり、王都ナヴァリルシアを中心とした王国中央域では、実質的に人族が優遇され、それ以外の種族を冷遇する――人族至上主義という名の不平等がまかり通る場所になっていた。
この事実は、表から追いやられた人族以外の種族の者達の多くが祖国へ戻る、もしくは、陽の届かぬ暗がりに逃げるように潜むことを選ばせたのだと、容易に想像させる。
傭兵クラン『アグリュム』は、そういった事情を抱える者達を保護することで、組織の力を増すと同時に、他の種族領域からの好感をも得ようとしたのではないだろうか。
その結果、王国内外を問わず、『アグリュム』はその組織力を確かなものへと高めだのだと推測が可能である。
そして、ガルディアナ大陸の裏側、陽の当たらぬ領域にて行なわれている血みどろの闘争に勝利し、暗殺者クラン『アグリュム』は、その名を世界へと轟かせ、後世へと名を残したのだと思われる――
――と、このような流れを経て、暗殺者クラン『アグリュム』が、後世にまでその名を残す伝説的な暗殺者クランへと成った訳だが、やはりそのきっかけは、ナヴァリルシア暗黒事変だったのだろう。
その日、多くの暗殺者が死に絶えた――このように記されている、幾つかの書物。これらの文書こそが、歴史の真贋を見定める争点の材料となっているのだが、それとは別に、先述の内容とは方向性が異なる、とある記述が載せられている、一冊の書物が存在している。
その書物こそが、ナヴァリルシア暗黒事変における真実の追求と言う名の論争――殲滅派と保護派の戦いに、未だ終止符が打たれない理由。
件の書物の名は――弍龍会談録 下巻。
作者の名は――カイト=シルヴァリーズ。
後世にて、弐龍と呼ばれし偉大なる2人の王が出会ったその日、実際に立ち合った彼だからこそ、こと細やかに執筆できた書物、弐龍会談録。その三冊目である下巻、最後の章にて、今もなお問題となっている、とある記述が存在する――
――私は、自分の耳を疑った。
暗殺者ギルドを自称する奴らは、王国にとっての毒であり膿であり害にしかならぬ存在であり、討伐対象であったのは事実である。
しかし、王国の内外にまでその根を伸ばす暗殺者ギルドを滅ぼすのは、当時のナヴァル王国の不安定な情勢を踏まえると容易ではなく、それ故、クリストフ陛下も迂闊には手を出せないでいた。
それを、それほどの難事を、憤怒の御子たるあの御方は、ものの見事にやってのけた。
私達が出会った、あの日の夜。一国の裏側に蠢く、汚濁が如き卑小なる輩、その悉くを、単身で討ち滅ぼすという偉業を、まさに力づくで成し遂げたのである。
おそらくは、後世にまで伝わることになる偉業の中でも、私を最も驚嘆せしめたのは、その時代に、九名の選ばれし者だけが担う権能の中にあって、こと戦闘能力という点においては最も強力だと云われる憤怒の権能、その大いなる力の一端である。
生物であれば、そこには様々な感情が備わり、いわゆる九つの原罪と呼ばれる概念に、本人の知らないところで通じていると云われている。憤怒もそのひとつである。
ならば当然の事かもしれないのだが、そのことを聞かされた当時の私は、畏敬の念を送らずにはいられなかった。
生物が、心に抱える怒りや憤りに類する感情を喰らい、憤怒という名の属性の力に転化させるのが、憤怒の権能に備わる特性の1つ、らしい。
だからこそ、あの御方は、道具のように利用されている若者達が抱える、嘆きに染まりきっていた怒りや憤りをも喰らい、心に傷負う不憫な若者達を支配していた悪しき者達――傲慢なる弱者達に対して、その力を解放し、魂魄の一欠片も残さず、ユグドレアから消滅させた。
あの御方曰く、流転させるべきではない穢れた魂魄、即ち、魔素が汚染される原因を、ユグドレアから消滅させることもまた、権能者に課せられた使命、だそうだ――
「ふむ……儂らとは情報の出所が違うのう」
「やはり、そうでしたか……」
「うんうん、やっぱ映えるわぁ……あ、もうちょっと横にずらして……あとちょっと……そう、そこよ、そ――ちょっ、行き過ぎよ!」
「こ、こっちですか?」
「そう、そこ! キープよデイビッド、キープキープキーーープ……オーケー?」
「オ、オーケー……?」
「あの……ガデル様?」
「気にするでない、いつもの病気が、ちょいと酷くなってるだけじゃ……まったく、こやつは……」
何故、夜の貴族街という妙な場所で、ガデル達とカイトが邂逅することになったのか。
その答えは、目的が同じだから。
だが、そこに至るまでの経緯は異なる。
つまり、情報の出所が違うということ。
ガデル達は、真生を歩みし者である田所 信――地球出身のシンからの情報提供と、それに伴う頼み事を果たす為、平民街の東域、いわゆる貧民窟から、商人街を通り越して、貴族街の下にまで広がる巨大な地下水路を、くまなく探索していた。
では、カイトはというと、新規参入してきた暗殺者クランへの牽制も兼ねて、王都内の暗がりに隠れ潜む暗殺者達を、手当たり次第に襲撃していた。
かつての暗殺者ギルドに属していた暗殺者クラン、その中でも、あの日の夜に王都の外にて活動していた者だけが残党となり、その殆どが、あの日以降、外から進出してきた暗殺者クランに吸収合併されていたことが、理由の主たる内実である。
ただし、見るからに年若い者や、人族ではない者達などは保護対象とみなし、説得を試みてもいた。
彼ら彼女らの多くは、暗殺者ギルドが崩壊していることすら知らされずに、日本で言うところの、鉄砲玉のような扱い――他の暗殺者クランへと殴り込みに行くこと、死線をくぐり抜けることを強いられていたのだ。
そして、少年少女らに慈悲なき指示を与えた者は、明らかな危険地帯と化している王都の裏側から脱出しようと目論む――ただただ、自分の命を長らえさせる為に。
何も知らぬ少年少女を、都合の良い囮役に仕立て上げ、目を向けさせている内に、安全地帯への逃亡を図ったのである。
無論、カイトも、カイトの部下である近衛衆の面々も、そのような卑劣な振る舞いを許す筈がない。王都の外へ通じる表道も裏道も、魔道的な抜け道までをも完全に封鎖。巣穴をつつかれた虫のように、慌てて飛び出してきた愚か者を捕らえた近衛衆は、あらゆる情報を引き出したのち、粛々と始末していく。
当然ながら、近衛衆による暗殺者限定の入出路の封鎖は、行方不明の身の上にある筈の近衛衆筆頭から、秘密裏に与えられた指示である。
それはさておき、カイトや近衛衆との実力差を知った彼ら彼女らは、素直に投降する者が多く、比較的穏便に『アグリュム』へ連れて行けたことだけは、幸いであった。
その後、保護した者達から事情を聞き出していく中、なにやら奇妙な情報を、カイトは耳にする。
――とある暗殺者クランとの抗争は避けるべし。
幾人から聞かされたその情報は、暗殺者クランの中でも、それなりの功績を上げていた者達、つまり、腕の立つ暗殺者だけが口にした――このような言を、ただの偶然だと片づけられる訳もなく。
『アグリュム』を経由し、カイトは伝令士を派遣。その目的地は、ナヴァル王国の国主たるクリストフが滞在するデラルス大森林開拓村、並びに、今現在のナヴァル王国における最重要軍事拠点である、ウィロウ公爵領都キュアノエイデス。
ナヴァル国境戦役、開戦3日目のことである。
後日、その情報を含めた報告が、ドグル大平原の宗茂の元へ届き、ティアナとエリザの小隊による調査が開始。戦地にて、目的の獣人族――灰象人族の男を発見。捕獲後、尋問を開始する。
その結果、中々に驚かされる情報を取得し、その内容に対応すべく、王都に潜伏するカイトの元へ、宗茂から手紙が届けられることに。
宗茂が宛てた手紙の内容は、王都に建つ、とある高位貴族の邸宅の監視、その依頼を記したもの。
その結果、ガデル達とカイトによる、なんとも奇妙な邂逅が為された訳である。
ちなみに、ガデルが呆れ、カイトが戸惑い、デイビッドが巻き込まれた、セレスティナの奇行。
それは、異世界である地球の転生者である彼女の趣味嗜好が、大きく関わってくる。
発端は、今より7年前、春の建国祭。
セレスティナ=A=ナヴァル、当時13歳の彼女が、その名を世に知らしめると同時に――ナヴァルの奇才という異名を与えられた年である。