怒れる炎姫、蒼風の剣翁 16
現代ユグドレアにまで伝わる、異世界召喚勇者の悪行。それらの大半が、傲慢の権能の一部である【チート】が魂魄に刻まれたことによる、認識の改変が原因である。
そういった意味では、彼ら彼女らも被害者なのかも知れない、そう思えなくもないのだが、だからといって、実際の被害に遭ったユグドレアの人々が抱いている感情――怒りや悲しみを帳消しにできるわけも無い。
だからこそ、レイヴンの祖先であるホーク=B=ウィロウを含めた16人の少年少女は、傲慢の破壊神による支配からの脱却、即ち、【チート】の呪縛から解放されたのち、ユグドレアに安寧を齎さんと、一生を費やしては持てる力の限りを懸命に尽くしたのだ――後世にて、異世界16英傑と讃えられるほどに。
しかし、その陰で、異世界16英傑を除いた、異世界勇者召喚された者たち――484名全てが、死に絶えている。
無論、傲慢の破壊神の手駒として、真実を知らされぬまま、死出の旅路に就いた――全員が殺されたのだ、異世界16英傑も所属していた、とある傭兵クランの手にかかって。
これは、理不尽に意を奪われたる世界の残骸にして断片、秘匿という名の封が為され、歴史の裏に、今も捕らえられている虜囚達の記録。
かつて確かに其処にあった筈の、人々の希望。
傲慢な臆病者により、その座を簒奪されし者達。
とある世界線から、その歴史から、存在そのものを無かったことにされてしまった、本物の勇者達。
傲慢の破壊神による情報の禁則化――禁句や、ユグドレアへの介入を取り締まる機能である検閲、それら全てが機能していない今だからこそ、明かすことができる情報。
名称を含めた、傭兵クランとしての活動記録――足跡全てが、虚無の坩堝へと追いやられた、そうしなければならない程の脅威だと、他ならぬ傲慢の破壊神が認めた者達。
それ故、公式には存在しないものとされた、ユグドレアにおける最上位層――史上最強の座を競う場に在り、その資格を有する戦闘集団。
神代ユグドレアにて、名実ともに最強と目された傭兵クラン。
その名は――ベオウルフ。
そして、歴戦の強者が集いしベオウルフに、出来れば戦いたくないと思わせるほどに厄介な存在。
【チート】を暴走させた異世界召喚勇者である。
(こうなるたぁ、わかっちゃいたが――)
――やっぱ面白えな、オイ!!
心の底から楽しそうな笑みを浮かべたレイヴンは、額から頬へと流れてきた赤い雫を一舐めしながら、今この時次の瞬間にも続く、ヒトシとの剣戟に興じていた。
現在の戦況、端的に述べるなら、レイヴンがやや劣勢。それはつまり、レイヴンとヒトシの間に、聳えるように据えられていた巨壁――均衡が、僅かながら崩れたことを意味する。
その身に宿る【チート】を暴走させた、異世界召喚勇者最強の少年ヒトシ=スズキは、それほどの存在へと化けたのだ。
その言葉通りの――化け物へと。
純白の騎士甲冑らしきものをその身に覆わせた、ヒトシ=スズキだった者は、狂戦士と成りて理外を征き、剣翁へと迫る。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ゛!!」
「うっせぇ!!」
暴走した【チート】は、まず最初に、所有者の肉体を使役可能な状態にする為に、自我や自意識を強制的に眠らせて支配下に置くべく、精神の侵食を開始する。
その段階を終えると、次は、敵性対象の消滅という目標を達成するに必要な、ありとあらゆる強化を、無制限に、所有者の肉体へと施していく。
周囲の魔素を貪り喰らうことで、それを成す。
魔素は、【チート】を嫌悪し、拒絶する。それ故、魔素が【チート】のエネルギー源になることは、絶対に有り得ない。
それは世界の理、ユグドレアのルールとして、確かに刻まれている。だが、世界の理に反して、強引に魔素を喰らい変質することで、エネルギー源として流用すること自体は可能である。
魔素のことを知らぬ異世界召喚勇者には出来ないが、傲慢の破壊神の一部である【チート】本体ならば、そのことを――禁忌を知っている。
知っているからこそ、無遠慮に喰らう、一切の慈悲も容赦も無く、嬉々として貪る――シンが、魔素喰いと呼んでいた魔導器のように。
ちなみに、暴走した【チート】が魔素を喰らう姿から着想を得て、消費型魔導器の特性を悪用して産まれたのが、魔素喰いである。
そもそも、魔素を喰らうという禁忌を犯したところで、【チート】本体には影響が無い。魔導器である魔素喰いに、何ひとつ影響が無いように。
魔素を喰らうという禁忌を犯した罪に対する罰――全身を刃物で、深々と切り裂かれるような激痛、そんなペナルティが存在している。
だが、【チート】が暴走している間、絶えず激痛が襲って来ようとも、その苦を負うのは、肉体の所有者。今回の場合、覚めぬ夢の中にて微睡むヒトシ=スズキが、世界から与えられる罰、その苦痛の全てを味わう。
これが、【チート】本体が魔素を喰らうことに、なんの躊躇いも無い理由である。
そして、ユグドレアにて――異世界召喚勇者の悲鳴を背景音として――化け物の産声が挙がる。
理外を征くデメリットの全てを、何も知らない弱者に押しつける悪辣さを恥とも思わぬ、傲慢の破壊神を含めた――外天の支配者と呼ばれる者達、その配下が、ユグドレアへの完全なる侵入を果たす。
曰く――外天の尖兵。
攻撃を避けて、反撃を放つ――前者をA、後者をBとした上で、今この場での状況を言い表すとこうなる。
――ABABABAB……。
無意味な行動を排除したシンプルな闘争――強いて言葉にするなら、このようになる。
だが、実際に行なわれている闘争の質は、遥か高き次元での出来事と同義であり、領域に在れる者同士にしか成し得ない事であり、見る者によっては奇跡に等しい。
例えるならば、本当に見えるものにしか理解できない、自分にも見えているとの虚言を放つ者が得意げに語るように騙る、幽霊なる存在に対する言動の、それに似ている。
つまるところ、極まった武が惜しみなく披露されている闘争を、資格なき者が観たとしても、その全てを理解することなど出来はしないのだ。
それらは、理解の外側の出来事でしかないから。
強中の強、圧倒的強者、真なる武人、最強候補。
様々な呼ばれ方をする彼ら彼女らは、理解の外側を征く資格を得た者、即ち――理外を征く者である。
そして、レイヴンとヒトシの形をした外天の尖兵、この二者の対決というのもまた、理外を征く者、言い換えると、化け物同士の争いに他ならない。
「ウ゛ア゛ア゛ッ゛、ア゛ア゛ァ゛ッ゛ン゛」
「きったねぇ声、聞かせんなっ!!」
刹那の間の間――ほぼ同時に、AとBが繰り返される、そんな剣戟を観せる二者が、褒め言葉として、化け物呼ばわりされるのは仕方のない話。
熾烈、極まる――も、剣翁の限界は未だ遠く。
本気であれど全力ではない――極化したスキルを使わず、その身その武のまま、自由奔放に戦っているのが、今のレイヴン。
だが、真剣勝負の場にて全力で戦わないというのは、手加減していることを意味し、ともすれば闘争への侮辱にも取られかねない、武への冒涜に近き振る舞い。無論、全力を出すに値しないのであれば、その限りではないが。
ともあれ、生粋の武人たるレイヴンが、手心を加えるような戦いに赴くことを、何故選択したのか。
本多 宗茂による請願こそが、その理由。
複数の異世界召喚勇者や暴走した【チート】を相手に、手加減した状態で生存可能、かつ、比較的自由に戦場を動き回れるのが、宗茂自身かレイヴンしかいない。
だからこそ宗茂は、公爵領内の見回りをレイヴンに頼み、十中八九訪れるであろう異世界召喚勇者との戦いに臨んでもらった。
全ては、異世界召喚勇者の【チート】の大元、即ち、敵の首魁たる傲慢の破壊神に、こちらの戦力を測られることを避け、特に、奥の手の類を知られぬ為である。
尋常ではないことが判りきっている、ユグドレアでの戦いにおいて、一手でも多く速やかに先んじることも、一手でも多く後ずらし遅らせることも、勝利には不可欠だと、宗茂は理解している――からこその布石。
情報を隠蔽するのも誤認させるのも、戦の常套、基本中の基本なのだから。