怒れる炎姫、蒼風の剣翁 15
片や、力を出し惜しみ。
片や、身を無意に任せ。
その結果、膠着した戦況が続くこと約3分。
互いに刀剣を用いた戦闘スタイル、そうであるならば、およそ180秒間の間に、幾万もの軌跡が描かれるのも当然――などと言える訳が無い。
特筆すべきは、並外れた戦闘技術以上に、それら全てを支える総合的なスタミナ――心肺機能はもちろんのこと、筋持久力の面においても、両者のそれは生半可では無い。
苛烈な戦場を生き抜き、なおかつ多大な戦果を挙げてきたレイヴン=B=ウィロウだからこそ持ち得る無尽蔵にも思えるスタミナと、そんな彼に対抗すべく、軍神降臨による身体強化を過剰なほどに施されたヒトシ=スズキだからこそ、こういった戦況を成せる。
ちなみに、幾万もの軌跡、その内訳は、両者併せて68421――秒間380もの斬撃刺突を見舞っては交わらせており、それでも尚、互いに余力を残している。もっとも、その過半数――約七割が、レイヴンの手によるものではあるが。
ユグドレアという世界にて最強を目指し、事実、その座を競う域に達した真なる武人であれば、このくらいはできて当然――それが常識であるからこそ、本来なら弱者でしかないヒトシが、この領域で戦えること自体が【チート】の凄まじさ、非常識さを証明する。
例えばだが、ヒトシたちが暮らしていた地球において最強の人類――純粋な人族最強の者が、【チート】に頼らず、異世界の住人にもならずに、ユグドレア最強を目指した場合、レイヴンは勿論のこと、並の武人はおろか、下手をすればそこいらの一般人にすら勝てはしない。
いや、そもそもの話、闘いにすらならず、大人と赤児の触れ合いとなんら変わらぬ、お遊戯の構図にしかならない。
今はもう忘却の彼方へと追いやられた、些事にして教訓――ユグドレアに迷い込んできた地球の人族が、その日のうちに賊や魔物に襲われ、逃げる間も抵抗する間も無く、いとも簡単に殺される、そんな無惨な光景が、かつて確かに、そこにあった。
竜種や巨獣種といった、災害に等しい強者達に滅ぼされず、現代ユグドレアまで生き残っている数多の魔物、それらと生き残りを懸けた競争の末に淘汰されることなく、種を繁栄させてきた人種族。
その中でも最弱と見做されているユグドレアの人族や、そんな者達と同列扱いされる最下級の魔物達とすら碌に戦えないのだ、特異天体ではない方の――最初期の地球で、霊長類などと驕り高ぶっている人族は。
魔素を扱うすべを知らない地球出身者にとって、攻撃手段は、単純で物理的なものしか存在しない。
ユグドレアの一般人は、簡単かつ基礎的な魔道、特に魔点や魔線といった魔法であれば、古代式であるかどうかは関係なく、誰にでも扱うことが可能。当然、熟達しているかどうかで、威力の大小はあるが、地球出身者との闘いにおいては、さほど重要ではない。
ステータスユニットが無い、つまり――HPシステムで守られていない生身に、炎や土の塊、水や風の刃といった極々シンプルな魔法をどうにかする方法は皆無、回避することしか選択できない、当たればそこで終わりである。
ちなみに、ヒトシたちの時代の軍事面での主武装――メインウェポンである銃火器の類をユグドレアに持ち込めたとしても、HPシステムを破壊もしくは貫通させるには、口径が小さな弾丸では明らかに火力不足、最低でも、対戦車を想定して生み出されたことを起源とする対物ライフル以上の威力や貫通力がなければ、話にもならないことに加え、弾薬等の補給が不可能に近い完全な敵地である以上、弾切れイコール死であることも追記しておこう。
さて、上述の通り、ステータスユニットが装着されている時点で、互いの肉体能力に大きな差が存在する。
ヒトシたちが暮らしていた地球にて、公的に危険と認められている生物、例えば、ネコ科ネコ目ヒョウ属の獣の中で最強といわれているアムールトラを、素手で殺せる者が、地球にどれだけいるだろうか。
地球において、肉体による闘争の場にて最強の座を競う、圧倒的な強者であるアムールトラだが、ユグドレアの各大陸に点在する冒険者ギルドが等級をつけた場合、銀等級の中位といったところ。
そして、各大陸の人族国家に属する一般的かつ標準的な兵士に、あえて等級を付けるとしたら、銀等級――上位。
如何ともし難い強さの格差が、そこにある。
ならば、強者に類する者らに対抗する為、それを補う力として、【チート】を要するのも必然だったのかもしれない――という流れが正当であると、どこかの誰かの思惑通りに、まんまと事が運ばれた訳である。
実のところ、生物としての力そのものが隔絶していることに、ヒトシたちは気付けない――他ならぬ【チート】による認識改変によって。
自分たちがユグドレアにおいて最も弱い存在、最弱未満の生き物であるという事実、その認識に、強固な蓋を閉めることで、本来であれば芽生えるはずの感情――恐怖を覚えない状態にしている。
そして、無辜であるはずの少年少女による献身、その全ては、今なお苦難に塗れる世界を救う為にある――かつての神代のような、清浄なる神の治世を取り戻す為にある――という欺瞞を、正義を伴う真実であると信じさせる。
そうして、生まれる――恐れも怖さも知らぬ、勇者という名の哀れな愚者が。
ヒトシたち異世界召喚勇者が、ユグドレアに召喚されてから4年。客観的に見れば短くもある期間だが、若者にとって、しかも現代日本人の少年少女からしてみれば、4年という年月は長い。無論、成長期である以上、身体の成長も著しく、その見た目も変化する。
だが、ヒトシの見た目は変わっていない。
アードニード公国に現れた時の姿のまま、変化がない。それは見た目だけの話ではなく、中身も――精神的にも成長していない。
ヒトシたち異世界召喚勇者は、自分たちが世界を救う勇者であるという設定の、フルダイブ方式のVRゲーム、いわゆるRPGのプレイヤーだと思っている――【チート】によってそのように認識を誤認、改変されている。
さて、【チート】によって植え付けられた認識、その信憑性を高める為に、有効な方法とは何か。
まず初めに、現代地球の若者が嗜む機会の多いゲーム的な視点で、ゲーム内世界と現実世界の時間の経過速度を比較した場合、等しい値となるだろうか――ゲーマーの殆どが、違うと答える筈。
大抵の場合、ゲーム内時間の進みの方が、現実よりも早い、というのが一般的だからだ。
ただし、一部の例外的な作品、例えば、リアルタイムを反映させることで、楽しさを見出しやすい、育成シミュレーションと定義されるジャンルの範疇にある作品であれば、ゲーム内と現実の時間の経過を等倍にする場合も存在する、が、割合としては少数である。
ともあれ、現実とゲーム内での時間の流れ方は違う――この考え方が前提として、ヒトシたちの中に存在する。
そして、それを踏まえた上で、鏡に映った自分の分身、アバターと勘違いしている自分の肉体を見た時、その見た目年齢が変化していたら、そこに違和感を覚えるのは何も不思議なことでは無い。
だからヒトシたちは成長しない、させない――成長する為に必要な何もかもを、各々の【チート】を維持する為のエネルギーに変換されるから。
異世界召喚勇者は、その身に宿る【チート】を手放さない限り、身体も精神も魂魄も成長することが無い――傲慢の破壊神にとって便利な手駒、生きる人形としての運命から、決して逃れられない。
これが傲慢の権能の恐ろしさ、その一端である。
互いが互いの攻め手のことごとくを凌いだことで、心境に変化が訪れる――ヒトシ=スズキが認めたのだ、レイヴン=B=ウィロウという武人が備える、その類い稀な強さを。
「――栄光の翼!」
「おいおい、今さら、ん?」
さて、【チート】の強制発動には痛みが伴う。それは、付随する機能も同様。
その痛みは凄まじく――例えば、骨が五、六本、部位を選ばず同時に折れたような激痛を、発動するたびに味わうことになる。だからこそ、発動までの過程を十全に熟そうとする。
ユグドレアを救う為に、激しすぎる痛みを我慢しなければならない義務感など、他の世界の住人である異世界召喚勇者に、存在するはずもないのだから。
故に、ヒトシは、自分の中に存在する勇者としての使命感だけで、強制発動による痛みに耐えようとしている、ゲームの中だと認識しているにも関わらず、だ。
その高潔な精神性だけは確かに尊い――とはいえ、惨憺たる悲劇を世に撒いている事実は変わらない為、情状酌量の余地など皆無だが。
それはさておき、目敏いレイヴンが気付く。
栄光の翼の強制発動の結果、その場から消える時に、ヒトシが見せた苦悶の表情、その中に紛れる、瞳の色に。
その色が示す意味を、レイヴンは知っている。
それは、戦地へと赴くことを自身で決めた者だけが見せる、覚悟を決めた戦士だけが放つ色彩。
何千何万と見てきた瞳の色を、レイヴンが見間違うわけもなく、全力を出そうとしているヒトシに気付いたからこそ、追撃せずにあえて見逃す。
ようやく【チート】の本領と対峙できるのだと想起すると同時に、これから訪れるであろう強者との出会いに期待し、思わず笑みを浮かべたレイヴンは、静かに待つことを決めた。
勇者としての力を解放すると決めたヒトシは、その文言に強き意を込め、その名を口にする。【チート】に付随する機能ではなく、【チート】それ自体と備わる機能の全てを以て――全力で、レイヴンを仕留める為に、ヒトシは覚悟を決めた。
ヒトシの身に宿っている最上級【チート】、【主人公補正】、その別の名を、誤った認識によって、そうであると思い込まされている、その名を――かの英雄の名を高らかに告げる。
「――勝利を掴む者ッッ!!」
悪竜ファーヴニル殺しの英雄のように、勇敢に戦ってみせる――そんな意を言葉に込め、偽りの勇者が、哀れな弱者が、全身を苛む激痛を乗り越え、決戦へと赴く。
やはり、その精神性、高潔さだけは評価に値する、が、異世界召喚勇者というのは、原住民であるユグドレアの人々に多大な迷惑をかけているだけであり、ヒトシに限って言えば、これから更に悪行を積み重ねることになるのだから、始末に負えない。しかも、そのことに気づいていないのだから、なおタチが悪い。
なにせ、本人曰く、勇者の力の解放と思い込んでるそれは、そんな生易しいものでもキレイなものでもない。
要は、【チート】を暴走させるだけなのだから。




