怒れる炎姫、蒼風の剣翁 09
「――いやぁ、どうにも道が散らかっててなぁ……ちょちょいっと片付けてたら、随分と遅くなっちまった。悪りぃな、村長!」
村人も公国騎士達も、皆が皆、呆然としていた。
確かに、噂には聞いていたのだ。加えて、噂の内容そのままの光景が、目の前に現れた。
だが、本当にそんなことがあるのかと、そう思わざるを得なかった。
なにせ彼は、先代のウィロウ公爵で、ナヴァル王国貴族の中で、最高位に就いていた貴き者。そんな人物が単身、戦場へと駆けつけてくるなど、本当に有り得るのだろうか。
いや、最高位の貴族である公爵家の者が、最前線にわざわざ救援に来るなんて、そんなことがある訳がない。ならば、この老人は誰だ、そんなの決まってる――といった具合に、彼のことを詳細には知らないネブラン村の若者も、若い公国騎士達も、あまりに訳の分からない事態に戸惑い、混乱の極みへと陥っていた。
だが、ネブラン村の古参衆や経験豊富な公国騎士の面々は、そのことをよく知っている。
レイヴン=B=ウィロウという男が、戦が起きればすぐに駆けつけ、蒼き髪を振り乱しながら、暴れに暴れては全てを斬り伏せ、風のように去りては戦を求め、駆けて征きては多大な戦果を上げる――そんな無茶苦茶を何十年も繰り返してきたその事実を、よく知っている。
言い換えるならばそれは、人族領域にて発生した、ここ数十年の戦において、レイヴン=B=ウィロウという男が――主役であることを示し、自国のみならず他国の民ですら、彼のことを認めていた。
「……にしても、随分とまぁ、おかしなことになってやがる……なぁ、公国騎士ってのは、いつから――」
――女ぁ、取り囲む外道になったんだぁ、オイ?
自国のみならず他国の者にまで主役と認められるには、とある絶対的な条件が存在する。
その条件とは――正義の味方であること。
自国民にも他国民にも認められる正義の味方――人によっては陳腐にも見える、そんな在り方を、レイヴンは体現している。
例えば、突発的な巨獣種の発生。
例えば、魔物領域からの侵略的襲撃。
ユグドレアという世界では、領内の武力全てをかき集めても撃退できぬ、災害に等しい魔物の大群や巨獣種が存在することが影響し、国軍とは別に、多くの貴族達が個々で軍備を整える。
だが、危急の際に、万難を排することを可能とする戦力を、いつも必ず用意できる貴族ばかりではない。
領都から離れた地に暮らす人々であれば、それは尚更であり、自分達だけでは対応できないことの方が多く、危機的状況に陥った場合、生活の場を放り出して逃げることを選ぶことしかできず、国によっては、そういう人達の方が大多数である。
だからこそ、逃げることを選ぶことしか出来なかった人々は、自分達を救ってくれた――実際に助けに来てくれた彼に向けて、その言葉を口にする。
――ありがとう、と。
国を問わず民を救い、他国の兵を理由もなく殺さず。言うは易くとも行なうは難き、その振る舞い。
戦力に余裕がある高位貴族などは、レイヴンの行動を悪し様に非難する。ただの綺麗事だと嘲笑われるのも、一度や二度ではない。ただし、その単語が出てきた時に、レイヴンが返す言葉は、言い回しこそ違えど、中身は共通している。
俺のやってることが、綺麗だって褒めてくれて、ありがとな――このような言葉を、不敵な笑みを浮かべつつ、レイヴンは言い放つのだ。
そんな綺麗事を長年、自らが率先して有言実行し続けてきたからこそ、彼も、彼の生家も、ガルディアナ大陸の人々から、尊敬の念を集めている。
故に、公国騎士達は――ゲルムス=ベルハウルは、盛大に失敗したと言える。
空気が、軋む。
それは、彼の怒りに触れたことを示す。
「おまえさんの指示かい?」
「――っ!?」
公国騎士26名の中で一番の強者であると目星を付けたのだろう、レイヴンは、その者の隣にいつのまにか佇んでおり、何事もなかったかのように声をかける――と同時に、音が鳴る。
金属と地面が削れたような擦過音を伴う、重い物が落ちたような鈍い音が――連続して。
「気配といい、面構えといい……女ぁ、虐めるようには見えねえんだが……そこんとこ、どうなんでい?」
「なっ、えっ!?」
その若き公国騎士は、気が気ではなかった。
ガルディアナ大陸最高の剣士にして生きる伝説、蒼風の剣翁の凄まじさは、確かに伝え聞いていた。だが、それは所詮、ただの知識でしかないのだと、実際に思い知らされる。
注視していたにも関わらず、気づいた時には、いつの間にか自分の隣に現れ、あまつさえ同僚達全員――公国騎士25名の意識を刈り取られていたのだ。
早業などといった次元の話ではない。そこに残る公国騎士、最後の1人である彼の脳裏に、その二文字が、まざまざと浮かんでいた。
――最速。
「な、なんだ、貴様! 一体何をしたっ!!」
「なんだぁ、このボウズぁ?」
この場の主導権の在処が、いつの間にか変わっていることに気付いたのだろう、ゲルムスが声を荒げて、レイヴンに絡みに行く。
ちなみにだが、もしもこの時、小太り少年騎士の父親がこの場にいたなら、このようなことを口にした筈だ。
「ボ、ボウズではないっ! この私こそ、アードニード公国でも名家中の名家、ベルハウル侯爵家の嫡子――」
「……ベルハウルだぁ?」
――今すぐそこから逃げなさい、と。
大気が軋み、大地に罅が奔る――今の状況を説明するに適切な表現が、異世界の地球に存在しているので、引用する。
――燃ゆる火に油を注ぐ。
「ひ、ひぃぃっ!?」
「つまりテメェは、ラモンの倅ってことか……ふん、なるほどなぁ……公国ご自慢のクソ政治家の考えそうなこった……あの野郎、相も変わらず――」
――戦場、舐めてやがんなぁ、おい。
物心つく前から剣を握り、8の齢を超えた頃から戦場に立つ、そんな生粋の武人であるレイヴンは、その者の備える武の技量や力量を、一目で見抜く。
だからこそ、ゲルムスのような名ばかりの騎士、名ばかりの中隊長、武人とは程遠い一般人のことなど、一目見たのち、再び眼中に収めることなど有り得ない。
だが、知ってしまった。
初めて味わうであろう本物の中の本物――真なる武人から向けられる武威と殺気、その恐ろしさに、思わず腰を抜かす小太りの少年が、レイヴンが大嫌いと公言する公国の政治家――性悪ラモンと、他国の貴族から揶揄される、ラモン=ベルハウル侯爵の息子だと知ってしまった。
知ってしまったのだ、正義の味方と謳われるレイヴンが。
ドロドロに濁り切った欺瞞が隙間なく詰まった、腐敗臭漂う偽物――どこかの誰かが、自分達に都合のいいように拵えた、本物を騙る正義とは、訳も格も違う。
無辜なる人々の救いの声を聞き届け、自らの心身でもって、苦に染めんとする難を払う――本物の正義を体現するのがレイヴンであり、ウィロウ公爵家。
ウィロウの祖たる異世界16英傑が1人、ホーク=B=ウィロウ――青柳 鷹斗が、ガルディアナ大陸に遺した青柳流刀術、最初の教えこそが、ウィロウ公爵家という貴族の方向性、在り方を定めている。
民を理不尽から護る、その意と志こそが、風に揺られるだけの青柳を、一振りの劔と化す。
国のために民がいるのではなく、民のために国がある――誰にでもわかる簡単な理屈だからこそ、曲がりなりにも公爵の位に在るウィロウの者が、率先して体現しなければならない。
それ故、救いを求める人々から望まれし正しき義を胸に、理不尽に虐げられし者の味方になると、戦場に立ったその日、レイヴンは心に決めたのだ。
――偉大なる祖と同じように。
さて、そんなレイヴンの前にいる小太りの少年、その生家であるベルハウル侯爵家とは、どういった貴族か。
異世界である地球の言葉を借りるなら、ベルハウル侯爵家とは、いわば――マフィアもしくはギャング。
アートニード公国の政治に携わる高位貴族であると同時に、国内外に悪徳の魔都の通称で広く知られる違法商人の楽園、ベルハウル侯爵領都リンクスベルズの主であり、その過半を、金と暴力で牛耳るハウルズ商会の会長。
それがゲルムスの父、ベルハウル侯爵家現当主、性悪ラモンこと、ラモン=ベルハウル。
別名、悪徳の主。
つまり、正義の味方の――敵である。