怒れる炎姫、蒼風の剣翁 08
――正気とは思えない。
それは、怒れる炎姫の猛攻をなんとか耐え切った公国騎士26名全員が、たった今聞かされた言葉、命令の悍ましさに、思わず顔を顰めながら抱いた――感想。
先の発言、その内容は、あまりにも敬意に欠けており、距離が離れたことで【魅了】の効力が薄くなっていることも影響しているのだろうが、公国騎士達を激しく動揺させていた。
さて、聴いた者全てから正気を疑われる発言とは、果たして如何なる内容なのか。
彼、ゲルムス=ベルハウルは、このように発言した。
「アードニード七剣たる炎姫リア=ウィンディルは、卑劣極まるナヴァルの凶刃から我らを守る為、名誉ある戦死を遂げた……その上でお前らに命じる――」
――その女を生け捕れ!!
貴族が、死者であると嘯いては誰かを手中に収める、その意味、その言葉の真意、ユグドレアという世界で生まれ育った軍人であれば、即座に理解できる。
この少年は、こともあろうか、あのリア=ウィンディルを、アードニード公国における武の象徴たる七剣の1人を、公には亡き者にした挙句、その裏で、自分の所有物に――奴隷にすると、暗に言い放ったのだ。
それは、狂気の沙汰に他ならない、正に外道の所業――公国騎士達が揃って、正気とは思えないと考えてしまうのも無理はない、あまりに悍ましき思考。
年頃の少年らしからぬ下卑た笑みが、その場の者達の憶測が的外れではないことを後押ししているようだった。
「は、はは……」
地面に倒れ伏すリアから漏れる、誰にも聞かれてくれるなと望んだかのような、囁くように小さな笑い声は、悲哀に染まりきっていた。
あまりに悲しく、あまりに哀しいのだ、彼女は。
あまりに情けなさすぎて、自身の不甲斐なさを嘲笑うことしか、彼女には出来ないでいた。
(なにが七剣、なにが炎姫……騎士でも武人でも魔装術師でもない、政治家気取りの半端者に……あのようなことを口にされるなんて……)
弱肉強食――ユグドレアという世界において、この言葉は間違いなく真理である。特に、人族という最弱の種族にとっては尚更だ。
強き者への反逆、逆境での戦い、敵対する者全ての命が尽きるまで喰らわなければ、今日の繁栄は有り得ない――まさに大物喰らいと呼ぶに相応しい、劣勢を覆してきた歴史を歩んできた人族は、他の種族とは比較にならないほど、生に貪欲であり、非公式な種族特性――反骨心として、魂に刻み込まれている。
こういった思想が、魂魄という名の根底に刻み込まれている人族にとって、敗北とは、死を意味すると同時に敵に喰らわれることを意味し、それ自体を当然のこと――自然の摂理であると理解している。
このことを踏まえ、そういった状況に陥ってしまうことが、ユグドレアに住まう人族にとって、どういった意味を持つのかを述べよう。
――敗北による死を与えられず、誰かの奴隷になる。
それは、生者への冒涜、戦士への侮辱。
ユグドレアにおいて、戦士として生きることを決めた者が、敗北を喫したのちに殺されず、奴隷として生かされるというのは、生き永らえたのではなく、死ぬことができなかった――自然の摂理から外れるという罪を負ったことを意味する。
だからこそ、彼女は今、その罪に苛まれている。
それと同時に、リア=ウィンディルという一個人が虜囚の身となることで起こり得る可能性の数々が、彼女の脳裏へと浮かび上がり、更に追い込んでいく。
(……このままでは間違いなく、利用される)
アードニード公国は現在、水面下での権力争いが激化している。
公都周辺に拠を置く中央貴族と、公国外縁域に拠を置く地方貴族――異世界召喚勇者陣営と、それを良しとしない地方貴族達との対立の図式となっている中、地方貴族の中で一、二を争うほどの影響力を持つウィンディル子爵家の嫡子が亡くなったと吹聴される、それだけでも大きな問題になる。
だが、最大の問題は、そこではない。
アードニード七剣が一振り、炎姫リア=ウィンディル。
知らねば疑問に思う者もいたであろう――何故、彼女の異名に、姫の字が入っているのか。
それは、彼女の母の出自こそが要因。
リアの母の名はカティナ。旧姓――ゼクト。
アードニード公国、現大公たるアルヴィン=ゼクト。彼の末妹こそが、リア=ウィンディルの母親。
つまり、彼女の身体には、大公家であるゼクト公爵家の青く貴き血が流れている――正真正銘、公国の姫君であるということだ。
そして、この事実は、公国内外問わず、周知の事実。
そう、この場の全員がそのことを――継承順位こそ低位ではあるものの――リア=ウィンディルが、公国の姫君であることを知っている。
だからこそ、公国騎士達が揃って、あの発言に対して、拒否感にも通ずる嫌悪感を覚え、正気を疑ったのだ。
だからこそ、リア=ウィンディルの価値を嫌というほど知っているからこそ、ゲルムス=ベルハウルは彼女を、あわよくば奴隷として我が物としたい。
そんなゲルムスにとって好都合だったのは、この4年間、異常なまでに大人しかったリア=ウィンディルが、自発的に一応は上官であるゲルムスへと反逆、ひいては、アードニード公国に叛意を示したことにある。
アードニード公国貴族の慣習として存在する、お披露目の儀――公国が定めた適齢である齢8を迎えた若き貴族による、社交界への参加表明の場にて、その姿を目の当たりにした日から、数えること5年。
幼き頃に憧れ、希うことしか適わなかった至高の美姫リア=ウィンディルを自分だけの物にしたい、清廉なる心も潔白な身体も、その全てを支配したい――その醜悪な野望を成就する絶好の機が訪れた。
最早、ゲルムス=ベルハウルが止まる道理など無い。
「キ、キサマら、何をしている! とっとと動けっ!」
「…………」
だが、公国騎士達は誰一人、その場から動かない。
理由は、公国騎士達全員に共通する、とある行動方針。
彼ら彼女らの行動方針、それは、異世界召喚勇者の1人、ヒナ=タケナカの命令を遵守すること、ただそれだけである。
当然それは、ヒナが有する【チート】能力である、【魅了】の結果。そして、ヒナから与えられた命令の内容は、勇者活動の利益に繋がる行動を最優先とすることである。
与えられた使命を果たす為には絶対に裏切らない手駒が必要――同じく、異世界召喚勇者であるミク=タケダの案を採用した結果、こういった内容の命令が、公国騎士達に与えられていた。
だから、公国騎士達は動かなかった。
ゲルムス=ベルハウルの命令が、行動方針から明らかに逸れていたから――七剣の1人であるリア=ウィンディルという戦力の損失が、アードニード公国自体を手駒にしたい異世界召喚勇者達に利するとは到底考えられない――そのように判断されたのである。
先程までの、リア=ウィンディルによる反逆の阻止ならびに捕縛、という流れに通ずる命令とは、まるっきり話が違う。
中隊を指揮する立場であろうとも、私利私欲のために顎で使えるほど、高い立ち位置にはいない。ゲルムスが侯爵家の嫡子であろうと、侯爵本人ではない以上、それは同じこと。
全ての公国貴族を上回る強制力を有するヒナ=タケナカの命令、それこそが至上と化している公国騎士達が、ゲルムスの命令で動かないのもまた、道理である。
公国騎士達の逡巡と躊躇は、僅かばかりの時を――決断を下すための猶予を、彼女に与える。
異世界召喚英傑の影響が色濃く残るガルディアナ大陸には、彼ら彼女らから伝えられた風習が、各国の伝統として言い習わされている。
その中のひとつに、貴族の女性が携帯する短剣――懐剣と呼ばれる、ある種の作法が存在する。
ガルディアナ大陸各国の貴族女性にとっての懐剣、その目的は、日本の武家に古来より伝えられてきた用途と同じく、主に2つ。
自衛、そして――自害である。
生きて虜囚の辱めを受けるくらいならば、主家へ捧げてきた忠誠や、尽くしてきた献身の数々、己の誇りを無為にされる前に、自らを殺す――それが、武家に生まれた者の死に様。
懐剣の習わしからも見て取れる、あまりに潔いその死に様、忠義の極みとも呼べるその精神性は、ガルディアナ大陸にて騎士を志す者の内に、騎士道精神の根幹として脈々と継承されている。
当然ながら、彼女もそれは同じ。
(父上、母上……先に逝くこと、お許しください――)
短剣を両手で逆さに握り、両眼を閉じ、息を整える。
この一連の動作が何を意味するか、心得ている者であれば、一目見れば理解し、その姿を見た公国騎士は、揃って動きを止める。
それは、騎士たる者が今際の際に披露する、決別の儀。
騎士たらんとする者全てが、自らの心の奥深くに打ち込む、望んで受け入れる騎士道精神という名の楔の感触が、【チート】に蝕まれている筈の公国騎士達の視界を、その光景へと導く。
本懐を果たす機を奪われた騎士が選べる唯一、最後の奉公、尊き献身を、その眼に焼き付けよ、と。
周囲の異様な雰囲気に気づいたゲルムスが、改めて視線をリアへと向けて気付くも、時すでに遅し。
あとほんの僅かな一時で、ゲルムスが追い求めていた唯一無二、あのリア=ウィンディルが失われる――そのことを悟ったゲルムスは、気が触れそうになるほどの焦燥感に襲われていた。
だが、もう止まらない。今のリアを止められる者など、この場に無いのだから。
穢れを知らぬ無垢な刃が、リア=ウィンディルの身体を裂くべく突き立てられる――寸前。
突如として発生した、その事象に、その場の誰もが気付く。覚悟を決めたリアの動きまでをも、ものの見事に止めてみせた、事象の正体。
それは――
「……ま、さか――」
「な、なんだ、おい! 一体何が――」
――風。
突然、風が吹き始めたのだ、西に向かって。その先にあるのは、ウィロウ公爵領都キュアノエイデス。
それは、予兆。
人族領域の軍人が口々に伝え広めた、とある噂話。
御伽噺もしくは寓話か幻想か。
――その者来たりしは、風とともに。
そんな曖昧さを備える、その逸話は、事実。
それは、高速航行する飛行物体、地球においては音速航行を可能とする飛行機の類だけが起こせる――ソニックブームと呼ばれる事象の予兆。大気内を一定距離以上、音速以上の速度で進むことで生まれる大気のズレ、それを埋めようと周辺の大気が動いた結果、飛行物体の遥か前方の大気を吸い込むように引き寄せる。
これが、予兆の正体である。
ネブラン村に凄まじき音が轟く――それは、ソニックブームという現象に付随する二度の轟音、その片割れ。
轟音が響いたとほぼ同時に、その場に立っていられないほどの強風が、西から東へと一気に吹き荒れ、徐々に風が収まり、その場は静けさを取り戻す。
そして、皆が知る――彼が、この地に着いたことを。
他ならぬ彼の笑い声が、耳に届いたことで。
「くかかかかっ、遅れてすまねえなぁ!」
場の空気を読む以前に、一挙手一投足で何もかもを吹き飛ばす、そんな荒唐無稽を具現するような、その言動。
異世界の惑星――地球の日本国に、古くから伝わる服飾の一種である和服もしくは和装。その中のバリエーションの1つを魔導で再現した、彼の家に代々伝わる戦装束――着流しを、颯爽と着こなす。
言動も風体も一風変わった老人の異名、その由来を、年若く無知なゲルムスを除いた全員が知っている。
剣の道を極めし翁――剣翁
戦場に吹き荒れる蒼き暴風――蒼風。
人呼んで、蒼風の剣翁。
レイヴン=B=ウィロウ、御年78歳である。