怒れる炎姫、蒼風の剣翁 07
――約94%。
これほどの数字を叩き出せる者は、そうそう居ない。
だが、その代償は想定以上に大きい。
「はぁ、はぁ……ぐっ!?」
地に身体を預けざるを得ないのも、致し方ない。
身体に力が思うように入らないのも、道理である。
残り――27名。
彼女は、リア=ウィンディルは、中隊規模500余名の魔装術師をたった1人で相手取り、残り僅かにまで追い詰める。それも、ネブラン村の人々を守りながら、である。
だが、その消耗は凄まじく、これ以上の戦闘行為は、どのように取り繕おうとも不可能である。
リアにとって憤怒の代行者としての初戦、それも、世界でも指折りの――本来の彼女が有していた倍以上の魔力量を突然与えられての魔道的行為なのだ、その制御の難解さは並大抵ではない。
リグリットの所見では、制御に苦心する様子は無いとあったが、実のところ、半分は正解で、半分は不正解。
どんな魔道的行為にも言えることだが、制御を難しくする要因のひとつに、最少魔力による運用を想定する、というものがある。
少ない労力で大きな見返りを――こういった考え方は、魔道においても存在し、尚且つ、セオリー化していることが、魔道自体の難易度を高める一因となっている。
但し、裏を返せば、多大な労力を注ぎ込むことで成果を強制的に取り立てる、そんな乱暴な魔道的行為も可能であることを意味する。
抜剣直後、自身から溢れるように出現した炎狼の群れに戸惑いはしたものの、いつも通りの所作を――炎の輝剣を操作する時と同じように、彼らに向けて魔力を届けた。
そこで、彼女は気付く――完全に別物だと。
そこからの判断は早かった――逼迫した今の状況下、調整する猶予などある訳も無い。出し惜しんでの制御は、まず不可能。ならば、後のことなど考えてはならない、余力を残すことなど無視して全力で事にあたるべき、と、覚悟を決めた彼女が、すぐさま導き出した答え。
約5分、それまでに勝負を決するのが彼女の答え。
つまり、間に合わなかったということだ。
虚実――実に虚を織り交ぜることで、リズムを不規則なものに見せることは出来るが、あくまでもそれは、後付けのまやかし。
実際のところ、虚とは、どれだけ不規則に見えようとも、規則的なリズムに変化を与えているだけに過ぎず、格下もしくは実力が拮抗している相手にしかまともに通用しない、小手先の技術とも揶揄される振る舞いでしかない。
つまり、相対する者との速度差――反応速度や許容域を超えることが叶わないのであれば、虚という行動に意味はない。
ウィロウ国境戦役開戦前の開拓村にて、本多 宗茂がラーメンハウスの傭兵達へ問いかけ、新人傭兵として修練に参加していた新人傭兵シーダの返答に対して言い放ち、その場の全員の心身に刻み込んだ事柄――武と闘争の本質、その答え。
虚という行動自体が間違いなのではない。それ自体を前提とした戦闘法が重要という捉え方にこそ、看過できぬ問題がある。
何故なら、場合によって、もしくは、見方を変えれば、虚という行動は単なる無駄でしかないからだ。
敵を倒すに足る攻撃の実行、そのために虚という一手を要することで、勝ちに結びつく場合もある。だが、必ずしも要するわけではなく、一つの判断の正誤を究極的に問われる闘争の最中において、無駄な一手――悪手にも成り得る。
虚という行動を安易に選択することで、己の敗北――死を招きかねないことを、頭だけではなく身体でも理解する、それが肝要である。
傭兵達はそのことを、あの日、理解した。
5000余名の傭兵達が、ただの一度たりともまともに触れられず、本多 宗茂の手によって昏倒させられてしまった、あの時に。
傭兵達による実と虚を併せた攻め手は、宗茂に何一つ通用せず、守勢に回ったが最後、実の中に僅かな虚を絡めるだけのシンプルな攻め手を、どうしても止めることが出来ない。
躊躇なく懐に飛び込んでくる宗茂に驚きつつも、傭兵達は即座に反撃――したと同時に、顎先や鳩尾など、人体の急所を的確に撃ち抜かれては戦闘不能に陥らされる。
最少最短の所作での立ち回り。背中に目がついてるかのような察しの良さからの完璧な回避行動。どんな体勢からも――宙へ跳躍している不安定な状態からでも繰り出される、一撃二撃で的確に相手を行動不能にする打撃術。ときおり混ざってくる思いもよらないフェイントやミスディレクション――違和を感じさせない現実さながらの虚構、と、極みに在る者だけが披露できる武の極致、その一端を、傭兵達全員が体験させられていた。
そして、身を以て思い知らされたのだ。
武とは、闘争とは、己が生にて築き上げてきた全てを信じて相対する者を倒す、ただそれだけで良いのだと。
己の武を、身体を、魂を信じ抜き、どこかの誰かが勝手に定めたくだらない考えを鵜呑みにせず、惑わされないこと――武の道程で得た己の力を信じ、その力に身を委ね、一心同体と化すことが重要であると、傭兵達全員が、宗茂から伝えられたのである。
――と、今現在のユグドレアにおける武の頂に在る者と、そんな彼を慕う者達の一幕は、武と闘争に加え、虚実と呼ばれる概念の本質をも教えてくれる。
実際のところ、深く理解は出来ていなくとも、虚実の本質、そのさわり程度であれば、ユグドレアの武人達も魔道を征く者達も、本能的にわかっている。
だからこそ、常識に近しいその概念が、根付くように本能へと刻まれ、しがらみめいた縛りとなっている。
その縛りこそが、リア=ウィンディルの戦いにおいて、有用な一助になったこともまた、彼女の躍進に拍車をかけたのは間違いない。
憤怒の代行者であると同時に、適性を備えていたからこそ掬えた火種――炎狼ガルムとともに戦へ赴く姿はさしずめ、人狼一体。
そして、同一でありながらも別個の意思を備えるガルムの幻影、その群れを従えるリア=ウィンディルは、本来は虚構に過ぎないそれを――単一の武人だけでは決して成し得ない虚実を、ガルムとともに成す。
公国騎士としての剣技に加え、炎晶にて象られし炎狼ガルムとその幻影――リアが起こしたワンアクションとは無関係に、ガルム達のランダムなアクションの数々が追従することで、一個人でしかない筈のリア=ウィンディルの攻め手、その全てに虚が宿る。
其れは、単なる一手を千手と化す、武と魔の形。
其れが、本物の虚実、いや――真なる虚実。
ガルムのような存在と共に戦場を征く、今のリア=ウィンディルのような者のことを、古代ユグドレアにて武と魔の道を征く同朋達は、このように呼んでいた。
虚無より掬いし友と現世を歩みし者にして、幻想の最奥にて悠久を徘徊りし英霊を喚び召す者。
真なる虚実の体現者――召喚士。
本人からすれば、甚だ不本意な結果となっただろうが、客観的に観れば、リア=ウィンディルが成した戦果は――凄まじいの一言に尽きる。
兵の損耗率、約94%。
ユグドレアの各大陸に点在する国家、その軍部が定める、中隊規模以上の部隊全滅の基準、損耗率の平均は、三割から四割である。
そのことを踏まえれば、凄まじいという賞賛の言葉が、彼女に贈られるのは、もっともな話である。
しかも、相手は――魔装騎士団。
ウィロウ公爵領の精鋭で大部分が構成されている東方軍と並び称される、南方軍――オーバージーン公爵領兵で構成されている戦闘集団は、その実、強さの方向性が東方軍とは異なるものの、その精強さが広く知られている。
魔装騎士団は長年、その南方軍と鎬を削ってきたのだ。その強さを疑う者は、他国であろうと、軍に身を置く者の中には存在しない。
そんな魔装騎士団団員だけで構成されている中隊を1つ、ほぼ全滅にまで追い込んだのだ、彼女は。
その事実は、部隊を任せられた者にとって、屈辱と醜態、それ以外の何物でもない上、この先に待つ自身の進退にすら影響する。
つまり、基準値を大幅に超える損耗率となってしまった被害を、こともあろうに、あの魔装騎士団に与えてしまった指揮役からすれば、現在の状況は、この上なく由々しき事態であると、そういうことである。
「お、驚かせやがって……ようやく止まったか――」
彼の名は、ゲルムス=ベルハウル。
アードニード公国ベルハウル侯爵家長子にして嫡子、そして、アードニード公国第2軍に所属する、第8中隊隊長。そして――中隊壊滅の責を負わされることが確定している、小太り少年騎士の名である。