怒れる炎姫、蒼風の剣翁 04
――権能。
世界が、その機能を必要とする理由は幾つかあるのだが、その目的はただ一つ――世界を安定させる為である。
裏を返せば、本来ならば世界は不安定であり、権能があるからこそ、均衡を保ていることを意味している。
ここで疑問が生まれる――何故、世界が不安定なのか。
世界を遍く満たすモノ――魔素こそが、その答え。
さて、ユグドレアという世界を不安定にしていると同時に、その根幹を支えている魔素は、全ての魔道的行為に不可欠なモノ――魔の源である。
ここで重要なのは、何故、ありとあらゆる魔道的行為に、魔素を必要とするのか。
その理由こそが、世界を不安定にしている要因であり原因なのだが、それは同時に、権能という機能を、どうしても世界に追加しなければならない理由にも繋がる。
九つの権能――暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢、嫉妬。
魔素とは、マナとは、これら九つの権能を以てして、ようやく安定する代物であるということ――この事実こそが、魔素の正体を知る最大のヒントとなる。
何故、魔素をマナと読むのか、言葉遊びにも等しいその意味から見出せる事実と併せれば、答えを解くことは適う筈だ。
そう、魔素とは、マナとは――
熱く、より熱く。
燃せ、全て燃せ。
悲しみを胸に、嘆きを糧に。
深き淵きより産まれしは――炎。
敵対する全てを飲み込む其れの彩りは、全てを焼き尽くす、怒りの色。
刮目せよ――侵略者。
其処に在るは、我らの怒り、我らの炎。
其れは、未だ小さき灯火。
なれど、知れ。
其処に在るは、不壊の火種。
不撓不屈を具現する者。
此れは、我らの意を汲みし者が、其処に――イデア佇みし世界の底に辿り着いた帰結。
故に、彼の者は代行者。
彼ら彼女らの憤怒を身に宿す者にして、世界の代わりに、強く憤り、激しく怒れる、強き者也。
――赤。
それは、彼ら彼女らの視線の先に佇む、其れの色。
其れ――リア=ウィンディルと思しき者から放たれる威の圧力たるや、人族のみならず、獣人族との戦をも潜り抜けてきた歴戦の兵たる魔装騎士団をして、思わず怯んでしまう。
それ程の武威が、今の彼女から放たれている。
最年少でアードニード七剣の座に就いたリア=ウィンディルの実力を疑うものなど、たった1人の例外を除き、この場の公国騎士の中には、誰もいない。
だからこそ、それだけの強者であると認識しているからこそ、大いに戸惑う。
当たり前の話だが、目の前の彼女が、アードニード公国が誇るべき、七剣の一、ウィンディルの炎姫であることなど、その場の誰もが百も承知である。
それなのに、皆が揃って思わざるを得ない。
眼前にて剣を抜いた魔装術師は、一体、何者なのかと。
それほどの未知、それほどの変容。
歴戦の魔装術師が嘗て観たこともない程、濃密で重厚、深きより淵く、暗きよりも更に昏く、しかし、それでもなお鮮やかで烈しい――赤く波打つ魔力線を、敵対者へと見せつけている、リア=ウィンディル。
埒外と呼んで差し支えない大いなる魔を、その身、その心、その魂に纏わせ、炎姫が、その名にふさわしき姿を披露し始める、いや、既に始まっていた。
炎姫の身体を縁取る、その美しすぎる赤に見惚れていた、わずか数秒――の遅れは、戦闘の最中にあって、明らかにミス。
極端な話、リアの周囲を取り囲んでいた魔装騎士総員で、一も二もなく直ちに襲い掛かっていれば――こうはならなかった、かもしれない。
「な、なんだ、これは……」
魔装術、というよりも、総ての魔術に言えることだが、魔術書に刻める式には、明確に限界があり、魔術書の素材の良し悪しによって、刻める総数の多寡が決まる。
更に、式の種類を多くすることで、行使可能な魔術も増える、のだが、そこにはデメリットも存在する。
魔術書の余白を埋めるように、式を刻むことで、魔術としての形を成す。
だが、余白それ自体が魔術書に備わる魔素の塊であり、魔術書内の式の周囲に集まる性質を持ち、魔術そのものの質を変える。
つまり、余白があればあるほど、式を刻まれ成立した魔術の位階が上がる――強力な魔術を行使可能になるということ。
そのことを理解している世の魔術師達は、だからこそ式にこだわり、唯一と定めた魔術に己の命を懸ける。
魔装術師は、その最たる例。
例えば、アードニード公国最強と謳われるセシル=アルテリス。彼が行使する魔術は、魔力の武器を創り出す武装魔術の発展系である魔装術であり、アルテリス家の祖が編み出した雷刃戦型にて用いられる雷霧、ただ一つ。
霧状の雷を自由自在に操っては様々な武装を成形する魔装術――それを可能にしているのが、強大な魔を内包する素材の一つである神魔金を用いて製造された、アルテリス当主に代々引き継がれている、雷霧の式だけが刻まれている術式剣。
理想とする魔に到達せんと磨き上げてきた先達の想いが、その一振りには宿っている。
ならばリアの手にある一振りは、と言えば、ウィンディルの一族に代々継がれていた術式剣という訳ではなく、彼女の為に造られた、比較的新しい物。
現当主である彼女の父の手に、ウィンディル家の一振りがあるのだから、当然と言えば当然のこと。
――炎剣戦型。
それが、ウィンディルに継がれし炎の姿形。
但し、それは――リア以外のウィンディルの者に限られる。
リア=ウィンディルの炎の形ではない。
「――炎姫戦型」
それこそが、彼女の炎によって象られし形。
最上の赤たる紅蓮に憧れた祖が創り上げし炎泥ではない、彼女が一から創り上げた炎の形。
――炎晶。
星の光を表す日という字を、3つ重ねて、星々の輝きを表現している――晶の字を充てられる程、その炎、その輝きは観る者を虜にする。
炎姫と称される程の流麗さを備える美しきその炎もまた――変貌を遂げていた。
――畏怖。
感嘆の念だけを抱かせた、かつての彼女の炎の面影を残しつつも、その赤はあまりにも、あまりにも既知としている筈の魔の有り様から――隔絶している。
まるで、その炎は生きているかのよう――そんな風に思ったからだろうか、彼女と相対している者達は、炎そのものと戦っているような、そんな感覚に見舞われていた。
そして、その感覚は、当たらずとも遠くなき、極めて正解に近い答えだった。
怒れる炎姫が纒いし赤。
憤怒の権能の一部を反映した魔装術。
それは最早、魔装術の、いや――魔道の範疇に非ず。
ここに、炎姫の叛逆は始まり、彼女の炎は、いとも容易く、場と流れを先んじて制してみせる。
リア=ウィンディルが振るいし、怒りの炎。
さしずめ其れは、炎姫に従いし――炎獣の爪牙。