怒れる炎姫、蒼風の剣翁 03
ネブラン村中央に位置する広場、そこには、村人全員が集められており、各々の手首には金属製の腕輪がはめられていた。その用途はもちろん、拘束。
そして、行動を完全に制された村人たちの周囲には、アードニード公国の騎士たち。
さて、例えばだが、村を制圧した者たちが、アードニード公国にて一般登用された平凡な騎士たちであれば、村に滞在していた傭兵や冒険者たちが団結し、包囲網を破って逃げることができたかもしれない。
だが、この場にいるのは凡百な騎士ではない。
ネブラン村を制圧しているのは、ナヴァル王国の強兵と数十年に渡ってしのぎを削ってきた、アードニード公国が誇る最精鋭、魔装騎士団に属する猛者。
即ち――魔装術師。
ネブラン村に滞在していた傭兵や冒険者のパーティーは7組。その内、金等級が3、銀等級が2、銅等級が2、と、中隊規模――約500名の魔装術師を相手取るのは、自殺行為に他ならず、逃走が成功する確率は皆無、まともにやり合ったならば生存の可能性は不可能に近い。
素直に投降したのは、賢明な判断である。
「――どうなっているのだっ!!」
心根の尊大さが窺える怒鳴り声が、広場に響く。
その声の主は、広場を見下ろせる位置に用意させた椅子にふんぞりがえる、無駄に豪奢な鎧を着飾る小太りの少年。
彼の名は、ゲルムス=ベルハウル。
アードニード公国ベルハウル侯爵家長子にして嫡子、そして、アードニード公国第2軍に所属する、第8中隊隊長である。
人族領域の国境域で起きた今回の戦、事の発端は、ヴァルフリード辺境伯による突然の侵略行為――客観的にはそのように見て取れ、確かにそれは事実である。
だが実際は、ヴァルフリード辺境伯の意思ではなく、白の救世主の画策による進軍であり、となれば、その行動には、傍目には見えない何かしらの意味があるのは明白。
ここで少し、視点を遠ざけてみる。
ナヴァル王国の国境域は、空や海、ベルナス神山を除けば、2つの地域に絞られる――ドグル大平原、並びに、メルベス魔沼である。
このことを前提として、今現在の戦況を語ろう。
2つの国境域に発生した戦線は、以下の3つ。
1.ドグル大平原に侵略してきたヴァルフリード辺境伯領軍を、ウィロウ公爵領軍を中核としたナヴァル王国東国境方面軍――通称、東方軍が迎撃。
2.メルベス魔沼東部に布陣するアードニード公国第1軍を、オーバージーン公爵領軍を中心に編成されたナヴァル王国南国境方面軍――通称、南方軍が対峙。
3.アードニード公国第2軍および第3軍の合同軍が、ウィロウ公爵領南東部への侵攻を開始。
ここで、ウィロウ公爵領南東部の戦線について、もう少し詳しく語る。
まず初めに、アードニード公国合同軍は、本隊と別働隊で分けられている。
本隊――第3軍である魔術兵団と、第2軍である魔装騎士団に所属する100の中隊の半数で構成。
別働隊――本隊に編成されていない、残りの魔装騎士団員で構成されている。
そして別働隊は、先んじて街道を封鎖する先行部隊と、ウィロウ公爵領南東部に点在する集落を制圧する強襲部隊の2つに分け、課せられた任務を遂行。
本隊は、別働隊が制圧したデルタゼロツー街道を、追従するような形で、ゆっくりと進軍。
これがナヴァル国境戦役開戦後の、アードニード公国の動向であり、現在に至るまでの足跡――が、敢えてここで疑問を呈する。
何故、アードニード公国は二正面作戦、つまり、戦線を2つに分けることを決断したのか。
この疑問を解くことこそが、アードニード公国を裏から支配する異世界召喚勇者たち、ひいては、白の救世主を含めた、宗茂たちにとっての敵側――暗躍する者たちの狙いを知ることに繋がる。
つまり、ネブラン村の戦いは、暗躍する者たちの狙いや真意を知りうる、ある意味では貴重な機会ということだ。
そして、全体で見れば小競り合い程度の規模の戦いが、往々にして、大きな戦の趨勢に影響をもたらすことを理解しているかどうかが、名将と愚将の間に存在する明確な差である。
だからこそ宗茂は――
ひとつ、ふたつ、みっつ、と、甲高い音が――例えばそれは、鉄の剣と盾が激しく衝突したような、そんな音が、村の広場に響くと同時に、その場の騎士たちに尋常ではない緊張感を与える。
「――はぁはぁはぁ……何故だ……何故、来ない……どうして集まらないのだっ!! 貴様……本当に、部下に命令したのだろうなっ!!」
「……はい」
発せられた返事の何かが、どうにも気に障ったのだろう、小太りの少年騎士ゲルムスは、脇に控えさせている赤髪の女騎士目掛けて――
「それならっ! どうしてっ! 来ないのだっ!! はぁはぁ……答えんかっ!!」
「――っっ!? 申し訳、ありません……わかりかねます」
「ぐぬぬぅ……がぁっ!!」
「――っっ!?」
――何度も、何度も。
感情の赴くまま振るわれる短鞭が、星銀製の軽甲冑越しに、彼女の心を、削り取るように傷つけていく。
だが、彼女は何もしない――何一つ抵抗すること無く、全てを受け入れていた。
痛みを痛みのまま、苦しみを苦しみのまま、自らを責める何もかもを、受け入れては身体に刻み込むように、ただジッとそこに佇む。
それが、己が犯した許されざる罪科に対する、相応の罰だと考えていたから。
だから彼女は、何も反応しない、声を挙げない。噛みしめるように口を結び、とめどなく与えられる罰の数々を、自分の中で消化することを選ぶ。
だが、そんな彼女の高潔な振る舞いが裏目に出る。
「――がぁっ! はぁはぁはぁ……おいっ、アイツらの中から適当に……いや待て……女だ、女を連れてこいっ!!」
「――っ!?」
彼女の淡白な態度に飽いたのだろう、近くの騎士に、ゲルムスは命ずる。その内容は、誰であろうとも想像がつく、無論、彼女の脳裏にも嫌な光景を思い起こさせていた。
「ご苦労、退がれ……」
「い、いや……嫌ぁっ!? 誰か、助け――」
「ちっ、やかましい女だなっ!!」
振り上げた右腕が降ろされると同時に、音が鳴る。
――甲高い音が響く。
「……何のつもりだ、貴様――」
「…………」
「あ、あ……た、助け――」
「何のっ! つもりだとっ! 聞いてっ! いるのだっ! 答えんかっ!!」
「……っ、…………っ、 …………んっっ!!」
「いや……いや、いやぁぁっ!?」
連れてこられたのは、ネブラン村の少女。
ゲルムスは、何の罪もない少女に向けて、容赦すること無く短鞭を振るう――ものの、少女に痛みは無かった。
覆いかぶさるように、彼女が少女を庇ったからだ。
当然、彼女の行動は、ゲルムスにとって腹立たしいものでしかなく、苛立ちをぶつけるように何度も何度も、短鞭が振るわれることに。
そして――
「――邪魔をっ! するなっ!! はぁはぁ……オマエら、コイツを抑えておけっ!」
「――なっ!? 」
4人がかりで少女から引き剥がされた彼女の瞳に、ゲルムスが――公国騎士が、敵国の民間人に危害を加えようとしている光景が映った。
限界だったのだ、彼女は。
4年前から続いている理不尽、数多の悲劇は、アードニード公国の在り方を根底から覆し、見るも無惨な有り様を晒していた――あまりに悲惨な祖国のそれと何ら変わりのない光景が、事もあろうに他国の、無辜なる人々が平穏に暮らす地で、それも、自分達の手で、忌むべき悲劇を再現してしまった。
その事実は、彼女の心の奥底で燻る、その感情を、強く激しく揺さぶった。
命を賭して民を守り、国の苦難を払う、それこそが騎士の存在意義。だが同時に、力なき者を守るための剣であり盾であれ、と、幼い頃から身体に、心に――魂に刻み込まれてきた彼女にとって、同僚であるはずの公国騎士が敵国とはいえ、ただの民間人、それも、力なき少女に危害を加えようとする姿は、彼女が自ら嵌めていた心の箍を外す、否――力づくでぶち壊す要因となる。
――滅私奉公。
彼女の4年間は、つまるところ、それに尽きる。
滅私――自身の思いや想いを殺し。
奉公――守るべき民の為、己の全てを公国に捧げる。
彼女は、変わりゆく公国の中で、父親である魔装騎士団団長バルト=ウィンディルとともに、静かに牙を研ぎながら、ひたすらに耐え忍ぶだけの戦いを続けていた。
そして、憤怒の御子という新しい希望を知り、その身を守るため、出会うために、今なお孤独な戦いを続けていたのだ。
「――もう……やめてくれ」
だが、駄目だった。
その前に、彼女は、限界を迎えてしまった。
それと同時に、ネブラン村に存在する、魔道に携わる者ら全員が、揃って戦慄する。
それは、短鞭を振り上げていたゲルムスも同様で、その動きを完全に止めていた。
「……もう、これ以上――」
空気が――軋む。
それは、唐突な未知との遭遇。
それは、既知だったはずの存在の変容。
彼女の4年間は、決して無駄では無かった。
「これ以上、公国騎士の……我らの誇りを――」
――穢さないでくれ……。
彼女は限界を――我慢の限界を迎えてしまったのだ。
だから彼女は、剣を――
「――抜剣!!」
――術式剣を抜き放つ。
神魔金製、もしくは、神魔金の粉末を用いた魔導皮膜処理を施された特殊な剣であるそれは、魔装術師にとっての魔術書。
それが抜かれた、しかも、よりにもよって彼女がその行動を選択した。
その意味を理解できない公国騎士は、この場には存在しない。
ウィンディル子爵家の子女にして嫡子。
魔装騎士団団長であり、アードニード七剣の一振りたる父バルト=ウィンディルをして、自身を凌駕する才器と公言する程の才女。
公国の歴史において、とある最年少記録を塗り替えた魔装術師。
「――炎姫リア=ウィンディル」
――ウィンディルの炎姫。
その名は近年、ガルディアナ大陸の各国が、アードニード公国の特記戦力として認識している者の通り名であり、5年前、アードニード七剣の末席に、最年少記録である14歳で就いた者が、大公より賜った二つ名。
それが、いや、ここまでが――炎姫リア=ウィンディルという女騎士の謂れ。
今の彼女を語るには、ひとつだけ、極めて重要な情報が欠けている。
それは、公国の者達にとって、既知だった存在だったはずのリア=ウィンディルが、未知なる者に変容する要因となった、ひとつの事象。
彼女の4年間は、決して無駄では無かった。
彼女の心の奥底に燻る、とある感情が、その4年の間に育まれたことが、彼女の契機となる。
世界は認めた。彼女の嘆きを、憤りを、怒りを。
故にこそ、彼女の魂が繋がったのだ。
とある――世界の機能に。
彼女の心の奥底にて、彼女自身の意思で眠らせていた、その感情の名は――憤怒。
憤怒の権能者たる本多 宗茂により設定された閾値を突破したことにより、リア=ウィンディルは資格を得た。
此れは、世界の機能である。
其れは、世界の安定を願う者の想いの結晶である。
彼女が剣を抜き放った瞬間、生まれたのだ。
――ガルディアナ大陸における憤怒の権能の代行者が。
彼女こそ、後世にて怒れる炎姫と呼ばれし、炎の英雄と成る者。
其の者の名は、リア=ウィンディル。
「いざ尋常に……参る!」
悲劇の舞台へと変えられし地に漂う、心からの嘆きを糧に、憤怒の代行者が――怒れる炎姫が、其の怒りを解き放つ。
この日、炎が、咆哮の如き産声を挙げたのだ。